第33話 ハーフの幻想

「……やり過ぎだよレシュリスカヤさん。過剰防衛になったらどうするんだ」


「馬鹿。フリに決まってるだろ」


 普段の冷静な態度で携帯をイジりながら返したレシュリスカヤさんに、ハサミを拾った諸星君が呆れる。

 顔は見えなかったがさっきのレシュリスカヤさんには抑えていたものの反撃の意思が感じ取れた。止めてなかったら多分本当に髪を切り落としていたかもしれない。


「では先輩、行きましょうか……」


 呆気なく制圧された関根先輩はすっかり腰が抜けて尻餅を着いていた。刃を向けても向けられる経験がなかっただけに、そのショックは大きい。

 いやそれだけじゃない。発覚、退学、訴訟、脱落。血の気が引いた先輩の思考が手に取るように分かる。だが何を思ったのか先輩は引き攣った笑みを湛え、大仰に返し出した。


「ふーん、そっか……分かった。良いよ。もう隠し通せないんだし。マーシトロンに全部打ち明けてやるから。掲示板を炎上させたこと、高尾君が唾つけた子に悪戯したこと。それにこの女の隠し事もね!」


 待ち望んだ瞬間が訪れたと言わんばかりに歓喜した関根先輩の視線が再び御子柴さんを捉え、諸星君に隠れた影がビクッと跳ねる。


「この子ハーフなんでしょ? 確かに可愛い顔してるもんね。表紙も飾るくらいだし。そのせいで私はいつもその他大勢扱い。不公平過ぎでしょ? でも何気なくこの子の髪見てたら気付いちゃったんだよね。だって――」


「染めてんだろ? 生まれつきじゃなくて」


 クイズ番組の司会者みたく勿体着けてバラそうとした語尾が、被せ気味に続いたレシュリスカヤさんの答えに追いやられた。

 拍子抜けする空気。数瞬の間隙を経て最大の反応を示したのは、指摘された御子柴さん本人だった。


「え!? ちょ、何で……いつ……」


「いや初見で気付くだろ。お前の睫毛黒いんだし」


 唖然と口を開けた御子柴さんを見て、僕はああやっぱり、と確信した。アニメや漫画では暗黙のうちに義務化されているハーフの金髪指定だが、実際の統計では天然の金髪は全世界でも一桁台の割合しか該当しない。


 生粋の白人でもレアものなのに、異人種の血が混じったハーフなら猶のこと発現確率は低くなる。大陸系の血が濃く流れるレシュリスカヤさんでさえ金髪ではないのだから、その結論に至るのに時間は掛からない。


 仮に子供の頃は金色だったとしても、成長と共に色が抜け落ちるのがほとんどらしいから、外国人も大半は染髪で代用しているのが実情だ。

 もっとも地毛が金色なら体毛も金色だから、その人が染めているか否かは睫毛で判別すればいい。流石にそこまで気を遣って染めてる人はそういないはずだ。


「な、な……」


 最後の切り札(切り札というほどでもないけど)を使い損ねた関根先輩の歯がガチガチと不協和音を発する。成す術がないとはまさにこのことだ。


「補足しとくとこいつはマーシトロンに推されてモデルやってる。だからシステムもとっくに知ってると思うぞ。言うだけ無駄だ」


「あ、あああ……」


 矢尽き刀折れた先輩は身も世もなく泣き崩れた。ここまで追い込まれればもう下手に関わってはこないだろう。因果応報とはよく言ったものだ。僕らの前で泣きじゃくる関根先輩は、ひどく惨めで矮小な存在だった。


