第32話 事態収束
「……なあ、そろそろ教えてくれないか。俺を呼び出した理由を」
食堂から抜け出して2時間ほど。廊下の自販機の影に隠れるようにしていた僕に、痺れを切らした諸星君が尋ねる。
あまり大声は出せないから自然と顔が近くなるのだが、そうすると果物やバニラが混じった香りが漂ってくる。
良い匂いだなぁ。特進科っていつもこんな爽やかな香りに囲まれているのか。用件があって諸星君を探しに特進科に向かったら、そこは見渡す限り女子の女子で女子な世界だった。
めっちゃ柔軟剤の香りがする。あぁ、鼻が幸せ……。
女子が7割を占める教室というのはここまで素晴らしいのか。あ~もっと点取れてたらなぁ。
そんな羨望を抱きつつ手近な生徒を捕まえて(めっちゃ不審者を見る目だった) 、諸星君を貸し出してもらい(めっちゃ女子たちからガンつけられた) 、食堂の前にポジショニングして少し。
力を貸してほしい、ということ以外何も告げてない僕に怪しむ気持ちが生まれるのは当然だ。
「そうだね。端的に言えば今回の愉快犯を押さえることかな」
「誰か分かったのか!? 一体どうやって――」
「『フォーカス in 麦ヶ丘』のことは覚えてる?」
「ああ。でもあの放送にヒントなんてあったのか?」
「放送の内容はどうでもいいんだ。僕が言いたいのはそれを聞き出した相手」
「2年生の先輩だったよな。名前は確か飯田先輩と関根先輩だった」
よく覚えてるな。もしかして校内生全員知ってるんじゃないの?
「結論から話せば今回の黒幕はあの2人だ。そうでなくても片方は確実に関わってる」
きょとんと諸星君が面食らった。あの数分のやり取りでしか登場しなかった連中がこの度のお騒がせ犯とは結びつけにくい。だから補足説明が必要だ。
最初に違和感を感じたのはマーシトロンに検索をかけて犯人像を突き止めようとしたときだ。最後の最後で「特定の女子に執着の強い男子」をトレースしたが空振りに終わったが、これは裏を返せば犯人は女子ということになる。
「君はレシュリスカヤさんが悪く言われてる原因は知ってる?」
「さあ……誰かに告白されたってことくらいは」
まあそんなところだろう。僕も事前に彼女から教わり名前くらいは知ってたけど、どんな人物かは見当もつかなかった。だからこそあの2人の会話が怪しく感じられた。
「先輩たちって結構レシュリスカヤさんの事嫌ってたよね。わざわざ放送の内容を録音するくらいだ。意識してなけりゃまずやらない」
「それはそうだが……彼女たちは単に面白がってただけじゃないのか? 偶々現場に居合わせたからカメラを回したのと変わらないだろう」
「そうとも言える。けどあの人たちはこうも言ってたよ。『相手もそこそこカッコいいから目を付けたんでしょ』って」
「……あ」
その台詞を唱えた途端、諸星君が何かに気付く。そう。おかしいのだ。保健室での会話からクララちゃんすら告白の詳細はあまり知らなかった。
なのに校内トップの情報通を差し置いて、先輩たちはあたかもそれが誰か分かっているように話した。
掲示板でもレシュリスカヤさんの告白に結びつくスレはなかったことを加えれば、さらにその不自然さは際立つ。そこに気付いた僕は再びクララちゃんに頼み、情報を揃えてもらった。するとズルズルと芋づる式に解答に辿り着いた。
「2人のうちの関根先輩……あの人はレシュリスカヤさんに告白した相手、2年の高尾先輩の元カノだった。フラれた矢先に他の女を口説くんだから、相当腹が立ったのは火を見るよりも明らかだ」
「待ってくれ。高尾先輩って乃亜が仙崎さんに告白の理由を聞いたときに出た名前だろ。何で2人から同じ名前の人間が出てくるんだ?」
普通なら二股を疑うところだが、御子柴さんを見る限りではノーだ。
期末試験の後もトイレから出て来た時もそうだったが、彼女の諸星君に対する態度はあからさまに好みの男にする仕草だ。そうでなければ恐喝の現場を見られて、ああも取り乱しはしない。
そしてここに御子柴さんと関根先輩の隠れた接点がある。
「高尾先輩って仙崎さんの他に御子柴さんにも言い寄ってたんだよ。付け加えれば関根先輩は御子柴さんと同じ読者モデルだ。所属事務所も一緒なら当然目を付けられる」
