第5話 キャラハン

『……幸福な人生とは安らぎと生き甲斐があるべきです。他者と誤解なく理解し合える生き方。思い描いた道を迷いなく進める生き方。それはきっとこれまで以上の心の安寧と連帯感、創造力を生み出すことでしょう。私たち人間にはまだ見ぬ可能性が眠っているのです。私たちは皆さんが幸せを感じられるための小さなお手伝いをしたい。あなたをよりあなたらしく。そして素晴らしい人生と新しいフロンティアを』


 スタイリッシュな演出と鈴の音のナレーションに乗せて、可憐に微笑む少女がマーシトロンの文字と一緒に画面を飾る。街頭のスクリーン並みにでかい大画面でも、学校の備品というのだから驚きだ。


 けれどもここが麦ヶ丘学園ならば当然なのだ。未だに新設の面影を強く残すモダンな校舎。よそでは検討中とされる先進的な数々の機材。大学のキャンパスと言われても納得できる目新しい環境がこの学園には揃っている。


 ただそんなのはオマケに過ぎず、一番の注目ポイントは麦ヶ丘学園がマーシトロン運用に伴う唯一の提携校ということだ。

 教育分野におけるデータ収集という前提があるにせよ、自身の希望する将来に限りなく近付けると言う意味では、学生にとって垂涎ものの価値がある。中高一貫なのも変動の激しい成長期の観測情報をなるべく多く集めるためだ。


 それを裏付けるように、出資先がマーシトロンを開発したリグセイル社なのだから、至るところに社名のロゴがチラつく。今流れているPVだってその会社が作ったものだ。


「おい見ろよ。また美鈴ちゃん出てるぜ」


「あ〜良いよなぁ。あの笑顔だけで俺明日も頑張ろうって思えるわ」


「1回だけでいいからデートしてえなぁ」


 スクリーンに映る少女に叶わない願望を口にする男子たちの悲哀を聞き流し、その場を後にする。


 誰もが羨む学習環境を与えてくれる麦ヶ丘だけど、世間一般でイメージされる英才教育の場というわけではない。毎日鬼のような量の宿題を出される訳ではなく、1cm単位で制服の着こなしをチェックする訳でもない。


 創始者曰く自由な教育が若者を成長させるのだとか。真偽はともかくそんな緩い校風であっても、学生のバイトは禁止されている。

 しかしルールとは破るもの。バレなければノープロブレムの精神で今日も僕はバイトに向かう。


 きっちりと整備されたグラウンドではBGMに運動部の掛け声が流れていた。暮れなずむ夕日をバックに練習に打ち込むシルエットは、まさに青春の1ページ。


 頑張ってるなぁ、と傍観者チックにしていると、すぐ横を帽子を被った女子生徒が走り去っていく。行く先はブルペンで投げ込んでいた野球部員。一段落したところに女子が駆け寄り、赤面のままスポドリを渡す様はベタ中のベタだ。

 何かこっちも気恥ずかしくなり、さっさと駐輪場に逃げ込み愛用のママチャリに乗って、坂道を駆け下りる。


 ペダルを踏み街中を横断しているとリンクシティが実に先進的だと身をもって知る。

 ガラスの代わりに光学素子を埋め込んだマルチプルウォールを取り入れ、新商品のCMを映しビル自体を広告塔にする摩天楼。

 マンハッタンを意識し碁盤の目に作った道路を走る全自動運転の車両は、二酸化炭素ではなく水素を吐き出す。

 街路樹を鬱陶しくない程度に剪定する作業ドローンの真上を別のドローンがプロペラを回して飛び、ケータリングの品をどこかに運んでいく。


 積極的に自動化を奨励し技術の投入を惜しまない結果生まれた景観は、加工なしの画像をアップしても充分に洗練された魅力ある街をイメージできる。

 それが可能なのはひとえにこの都市がAIによって発展を遂げたからだ。

 交通量を計測し渋滞を未然に抑えるAI、健康状態と将来の罹患率から最適な食事ルーティンを計算するAI、薬剤の組み合わせをシミュレーションして新薬開発をサポートするAI、趣味嗜好とトレンドを満たす音楽を提示するAI……リンクシティは規模の大小を問わずあらゆる場面でAIが介在する。一部の例外を除いて。