「俺はこれまでのことを説明するためにも、先輩を連れて学校まで戻るよ。乃亜、辛いだろうが一緒に来てくれないか?」


「……うん。行く。でも少しだけ休ませてくれない? まだ立てそうにないから」


 プルプルと小刻みに震える膝に手を置く御子柴さんに「表で待ってる」と告げた諸星君が先輩を伴って退場する。

 ここで余計に気遣えば、僕たちの前で弱さを見せることと同じだ。こういうところが王子って呼ばれる所以なんだなぁ、と感心する。


「御子柴はこれからどうするんだ?」


「……分かんない。疲れたから明日考える」


 脅されて、片棒を担がされ、襲われ、髪を切られた。きっと相当のダメージが溜まっているだろう。

 今は解放感で落ち着いているが、時間が経てば恐怖がぶり返す可能性は充分にある。早いうちにマーシトロンのケアを受けるのが賢明だ。


「そうか。まあ、お前はお前で勝手にやれよ。私は特に何もしない」


「あんたは悔しくないの? あれだけ好き勝手なこと書かれて」


「アホが吹いた法螺に一々目くじら立ててたらキリがねえよ。それにあの女がまた仕出かしても、黙らせるだけの情報は握ってる」


 不敵に笑い携帯を渡すと、御子柴さんはその頬を瞬く間に赤く染め上げ、放り投げるように突き返した。


「危ねえな。投げるなよ」


「バ、バカじゃないの!? 情報ってあんたこれ――」


「勘違いしてるようだが私が撮ったんじゃない。例のチャラ男……高尾が間違って送信してきたんだよ。開いたときは流石に引いたけどな。まさかあのカップルにがあるなんて誰が予想できる」


 コートだけ? 散歩? 耳にした途端、聞くべきじゃなかったという後悔が込み上げてきた。

 いやね、僕だって健全な男子だから紳士の嗜みとしてそっち系の研究はしてるさ。でも流石に限度ってものがあるだろうよ。

 他人の性癖に口を出すつもりは毛頭ないけど、高校生で露出プレイというのは些か過激すぎるじゃないだろうか。


「……そういや何でパッチが居るの?」


 あぁ、ようやく僕に反応してくれた。仮にも男子の前なのに個人撮影の動画を流したりするから、男どころかてっきりトイレの備品に降格されたのかと思っちゃった。


「あー僕はその、偶々諸星君とエンカウントして、偶々ここを通りかかって、偶々悲鳴が聞こえて中に――」


「タマタマうるせえ。ストーカーだよ。私のこと追けてきやがった」


「……サイテー」


「誤解です! いや追いかけたのは正しいけど、諸星君が不審に思って追いかけようってことに――」


 ごめん諸星君。本当は僕が連れ回したんだけど、ストーカーにはなりたくないので尊い犠牲になってくれ。

 ただ、彼の名を出したことで御子柴さんは丸め込むことに成功した。もう片方は「どうだか」と顔に出てるが、まあいい。


「そういえばこれから髪どうするの? 関根先輩がああだったし、天然って言い張るのは無理があるんじゃ……」


「やめないし。今までずっとこれで通してきたんだもん」


 そこだけは譲れないとばかりに固く主張する御子柴さんの目は、空想ファンタジーを意地でも現実リアルで押し通そうとする強情さがあった。まるでそうでなければ生きていけないと言うように。


「ブロンドがポリシーってか? それとも髪が金色じゃなきゃアレルギーでも出るのか?」


 呆れ交じりに揶揄するレシュリスカヤさんに向いた顔は、挑発への苛立ちやこだわりを貶された怒りは浮かばなかった。諦観と言えるようなやさぐれた表情。


「ならあんたは分かんの? 小さい頃からずっと『金髪が綺麗』って褒められたあたしの気持ち。『ハーフだから羨ましい』って言われてきた気持ちが」


「お前は金髪じゃないざまーみろって嫌味?」


 それこそくだらないと吐き捨てるロシア人。たとえ頭がピンクや紫に塗れようが彼女は気に留めないのだろう。

 たかが髪の色で神経を使うなんて馬鹿らしいと。でも僕には御子柴さんの言いたいことが何となく分かるような気がした。


「子供の頃は本当に金髪だった。周りから凄いって褒められて、リュウも『綺麗だな』って言ってくれた。あたしの自慢だった。でも、色がほんの少し黒くなったら、急に冷たくなった。『ハーフなのにおかしい』『嘘つき』って……皆が勝手にそう思ってただけじゃん」


 綺麗、スタイルが良い、何かカッコいい。海外の眩い魅力を餌に肥大化したイメージは、次第に創作の世界で外国人=金髪という定式を作り上げた。

 その法則は派生形であるハーフにも適用し、願望が多分に入り混じった偶像を人々に植え付ける。


 ハーフだから英語が話せるのだろう。ハーフってオシャレ好きっぽい。

 血統がそうだから振る舞いもかくあるべしと求められるその「空気」に閉塞感を覚える者は多いと聞く。

 きっと御子柴さんもそんな不定形の檻で生きてきたに違いない。


 それっぽいという雰囲気で人々に役割を押し付ける「空気」。少しでもイメージから外れた行動をすれば見えない牙で襲い掛かる「空気」。でもこの国では何よりも大切なものとして扱われる「空気」……。


 それに屈した御子柴さんを笑うことはできない。あの巨大な怪物を倒すには決然とした勇気と労力が必要で、それを以てしても道半ばで挫折するのがほとんどなのだ。だったら自分から変わってしまった方が楽で、泣かずに済む。


