第13話 コンサート
週末だからといってルフィナに朝寝坊の習慣はない。寧ろ学校という面倒な制約がない分、貴重な時間を有意義に活用できる絶好の機会だ。
まだ日の浅い時間帯からのロードワークを済ませ、簡素な朝食もそこそこに次のトレーニングを始める。
マンションの自室は一通りのトレーニング機器が占拠し、主の性格を反映した武骨な趣だった。
鉄棒に足を引っ掛け脇腹を捩りながら腹筋を繰り返した後は、腰に重しを装着しぶら下がってからの懸垂。徹底的に自分を追い込む。
その後も腕立て伏せやシャドーなどで汗を流したが、いつもはもう何セットかこなすのを今日は途中で切り上げることにした。
他人と行動を共にするのは久しぶりだ。最低限の身嗜みが必要になる。シャワーを浴びようと着替えを取りに戻った寝室のデスクに小さな紙切れが置かれている。
ルフィナは矢吹美鈴からもらったコンサートチケットを手にし、それを無造作にジーンズのポケットに捻じ込んだ。
◆◆◆◆◆
時は来たれり。
梅雨時が嘘のように澄み渡った群青と燦々とした日光。いつもは閑散とした広場も今は賑わっているのは週末だからというだけではない。
その中に一筋の群れが列を連ね、続々とドームの中に消えていく。せっせと行儀良く歩を進める様子は餌を巣穴に運ぶ蟻のよう。
そしてこの時から僕らもまた蟻の1匹になる。
「ついに来てしまった……」
「何神妙な面してんだ。気負うにはまだ早いだろ」
悪魔城に乗り込むシモンの如く口を堅く結んだ寺田さんの脇を小突くのは、対照的なほど自然体のレシュリスカヤさんだ。ちなみに寺田さんというのは泥棒男の名前だそうだ。どうでもいいけど。
「で、でもよ。こうしている間にも美鈴が危ない目に――」
「今の時間は楽屋で待機中だろ。関係者以外立ち入り禁止なら奴らも動けない。それより周りをよく見ろ。客に混じって溶け込んでるかもしれないからな……こいつみたいに」
そう言って僕に顎をしゃくるけど、何故か視線は微妙だ。距離も遠いし。
ここまで来て仲間外れ? そういうの良くないと思います!
「褒めてくれてもいいんだよ? 僕だってここまで本気で変装するの中々ないんだからね。言わばレアショット」
「頭にバンダナ、手にはグローブ。チェックのシャツをジーンズに突っ込んでる時点で浮いてんだよ! 今時のオタクでももっとマシな格好してるぞ」
甘いなレシュリスカヤさん。僕がその程度のツッコミを予想してないとでも?
おもむろにチェックのシャツを脱ぎ捨て第2形態に進化!
……あれ? さっきより遠ざかってない?
「ちょっとちょっと。そんなに離れたらはぐれちゃうよ。ただでさえ更に溶け込みやすいファッションにしたんだから」
「いや周りに『I♡美鈴』ってTシャツ着てる奴1人も居ないんだけど」
「無視しろ。話しかければ私たちも同類に思われる」
「あ、待った! 屋内でも暑いからちゃんと冷えピタ持って……行っちゃった……」
他にも水とかタオルが必要だから渡そうとしたのに、パーティーメンバー2人は消え去っていた。薄情な奴らめ……。
「思えば何でこんなところに……」
大人しく列に並び直してボケーっと雲を眺め待ち時間を過ごす。早速リュックと背中の間に汗が溜まるのを堪え、僕は昨日の記憶を青空に投影した。
『俺の仲間たちがコンサートでアイドルの女を襲っちまおうって話してたんだ! その時は冗談だって思って笑っただけで……それしか知らねぇ! し、信じてくれ!』
回想終わり。
活字だけじゃ分かりにくいから情景も伝えると、ダンスクラブの裏手で気絶させられていた不良君を無理矢理起こして尋問しました。
メールを見せてグーパン構えただけで喋らせたレシュリスカヤさんマジ怖え……。
確実な証拠はなく普通なら冗談で済まされてしまうことくらい子供でも分かる。警察だって簡単に腰を上げてはくれまい。
でもこれまでを振り返ってあながち冗談じゃないと結論付けた僕たちは、こうして会場に潜り込み襲撃に備えるということになった。
矢吹さんにも取り返した衣装を届けたついでに(半泣きで喜んでた。思いっきり握手してくれた。めっちゃ柔らかかった)伝えたけど
『大丈夫だよ。事務所の人たちは事情を分かってるし。警備もしっかりしてるしね』
と流されてしまい、念のため連絡先を交換して終わりになった。
何となく自分の携帯を見つめる。電話のアイコンをタップするとそこには追加されたばかりの電話番号が。
……夢じゃなかろうか。僅か数日で超人気アイドルのアドレスがこの中に。この中に!