 えっちらおっちら漕いでいると辿り着くのは雑居ビルの中でもダントツに狭苦しい部類のそれ。自転車を停め勝手口から階段を上りある事務室の扉を潜る。


 適当にまとめられたファイルが並ぶ棚、執務用の机、パーテーションで仕切られた応接間にはソファとテーブル、申し訳程度の観葉植物、テレビ、エアコン、等々。

 一流企業のスタイリッシュさとはかけ離れ、さりとて昭和臭がしない程度に垢抜けたオフィス。僕のバイト先である調査会社キャラハンのそれが間取りだった。

 この街に居を構える企業なら標準装備のAIもないアナログ丸出しの零細だけど。


 社名の由来は社長が好きな映画の登場人物から頂戴したそうだ。分からない人はダーティーハリーを思い浮かべてくれればいい。

 「調査って何を調査するの?」という質問がもっともだけど、この手の業者は一般に興信所とか探偵とかで括られることが多い。


 頭脳明晰なクールダンディが小さな証拠から真相を炙りだし、警察を尻目に犯人を突き止める……なんてドラマチックな展開はもちろんない。某小学生探偵みたいに行く先々で殺人事件に巻き込まれるなんてのはもっとない。

 普段は浮気や素行調査が主な収入源。昨今はストーカー調査や初恋の人を探してほしいなんて依頼もあるらしいけど、零細中の零細のうちは依頼が来ること自体が少ない。

 最近は社長が思いつきで業務改革とカッコつけてペットの世話や食事作りを引き受け、興信所か便利屋なのか本人も良く分からない宙ぶらりんな職場に陥っていた。


 従業員は僕だけで個人的には都合の良い休憩所に来てる気分だから別に構わない。デスク上の小汚い書類の山を整理すれば金が入る好物件に春からお世話になっているのだが


「暇だ……」


 予想以上に退屈なのもどうかと思う次第であった。


 試用期間も終わり仕事にも慣れて来た近頃だけど、梅雨の季節にわざわざ辺鄙な事務所を尋ねる物好きはそうそうおらず、いよいよ裏方も卒業だと少し高揚した気分は早くも行き場を失っていた。

 加えて外で降りしきる雨に労働意欲が本日最安値を連続更新している。


 天気予報では1日晴れで降水確率は1桁台だったから、たぶんにわか雨だろう。せめてバイトが終わるまでに止んでいるのを祈るばかりだけど、その兆しはない。

 ついでに言えば客が来る兆しもこれっぽっちも見えなかった。なので入口に人の気配がして入店のベルが鳴ったときは、意外な客に驚くしかなかった。


「いらっしゃ……い、ませ」


 見覚えのある独特の髪の色、鋭い眼光。病院で接触事故を起こしたときの外国人が盾にした鞄の水滴を払い、仏頂面を隠さずにご来店された。

 物珍しさに一瞬ポカンとしてしまったが、足跡と一緒に制服の裾から雨水が零れているのが分かり、引き出しに補充していたタオルを引っ張り出す。


「あの、よろしかったらお使いください」


「……どうも」


「奥の席は仕切りがあるので、そちらをどうぞ。後でお茶をお持ちします」


 まさか散々練習してきた営業スマイルの初お披露目がこんな形になるとは。気持ち悪くなって帰ったりしないことを願ったけど、彼女はタオルを受け取るとこちらに気付くこともなく、貴様に用はないと言わんばかりに奥に引っ込んでいった。


 湯呑みとメモ帳を準備して待つこと数分。そろそろかなと様子を伺うと、唯一の客人は文庫本を片手に濡れた髪や首筋を拭き取っていた。色白な鎖骨が見えそうになってしまい、慌てて目を逸らす。


「ご用件をお聞きしても良いですか?」


 声を掛けられてようやく僕の存在を認識した彼女は、思い出したように料金表に目を走らせるが、眉をよせてうんうん唸るばかりで、決まりそうにない。

 最後は舌打ちして表を閉じ、ずい、と畳んだタオルを突き出すのだから対応に困ることこの上ない。


 そうしている間にも不可視の圧がじりじりと上昇するので、取りあえずタオルを受け取ると、そっぽを向いたままの客がぽつりと呟いた。


「なあ、ここってあんたの店?」


「え? いえ、社長がいますが生憎と別件で不在でして……ってちょっと!」


 言うや否や立ち上がって真っ直ぐ帰ろうとする客人を慌てて引き留める。新喜劇も顔負けの急展開。帰らないで! まだ何も始まってないよ!


