第27話 嵐の職場見学(3)
少し会話を交わしただけで早くも生徒から慕われる快活なお姉さんの役を射止めた氷室さんに連れられ、当たり前にセグウェイが通行する廊下を渡ると着いたのはさっきと似たような場所だった。
規模はやや小さいがデスクと椅子以外はコーヒーメーカーやら観葉植物やらが追加された程度の違いしかない。ついでに言えば向かい合った机は衝立の代わりにすりガラスで仕切っていた。
「ここのオフィスで社員がどんな風に働いているかを紹介するね。まずはこのデスク」
一見すると上に何も置いてない白い表面が氷室さんの指が触れた途端、墨で染めたように黒く変色し何らかのパターンを描いた。幾何学的に配置された模様はアルファベットと数字が羅列している。
どうやらキーボードになるらしく、仕切りの役割を担う透明なガラス板に内蔵された電子基盤が連動し、各種ワークソフトの画面を表示する。
「リンクシティでは当たり前に使われるマルチプルウォールだけど、これをテレビ代わりに使う家庭も多いと思う。でもリグセイルでは素材の構造に光学素子だけじゃなく光センサー素子を組み込む改良を加えたの。まだ実用化の目途が立ってないから一部で試験運用しているんだけどね」
壁も同じ仕様で指で数回なぞるとウィンドウが浮かび、軽くタッチするとチェックマークが入った。スタンプラリーよろしくポイントを通過したことへの認証が完了する。
「もしかしてここのビル全部がこんな風なんですか?」
「そうよ。社内で開設した保育所なんか、子供たちが面白がって落書き塗れにするんだから。麦ヶ丘にも導入を検討しているはずよ」
いくつか通り過ぎた部屋の内装がどれも異なっていたから、模様替えもスイッチ1つで完了って事だ。来客の好みに合わせて使い分けられるから部屋取りの細かな調整も省略できる。
ただそれとは別に生徒たちはキョロキョロと落ち着かない様子でオフィスを観察していた。まあ無理もないよね。だってさっきから何故かそこら中にペンギンが右往左往してるんだから。
『渚さん、何かお困りなことはありませんか? ボクたちがサポートします』
しかも喋った。
「ありがとうジョバンニ。でももう用事は済んじゃったから、他の人のところに行ってあげて。ほら、係長がUSBをデスクの隙間に落としちゃってる。手伝ってやってちょうだい」
『畏まりましたー!』
元気よく翼で挙手しその場でターンして隙間に必死に指を伸ばす係長のもとへ走っていく。
通路を挟んだ先では別のペンギンがトレーにカップを乗せて職員にサーブし、また別のデスクではコピー用紙を手分けして運ぶペンギンが何匹も居た。
ぽつりと誰かが呟く。
「やっぱりペン太だよね、あれ……」
「珍しい? まあ一般家庭じゃver/Childが人気だからね。でもリンクシティで一番稼働数が多いのはあなたたちの周りで働いてるver/Adelieよ。ちなみにさっきのジョバンニはうちの会社で最古参のペン太なの。下手な中堅スタッフよりずっと社内に詳しいくらい」
リグセイル社が製造、販売する万能ドローンのペン太は、その名の通り見た目はほとんどペンギンだ。
ゴテゴテでメカっぽいデザインより動物の方が絶対に大衆受けするとかどうとか開発陣が己のモフモフ論を戦わせた結果という都市伝説すら語られるドル箱商品。
ポリバケツみたいな寸胴にやや小ぶりなドーム状の頭部を乗っけただけの極端にデフォルメされた外観を目にすれば、あながち間違ってないかもしれない。
だが侮ることなかれ。そこはリグセイル社が世に送り出す以上、半端な性能は許されない。
足裏と尻尾の下に隠す形で埋め込まれた三脚の球状ホイールは安定した走破性を確保し、翼に使われる形状記憶繊維は金属部品を遥かに凌ぐ柔軟性を得た。
羽の先端はマニュピレーターとして骨格から細分化され、プロモーションではその繊細さであやとりの東京タワーを作り話題を掻っ攫った実績がある。
極めつけは高度な学習機能を有する人工知能を搭載していることだろう。ディープラーニングを繰り返すことである程度の自律行動が可能になり、日常の作業で人間とコミュニケーションを取れるアドバンテージは非常に大きい。
親しみやすさを狙ったせいかやけに人懐っこい性格付けもあって、無邪気なジェスチャーに癒されるという声も多く、ペットロボットの要素を強調したver/Childも売り出されたほどだ。
『渚さん渚さん。トレーニングセンターから準備完了のお知らせが来てます。どうしますか?』
トコトコと近付いてきたペン太その2が氷室さんのスーツの裾を摘まんだ瞬間、僕らはペン太の真の恐ろしさを知る羽目になった。
くいくい、と幼児がおねだりする程度の微妙な加減、くりっとした上目遣い、ほんの少し傾げた小首。
何という……破壊力っ……!
