第31話 疑惑の出火

『あの女、言い返せずに帰ったwwwざまぁwww』


『見学に来た身分でオラついてんじゃねえよ礼儀知らず』


『にわか知識を喋りたいだけのイキりノッポ』


 先日のイベントを早速ネタにしたスレが分単位で更新されていく。あの議論で交わされた内容は至極真っ当なものだったけど、レシュリスカヤさんが喋ったというだけで簡単に曲解されてしまう。


「見事に炎上してるわねぇ……」


 続々と追加される匿名の悪意に顔をしかめるクララちゃん。


「教師としては思うところがあるんですか?」


「常識を持った人間として、よ。憂さ晴らしにしても限度があるでしょ。自分が嫌な目に遭ったわけでもないのに、どうしてこうも過激になれるのかしら」


 累積するほど言動が幼稚になっていくコメントの嵐。教師であるクララちゃんがこのサイトを知っているのは驚いたが、本業の情報屋なら見つけて当たり前なのだろう。だから職員室に報告される心配もない。


「ところでさっきの情報、信頼して良いんですね?」


「あらあら、タッちゃんは商品にケチつけるような子だったかしら? 信頼も何も本人から聞き出したネタよ」


 それを聞いて安心する。姐御の追加依頼を受けた手前、ヌルい仕事は出来ない。なるべく派手に、という条件も付けばそれなりの準備が要る。


「仕事だから仕方ないけど、あんまり褒められないわよ。こういうのって」


「同感ですけど仕方ないですよ。仕事なんだから」


◆◆◆◆◆


 職場見学が終わり週明けになると、いよいよ夏休みが近くなり教室の話題もそれに絡めたものが多くなる。ただ今年はその慣例がやや異なっていた。


「答えになってない。その手札がババじゃない証拠は?」


「無駄口叩いてないでさっさと引けよ。もう3分経ってるぞ」


「その台詞好きだねー。ってゆーか本人の耳に入ったらどうすんの? マジで殺されるかもよ」


「あんなのガワだけのヤンキーだろ。来ても速攻でやり返すっつーの!」


「それよりもカード取れよ」


「あ、悪い。でも驚いたよなーあの転校生」


「不適合者だったんでしょ? 何か意外……ウチの学校によく入れたよね」


「編入試験そこそこ難しいはずなんだよな……待てよ。そういやこのクラスにも……おいパッチ!」


 そうらお呼びだ。読み止しの文庫本をしまい、赴くのは我がE組の権力者リア充の巣。ヒイィ、近づくだけで震えが止まらないよぅ……。


「お前も確か今年から高等部に入ったんだよな。不適合者って学校側から優遇でもされてんのか?」


「さあ、今までそれらしい覚えはないけれど……」


 主にお前らのお陰でな。不適合者と分かった瞬間の手の平返しは忘れてない。

 試験内容は寧ろ厳しいくらいだ。マーシトロンの解析補正が加味されないから、その分だけペーパーテストで稼がなきゃならない。


「違うのかよ。じゃあ何だ……賄賂?」


「えーそれマジ!? 裏口入学? ヤバくない?」


 あー出たいつものパターン。こういうとき反論は揶揄うネタを与えるだけだ。逆効果にしかならないから黙って愛想笑いでもして流すしかない。

 これまで散々そうされた経験から何も言わずにいると、十文字君が苛立たし気にトランプを置いた。


「おいまだババ抜き終わってねえだろ。ほっとけこんな奴」


「あーごめんって。神威君そんな怒んないでよー」


 ボスの鶴の一声で僕のイジりは終わった。気遣ったというより単純に目障りというニュアンスの方が強い。今だって「どっか行け」って感じで見てくるし。

 ならご要望に沿ってとっとと退散してやるさ。お、覚えてろよぅ!