「社長は不在ですけどお話しくらいなら僕でもお聞きできますから! 今なら茶菓子も付いてきますから!」


「離せよ。お前みたいな素人丸出しの奴を相手にしても……ってかお前どっかで……」


 何か思い当たったのか覗き込むように近づく顔に、思わず息が止まってしまう。

 正直こうも異性に無遠慮に見られると緊張してしまうのは、男性共通の性ではなかろうか。

 透き通った瞳にこちらの思考が駄々洩れになるんじゃないかと視線を逃がしていると


「その眼帯、ひょっとして病院の?」


「はい。ついでに言えば同じ高校です」


 その時の光景を思い出したらしく、少女は「そういえばそうだったな」と警戒を解いて、ソファに戻った。

 物で釣った以上出すしかない。経費で密かに買った高級クッキーを泣く泣く皿に乗せ、真向かいに座る。皮肉なことに来客用に駄菓子屋で買った飴玉は切れていた。


「では早速依頼の内容ですが――」


「なあ、緑茶とクッキーって合わなくないか? コーヒーとかは?」


「ありますけど」


「じゃあそれにココアと牛乳と砂糖を混ぜて、ホイップクリームを足してくれ」


 何を言ってるんだこいつは?

 聞くだけで胸焼けしそうなトッピングに女性の味覚への畏怖を覚えたけど、何でカフェモカ?

 ここは喫茶店じゃないし、男だけのむさい職場にホイップクリームなるものはない。


 偶にいるのだ。こちらを格下と見なしてやたらと態度がでかくなる輩が。どの仕事でも言えるけどナメられたら終わりで、こういう手合いには相応の返しが必要になる。


 伊達に酒屋の親父さんの集金を跳ね除けてないんだ! 僕だってやるときはやるぞ!


「悪いけどそんなものはうちには――」


「ああ、あと卵とウォッカも頼む」


「はい!?」


 まさかの興信所で酒の追加注文。しかも真昼間に学生のオーダーときた。社長がデスクに何本か隠しているのは知ってるけど、いくら何でも未成年が未成年に出していいものじゃない。


「ところで確かうちの高校ってバイト禁止じゃなかったか?」


 何となく嫌な予感がする。脈絡のない話に切り替わるときは大概そうだ。どうにか脱線を防がなければ。


「こ、今年から学生に働くことの素晴らしさを学んでもらうために解禁になったんですよ!」


 咄嗟に出た言い訳はしかし彼女の生徒手帳にあっさりと破られた。大半は学生証だけ抜き取ってタンスの肥やしになるはずのそれを目の前でペラペラと開く。


「これには駄目って書いてあるけど?」


「……今日のお代は結構ですので勘弁してください」


 反撃どころか倍返しされた。降伏条件に口止め料を約束し、負け犬はトボトボと給湯室に戻る。

 カフェモカを淹れる最中に奥を観察すれば、勝者は心なしかご満悦のようで口角がそれとなく吊り上がっていた。


 これを出してさっさと帰ってもらおう。せめてもの仕返しに砂糖の量を増やしておく。我ながらみみっちいけど職場の安寧を保つためには苦渋の決断に迫られることもある。


 どうせ一度きりの来店だ、と腹を括りトレーにカップを乗せ、さっきと同じように読み進めている本の傍に飲み物を置いた。


「カフェモカでございます」


「おい。酒はどうした?」


 まるで飲んだくれの親父みたいな台詞だ。花の女子高生が間違っても口にすべきじゃないNGワード。


「申し訳ありませんが、当店は未成年の方へのアルコールの提供を禁じておりまして。卵ならご用意できるのですが」


「は? それじゃ意味ないだろ。卵だけコーヒーに入れても不味いだけだ。客の要望に応えるのが商売の筋じゃないのか?」


「ですが法律で禁止されている限り出来ないものは出来ません。ロシアでは何歳から許されるのか知りませんが、日本では高校生の飲酒は認められてないんです」


 予想外のクレームについ語気を強めてしまったが、競り負けて法律違反でクビになるのは笑えない。

 ここは大人しく諦めてもらうために強引にカフェモカを置くと、言い返された少女は訝しげに首を傾けた。


「……お前、何で私がロシア人って分かった?」


「えっと、お客様のお望みの品がロシアン・コーヒーと同じでしたので。それにその本、扉絵に写ってるのってトルストイですよね? アルファベットじゃないから題名は分からないけど、キリル文字ってことは判別できますから」


