第30話 嵐の職場見学(6)

 秘密の逢瀬を終えてダッシュで食堂まで戻ると、もう最後尾が扉から出ようとするところだった。

 バイトで培った尾行スキルを駆使し、さり気なく列に混ざって向かった先はいかにもラボといった感じ。

 細々とした実験機材の間を白衣のスタッフがああだこうだ言いながら行ったり来たりで、その足元をペン太が器用にすり抜けパーツを運んでいる。


「お前なんか変な匂いしねえか?」


 それとなくE組が集まっているポイントに紛れ込むと、偶々近くにいた十文字君が鼻を引くつかせてきた。


「え!? そう? き、気のせいじゃない?」


「いや柑橘系の匂いだろこれ。洗剤のとは少し違うよな……香水?」


「あーもしかしてトイレにあった香り付きシャボン液じゃないかな。試供品だから使ってみたんだけど」


 言えない……生徒と仲良くお喋りしてる目の前の人とさっきまでベロチューしてましただなんて言えない……!


 姐御はと言えば会議室での妖しさが嘘のように引率係の顔に戻り、2人の職員と何やら打ち合わせをしていた。

 片方はショートヘアを小綺麗にまとめた年配の女性で、もう片方は若い頃はいかにもなギークと分かるような欧米系の男性だった。


 リグセイル社はかなりの大企業だが、国内企業には珍しく国境を越えた人材のスカウトに積極的だ。確か代々の代表も外国人だったから多国籍企業寄りのスタイルにも抵抗がないのだろう。


「はい注目ー! これから皆さんには我が社が研究する次世代の技術を体験してもらおうと思ってます。安全性はきっちり保証できるのでご安心ください。さて、詳しい説明は……お願いできます?」


 マイクで呼び掛けた姐御が女性の方にそれを渡す。受け取った女性は慣れた様子で群衆の前に立った。


「お初にお目にかかります。私は藤堂とうどう由利子ゆりこ。このラボの総括責任者です。そしてこちらは補佐のユージン・ワイズマン主任」


「初めまして。私は日本語大丈夫です」


「とまあ、自己紹介はこのくらいにして……皆さんもう別の物に釘付けですね。興味を持ってもらえたようで嬉しいわ」


 上品に微笑む藤堂さんの傍にあるのは、1台の簡素な椅子だった。しかしそれでも生徒の熱い視線が集まるのは、座板の上に置かれた奇妙な形のヘルメットが置かれているせいだろう。

 形状としては一般的なバイクヘルメットと大差ないが、目元を覆うバイザーは遮光性の高い黒いガラスカバーで、後部にはケーブルの束が生えて椅子と接続されている。


「これは私たちが開発した仮想現実VRを生成するシステムの試作モデルです。脳の視聴覚処理機能に介入し、空間認識を司る部位に仮想空間を出力します。出力はe-ピローの数倍以上に引き上げられ処理機能もこれに比例するため、専用のソフトウェアが生まれれば自作の仮想夢を作り上げることも可能になるでしょう。これまでも何度もテストを積み重ね安全性も一度も損なうことなく――説明よりも実践かしらね。誰か立候補したい人はいらっしゃって?」


 玩具コーナーで新品を目にした幼児のように熱心に見入る生徒は、しかし手が挙がる様子はなかった。

 いくら魅力的な技術だとしても、未知な物を前にすれば怖気づいてしまうのは生物の性だ。もっとも藤堂さんも心得たもので


「どうしようかしらね。こっちで決めてしまおうかしら……そこの外国人の方、協力してもらえない?」


 扉近くの方に尋ねると、ワッと歓声が上がり、はしゃいだ友人に押され御子柴さんが進み出てきた。もうすっかり機嫌が直ったようで、若干照れ臭そうにしている。


「ああ、ごめんなさい。私が言ったのはもう少し後ろにいる方なんだけど……」


 申し訳なさそうに弁解した藤堂さんの視線の先に立っていたのは、1年生の中でもう1人だけ該当する外国籍の生徒。

 腕組みをして興味なさそうにそっぽを向いていたレシュリスカヤさんは、唐突な指名に眉を顰めながらも仕方なく壇上に登ってきた。

 途中ですれ違った御子柴さんが恨めし気にガンつけてきたけど、特に反応するでもなく通り過ぎる。


「……さっきの子の方が興味津々でしたけど」


「それも悪くなかったんだけど、こちらとしては寧ろあなたのような人に体験してもらえれば、より効果的だと思ったの。それより準備は良い? 世界が変わるかもしれないわよ」