世間を風靡する小悪魔系女子でも達人しか使いこなせないというあの袖摘まみをこうも容易く体現するとは……!
これもプログラムの成せる業かそれとも本当に天然なのか。いずれにしろこの可愛すぎる仕草に耐え切れなかった連中は膝から崩れ落ちていった。
危なかった……僕も一瞬脳内可愛い子ランキング(暫定1位:麦ヶ丘エンジェル美鈴ちゃん)が世紀の番狂わせに陥るところだった。
ただ1人平気だったのは一番近くにいたこの人で。
「OK。すぐに向かうって伝えて。さて皆さん、今までは我が社のソフトな技術を紹介しましたが、社会を知る以上それを維持するためのいわゆるハードな技術も見学して頂きたいというのが我が社の意向です。少し刺激があるけどちょっとだけ付き合ってね」
軽くペン太を撫でてついでに他のペン太に生徒の移動の邪魔にならないように伝言させる。使いこなしてるなぁ。慣れって凄い。
◆◆◆◆◆
リンクシティの魅力とは何かと問われたら、まず快適性において他の追随を許さない都市ということだ。
自然を制し、病を排し、宇宙に飛び立つ力すら手に入れた人類は、最後に残された理不尽――精神の安寧を自らを超え得る存在に委託したことで、新しいステージに至った。
マーシトロンによる人と社会の融和、統御。誰もが自分の進むべき道を明確に見つけられる世界は、人生に付き纏う多くの不安を払拭しただろう。
その恩恵は治安維持にも還元され、屈指の法治国家である日本において輪をかけて犯罪発生率が低い。
先端技術を応用した万全の監視体制のお陰というのもあるけど、最大の功労者は言うまでもなくマーシトロンだ。
突発的な事例を除けば、何かトラブルがあってもマーシトロンに相談すればまず困ることは無い。例えば近所の奥さんと喧嘩して仲が険悪になっても、マーシトロンに登録していれば人工知能が双方に最適な解決策を提示してくれる。
仮想人格という共通の第三者を介することで、生身の人間に相談する後ろめたさもない。要はとても顔が広く誠実で口が堅い友人を持ったようなものだ。
しかしどれだけ盤石なシステムを構築しても、矢吹さんの誘拐事件のように犯罪が決して消滅するわけではない。平和を維持するためには話し合うテーブルだけじゃなく、自らを守る盾が必要だ。
だからリグセイル社はこの都市に相応しい抑止力を生み出した。
Rsec社。今は独立した扱いだけど元々はリグセイルの警備部門がルーツなだけあって、常に最新鋭の装備に身を包み、専用のAIが算出した訓練ルーティンで培った高い練度を以て都市の安全に貢献している。
今回僕らは親会社の計らいでその訓練風景を見学することになった。
そしていきなり見せつけられたのは凄い勢いで吹っ飛ぶ警備員。
「うわぁ……」
素人でもヤバいと分かる攻撃で陣形から弾き出された仲間を別の味方がライオットシールドで守りを固めつつ離脱させる。
残りのメンバーで立て直した警備員の頭上には、円盤型のドローンが所狭しと浮遊し、括りつけられた機銃からゴム弾を乱射する。
だが間一髪のところで――何故か驚くことに――ペン太が割り込み、両翼を広げたかと思うと3対に分割され、孔雀みたいに隙のない防御体勢を作り出した。
やや曲線的な輪郭が弾丸の威力を減殺し、警備員たちもシールドで死角を補いながら徐々に距離を詰めていく。
粘り強く迫る敵に状況不利と判断したドローンが機銃をパージし高度を上げようとする。しかし僅かに発生したコンマをRsecのチームが見逃すはずがない。
すぐにペン太の嘴から緑色の光線が放射され、ドローンと何メートルも離れた空間を一直線に結ぶ。
『対象の捕捉に成功。テーザーウェブの使用を推奨します』
「発射!」
即座の指示でペン太の背に増設した筒状のパーツがせり上がり、くぐもった音と共にドローン目掛けて楕円形の物体が吐き出された。
それは真っ直ぐにドローンに当たるはずだったが、寸前でバラけ網状に展開しドローンが逃げようとした進路まで覆い、激しいスパークを放出しながらドローンを包んで墜落させた。
『ビーコンの消失を確認。対象を無力化しました』
「全ユニットは待機。持ち場を崩すな。回収班の作業が終了次第撤収だ」
状況が終了し各自が淀みない動きでドローンを収容する様子を僕らは上階の防弾ガラス越しに魅入るばかりだった。
3Dのアクションでも体験できない実戦に即したからこそ伝わる空気に息を呑む。
「結構本格的でしょう? 対ドローン戦を意識した訓練なんて全国でもRsecくらいしか採用してないからね。ちなみにあそこで活躍したペン太はver/Emperorっていう警備任務に合わせたカスタムモデル。最近じゃインフラ施設からも受注が来てるし頼りになるわよ~」