気を緩めると携帯を落としてしまいそうなほど震える手をどうにか押さえつける。
落ち着け拓実。今は我慢だ。路地裏では失敗したがまだ挽回のチャンスは残っている! ここで僕が鮮やかに連中を捕まえれば、アイドルルートに戻りそのまま好感度カンストでトゥルーエンド確定だ!
また一歩列が進む。思ったより強い陽光にくらっと来てしまい、久方の頭痛で感覚のずれを認識する。念の為に備えておこう。もしかすれば「レンタル」を使うとも限らない。
石橋を叩いて渡る心持ちで持参した鎮痛薬を水で飲み下す。気休めだがしないよりはマシなはずだ。
「おい」
「あれ? どうしたのレシュリスカヤさん。やっぱり冷えピタ欲しかった? それならそうと――」
「違う。用があるのはお前のチケットだ」
「え? でもそっちだって持ってるはずじゃ……」
「お前の席の方が見晴らしが良いからだ。ほら寺田」
「あ、ああ」
「い、いつの間に取った!? スリ! 強盗! 人でなし! 僕の夢を返せ!」
「うるさい。予定変更だ。とっとと行くぞ」
「うわあぁぁぁ……初めてのライブが……アイドルルートがぁぁぁ!」
◆◆◆◆◆
悲痛な叫びも届かず連行されたのはドームの入り口から少し離れたトイレの前。恨み節を言う暇もなく着替えて来いと押し込まれ、渋々元の無地のシャツに着替える。
確か昨日の打ち合わせでは僕が会場に入って怪しい輩をピックアップ。外はレシュリスカヤさんと寺田さんが見張り、犯人を見つけたら即撃退という二段構えのサーチアンドデストロイを仕掛けるはずだった。
ところが今は何故か2人で腰掛け茶を啜っている。
「ライブ……アイドルルート……ライブ……アイドルルート……」
「辛気臭い。男のくせにブツブツ引きずってんじゃねえよ」
その男の夢をぶち壊した自覚もないのに、奢らせてんじゃねえよ。と心の中でプチ反論。口に出せばフラグどころか骨が折れちゃう。
「では僕のチケットを盗んだ訳を聞かせてもらおうか。ちゃんと釈明してくれるんだろうねぇ?」
「あ?」
「すみません何でもないです」
気持ち強めにしてみたけど即座に萎えた。屋外のテラスで机を挟み会話する様子はデートと思われそうだけど、眉がV字になった子を相手に茶を飲んだところで何にも楽しくない。
開始時刻はとっくに過ぎ、ドームに備え付けられたパネルには屋内の映像がリアルタイムで映し出されている。
ステージを縦横に走る照明の中で、矢吹さんが多彩な曲のリズムに合わせて服飾の色調を目まぐるしく変えていく。
藍色に身を包み澄んだバラードを歌い上げると一転してロックスタイルの深紅に染まり、ポップ調の水色がテンポの良さを引き立てる。
サーモクロミックのお披露目は好評を博しているようだ。指を鳴らすと同時に万華鏡の如く移ろい変わる矢吹さんの姿に、聴衆は興奮のボルテージが収まらない。
踊りの振りつけも流石の一言。時に穏やかに時に激しく、衣装の色合いが最も映える動きでその都度のイメージを更新していく。前もって検討を重ねなければ出来ない動きだ。それだけで彼女のプロ意識が伺える。
歌唱力だって素人でも分かるくらい高い。意識して聞き流さなければ自然とリズムに引き込まれてしまいそうだ。
パネルの隅に参加者が分泌するドーパミンの平均値が計上される。曲目ごとにどれだけのホルモンが脳内で発し、精神衛生に影響するのかという指標だ。
料金体系も1曲ごとに細分化する方式が取られている。客の大半が人工知能のレコメンドで自身の好みや心身の健康に最適なパートを選り好みで視聴するからだ。