◆◆◆◆◆


「皆さん今日は来てくれてサンキューデス!」


 所変わって訪れたのは1階の食堂ホール。僕を含め何人かがここに集まったのは、ジャネット先生の資料整理を手伝うためだ。

 何でも仕分け用のペン太がメンテンナンス期間とダブってしまい、急遽人手が要りようになったらしい。


 美人教師に良い顔できる。ジュース奢ってもらえる。色んな目的で人が来たけど、僕がここに来た真の理由はもちろん決まっている。


「あ、古賀君も来てたんだ!」


 あ~癒される。辛いときは美鈴ちゃんに限るわ。

 脳内で即興のキャッチコピーが生まれるくらい輝く笑顔で入ってきた矢吹さんが僕に気付く。

 ふはは、凡俗どもが悔しがっておるわ! もうこの時点で何となく勝ち組の気分。


「ルーちゃん、古賀君来てるよ」


 ……あれ? おかしいぞ。クララちゃんの情報ではルーちゃんなんて人は来ないはずだけど。


「お前も居るのかよ」


「いやそれこっちの台詞」


 不機嫌というより面倒臭いって顔のレシュリスカヤさんが遅れてやってきた。

 ふはは、凡俗どもがビビッておるわ! うん、僕もだけど。

 掲示板では既にヤクザと繋がっているレベルまで噂される凶悪人物に、騒がしかった食堂も一瞬で静まる。

 唯一口を開いているのは僕と矢吹さんとこの空気を作りながら全く気にしない張本人だけ。


「ほら、最近ルーちゃんますます遠ざけられちゃっててさ。このままじゃいけないって思って、先生の手伝いに立候補したの」


「私は別にいいって言ったのに……」


「駄目。ルーちゃんただでさえ授業サボり気味だって聞くし、ここらで真面目なところアピールしないと誤解されたままだよ」


 サボり魔だったんかーい! それでテストで点取れるって逆に凄いけど。

 いつもは強気なレシュリスカヤさんもここまで世話になって断るのは気が引けたらしく、渋々従う。

 くっ、これじゃあ僕と矢吹さんのボーイミーツガール的なストーリーが進まないじゃないか!


「まあ暑いけど頑張ろうね。飴買って来たんだけど食べる?」


「わ、ありがとう! 私ピーチ味もらうね。ルーちゃんは?」


「何でもいい」


 と言ったから適当に梅味あげたのに、秒で袋からマスカット味を強奪された。梅嫌いなのかな。外国ではあまり好まれないとも聞くし。


「すいませーん。遅れちゃいました」


 山のような量とはいえ人手が足りたお陰で作業が順調に進む最中、女子が分厚い紙束を抱えて入ってきた。それを見たジャネット先生が作業を中断して女子に話しかける。


「Oh! 遅いですヨ関根さん」


「ごめんごめん。でも間に合ったんだからいいじゃん」


「修学旅行のマネー出してナイのアナタのクラスだけヨ。本当はもっと前に振り込むハズだったんですカラ」


「そこはこの通り! ね?」


「はあ……空いたところに適当に置いてくだサイ」


「はーい。空いてるところ……窓際だけじゃん。うわ、日差しキッツー」


「関根さん。ついでですカラ少し手伝ってくださいネ」


「ちぇー」


 直射日光は肌の天敵とばかりに速攻で退散した女子は、何故かほんの少しレシュリスさんに視線を巡らせると、その存在が許せないかのように唇を浅く噛んだ。

 その反応を見て僕も次の準備に取り掛かるタイミングを探り始めた。


◆◆◆◆◆


 作業を始めてから数十分。ようやく終わりが見え始めてきた。


「あとちょっとだねルーちゃん」


「あー怠かった」


 まだ完璧とは言い難い日本語のひらがなやらカタカナやら漢字やらに悪戦苦闘しながらも、ミスをしなかったのは隣で手伝ってくれている美鈴の貢献が大きい。

 職場見学明けから輪をかけて怖がられるようになったルフィナは、一層苦労に見舞われた。


 クラスで連絡事項を伝える同級生は必ず複数人で来るようになったし、向けられる視線も心なしか増えた。

 今も美鈴を通して会話をしなければ、絡まれたと勘違いされろくにコミュニケーションも出来ない。こんな状況でも近付いてくるのは美鈴以外には諸星と……あと1人だけ。


「ところでルーちゃん、あの人がそうだったの?」


「ああ、間違いない。美鈴だってすぐに分かっただろ」


「一応似たような仕事してたしね。でも本当にそうかなって思う。ううん、思いたいだけなのかも」


 ファストフード店の会話を思い出したのか美鈴が諦め半分に告げる。感情を理屈で抑えているのは、やはりルフィナの推測を聞いてしまったからだろう。

 どんなに善人そうでも、一度疑惑が浮かべば前と同じようには見えないものだ。


「動いたら甘いもん欲しくなってきたな……。古賀はどこだ? 飴まだ持ってるだろ」


「少し前に帰っちゃったよ。もう自分の持ち分は捌けたからって」


 肝心な時にトンズラかよ、と舌打ちした直後だった。


「なあ、何か臭くね?」


「あ、本当だ……って、おい!? あれ燃えてるぞ!」


 近くの男子が大声で指差した先には、窓際に置いた紙束がモウモウと煙を立て橙色の舌を揺らめかせた。


 ――その光景が、何倍にも膨れ上がった火柱と重なる。容赦なく肺を燻す黒煙に混じる肉の焼けたような臭い。骨の髄まで溶けてしまいそうな圧倒的な業火が全身を炙り、誰かの呼ぶ声が鼓膜を揺らし――


「――っ」


 鍵をかけていたはずの記憶がフラッシュバックし、ルフィナは崩れそうな体を机に手を着いて辛うじて支えた。呼吸が荒い。吐き気がする。

 美鈴には見られてないか……良かった。火に気を取られて私には気付いてない。そうだ火だ。消さないと。誰かが水をかけているが中々消えない。

 あれはジャネットとかいう責任者の教師か? どこかから引っ張り出した消火器のホースやノズルを手際よく取りつけ、中身の消火剤を盛大にぶっかけると呆気なく鎮火が完了した。