「法律で決められたわけでもないのに、律儀なもんだな」


 理解に苦しむとかぶりを振った方の少女は、数少ない例外だ。空気なんて気にしない。自分のやりたいようにやる。

 本来の性格かそれとも自立性を重んじる外国ならではの価値観なのかは分からない。ただその考えはこの国では得てして異端の扱いを受ける。


「有象無象の顔色窺って何が楽しいんだか。そんな暇あるなら小うるさい連中を黙らせることに時間を使え。だからあんな雑魚にやられるんだろうが」


「……あんたって本当に自分しか見てないよね。そういうところ昔から嫌いだった」


「あ?」


 かなりの時間が過ぎたのか窓を透かした光に少しだけ朱色が混じる。御子柴さんの独白に近い返しに細められたナイフの瞳。その下に刻まれた一条の傷跡に赤光が射し込む。


「物覚えが良くて。何でもかんでも簡単にこなして……。それが出来て当たり前って顔して、あたしたちには目もくれなかった」


「何の話だ?」


「ほらそれ! 素でそういう言葉が出るのがムカつくって言ってんの! 何であたしじゃないの!? 何であんたなの!? 穢れた血のくせに――」


 今までの鬱屈をぶちまける勢いで捲し立てた御子柴さんが、宙に浮いた。比喩ではなく本当に地面から足が離れたのだ。途中で胸倉に伸びたレシュリスカヤさんの腕に支えられる形で。


「お前、今何て言った……!」


 仁王を飛び越して無表情なのは殺意の発露だ。事実、女子でも割と高身長な御子柴さんを宙吊りにする腕力は、その気になればいつでも首をへし折れる。

 恐怖の再来に加え息苦しさもプラスされ足がバタつくが、文字通り無駄足だ。


「レシュリスカヤさん!」


 2度目の緊急事態に今度は僕の身体が動く。女子トイレだからという遠慮も彼方に踏み込み、締め上げてる方の手首を取った。


 固っ!  何だこれ万力? どんな鍛え方してんだこの子。


多少動かしてもビクともしないんじゃ意味がない。ここは僕に注意を向かせるのが先決だ。

 握った手首の圧を少し強くする。血圧計のように徐々に力を加え続けると、レシュリスカヤさんと目が合った。怒りの矛先が僕に変わるが段々と手首の負担を無視できなくなり、警戒心にシフトしていく。

 最早我慢比べと睨み合いになりかけ、ミシミシと軋む段になってようやく彼女は手を離した。


「ゲホッ……ハァッ……コホッ」


 御子柴さんが膝を着き激しくえづく。幸い跡は残ってない。もしそうだったら彼女はしばらく現場に出られなかったかもしれない。

 そうなった場合、慰謝料を請求されるレシュリスカヤさんは、開いた瞳孔が閉じ何とか理性を取り戻していた。


「……放せよ。いつまで握ってんだ」


「あ、ごめん……」


 今更ながらに指摘をいただき、うざったく振り払われる。ありがたくもセクハラ呼ばわりしなかったレシュリスカヤさんは、今度は虫を見る目で咳き込む御子柴さんに舌打ちし、黙ってトイレを立ち去った。


◆◆◆◆◆


 そこから20分。流石に被害者を放置するわけにはいかず、落ち着くまで待ち外で待機していた諸星君に引き渡してからは、どうにもすっきりとせずレシュリスカヤさんを探しに棟内に戻った。


 現状の出入り口は倉庫の窓しかないから、まだ中に居るのは間違いない。

 もう何のドキドキも感じなくなった女子トイレも含めて全部のフロアを探索したが見つけられず、エレベーター付近の案内図を見ると未確認の部屋があったのに気付く。


 1階監視映像室。


 いくら施錠がお粗末なこのビルでも流石に閉じているだろうと思ったけど、行ってみると見事に開いていた。いよいよセキュリティの杜撰さに辟易していると、中からやや粗い、くぐもった音が漏れた。


「マーマ……」


 半ば入りかけた爪先が小さく揺れた。儚く重く、必死に掘り起こした想いを、擦り切れそうなほどの切なさを帯びて舌に乗せた言葉。もう会えないと知りながらも、呼ばずにはいられない渇きを慰めるための言葉。


 これは駄目な奴だ。触れてはいけない世界だ。経験的な理解を伴った指先が静かにドアノブから離れ、僕は鼓膜を塞いで時間が過ぎるのを耐えた。

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