ところがレシュリスカヤさんの方はパネルに一瞥くれただけで、今は明後日の方向だ。自然体を装っているけど、緊張は解かない。
「2時の方角、緑のキャップの男」
ぼそりとした呟きに視線だけ動かすと、やや離れた場所に男が立っていた。周りが気になるのかそれとなく頭を巡らせている。
少ししてキャップ男はコインロッカーに近寄り、扉の一つを開けてビニール袋を取り出すと、持っていたリュックに詰めてさっさと立ち去った。
「行くぞ」
短く言って席を立ったレシュリスカヤさんに黙って付き従う。人混みに紛れつつ肩を並べると男を見失わないように尋ねた。
「あの人は?」
「たぶん奴らの仲間。さっき昨日取った携帯で『急病で行けなくなったからカメラをロッカーに預けた』って連中に送信したんだよ。あのチンピラ、ギリギリになって持ってきやがって……」
あの不良君、身も心も完全に調教されちゃったのか。ご愁傷さまです。
だけど、まあ、これで数百人の中から犯人探しをする手間が省けたのは確かだ。後は追いかけるだけ……だけ?
「つかぬ事をお聞きしますけど場所を突き止めたとしてその後は?」
「ボコる」
「いやそこは通報で済むでしょ!? 何でわざわざバイオレンスな展開に持ち込むの?」
「仮に捕まっても未遂で証拠もなけりゃすぐ出てくるだろ。また同じことをしないなんて限らない。だったらここで息の根を止めた方が手っ取り早い」
「頑張ってね! 君ならきっと出来るって信じてるから」
あらん限りの笑顔とサムズアップを決めて即座に反転。スタートダッシュが肝心だ。最大速力で離脱するっ!
「はしゃぐなよ。尾行がバレるだろ」
「に、逃げません! 逃げませんから耳を引っ張らないで!」
遠慮なく反対方向の力が加わり、大ダメージで涙目になっちゃう。これ千切れてないよな……?
「私はこのまま追う。お前は念のために裏手の送迎口付近を見張れ。一番襲われやすい場所だ。流石に向こうもコンサート中に仕掛けるほど無謀じゃないからな」
「じゃあ別に僕じゃなくても良いじゃん」
「寺田を行かせたら顔バレするだろ。それに明らかにビビリ腰な奴にまともな対応は期待できない。だから中から見張らせるんだよ」
自慢じゃないけど僕だって立派なビビリ腰だぞ。生まれたてのバンビくらい震えている自信がある。何それ超情けない。
まあ断ることもないか。まだコンサートが終わるまで時間はあるし、10分くらい前までは適当に時間を潰せるだろう。
「言っとくけどもしサボったら捥ぐからな」
「何を!? ナニを!?」
……というやり取りがあり、僕の貞操を守るためにも素直に裏口に向かう……事はなかった。
なるほど確かに彼女の読みは正しい。いくら連中がやる気でも警備が厳重なこの会場で騒ぎを起こすのは有り得ない。緊張が緩みがちな終盤が高確率で狙われるだろう。ただそれは今回のシナリオとは違うというだけだ。
レシュリスカヤさんが知ったらどう思うだろう。昨日僕が犯人を探したのは捕まえるためじゃないってことを。そして今回の僕の役割が彼女の味方とは正反対の立ち位置にあることを。
バッグから取り出したのは『I♡美鈴』シャツとは別のバイト用に配布される警備スタッフのそれ。時計は予定の時刻が着実に迫っているのを教える。
監視カメラに引っかからないよう事前に策定した道順を通り終点に着くと、コントロールルームと記された扉の向こうでは興奮に満ちた声が聞こえた。
さあ、本当のショーはここからだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます