第35話 スニーキングミッション

 以上が今日の昼までの出来事ならば、これから始まるのは夜の時間の話だ。


『受信状況』


「チェック」


『デバイス』


「チェック」


『マッピング』


「チェック……同期完了」


 薄暗いコンテナの中で光量を最小限に絞った左手首のウェアラブルデバイスが仄かに発光する。作戦開始時刻きっかりにコールされ、諸々の準備を終わらせた僕は耳小骨振動式インカムの向こう側に通信を送る。


「やっぱり後ろめたさが半端ないんですけど……」


『ちょっと? ここまで来てドタキャンとかなしよ』


「しませんよ。しませんけど何かこう、空き巣泥棒になったみたいで……」


『事実じゃない。そのためにこっちも色々準備したんだから』


 自分の会社だというのに何故か僕よりもノリノリな姐御が随時データを転送してくる。天に届かんとする長大な建造物――リグセイルタワーの全貌が投影され、続いて僕の現在地、地下層の備品倉庫に置かれたコンテナが赤い点でマークされる。


 各階に監視カメラや認証機構が設けられたエリアも反映している。そこに当直と思しきRsecの警備員やペン太の数、位置、さらには移動予測チャートも追加され、ほぼ完璧に近い社内構図が現出した。


 姐御から何度か潜入任務スニーキングミッションを依頼されたことはあるが、ここまでの支援は受けたことがない。これならビルの外から登攀する必要はなくなりそうだ。


「凄いですね……いくら自分の庭でもここまで詳細なデータは揃えられませんよ」


『とっておきのサービスがあるって言ったでしょ? 必要ならルートの策定もこっちでするけど……ここはタッちゃんみたいなプロに任せた方が良いわね』


「まあ見ててください」


 軽くおだてられて気分を盛り上げる。コンテナから出ると貨物倉庫らしく規格外の広さを誇る空間が広がっていた。整然と陳列したコンテナ群の奥の壁にディスプレイボードが埋め込まれている。その隣に継ぎ目がなければこれが巨大なシャッターとは気付かなかったかもしれない。


『ちょっと待って……良いわよ』


「おお……」


 タイミング良く開いた扉に感動しながら地下層を昇っていく。天下のリグセイル社に忍び込む以上、準備は怠らない。くたびれた中年スタッフを演出するために義眼を埋め込みメイクを少々、ツナギも着込んでいる。


 エレベーターに乗り込み先端企業らしいスマートで瀟洒なオフィス区画を超えて、上層の研究棟で降りる。先日の職場見学でVRマシンのお披露目があった場所だ。

 昼は堂々と入ったところを夜になってコソコソ潜り込むことにちょっとした背徳感を抱きながら、デスクに腰掛けている係員に帽子を下げて会釈しながら声を掛けた。


「夜分遅くに失礼します。自販機の定期点検に伺いました」


「点検……ですか?」


 急な訪問を不審に思ったスタッフがノードを立ち上げ、オンライン上のスケジュールを確認する。身分証明に求められた指紋認証は極小サイズまで設計できる3Dプリンターで作成した偽の指紋シートで突破した。


「確認致しました。どうぞお通りください」


 事前に仕込んだ偽のスケジュール表を鵜呑みにした係員が扉のロックを解除。手際が良過ぎて欠伸が出そうになる。夜間の研究棟は稼働中の解析機器が青白い蛍光をまばらに灯していた。


 社員が引き払っても機械に定時はない。しかし人の話し声が消失するだけで、賑わいに満ちていた室内は無味乾燥な領域に変わり、排熱ファンから漏れる空気の排出音が虚空に溶ける。


 ここのエリアは保安上の観点から、マップに映る監視カメラの配置が特に多い。同じく熱心に巡回するver/Emperorのペン太に出くわせば、問答無用でテーザーウェブの餌食だ。ただの点検業者を装った今の格好では銃すらなく、間違っても見つかってはならない。


『タッちゃん、提案があるんだけど』


「何です?」


『研究棟のカメラって映像の盗用を防ぐために、社内のネットワークとは切り離してあるの。だからその回線を引っ張り出してくれれば、こっちでハッキングできるわ』


「どこにあるんです?」


 マップに追加情報が付記される。研究棟はマシンの数に比例して消費電力が多い。冷却システムはもちろん空調設備も至るところに埋め込まれている。その空気を送り出すダクトも然り。