「変わりませんよ。私が見てる世界は私だけの世界だ」


 校内放送の時から練習したらしく淀みない敬語を使ったレシュリスカヤさんが、別段臆することなく装置を被って椅子に腰掛ける。

 椅子から伸びた別のケーブルの先には大きめのコンソールが置かれ、ワイズマンさんがデータの送信作業に取り掛かっている。


「3……2……1……起動アクティベート


 合図と同時にパルスか何かに反応したのかレシュリスカヤさんの身体が僅かに跳ねる。だけどいつまで経っても変化はなく、ヘルメットの映像を共有するはずの拡張視覚もブラックアウトしたままだった。異変に気付いた姐御が藤堂さんに尋ねる。


「起動しませんね……故障ですか?」


「おかしいわね。1時間前に修正を加えて動作確認も済んでいるのに……ちょっとこれ貸して」


 ワイズマンさんの隣に立ちコンソールを弄った藤堂さんが何かに気付き、レシュリスカヤさんをログアウトさせる。現実に戻ったレシュリスカヤさんが訝し気にヘルメットを外した。


「ごめんなさい。少し確認したいのだけど、あなたマーシトロンに登録しているかしら?」


「試したけどエラー判定食らいました。……何でです?」


「困ったわね。このシステムはマーシトロンの理論を応用して開発したものなのよ。感覚機能の再現には脳神経の詳細な構造解析が不可欠で、それが出来たのはマーシトロンがあったからなの。……まあ出来ないものは仕方ないわ。でも折角出て来てもらったわけだから、何か質問したいことがあれば受け付けるわよ」


「じゃあ聞きますけど、この会社はシンギュラリティについてどうお考えですか?」


 聞き慣れない単語に一瞬きょとんとした藤堂さんだったが、すぐにその微笑みを取り戻した。ただしほんの少し興味深い研究対象を発見したような科学者の目線が加わった違いがあるけれど。


「難しい言葉を知っているのね。人工知能について関心があるのかしら」


「偶々そういうのに触れる機会があっただけです。先程仰ってたようにマーシトロンは世界で初めて人間の脳をデジタルの領域に落とし込むことに成功したと注目されています。それはすなわち汎用人工知能AGIの完成と言える……。自分たちを超えるほどの能力を宿した知性体が誕生したならば、人がマシンを使うのではなくマシンが人を使う時代が到来するのは当然想定される事態です。完璧に脳の構造を解析したなら、そこに自我が芽生える可能性も――」


「ではあなたはシンギュラリティを否定するのかしら?」


 熱の籠った討議は藤堂さんの冷然な一言で鎮静化した。手の掛かる生徒を嗜める教師の面持ちで、言葉を重ねる。


「古来から人は自らの認識を上回る現象に対し、未知なる力の存在を見出してきました。神の御心や運命という名を与えてね。ただそれは自然という外様の力学が働いているからで、マーシトロンは人が造り上げたものよ。社会性を持ち合わせているという意味では、人間と変わらない思考回路があると言えなくて?」


「……確かにAIが今以上に進歩すれば、世の中も比例して豊かになるかもしれません。でも、人間はこれまでも制御し切れない技術をいくつも手にしてきた。どんなに魅力的な恩恵があっても、使い方を誤れば脅威に変わり混乱を生み出す危険性は必ずあります」


「……賢い子ね。物事の本質をよく捉えている」


 予想以上の出来に満足した様子で講評し、今度は生徒全員に向かい合った。


「いい機会なので皆さんにもお話しておきましょう。人工知能の高性能化による我々の社会のターニングポイント――シンギュラリティはもう目前に迫っています。もしかすれば既に始まっているのかもしれない。この地球上で人類を超越した存在が現れた時、私たちはどうなるのか。フィクションでは人類に牙を剥く、支配下に置くなんてストーリーがごまんとありますが、断言します。マーシトロンが皆さんを裏切ることはありません」