クララちゃんの情報からもう一度御子柴さんのプロフィールサイトを見ると、他のモデルの一覧には関根先輩も載っていた。と言っても、事務所に入ったのは最近であまり目立たないポジションになってたけど。
「人気の差という上下関係もあれば簡単には接近できない。どうにかして鼻を明かしてやりたかった関根先輩は、運良く御子柴さんの弱みを握ることに成功した。さらにその弱みを使って御子柴さんに情報収集を命じた。自分が直接聞いて回ったら後々密告されかねないからね。これが御子柴さんが高尾先輩の名前を出した理由だ」
デジタルメディアルームでレシュリスカヤさんに迫ったのと同じように。いざ報復を受けても御子柴さんが都合の良い身代わりになってくれるという寸法だ。
一方、諸星君は弱みというワードに反応し何とも言えない表情になった。この様子じゃ多分知ってるな。彼の性格上、指摘することは無いだろうけど。
「そうして情報を得ながら自分は掲示板に燃料を投下したってところかな。あそこまで炎上させたのは失敗だけどさ」
「……つまりこういうことか? これまでのレシュリスカヤさんたちに降りかかっていたヘイトの数々は全て関根先輩の腹いせで、乃亜は被害者だと」
ご名答、と頷くと怒りというより呆れたといった様子で諸星君が壁にもたれ掛かった。今まで溜め込んでいた杞憂が体から抜け落ちていってるらしい。
夫婦喧嘩は犬も食わぬとは言うけれど、痴情の縺れというのはいつだってくだらない理由から始まるものだ。
「事情は分かった。それはそうとしてどうやって関根先輩を追うんだ? 見た感じじゃそれどころじゃないみたいだぞ」
少し前に火事が起きた食堂は一段落着いて後片付けが行われている。僕の読みが正しければそろそろ動くはずなんだけど――
「来た」
扉から猛然と飛び出したレシュリスカヤさんが靴を履き替え、一直線に駆けていく。携帯を片手に苛立つ様子を盗み見ながら、僕らもその跡を追うべく下駄箱から駆けた。
◆◆◆◆◆
長い旅路だった。
その健脚で街中を横切るレシュリスカヤさんの背中を追走するのは、本当に骨が折れた。毎日15kmは走ると豪語する彼女のスタミナは一向にスピードを落とすことなく人垣を器用に潜り抜け、時には塀を軽々と飛び越えもした。
どこに向かうかは知る由もなくストーカーもびっくりの愚直さで追った僕らもまた、数々の苦難に見舞われたのだ。
やれ塀をジャンプした先に犬のウンコがあった、やれ絶妙なタイミングで赤信号になった、やれ菊池さんから2万貸してくれと電話がかかってきた……最後は途中でブッチしてやった。
特に酷かったのは諸星君目当てに近付いてきたティッシュ配りのお姉さんだ。
何かとしつこかったのを振り切れない諸星君の代わりに、サービスで差し出された試供品のホットアイマスクを強引に貰ったら、殺意の籠った視線で舌打ちされた。
しばらくティッシュ配りの人には近寄れそうにないくらい怖かった。
そして僕らは今、レシュリスカヤさんが入ったと思しき場所を前にしている。ごくごくありふれたビルはグーグル先生曰く、御子柴さんや関根先輩が所属する事務所の撮影現場の一つだそうな。
「本当にここなのか?」
「他にそれらしい建物はないからね。取りあえず入ろう」
正面から入ってカメラに映りたくないので裏手に回ると、空いている窓を見つけた。それは倉庫に通じており、レシュリスカヤさんが入るのに使ったんだろう。僕らも続けてお邪魔すると休業日らしく中は無人で薄暗かった。
「手分けして探すぞ」
諸星君が左右に並ぶ部屋のドアを一つずつ確かめていく。僕も彼女の痕跡を探したが、スマホの明かりをつけてもそれらしいのは見つからなかった。しかし地道に1階、2階と潰していった矢先、鼓膜をつんざくような音が響き渡った。
悲鳴だ。それも女の人の。こじんまりとしたオフィスからやや外れ気味に聞こえた方向に注意を傾け、慎重に辿ると行き着いたのはトイレだった。
後ろに控える諸星君と示し合わせ、一緒にトイレに踏み込むと、そこにはハサミを片手に暴れる関根先輩と壁を背に必死に反抗する御子柴さんの姿があった。
「やめて! 離して!」