 さてお仕事だ。僕は視覚に頼った通常モードから五感だけでなく第六感も含めた全ての感覚へ等分に意識を研ぎ澄ませる。何かが動くと必ず痕跡が残るものだ。それは不自然に折れた小枝だったり、風のざわめきに紛れ込んだ足音だったりする。或いは気配を感じたという漠然とした直感。


 だがそういった微細な環境の変化を感じ取るセンサは、僕のような空き巣にとって必須の感覚だ。呼吸や脈拍、自身の存在を周囲の環境に同調シンクロさせる技術。それは自分の気配を隠しながら相手の気配を感知する技術であり、隠密潜入に絶大なアドバンテージを与えてくれる。


 凹凸の多い実験機材を影伝いに移り、デュアルアイスキャナーを左右に巡らせて動くペン太の監視網を巧妙にやり過ごす。マシンを踏み台にして壁にはめ込んだ金網を開き、ダクトの中に侵入する。多少埃っぽいのを我慢して匍匐前進で這い進むと、これまでとはやや異質な空間に到達した。


 冷房の効いた研究棟の中でも一際冷え込んでいる広い間取り。その空間の大部分を黒光りする冷蔵庫くらいの筐体が軒を連ねて占拠している。恐らくは電算室だろう。

 白壁とガラスで柔らかな印象を演出した表のエリアとは対照的に、ここは機械が有する本来の無機質さに満ちていた。


 ゴウンゴウンとがなり立てる換気扇をBGMに、墓石に似た大量のサーバーマシンのレーンを回り監視映像をプールした筐体を選別する。


「Bブロックの5番ユニットですよね」


『見つけた? それじゃあ緑のプラグを引っこ抜いて、左から4つ目のソケットに差し替えて。青のプラグは右隣のソケットに。次はその右斜め上にあるスイッチを――』


 テレビの配線並みに面倒臭い行程を終え、最後に工具ポーチから取り出したケーブルで筐体と手首のデバイスを繋ぐ。駆動音が高鳴り接続されたデバイスの画面が、膨大なデータパケットの送信状況を表示する。きっとこの細いケーブルの間で超高速の電子情報が行き交っているんだろう。


『書き換え完了。これでしばらくはダミーの映像で誤魔化せるわ』


「え? もう終わり?」


 まだ20秒も経ってないぞ。仕事早過ぎだろ。


『いよいよ本丸ね。ヘマしないでよ?』


「分かってますって」


 素人目には分かりづらいハッキングのお手伝いを終え、ダクトの道を逆戻りしラボに這い出た。瞬間、ペンギン型の影が視界を横切り、反射的に進行方向を予測した僕は手近なデスクの下に滑り込んだ。昼には聞かなかったキュルキュルという回転音を纏ったホイールが眼前を通り過ぎていく。


 カメラは潰せたがまだ監視の目は残っている。さらにここから先はドローンの数が心なしか多い。それだけ触れてほしくない物があるということだろう。


 地味に這って進むのも良いが、ちまちま時間をかけるのが嫌だったので、ルート変更を決めた。こちらに向かってくるペン太の注意を外すために、デスクに置かれたペン立てからペンを拝借し、投げる。床に落ちた音を検知したペン太が正反対の方向に去ったのを確認し、頭上を走る剥き出しのパイプにしがみついた。


 ちょうどナマケモノに近い形でぶら下がった僕は、真下を動き回るペン太の目を盗み、ナマケモノにない慎重さでそろそろとパイプを伝った。目的の部屋はかなり高度なセキュリティに守られていた。指紋、顔紋に加え虹彩認証を求めるアクセスハッチを前に、デバイスを経由したハッキングはさっきの倍は掛かった。


 流石には容易な侵入を許さない。だが一度入ってしまえばこっちのものだ。細かく整理された部屋に置かれたPCを開き、予めポーチに入っていたフラッシュドライブをポートに挿し込む。


 必要なデータをインストールするまで数分は掛かる。ペン太もこの部屋までは入ってこないから見つかりにくいとしても、敵地のど真ん中で気を抜くなど愚の骨頂だ。


 なのにこのとき僕は真正の愚者だった。


「ここで何をしている?」


 唐突に明かりが飛び込み、網膜が灼かれる。男が立ち、懐中電灯を向けていた。僕より一回りは優に超える体格、眠たげに垂れ下がった半眼、白いものが交じった乱れ髪。ホームレスかアル中が迷い込んだような風貌だけど、Rsecのロゴが入ったジャケットを着ているから警備員と呼ぶべきなのだろう。