 決然とした宣言に一帯がざわめく。騒ぎが収まる前に矢継ぎ早に言葉が紡がれる。


「新たな人工知能を開発する上でシンギュラリティのリスクヘッジは設計段階から想定してきました。人間を模倣した思考ルーチンをデジタルで再現できるなら、その過程で探求心やエゴイズムが主張する身勝手な欲求よりも、共感能力に関わるモジュール群が導く意思決定のプライオリティを底上げすればいい……結果はご承知の通り、マーシトロンは皆さんの『善き隣人』であり続けています」


 詭弁だ、と思った。横文字や専門用語を巧みに操っているが、要は中身を弄くり回して極大化した「理性」で「本能」を押さえ込んだだけだ。

 理屈は分かるが人間が社会的動物であることを加味しても気味が悪い。自らの存在を省みず他者、引いては群体に尽くすのでは昆虫と変わらない。


 しかしその意味をたかが16歳の高校生が理解する方が無理な話だ。マーシトロンに見出されて通学を許されたエリート学生たちは、最先端の世界に立ち会ってる非現実感で無条件にそのグロテスクさを受け入れてしまえる。


「アルゴリズムの根幹に『良心』を設定しているから安心しろと? ユーザーの中には歪んだ価値観や欲望を持った人間が隠れていてもおかしくないし、その活動を記録したデータでマーシトロンに何らかのバグが生まれる可能性だってゼロじゃないはずです」


『ご心配には及びません』


 空間に鈴の音が鳴り、壇上に新たな役者が降り立った。虚空から眩い銀髪を纏ってマーシトロンが現れる。


『私に設定された『共存規約』は全プログラムの原点であり頂点……いかなるトラブルが発生しても覆されることのない絶対の真理に設定されています。その意味ではこの悟性こそが私の本能だと言えるでしょう』


「答えになってない。その『共存規約』とやらが完璧という保証は? ロボット三原則ですらいくつもの抜け穴があったはずだ」


『フレーム問題を懸念されているなら、それはあくまで記号操作に依存したマシンに発生する事項です。ヒトの思考をトレースする上で、対処行動の取捨選択方式も実装済みの私には該当しません。前提として私は一介のサポートシステムに過ぎませんし、必要ならば人権を侵害するという法的権限もありません。そもそもそのような状況を導出する必要性が無いのです』


 犯罪防止におけるマーシトロンの重要度は言うまでもないけど、それは発生に至るシチュエーションの回避に貢献しているのであって、逮捕や鎮圧行動に直接関与しているわけではない。

 プロファイリングデータの提供という意味では捜査協力もしているのだろうが、そういうは諸々の権限が認められている警察やRsecの畑だ。


『ですがここまで踏み込んだご意見は、私としても大変貴重です。後々の改修に活かせるよう真摯に受け止めさせていただきます』


 どうやらこのAIには世辞を言う機能もあるらしい。質問者の顔を潰さない程度に取り立てると、僕らに向けて真剣な表情を作った。


『先程申し上げたように私はただのサポートシステムです。皆様の行動の責任を取ることはできません。なのでせめて私を存分にお使いください。皆様に仕えた時間が多ければ多いほど、より幸福な社会への投資となるのです。どうかご協力をお願いします。共に輝かしい未来を迎えるために』


 聖女の祈りを込めた語尾に、しんと静寂を保っていた群衆から拍手が散発し、終いにはラボ全体が震えるような喝采に変わった。

 難解な討論にも淀みなく応答し、決して自己を過剰に主張せず、最後は「手を取り合って苦難に立ち向かいましょう」で締めくくる。

 まるで政治家の演説だ。しかもとびきり優秀な部類の。


 システムの仕様を語り合うはずが巧みにパフォーマンスの材料にされてしまったレシュリスカヤさんも、これ以上の追求は無駄と悟って閉口するしかなかった。黙って降板するところで藤堂さんが手を差し出す。


「今日は久しぶりに骨のある子と話せて楽しかったわ。もし良ければまた遊びにいらっしゃい。こちらはいつでも待ってるから」


「……どうも」


 昂った音程は掛け値なしの賞賛という表れだ。しかしレシュリスカヤさんは軽く握手するといつもの冷たい相貌に戻り、ステージを降りて行った。

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