確かにあのペン太はオフィスで見たのより一回りサイズが大きい。ボディもややマッシヴなシルエットに変わり、背中にもハードポイントを取り付けているあたり電気網以外にもバリエーションがあるんだろう。
基本性能の高さが売りのペン太だけど、一般家庭を除いた市場なら寧ろ注目されるのはその冗長性だ。
シンプルな基礎設計が功を奏し初期モデルの時点で充分なペイロードとエネルギー効率を確保していたから、後は拡張パーツ次第で多様なレスポンスを発揮できる仕様になっており、サイズを変えれば土木作業にも対応できる。
あのver/Emperorとやらもそういったニーズに応えた結果だろう。
「吹っ飛ばされた人も居ましたけど……」
「ああ平気平気。ドローンの出力は訓練用に調整してるし、あの程度で怪我するほどヤワな連中じゃないもの。それにウチの防弾装備はその筋でも評判良いのよ」
氷室さんが軽く窓を叩くとその箇所から人型のホロが現れ、マルチレイヤーで可視化された拡張空間でポージングを決める。
白と黒のモノトーンで統一したラバースーツを青地のラインで引き立たせたデザインは、本職の警官が用いる暗色系の警備服と比べエッジが効いた印象にまとまっている。
保守的で威厳を示すよりも街のイメージにベクトルを合わせたのは企業的センスが働いたといったところか。
全体的にスマートなフォルムの中でも最大の要であるベストは、自分の命を預けるのを些か躊躇うくらい薄手だ。アウトドアコーナーで売ってる登山用ジャケットと言われても納得できるくらい薄い。
「見た目で判断しちゃいけません。このベストは従来の耐衝撃硬化ジェルを銃弾が防げるレベルまで改良し、その下には自然由来のポリペプチド強化繊維という二重織の構え。ケブラーより軽く鋼鉄よりも頑丈な素材を採用したことで、既存の防護服より半分以下の薄さと軽量化を実現した逸品よ。スタンロッドも標準装備してるから護身対策もバッチリ!」
自然由来ってあれですか。世間で研究中の蜘蛛の糸ってやつ? うわぁ想像したら何か背筋がゾワッとしちゃった。
シルクもそうだけど何で昆虫が吐き出したものを高級品っぽく扱うんだろう? あの不気味な姿をした生き物のケツから出たものを身に着けると考えるだけで吐き気がしそうだ。
ということは引っ張り強度も加味するとドローンを捕まえた時の網も同じ素材を使っているのだろう。個人的意見は別にして性能を聞く限りは確かに夢の素材だ。
「何かめっちゃ重装備ッスけど街中じゃ見ませんよね? どこで働いてるんですか? 毎日ドローン相手に訓練ばっかりしてるとか?」
おお、中々突っ込んだ質問。発言したのは会議場で氷室さんに熱心な視線を飛ばしていた勇者の1人だ。顔だけでも覚えてもらおうという下心が見え見えだけど、内容自体は的を射ている。
「そうね。警察には業務を委託されているから交番勤務の部署もあるけれど、あくまでミクロな範囲に限定しているから。じゃあ彼らは普段どこにいると思う?」
出資先の生徒の質を確かめる意図でもあるのか質問を質問で返される。でもスポンサーのビジネスモデルを詳細に把握している高校生なんてそうそういるはずもなく、頭を捻ったまま膠着状態になってしまった。
そこに別の誰かの手が挙がった。
「地下警備じゃないですか?」
挙手したのは諸星君だった。優等生らしい落ち着いた音量にもかかわらず、やはり学年首位のオーラは隠しきれない。
前に立っていた一団が自然と退いていき、氷室さんと正面から向かい合う構図が出来上がった。
「へえよく勉強してるわね。見に行ったことあるの?」
「まさか。建設途中で廃棄されたジオフロントがあるのは知ってますけど、立入規制区域に指定されているから近付きようがないですよ。それにあの
何故かその語尾が少しだけ湿って聞こえたのは気のせいだろうか。ほんの一瞬、そうとは分からない程度に両者の視線が交錯し、すぐに逸らす。
氷室さんも微かに残った磁力の残滓を瞼の裏に隠すと、いつもの快活な微笑みに戻っていた。
「彼の言う通り現在ジオフロントは関係者以外立ち入り禁止になってます。撤去作業も進めてるんだけど、まだ危険物が放置されてる可能性もあるからね。Rsecとしても作業現場の安全のために、常に万全の警備体制を――」
『もしもし渚さん? 今大丈夫かしら』
説明の途中で氷室さんにコールが入る。ウィンドウが開いてないから当事者間の限定通信だ。
ちょっと待ってね、とジェスチャーした氷室さんが通話先と二言三言やり取りをすると、会話はすぐに終わった。
「ごめんなさい。次に行くセクションでトラブルがあったらしくて、少し復旧に時間が要るみたいなの。長くは掛からないからみんなは食堂で待機してもらえる? お菓子や飲み物も用意してあるから」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます