第26話 嵐の職場見学(2)
マルチレイヤーに表示された矢印状の誘導マーカーが床を滑り、僕らが通されたのは大学の講義室みたいにだだっ広い部屋だった。何で会議室等の表現を持ち出さなかったかというと、何もなかったからだ。
大企業にありがちなモノクロのインテリアは想像できる。でも半円状に並んだデスクと椅子の他に、スクリーンとかパワーポイントがないのは肩透かしされた気分だ。
「全員座りましたか? では実際に社内を回る前に簡単にリグセイルについて説明しようと思います。フォルダNo.396という項目をインポートしてください」
勝手に出現したエクスプローラーの枠中から指定されたものを指先でクリック。受信中のスクロールバーが満タンになると青白い光球が落ちて来て、パッと膨張したかと思うとやや凸凹気味のラグビーボールに変形した。
さらにその周りを文字列が浮かんでは吸い込まれ、徐々に形を成していくと出来上がったのは脳を簡単にモデリングした全体像だった。
「皆さんもこの都市に住んでいれば、どこかでリグセイル社の名前は耳にしているでしょう。印象調査でも『何か大企業の代表って感じ』『めっちゃハイテクな物作ってる』なんて回答が多くありますが、では実際にどんな仕事をしているのか……目の前のこれが答えです」
拡張空間の脳が光に包まれ女性の姿に生まれ変わる。マーシトロンだ。彼女は川の字になって寝る家族の枕元に寄り添ったり、病院のベッドで寝込んでいる人を優しく見守っている。
「人と人が真に分かり合える技術を作りたい――リグセイル社はその理念を旨に人々の生活を豊かにする活動を続けてきました。しかし社会というものは進化するほど市民に相応の負担を要求します。日進月歩の情報社会ではそれが顕著に表れる……そんな乖離する社会と個人の溝を埋め、全ての人がその恩恵を享受するための橋渡しをすべくマーシトロンは生まれました」
だからこそより人に近い思考形態を得るために、それを司る器官を模倣した。
睡眠という生物に共通の休息手段に新たなアプローチを試み、快適な夢を与えストレスを浄化し健全な精神の安定をもたらす。
立体画像の中のマーシトロンに見守られ、安心し切った表情で眠る人々。彼らにはマーシトロンが夢の世界の女神に見えるに違いない。
「現実世界と情報技術のシンクロは社会の発展に如実に反映します。個人の生活が充実すれば、労働のパフォーマンスも改善する。リグセイル社はビジネスの場でも能力が適切に発揮できるようサポートを惜しみません」
僕たちが居座っているサファイアの塔が現れ、別のビルに次々とAIと表記したロゴが送られ、業績グラフと思しき棒がにょきっと伸びた。
「先程送ったのは我が社が開発した経済活動・経営戦略に特化したAIソフトウェアで、リンクシティで事業を展開する企業にリース契約の形で提供しています。イノベーション溢れるビジネスモデルの提案はもちろん、マーシトロンと連携する仕様ですから社員のワークライフバランスを考慮した効率的な労働環境が実現できます」
ソフトウェアは統一規格だからたとえ異なる業種でも、データ共有によりAIを介してスムーズに合流できる。
AIロゴの合間に回路が流れ、その一つ一つが縒り合わさって巨大な潮流を生む。幹線道路、水道も巻き込んで複雑に絡み合う糸の中には麦ヶ丘も含まれる。
その辿り着く先はリンクシティの中心――すなわちリグセイルタワーだ。
「物流、医療、教育、金融……生活基盤のあらゆる領域にAIによる管理方式を導入していますが、脳活動や夢の分析により個人の性格や潜在欲求に沿った適性診断も可能なマーシトロンは、この都市全体に利益を還元する応用性を兼ね備えています。ある意味AI群の事実上の頂点……メインフレームといっても差し支えないでしょう」
都市のホログラフィックを俯瞰的に観察すれば、リグセイルタワーを結節点にある種のハブ構造を形成していると分かる。さながらAIの網に覆われた街と言えばいいだろうか。
「より健やかにより有意義な社会貢献をしてもらうために、マーシトロンは適材適所を重視したデータ解析を行っています。麦ヶ丘学園に通う皆さんは各々が得難い個性と才能を見出されて入学を認められた者ばかりです。今日はリグセイル社の活動を通じ、これから飛び立つところがどんな社会なのかを体感してください……あー長かったー! いざ喋るとなると大変ねこれ」
フッと拡張現実が消えると同時に氷室さんが凛々しかった相貌を崩す。無駄のない台詞回しにまたも関心を引き寄せられた生徒たちも弛緩した空気に肩の力が抜けた。
「まだ見学の開始まで時間あるし一応質疑応答ってことになるんだけど、さっきの説明でここ分からなーい、もっと詳しくなんて子がいたら遠慮なく手を上げてね。何ならお姉さんについて聞きたいってのもここで承りまーす。トイレ行きたい子は今のうちにね」
飲料水で渇きを潤した氷室さんが冗談交じりにアナウンスすると、そのフリを受け取った勇者たち(主に男子)がこぞって名乗り出た。
軒並みチャラそうだな。りゅうおうを倒しても王様が結婚を認めてくれなさそう。
「はい! 氷室さんは彼氏いますか?」
「おっ、ノリが良いね。彼氏かぁ……欲しいなって思ってるんだけど中々ねぇ」
「「「うおぉぉぉぉぉぉっ!」」」
瞬間、大地が震えた。慎重を期す第1問で博打を打ったのが報われ、男連中が歓喜に舞う。矢継ぎ早に2問目が飛び込んでくる。
「はい! 氷室さんはおいくつですか?」
「何歳に見える?」
「えっ、えっと……ハタチ!」
「惜しい! 正解は21歳の大学生! でも嬉しいわ。この前雑誌に20過ぎればオバサンって書かれてたから、内心超焦ってたの。いや~若い子に言ってもらえると元気出るな~」
「そんな! 全然綺麗っすよ!」
お世辞で言ってないのはその男子を見れば一目瞭然だった。頬を染めて熱弁するほど入れ込んでる。
まあ性欲が服を着て歩いているのが男子高校生という生き物だ。魅力的な年上のお姉さんがいれば当然興奮するし、微笑みをくれたらハートを撃ち抜かれもする。
「はい! 趣味は何ですか?」
「色々あるけど最近はドライブが多いかな。折角免許取ったんだし大学って時間持て余すから、遠出するのにちょうど良いのよね。誰もいないハイウェイを飛ばすときは最っ高!」
徐々にヒートアップする空気に女子からも元気よく手を伸ばす子がちらほら出て来た。さっきとは打って変わってちょっと真面目そうなタイプの子だ。
「あの、大学ってやっぱり楽しいんですか?」
「おお、進学校っぽい質問がやっと来たな! そりゃもちろんって言いたいところだけど、答えは条件付きでイエスね」
「条件付き……?」
含んだような言い回しにオウム返しの女子に、懐かしむ目で語り掛ける。
「大学ってね、本当に自由な場所なの。どの講義を選ぶかも自由、空いた時間で何をするかも自由。バイトで社会経験も積めるし、サークルは将来の人脈作りにも役立つわ。休学して海外留学、中退して起業するっていうのも選択肢の一つよ。中には一足先に社会人になって新しいムーブを起こしたってパターンもある。どんなキャンパスライフを送るかはあなた次第……って、まだ高校生になったばかりの子に何語っちゃってんだろ。まだ実感湧かないよね?」
「いえ、その……私、大学って勉強ばっかりするってイメージが強くて。氷室さんのお話でそれだけじゃないんだってのが凄く伝わりました! ありがとうございます」
「お礼を言われるほどのことじゃないよ。ウチの会社も学生時代に冒険したって連中も多いし、そういう人ほど引く手あまただからもしかしたらここに入っていくれる子もいるかもしれないしね」
スゲエな大学。そんなフリーダムなら僕はサボって遊びまくるね。で、イキってオシャレバーとか行って美人のキャリアウーマンに気に入られたりしてお持ち帰りされたい。
そうなれば僕は喜んで朝食をエッグベネディクトとかスムージーとかに変えるだろう。オッサン相手に鍋を振るうより遥かに有意義だ。
他にも色々な質問が交わされる中で大部屋のドアが開いた。ひょこっとスタッフらしき人が顔を覗かせる。
「あの、そろそろ見学の時間なんですが」
「あららタイムアップか。皆の質問が面白くてつい熱中しちゃった。よし学生諸君起立! 廊下に並んだら行進開始!」
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