第34話 真の放火犯

 しばらくして両耳を澄ませるともうあの声は消えていた。これでタイミングを間違ったらアウトだな、と極力その結末を思い出さないようにカメラルームに入ると、レシュリスカヤさんが複数のモニターを前に何らかの作業を進めていた。


 しかし白光に浮き出た横顔はいつもの無愛想なままで、涙の跡も綺麗に消えている。何度も映像を巻き戻したり、コンソールを複雑に操作するのを眺めていると、画面を見つめたままの彼女が喋った。


「何か用か?」


「あ、いや、中々出てこないからどうしたのかなと思って、探しに」


「ああ、だからさっきから古賀が映り込んでたのか」


 各階の女子トイレまで侵入する場面をがっつり記録しているモニターを出される。もしこれが世間に流出したら僕は一生変質者の汚名を被って生きなきゃならない。

 不幸中の幸いは映像室の前にカメラはなく、室外で佇んでいた様子は撮られなかったことだ。そうでなければ僕は無傷で済まされなかっただろう。


「お前らが映った映像を消去してる。事情が事情でも不法侵入になっちまうだろ」


 モニターの左端から順に、携帯に向かって何か喚きながら正面玄関に駆け込む関根先輩、不安げに携帯で話しながら続く御子柴さん、裏手に回ったレシュリスカヤさんに、同じルートを通って侵入した僕と諸星君。

 時系列順に並んだ5人の証拠映像は疑う余地なく不法侵入だった。


「作業量増やしたくないからこの部屋に入って関根の場所を探ってたのに、お前らがそこら中引っ掻き回したせいで、何倍も時間取られちまった」


 だからトイレに遅れて来たのか。ちょうどその動画が映っているモニターが消され、この建物から僕らの痕跡が一つまた一つとなかったことにされていく。


 彼女のそれも立派な改竄行為だと理解していても、スクロールする数式やアルファベットの羅列を忙しなく処理する姿は、華麗なピアニストに似ていた。手慣れていると実感する。


「職場見学もそうだったけど随分とITに強いんだね。自前のアプリとか作ってそう」


「引っ越してくる前にプログラミングを少し齧った程度だ。大した腕じゃない」


「いやいや、謙遜しなくてもそれくらい分かるよ。だって学校のPCからくらいだし」


「……!」


 キーボードを叩く音が止まった。顔には出さなかったものの、その反応だけで充分だった。


「君がメディアルームを出た後、調べ物してたら奇妙なログが出て来てね。ちょっと辿ってみたら職員専用……しかも校長クラスの閲覧許可が求められるサーバーに入ったからびっくりしたよ。ほんの数秒でログが自動消滅して弾き出されたけどね」


「壊れてたんじゃないか? 業者に診てもらった方が良い」


 敢えて専門家の診断を提案するのは証拠がないという自信、いや確信の表れか。実際、あの後どんなに操作してもサーバーは突破できなかった。

 情報解析は門外漢というハンデがあるが、裏を返せばモニターを観察するこの少女はそれだけの技能があるということになる。


 矢吹さんの位置を発信機から割り出した事実も揃えば、もう「少し齧った程度」では済まされないレベルだ。

 恐らく高尾先輩から送られてきたと言った動画も、端末に侵入ハッキングしたからじゃないかと見ている。でも悔しいことにそれを証明するスキルが僕にはない。

 少しでも手掛かりを得ようと餌を垂らしたが、実入りは乏しい。


「君の方が詳しいと思うけど。今もこうして映像を差し替えてるんだし。普通の人には出来ない芸当だ」


「普通には出来ない、か。それは古賀の方じゃないか?」


 実入りを増やそうとボールを投げたら、鋭いピッチャー返しが飛んできた。この部屋に入ってから初めて僕に向き合ったその目は獲物を追い詰める猟犬に近く、攻守が交代したと分かった。


「食堂の放火犯、お前だろ」


 思い込みでも当てずっぽうでもない、筋道立った考察の下に告げる淡々とした告知に、今度は僕が揺らいだ。

 胸の中のさざ波を皮一枚に押し留め、心外だ、とそれらしい挙動をする。


「ああ、掲示板で皆が食いついてるらしいね。僕はその場にいなかったから、直接は見てないけど。ペットボトルが日光を集めちゃって事故ったんでしょ?」


 暗に自分は犯人じゃないとアピールする。しかし追及の手は緩まない。


「その説も考えられなくもないが、宝くじで一等引くのと同レベルの話だ。花瓶代わりに花が挿してあれば、その影が焦点に割り込むから、光が収束する確率はさらに低くなる」


「じゃあマッチかライターで着火したんだ」


「お前いつもそんなもの持ち歩いてるのか」


「だから僕じゃないって……まさか僕が念発火能力者パイロキネシスとバレてしまった!?」


「一周回ってありかもな。今からテレビ局に売り込んでやるよ」


 冗談でお茶を濁しても華麗にスルーして食らいついてくる。どうあっても逃がしてはくれないようだ。までに帰してくれるだろうか。


「別にその場に居なくても火をつける手口はいくらでもある。お前が使ったのもごくありふれた古典的手段だ」


「氷で日光を集めたとか?」


「それじゃあ燃える前に氷の方が融けるだろ。原因はもっと別の化学反応……酸化カルシウムだ」


 ……ああ、マズい。こんなことなら氷のレンズを利用した方法をちゃんと検討すべきだった。姐御の依頼を確実に達成するためとはいえ、即興で考えるには無理があったか。


「日本じゃ生石灰とも呼ぶらしいな。主にセメントの原料に使われるが、この物質は少し水を加えただけで発熱反応を起こす。それこそ紙切れが簡単に燃えるくらいのエネルギーだ」


「弁当を温めるために底面に貼り付いてる奴だよね。生憎と今日はパンと牛乳で済ませたから、持ち合わせがないよ」


「あっただろ。飴が入った袋の中に、乾燥剤で使ってるものが」


 矢吹さんの好感度稼ぎに持ってきたのが裏目に出たか。でもだからと言ってそれだけで普通気付くか?

 あの仕掛けは鎮火のために水がぶっかけられ、火種となった粉が溶けて流れていくところまで想定したから、そう簡単に思いつかないはずだ。


「気付いたのは消火器からだった。麦ヶ丘は他校と比べて精密機器が多いから、面積が広い部屋には二酸化炭素式の消火器が設置してある。水かけても消えないからジャネットが持ってきてぶっ放してたよ。さてここで問題。酸化カルシウムは水に溶けると石灰水になる。そこに二酸化炭素を吹き込めばどうなると思う?」


「……白く濁る」


 小学生で習う基礎的な知識だ。……まさかこんなことで見破られるなんてなぁ。もっときちんと下見するべきだった。でもまだ逃げ道はある。


「なるほど。そっちの方が辻褄が合うね。証拠がないようだけど」


 掲示板を見ればまだ似たような書き込みはない。つまり真実を知っているのは、まだ目の前の彼女だけだ。仮に証拠があったなら教師に直接説明すればいい。

 そうじゃないということは、別の目的があるということになる。まあ、大体予想つくけど。


「ああ、なかった。だがこれから今の話を掲示板に載せれば、お前はあっという間に有名人になれるぞ。真偽なんて気にしない大勢の野次馬に四六時中注目される毎日だ」


 うわぁ、想像するだけでゾッとしちゃう。そんなことになれば僕のガラスのハートは粉々に砕け散って、精神科に入り浸る未来しかない。


「……分かった。僕はメディアルームで動画サイト見て時間潰しただけ。変なデータログなんて知らない。これで良い?」


「交渉成立だな……っつーか、古賀はこうなるの予測してただろ? ボヤ騒ぎで非難轟々の関根が追い詰められれば、何かのアクションを起こすはずだって」


 その通りだ。切羽詰まった人間は往々にして突発的な行動に走る。トリックまで見破られたのは想定外だが、あの火事が関根先輩のせいじゃないとレシュリスカヤさんが気付き、それを阻止する。


 あの頭の回転の速さと解析スキルを以てすれば、簡単に犯人を割り出せると判断して泳がせたのが功を奏した。後は冷静な第三者の証言があれば完璧。諸星君を連れてきたのは正解だった。


「彼女の位置を君が特定するところまではね。御子柴さんが誘い込まれたことまでは読めないよ」


 付け加えるならレシュリスカヤさんの洞察力も込みで。


「第一、何で火事なんて起こした? 関根と接点はないはずなのに」


「一身上の都合」


 こういうとき、日本語の物事を曖昧に伝える表現は便利だ。言葉の端を掴まれ、姐御の依頼はもちろん、バイトまで探られると非常に面倒な状況を招いてしまう。それはある意味、平穏な学園生活よりも重要だ。


「本当に……お前、何者だ?」


 真っ直ぐに切り込んだ目に沈黙を保って見つめ返す。それはこっちの台詞だ。

 君は一体、何なんだ?

 交錯する視線は火花こそ散らさなかったが、ある種の印象付けが為された瞳からは容易に感情を読み取れなかった。


 どうにも居心地が悪い。これ以上居るとあの氷の眼差しに心臓を停められそうだ。早々の退却を決断した僕は、しかし最後にちょっとした仕返しを思いついた。

 イタチの最後っ屁とも言う。ポケットの中から取り出したものを投げ渡した。


「これレシュリスカヤさんに」


「……ホットアイマスク?」


「目が充血してるよ。瞼が腫れたままだと後々学校で勘繰られるから、きちんと治してね」


「なっ……!」


「さらば!」


 逃亡姿勢に移ったのはほぼ同時だった。リアクションなんて待ってたら全身打撲の結末一直線だ。扉が閉まるその一瞬、隙間から垣間見えたレシュリスカヤさんの頬は少し赤みがかってた気がする。

 でもすぐ上に乗ったその目はどう見ても爆発寸前だったのを思い出し、僕は早速明日の平和を天に祈った。

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