「怪我人はいませんカ!?」


 普段の陽気な振る舞いとは一変して負傷者を確認する。幸いなことに生徒に被害はなかったようだ。だが物的損失はそうもいかず。


「嘘でしょ……修学旅行のお金が……」


 黒焦げになった紙束を前に関根という女子が呆然とする。火元はどうやらこの女子が持参したものらしい。

 全体的なダメージは少ないが、紙の山の上部、恐らくは旅行費用が入った封筒ごと灰に変わった焼失部分は、元には戻らないだろう。


「誰!? 誰がやったの!」


 絶望から怒りに転化した怒鳴り声は、その場にいた生徒を釘付けにした。絶対に逃がさないという気迫が満々の関根に知り合いらしい男子が答える。


「落ち着けよ関根。金が燃えちまったのは気の毒だが、この中に犯人なんかいるわけないだろ」


 そもそもそうするメリットがない。だが関根は頭に血が昇りまともに話を聞ける状態ではなかった。


「あんたに何が分かるっての!? 紙が勝手に燃えるわけないじゃん! 誰かが火をつけたに決まってる!」


 この場の全員を敵を見る目で睨み付ける姿に、男子も気圧されてしまう。代わりに出て来たのは先程までどこかに連絡を取っていたジャネットだ。


「彼の言う通りですヨ。まずは落ち着きなサイ」


「はあ!? 無理に決まってるじゃん! お金燃やされたんだよ? 言っとくけど先生も同罪だからね。ちゃんと責任取って――」


「I don't say this twice! 騒いでも解決しまセン。もうすぐ他の先生方もいらっしゃいマス」


 一喝されて萎縮した関根が涙ぐみ他の女子に付き添われる間に、連絡を受けた教師陣が駆け付ける。後は事情聴取、持ち物検査、監視映像の確認とお決まりの流れだった。


 だが突然の火災だったから有力な証言は得られず、火種になりそうな物を持ち込んでいる生徒もなかった。頼みの綱の映像も食堂を一時的に使っていただけだから、カメラは作動していなかったというオチ。


 結局何一つ原因が分からないまま徒労に終わりそうな予感の中で、些細なきっかけからそれは見つかりそうだった。


「あれ?  こんなところに花なんてあったっけ」


 教師と生徒が手分けして事故現場の後始末をしていたとき、誰かが窓際に置かれたペットボトルに挿してあるそれらを見て呟いた。


「先週辺りからあったぞ。この前用務員が花壇の手入れで余ったのを持ってきたってさ」


「へえ、確かにここなら日当たりも良いしな。……なあ、これ見てると理科の実験思い出さないか?」


「実験? 何の?」


「虫眼鏡で日光を集めるって奴だよ。紙に当てるとそこだけ燃えるっていう……」


「それがどうしたんだよ」


「いやさ、このペットボトルって水が入ってるよな。俺、テレビで水入れた容器も虫眼鏡の代わりになるって言ってたの思い出してよ」


 何気ない会話から発せられたその事実に、空気が硬直した。ああ、この空気だ。ルフィナがここしばらく常に嗅ぎ取ってきた仄かに立ち昇る疑惑の匂い。


「……このボトルの花瓶って紙束の近くにあるよな。今も影が重なってるし」


「今日ってかなり日差しがキツかったよね。ニュースでも熱中症に注意って呼び掛けてたくらい」


 次第に増える呟きと比例するように1人に集中する視線。これ以上ないほど注目を浴びた関根は、それが意味するところをすぐに察した。


「な、何? 私が悪いっていうの!?」


「だってなあ、あれだけ調べて何もなければ、もうこれしか考えられないだろ」


「ここに紙置いたの関根さんだったよね。ボトルが目に入らないはずがないし」


「だからって私がお金燃やす意味ある? 被害者はこっちなんだよ」


 いくら弁明しても疑いの目は増えるばかり。刻々と高まる重圧に耐えきれなくなった関根は、手にしていた箒を放り出し一目散に食堂から走り去った。その様子を水かきで床の水を始末していたルフィナも遠巻きに見ていた。


 本当ならすでに帰路に着いている時間帯まで拘束された生徒たちの心境は決して良くない。それも当人の僅かな不注意で引き起こされたのなら、不満が集中するのも道理だ。

 因果応報と言えばそれまでだけど、ルフィナはどちらかと言えば違和感が先行していた。


 ペットボトルの収斂効果が火元になる話は珍しくない。ただ容器の中の液体がレンズの代わりになるには、容器と太陽の位置、透過率等々の条件がぴったり重なる必要がある。ただの不注意でそこまで都合よく進むものだろうか?


 水かきに追いやられて排水溝に逃げ込んだ水が不純物と一緒に下水道に落ちていく。光の反射にしては妙に白い川の流れを目で追う。


「……?」


 何か引っ掛かる感覚があった。頭の中の霧に一条だけ差し込んだ切れ目に向けて昇る。イメージに導かれるままに無造作に置かれた消火器を手に取った。切れ目が広がった気がした。

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