 ただ、問題は。油断=死に直結する現場では常に気を張らなければ生き残れない。だからこそ夜闇に慣れた目や集中した聴覚で些細な変化を見逃すまいとしていたのに、この警備員はあっさりと背後を取った。


「あの、すみません。自販機の点検に入ってたんですけど、帰り道分からなくなっちゃって。偶然ここに入っちゃったんですけどコンタクト落として参ってたんですよ」


 油断できない、とこの男の一挙手一投足に注目しつつ即席の言い訳を述べる。男はさも呆れたように


「困るな。ここは関係者以外入っちゃいけないんだ。今はまだ何ともないがあと5分もしないうちに警備システムが作動して、ここに詰めてる全警備員が踏み込んでくるぞ」


「申し訳ありません。ご迷惑お掛けしました」


 出口まで送ると告げた男に続いて部屋を出る流れになったが、まだドライブを回収できてない。それにこの大男が不審者を素直に帰す道理もないと直感し、僕は賭けに出ることにした。


「ところでお国はどちらですか?」


「急にどうした?」


「だって警備員さんちょっとヨーロッパ系っぽいし。自分、Rsecの知り合い多いんですけど、外国人を登用したなんて知りませんでしたから」


「最近になって入社したんだ。いいからさっさと来い」


「へえ、新人だけど研究棟の警備を任されるなんて凄いじゃないですか。優秀なんだなぁ。じゃあそのは何なんでしょうね?」


 瞬間、男が振り向き右手から閃光が瞬いた。くぐもった発砲音を纏った熱い塊が反射的に半身になった僕の頬を擦る。もしも、という警戒心に救われた。恐らくは消音器サプレッサーを使ってる。初めから殺る気だったってことだ。


 執拗なまでの反復練習が染み付いた左手が、思考するより先に拳銃のスライドを把握し、右手が撃鉄を覆う。左肘で相手の右腕を押し込むと同時に銃を捻り上げ、こちらに渡った瞬間に素早くポイントした。


 だが、潔く銃を手放した分、男のアクションの方が速かった。奪取ディスアームされた右手を固め、照準が向く直前に裏拳を拳銃に叩き込む。金槌を振るわれたような痛みと痺れが両手に伝播し、銃が暗闇に吸い込まれてしまった。


 すかさず全体重を乗せたケンカキックが撃ち込まれ、僕は無様にすっ飛んで転がった。後方に飛び、右腕でガードしても流し切れなかった衝撃が毒のように体を蝕んでいく。金槌の次は破城砲。まさに全身これ武器だ。


 既に警備員の顔を脱ぎ捨てた男がナイフを取り出し、巨体に似つかわしくない滑らかな足運びで接近する。真っ直ぐ突き出すと見せかけてのフェイント――右のローキックを左脚を上げて脛で受ける。構わず腹を狙った刺突を払い、左フックを右肘で押し下げて防御。


 3度目の刺突が来るが右手で叩き落とし、返し刀の手刀を喉に突き入れる。気道を潰した一瞬の隙に、反時計回りに体軸旋回することで遠心力を乗せた左エルボーを顔面に見舞う。


 体勢が崩れた男を右の上段蹴りで追い打ちをかけ、回転を殺さず左の後ろ回し蹴りを鳩尾に撃ち込んで転がした。


 今だ。男が追い付く前にPCに駆け寄り、ドライブを抜く。再接近した男が作業中断のエラーを表示したデスクトップを蹴飛ばし、壁に当たって派手に音を立てた。


 何でも良いから武器になる物が要る。肉薄するナイフから逃げながら工具ポーチをまさぐると、固い感触があった。抉るような角度で刺しに来た刃を持ち手を掴んで流し、ポーチから引き抜いたドライバーで太い腕を串刺しにする。


「……っ!」


 歯を食い縛って痛みに耐える感触が伝わる。返り血で滑る前にドライバーを抜き取り、矢継ぎ早に攻撃を繰り出すが、それは相手もさる者で、痛みを感じさせない動きでナイフを操り防ぎ切った。


 視認性を抑えるために黒くコーティングされた刃に、赤黒く照り返る血糊と鉄の光沢が混ざり妖しく光る金属棒がガキン、と噛み合う。

 膠着状態。互いに次の動作を読み合う最中、男はふと左腕を伸ばした。届く先は僕の右上腕部――否、正確にはだった。


「がっ……!」


 男の指が袖の下に隠れた傷口を容赦なく抉る。電撃を流し込まれたような激痛が神経を走り、危うくドライバーを落としそうになる。


「ふむ……ではクラヴマガを使ったと聞いたが、どうやらカリ・シラットの心得もあるようだな。ペトルーシカめ、報告と違うぞ」


「何を……」


 愉悦混じりの苦笑に困惑が漏れる。

 何でこの男は僕の傷の状態を知っている? ペトルーシカとは何だ?