 それにあんな高い度数の酒を嗜むなんてお宅の国ぐらいだ、という言葉は胸にしまっておくことにした。

 法律違反は回避したが口論になって下手に店内で暴れられれば解雇は免れない。何事も穏便に済むならそれに越したことは無い。


「……まあいい。で、お前名前は?」


「へ?」


「名前教えろって言ってるんだよ。日本語だから分かるだろ?」


「それは何でまた」


 見知らぬ美少女から突然のアプローチ。一体さっきの会話のどこに進展する要素があったのかは知らないけど、至極当然な様子で聞いてくるのは文化の違いなのか。

 こちらとしては早々の退席を希望しているので、面倒臭さが拭えない。


「だってお前がどこの誰だか知らないと、学校でもたかれないだろ」


 前言撤回。アプローチどころか強請ってきやがった。

 どうやらこの悪魔はカフェモカ1杯では飽き足らず、僕の財布を食い荒らす所存らしい。そんな強欲女にみすみすやられるつもりはない。ここは適当に偽名を名乗ろう。


「山田太郎です」


「コガタクミか。なるほどな」


 何で分かった!?


 一文字も教えたつもりはないのに何故か本名を言い当てられ、動揺を隠せない。読み方を確かめるために携帯の画面に映った「古賀拓実」の文字もピンポイント。


 どうして見抜かれたのか分からずにいると、長い指が胸元を指し示した。そこにあったのはエプロンに着けたネームプレート。顔と一緒にすると覚えやすいという社長の無駄な気遣いがここに来て裏目に出てしまった。


 嗚呼、哀れにも勤勉と誠実を胸に慎ましく生きてきた少年の運命は、ここで燃え尽きてしまうらしい。こんなことなら今日は説教覚悟でもサボるべきだった。

 悲しみに浸る僕をよそに元凶である女子は、これまでのやり取りを忘れ優雅な所作で戦利品を味わっていた。


「今日は社長もいないしまた来る。ご馳走様」


 不幸な1日だったけどお天道様だけは見捨てずにいてくれたのか、日が沈む前に雨は上がっていた。

 カフェモカを飲み終わった後もしばらく本を読んでいた少女は、悪びれもせずに店を出た。ベルが鳴ったと同時に肩が解れ、虚脱感とやってしまった感が入れ替わりで圧し掛かる。


 まったくとんでもない女だった。酒を頼み出すしやたら睨んでくるし挙句には脅してくるし。

 ついでに名前もバレた割に僕が知ったのはロシア出身ということだけ。恐らく日本の高校に通うロシア人なんてそうそういないから、これはこれで貴重な情報だと思うけど。


 それよりも問題なのはこの状況をどう解消するかだ。先生に相談するのはナンセンス。悩みを打ち明ける友達なんていないからこれも却下。

 あれ? 目から汗が……


 最悪通報も考えたけど事務所に迷惑はかけられないし、学校側に僕の校則違反が伝わるというハイリスクを承知で断行するほどの度胸はない。

 今日はもういいや。半分諦め、半分惰性で占められた脳内会議は審議を先送りにすることで合意した。明日のことは明日の自分に任せようそうしよう。


 夕飯に間に合うように掃除を急いでいると、テーブルの上に見慣れない物が置かれていた。何となく手にするとそれは、ここにあるにはあまりにもあからさまとしか思えない物だった。


「ルフィナ・レシュリスカヤ、か……」


 自分のではない、真新しい生徒手帳に付属した写真には、初めて会った時と同じく挑むように目尻を細くした仏頂面が写し出されていた。


◆◆◆◆◆


 鍵を扉に差し込み中に入っても、未だにこの空間が自分の部屋だとは思えなかった。必要な物以外植木鉢の一つもないリビングにバッグを放り投げ、部屋着に袖を通す。

 冷蔵庫から水の入ったボトルを取り出して一口呷ってみたが、やっぱり舌が慣れるには時間がかかりそうだ。


 軽く掃除を済ませ携帯を開くとそこにあったのはばかり。うんざりするほど似通ったメールの内容に舌打ちし、電源を切って卓上に放置することに決めた。


 リビングと同様に簡素な仕事部屋に入り、コンピュータを立ち上げる。「AINA」と表示された画面を横切るスクロールバーの一覧を確認――稼働率は3割弱。

 


 つ、と指先が文字の上を滑り、その冷たさが人の魂が旅立った後のそれに重なる。あの人がそうだったように。


「やっとここまで来た。待ってて……マーシトロンを必ず見つけ出してみせるから……」


 カーテンの隙間から僅かに陽光が射し込む。その光は目覚めた者を優しく包み込む朝のそれとは異なり、もうすぐ闇に包まれてしまう世界に太陽が自己を主張するように投げかけられた生命の灯だった。

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