第28話 嵐の職場見学(4)
不意に空いた休憩時間は予定でもない限り暇に潰されるしかない。タワーの中ほどに位置する第3食堂は生徒たちを丸ごと許容するキャパがあり、各々が自由に席に座りお喋りを楽しんでいる。
ドリンクは無料。中にはメーカーが試供品という体で発売予定の新商品を出し、品質や客層のサンプリングを行っている。
僕もメンタルストレスへの効果を謳ったハーブティーを注文し、ブルーマロウとかいう淡い青の液体の入ったカップを取って扉の外へ出る。
騒がしいのは好きじゃない。それに紅茶というのは静かな環境で嗜むものだ。だから僕は英国紳士の精神に則って孤独を選んだのであり、ぼっちで居づらかったからじゃないということを念押ししたい。
「あ、美味しい」
紅茶の仲間のはずなのに真逆の色合いをするカップの中身を口にすると、意外にも味はイケていた。芳醇な花の香りが鼻腔をくすぐり、どこか癒される自分がいる。
このまま日当たりの良い場所でも見つけられたらな……なんて探索活動に勤しんでいると、通路の向こうから人影が歩いてきた。
「諸星君……」
「古賀か。最近よく会うな」
その後ろにはRsecの職員が何人か手を振っている。同じように手を振って立ち去る彼らを見送った諸星君は、すぐに僕に説明してくれた。
「俺の親父、警察官だったんだ。合同訓練することもあったみたいで、その縁で俺も偶に顔を出しに来るんだよ。ゴールデンウィーク中もスタッフさんの厚意で部の強化合宿に付き合ってもらったんだ」
「Rsecって確か世界選手権の常連だよね。至れり尽くせりじゃない」
「はは、何とか結果に還元して恩返ししないとな」
そんな他愛ない会話を続けていると、無人のテラスに差し掛かった。静謐な空間に射し込む灼光で浮上した影が木目調の机の縞に重なり、まるで影自体が紋様を帯びたようだ。
そして無人というのは語弊があり、薄闇の中には先客がいた。椅子の上で退屈そうに虚空に指先を踊らせるレシュリスカヤさんは、背もたれにぐったりともたれかかり、伸びをした。
「お疲れ。何してたんだ?」
気負いもなくラフな態度で諸星君が呼び掛ける。度胸あるなー。クラスメイトの誼みと言えど、迂闊に接近したら危ないよ?(失礼)
ただでさえ面倒な問題抱えてピリピリしてるはずだし。
「……諸星か。別に。少し調べ物してただけだ。あそこはうるさいからな」
おや意外と普通の反応。素っ気ないのは誰に対しても同じだけど、必要以上に警戒している様子はない。
害を及ぼさない相手にはこんな感じなのかと思ったけど、もしその害が降ってきたなら御子柴さんみたいな目に遭うんだろう。
「調べ物?」
「さっきお前が言ってただろ。牙琉堕事件って。私はここの育ちじゃないからそういうのに疎いんだよ」
こんなときまでお勉強ですか。熱心だねぇ。
「で、お前は何で古賀と一緒なんだ?」
「……2人は知り合いなのか?」
思わぬ接点にちょっと驚いている諸星君。ぐすっ……そうなんです。実は僕この子に脅されてて……。
「生徒手帳落としたのを拾ってもらった。それだけだ」
「なるほどそうか。事件については分かったのか?」
チャンスタイム→2秒で終了。
華麗にスルーされてるけどいいの? 1人の善良な男子が極悪非道のヤンキーに脅迫され、夜も眠れないくらい不安を抱えている事実をこうも軽んじるのはこれ如何に。一方、検索を終了したレシュリスカヤさんはどこか苛立たし気だ。
「どうもこうもない。報道、警察、素人のデマ……どれも当たったが全部同じだ。2年くらい前、反AI派団体牙琉堕の拠点で謎の爆発事故が発生。代表を含む構成員も軒並み巻き込まれてグループは壊滅。原因はガス漏れらしいが詳細は一切不明。治安維持を求めた世論に後押しされてRsecが事業拡大を始めたのもこの少し後……陰謀論にしてもチープだな。ヒンデンブルグの飛行船じゃあるまいし」
「この街で唯一の未解決事件ってことで有名なんだよ。レシュリスカヤさんは知らないだろうけどリンクシティじゃ特区権限でマーシトロンのデータに証拠能力が認められてるんだ。牙琉堕は反AI派を気取ってるが、実態はAIの導入で職を失った昔気質の連中の寄せ集めだ。そんなすぐに見向きもされなくなった斜陽団体でも、事件当初は一面を騒がせた。どうせ自作自演だろうって予想が大半だったけど、生き残りのデータをトレースしても全てシロ。ダメ元で捜査線上に浮かんだ残りの容疑者候補も調べたけど、暖簾に腕押しだ」
「この超最先端の街で未解決なんて言葉を聞く余地があるなんてな。日本の警察は優秀じゃないのか?」
「多分利害の一致があったんじゃないかな……」
白熱する2人に充てられて無意識に出た言葉だった。この場は聞き役に徹するべきなのにどうして言ってしまったのか。自分でも分からないのに、言葉だけはポンポンと出てくる。
「利害ってまさか出来レースだっていうのか」
「ちょっと深読みしただけだよ。リンクシティはAIの管理下で経済を最適化し、逆に言えば無駄を削ぎ落した。いくら職業支援を施してもオートメーション化が進むこの社会じゃ人が余るのは必然だからね。そんな連中の不満は中々消えないもんだよ。下手に押さえつけるより隔離する方が都合が良かったんじゃない?」
世間から爪弾きにされた人間を一箇所に集中させるための母体。地下という表社会とは断絶しやすい環境。暗黙の了解で形成されたゴミ箱は、有史上絶えたことは無い。
「事件の真偽はともかくそんな場所に捜査が及べば、地下の住人と軋轢が起きかねないってことか。だから警察も一線を守りつつ監視の口実だけは確保した……」
合点がいったという顔でレシュリスカヤさんが捕捉する。中々どうして勘の鋭い子だ。そして警察の直接監視では連中への刺激が強過ぎるから、Rsecという第三者に仕事を発注した、と考えれば一応の筋は通る。
「どのみち地下の連中からすれば胸糞悪い話だな」
「仕方ないさ。そもそも奴らは――」
「待った。何か聞こえる」
唐突にレシュリスカヤさんが諸星君の台詞を遮る。僕も連られて口を閉じると確かに誰かの話し声が流れてくる。音源はテラスからやや離れた女子トイレから。
事態を確かめに向かったレシュリスカヤさんに習って僕も死角に立つとそこには――
「ねえ何か言ったらどうなん? 黙ったままじゃ分かんないじゃん」
1人の女子に壁ドンする御子柴さんが居た。
「デジャヴだ……」
違うとすれば今回はタイマンで、相手は保健室でクララちゃんにアレなマッサージを受けていた子だ。見るからに陰のある文学少女タイプで、頭上から睨む御子柴さんに委縮しちゃってる。
「ごめんなさい……」
「誰も謝ってなんて言ってないんだけど。あたしが聞きたいのは何で高尾先輩があんたに告ったのかってこと」
「わ、分かりません……」
「分からないってそんなはずないっしょ。記憶喪失でもした?」
これを『あいつ生意気→じゃあトイレに呼び出しちゃお!』の法則という。トイレというのは男女問わず綿密な話し合いをするための重要な会議室になるのだ。
人目に付かないから水遊びや動画撮影にも使われたりする場所で、御子柴さんはグイグイと攻める。
「だって今まで名前も知らないし会ったこともないのに、急に付き合えって言われて……手も握ってきたし……」
「何それ。『私って強引に迫られるくらいモテちゃう』とでも言いたいわけ? マジ有り得ないんですけど。そんな芋クサい格好。あ、まさかあんたもあの転校生ビッチと同類? まあ仕方ないよね。だってあんたみたいな不適合者が男引っ掛ける方法ってそれくらいしか――」
「転校生ビッチって誰だ? 私も転校生だから気になるんだけどな」
あ~あ行っちゃった。矢吹さんの時もそうだったけど、どうやら彼女はこの手のシチュエーションになると口を出したくなる性分らしい。悠々と介入する雄姿は当事者たちにはどう映っているのか。
僕も後に続けば格好は着くけど、ここから先は一歩でも入れば即変態認定されてしまうレッドゾーンだ。黙って見守るしかない。いや本当は女子トイレの前で待機すること自体ヤバいんだけど!
「……急に出て来て何? ってか、何でここに居るの?」
レシュリスカヤさんの姿を認めた途端、さっきの勢いがどこかに飛んでしまった御子柴さんが形だけの抗議をする。目線も定まらず早くも撤退のタイミングを計る。対して噂の当人はあくまで淡々と続けた。
「何でってここに来る以上目的は皆同じだろ。入ろうとしたら何か面白い話が聞こえてきたから、私も聞きたいと思ってな」
「……あんたに関係ないし」
「へえそうかよ。じゃあ表で待ってるから、切りの良いところで終わらせろよ」
「もういい!」
やけくそ気味に怒鳴り急いでトイレから脱出する。賢明な判断だ。その代わりに僕と鉢合わせしてしまうデメリットを除けば。
焦って視野が狭くなっていたせいで、僕を見た瞬間に御子柴さんが強張ってしまう。
「パッチ!? あんたまでどうして――」
「あ、僕はその、成り行きで」
「女子トイレで待ち伏せとか信じらんない! 中二病のくせに変態とかキモすぎ! ほんと不適合者ってクズばっか――」
「乃亜」
再びヒートアップしかけた御子柴さんに諭すように別の声が差し込まれる。ピクリと反応した御子柴さんが振り返った先には、少し悲し気な諸星君が。
「少し落ち着こう。女の子なんだからそんな言葉は使わない方が良い」
「ち、違うのリュウ。今のはこいつが覗いてたから……」
どうしよう。意図は違えど否定できる材料がないから何も言えねえ!
「そうなると俺も同罪だな……とにかく話し合おう。こんなことするのも何か理由があるんだろ? 困ったことがあるんなら俺も協力するからさ」
親友の異変にただならぬ何かを感じ取った諸星君が労わるように肩に触れる。その気遣いに御子柴さんの強張りも消えかかり、長い睫毛が朝露に濡れた緑葉に似た湿り気を陽光で輝かせた。
おおう。流石は看板モデル。撮影で慣れているのか知らないけど、光の絞り具合でどんな映り方になるのか心得ているのだろうかというくらい艶やかな照りがある。
でもそれは演技というには余りにも自然体で。だからなのか僕はそこに僅かな隙を見た気がした。
「君、その目……」
「何? あたしの目がどうし……っ!?」
まるで今のやり取りが会ってはならないかの如く、その緩んだ頬が硬直する。会話にもならない言葉の羅列は、しかし彼女には十分過ぎる威力があった。
憤怒とも絶望ともつかない歪みを浮かべ、ゆらりと後退すると亡者がする覚束ない足取りのまま無言で立ち去った。
「乃亜? どこ行くんだ?」
手放せばどこかに消えてしまいそうな危うさを懸念し、諸星君が後を追う。純粋に級友を案じたのか、トップカーストの本能が働いたのかは定かじゃないけど、ここは彼の方が適任だろう。
だから僕が面するべきは入り口から連れ出されたこのもう1人の当事者だ。
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