「あんたが……あんたがやったんでしょ!」
汗と涙でぐしょぐしょになった顔で踏ん張る御子柴さんに、関根先輩が鬼気迫る表情で刃先を近づける。その瞳には妄執染みた光が宿り、人に刃先を向けることに躊躇いが見られない。
先日メディアルームで垣間見た口先の牽制とは違う本物のキャットファイトは、第三者すら怯んでしまうほど凄惨な光景だった。
「乃亜!」
一瞬早く気を持ち直した諸星君が叫び、両者の間に割って入る。いくら得物があってもパワーの男女差は覆し難く、後少しで先端が届きそうだった関根先輩は突き飛ばされて強制的に数メートル退いた。
「大丈夫か乃亜!? どこか怪我は?」
「リュ、リュウ……」
手早く傷の有無をチェックする諸星君がどうしてここに居るか分からないと言うように、呆然とした御子柴さんは、しかしその髪を半ばから無惨に断ち切られていた。
その足元には微かに反射した細い糸が散らばり、関根先輩のハサミにも同じ色の糸が絡まり、鉄の鈍光と混ざって弱々しく光っている。
「諸星君!? 何でここが……」
「……先輩こそこれは一体どういうことですか?」
友人を傷つけられた怒りと警戒心を半々に、自らを盾にして御子柴さんを庇う。大柄かつ空手の有段者という明確なステータスも相まって、関根先輩は先程とは一転して狼狽え始めた。
「だって……だってその女がお金を燃やしたから! だから私は――」
「違う! あたしはお金なんて燃やしてない!」
どういう理屈かは分からないけど先輩にとっては御子柴さんが放火犯に見えるらしい。
火事どころか現場にすら行ってない御子柴さんはこれを即座に否定する。当然どちらの言を取るかは言うまでもない。
「何でこんなことをするんですか? 明らかに傷害罪に触れますよ」
明確な犯罪行為という言葉が関根先輩へのプレッシャーをより強くする。肩を震わせ呼吸が激しくなる様は半狂乱一歩手前だ。
「そんなのこの子が私を貶めるために決まってる! この子が私を妬んだから! だから仕返しに火事を起こして――」
「妬んだのはお前だろうが」
口から噴火しかねない熱量で捲し立てる先輩の後ろから――もしくは僕の横から氷の調べが奏でられる。
ただ冷たく、ただ鋭く投擲した調べの主に、全員が固まる。その中で関根先輩が舌を震わせながらその名を紡いだ。
「レ、レシュリスカヤ……!」
「会うのはこれが初めましてだな愉快犯。馬鹿な女だと思ってたが、ここまでやらかすとは私も流石に読めなかった。やっぱ馬鹿のすることは分からないな」
御子柴さんも諸星君もそうだけど、この子もナチュラルに僕を無視してトイレに踏み入り、1人蚊帳の外にして状況が進行していく。
あれ? 僕ひょっとしてお邪魔虫?
「何で――」
「何でここに居るのかとか面倒な問答ならなしだ。お前が何かやらかすくらい簡単に予測できる。そんなことより問題はお前だ。時代遅れな自分の感性を恨むんだな」
「は? 何言ってんの?」
「虚偽の書き込み、複数人への脅迫行為、そして傷害事件。証拠はないって高括って好き勝手してたみたいだが、お前やり過ぎなんだよ。今度のマーシトロンの更新検査、間違いなく引っ掛かるぞ」
心理状態を読み取る仕様上、マーシトロンに誤魔化しは通用しない。前回のデータと比べ脳の活動に僅かな違いがあれば、それはすぐに解析され要注意度に反映される。
リンクシティの治安を保つための予防的措置。この街の住人なら常識でしかないけど、外の社会の常識で育った関根先輩には盲点だったようだ。
「脅迫とか傷害とか……何それ? 所詮はただのカウンセリングマシーンでしょ。そんなので追い詰めたつもり? マジウケるんですけど!」
まだ自分の勝利を信じている先輩。これも外の社会の常識でマーシトロンを普通のカウンセリングAIだと思い込んでいる。
「知らないのか? この都市じゃマーシトロンは裁判で有効な判断基準になる特例が出てるんだよ。これまでの余罪を足せば次は法廷で会うかもしれないな」
「そ、そんな下手な脅し……ち、違うよね諸星君。私、逮捕されないよね?」
一気に転落する未来予想図に気色ばんだ関根先輩が年上の威厳も捨てて諸星君に助けを請う。一縷の望みを求められた彼は、悔恨に満ちた表情で苦し気に告げる。
「いえ事実です。マーシトロンの正確性は揺るがない。先輩はもしもの事態に備えて弁護士を探すのが得策かと。……するとしたら民事になるので逮捕はされないと思いますが」
それは紛れもない客観的で冷静な第三者の助言だった。如何に心優しい彼でも級友を傷つけられて手を差し伸べられるほどお人好しじゃない。
「そ、そんな……」
完全に逃げ道を絶たれた先輩ががっくりと崩れ落ちる。もしここが普通の町で対象が普通の子なら誤魔化す余地もあっただろう。単純に環境と相手が悪かった。そしてそれを見抜けなかった先輩自身も。
「嘘、嘘……そんなの出来るわけない! 私はモデルよ!? そこらのブスとは違う! 少しくらいストレス発散したっていいだろ! 仕事で疲れたらリフレッシュするだろうが!? 居ても居なくても変わらない連中に存在意義を与えてやってんだよ! ……そうだ、高尾君に協力してもらって署名集めればいいんだ。ファンも呼べば裁判なんて――」
……なるほど。こりゃ高尾パイセンが他の女子に尻尾振るわけだわ。寧ろよく付き合えたなと同情すら湧く。同時に人気が出ない理由も分かった。
要は仕事に対する意気込みの違いだ。読者モデルというのは肩書こそ華やかだが、実際はアマチュアな性格が強く給料もアルバイトと大差ない。無論その中でもプロ顔負けのカリスマ性を発揮する子もいるが、一握りに限られるのが実情だ。
常日頃から流行をチェックし、生活にも気を張り、良いと思った方法があれば自分から発信する。そんな美しくあるために自分を磨き続ける人間が注目を集める業界で、他人をこき下ろすしかしなければ人気なんて得られるはずがない。
「ああ、お前にはそれしかないだろうな。高校生が稼げる額なんてたかが知れてる。慰謝料はもちろん裁判に必要な金だって用意できない。
楽観的な希望は一瞬で破壊される。そしてそれは叶わない。頭を下げて「いじめをして訴えられてます。お願いだから助けてください」と懇願するなんてプライドの高い先輩には耐えられないし、協力者も出ない。万策尽きたという奴だ。
背水の陣どころか水中に没するくらいに追い立てられた関根先輩は、ほとんど放心状態のまま壁を凝視していた。しかし手負いの獣は死の淵に立つと凄まじい足掻きを見せることがある。
「前の学校で私は無敵だった……。気に入らない子は呼び出してお話すれば簡単に落とせた……。そうだよ。お話すればいいんじゃん。1人も2人も変わらないしさぁ!」
「先輩!?」
異常を察知した諸星君が押さえようと手を伸ばすが一歩遅い。壊れた傀儡となった関根先輩はゆらゆらとレシュリスカヤさんに接近すると、亜麻色の髪目掛けてハサミを真っ直ぐに突き出した。
何人もの髪に通したであろう鈍色の双刃が回避できない間合いから襲い掛かる。
だがこのときの行動ははっきり言って軽率過ぎた。理容目的でない動きでハサミが迫れば誰だって恐怖で対応できない。先輩もそれを経験で知っているから繰り出せたんだろう。
けれど、相手はあのレシュリスカヤさんだ。
先輩がハサミを伸ばすのとレシュリスカヤさんが動いたのはほぼ同時で、尖った刃は反射的に伸びた手にその手元を易々と捕えられ、奇襲は未遂に終わった。
「2人目って誰だ? お前か?」
「ひっ……!」
抑揚なく呟いたレシュリスカヤさんが力づくでハサミを押し戻し、先端を今度は持ち主の方に向ける。
「こ、このぉっ! ……や、ちょ、止めて……!」
両手を使って振り解こうにも全く動かない腕に愕然とした先輩に、ミリ単位でハサミが距離を詰める。
「ご、ごめんなさい! もうしません! もうしませんから……!」
これまで主人に忠実に従ってきた鋭利な先端が、今度はその髪にいよいよ触れるかという時、諸星君が短く叫んだ。
「ハサミを放すんだ!」
その言葉にはっと返った関根先輩はすぐに言う通りにした。支えを失い落ちる他なくなった狂気の源が、固い音を立て床を滑る。それはこの騒動の明確な終了宣言になって、緊迫の糸を断ち切った。
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