 それに前回の交戦という台詞……まさかあのナイフの女の仲間か!


 これは非常にマズいことになった。仮にそうだとしたらあの女が近くにいたとしてもおかしくない。いくら何でも2人掛かりで仕掛けられたら、到底勝てない。


 焦りが募り体が強張る。余計な力みを感じ取った男がにたりと口元を歪めた。このまま組み合っていれば押し負ける……!

 冷たい予感が背筋を撫で、すぐにでも振り解こうとしたが、ここが勝負時と男が膂力を増し一気に数メートルの後退を強いられた。


 靴のグリップと脚力で踏ん張り、鼻先まで迫った刃を寸前で押し留める。長くは保たない。一瞬だけ脱力し、覆い被さるような圧力から逃げる。急に抗力が消えたせいで、つんのめる体勢になった男の背後を取った。


 しかし相手の反応も素早く、振り返るより先に横薙ぎのナイフを閃かせ、隙をカバーする。左腕でブロックして内回りに捩り、ドライバーで刀身を叩き武装解除ディスアーム


 逆手に持ち替えたドライバーを今度は顔目掛けて振るうが、左手が割り込み辛うじて盾になった。憤怒を湛えた男の脚が持ち上がり、腹部に破城砲が炸裂。臓腑が突き上げられる感覚に陥り、余った運動エネルギーで吹っ飛ばされた。


「貴様……!」


 ここが潮時だ。僕は一目散に逃走を選んだ。勝負に拘ればその分だけリスクを背負う。腹に滞留する熱に耐えながらインコムを呼び出す。


「姐御、緊急事態だ。奴ら檻の中に人食い虎を囲ってやがった!」


『分かってる。今は脱出に専念して。ルートを指定するわ』


 デバイス上の地図に赤いラインが浮かび上がる。刹那、肩を焼け火箸で突っつかれた。丸ごと肩をもぎ取られたと錯覚するほどの鋭利な痛みと熱。追跡してきた男が拳銃を乱射して動きを阻もうとする。


 構わずに走り続け空中を繋ぐ通路に出る。正面から異変を察知したペン太が押し寄せ、嘴から緑色のビームを投射。寸でのところでかわし、テーザーウェブを側壁を三角跳びしてすり抜ける。頭上を飛び越え階下に吊り下げられた立方体のオブジェクトに飛び降り、誘導ビームの雨の中を疾走する。


『もうすぐよ!』


 耳元で姐御の檄が飛び眼前の窓が開く。迷わずに飛び込んだ先はテラス。高層階特有の気圧差でヒュゴォォ……と吹き荒れる大気のうねりの先に足場はなく、どこまでも市街の明かりが揺れているだけだ。


「行き止まりなんですけど」


『すぐにタクシーが来るわ』


 風に混じりプロペラの羽音が響く。ヘリじゃない。もっと小さいもの。何ならほぼ毎日聞いている音だ。正確には通学途中に頭上をすばしっこく飛ぶあの――


「ドローン?」


 テラスに舞い込んだのは4基のローターを駆使して飛ぶ運搬用ドローン。民生品のようだがサイズがやや大きい。この強風の中で同じ位置に滞空出来るだけのパワーも備えているようだ。そして下部に据え付けられた取っ手が使用方法を物語る。


「……まさか掴まれと?」


『墜落しないくらいには改造してるから大丈夫。それともこのまま下までジャンプする? 藁があるかは知らないけど』


 「あんな超人暗殺教団と一緒にすんじゃねえよ! 」と言いたい。普段なら。


 でも着々と近付いてくるローラーの回転音がそれを許さない。いつもなら可愛いペン太が爛々と目を光らせ、猛スピードで暗闇を切り裂く光景は、もうほとんどホラーだ。ぶっちゃけ捕まったら食われると思うくらい怖い。


「……アーメン」


 正月参り以外に祈ったことのない神様に願い、僕はドローンに手を伸ばした。

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