第1章 6月編
第4話 舞い降りた少女
いつもと同じ、もう何度繰り返したか分からない硝煙たなびく荒野で、「ぼく」は最後の1体を袈裟斬りにした。
断面から血飛沫のように火花をショートさせた鋼の骸骨が微かに身悶え、明滅を繰り返す赤いモノアイが沈黙し、ただの鉄屑に変わり果てる。
これでようやくこの戦いのループが終わった。既に慣れたとはいえ主観時間で年単位の斬り込みをしていれば、疲労も一入になる。
ブレードを大地に刺してどっかりと座り込み、久方ぶりに深呼吸すると、鉄と人の残骸が一面に広がる戦場の地平線から彼女が近付いてくる。
高らかに駆ける足音も空気を介して伝う存在感も、半身の如く「ぼく」の記憶に焼き付いている。
「今日は生き残れたんだな」
凛とした中にも一抹の労りを宿した声が「ぼく」の意識を闇の淵から引きずり上げる。頭上を仰ぐと沈む太陽の逆光が彼女の柔らかな色合いの髪を激しく燃え立たせる代わりに顔を陰らせていた。
だがその奥から強靭な意志の光を宿した瞳が覗き、彼女もまた戦火を無事に切り抜けたことが分かり安堵する。彼女が無事ならそれで良い。
「私は死なない。絶対に」
パワードスーツの黒い被覆に覆われた手が力強く「ぼく」を引っ張る。ふわりと身体だけでなく心も軽くなったようだ。
彼女がいるから戦える。命を懸けて武器を手にできる。頼もしさと愛おしさが混在する心に、彼女が穏やかに告げる。
「お前の死に場所は私が決めるからな」
陽光の眩さが一際強くなり、空間全てを閃光が呑み込んでいく。硝煙も残骸も、眼前の彼女と「ぼく」も一緒くたに埋め尽くし――暗転した。
◆◆◆◆◆
『――
足元に感じる重力のベクトルが全身に圧し掛かるように変化し、背中越しに柔らかなクッションに似た感触を覚えた。
次いで聴覚に届いた合成音声のアナウンスを皮切りに、神経系と世界が再接続を開始する。刺激の弱い白色蛍光灯の光、調整の行き届いた空調と温度、仄かに鼻をくすぐる消毒液の匂い。
ここはどこで自分は誰か。覚醒し出した自意識が歯車を回し、自分が肉体という然るべき場所へ戻ってきたことを認識する。
数時間前までは明るく室内を照らしていた陽の光が、今は赤みを帯びて白い壁に反射している。まるでさっきの夢と同じ。そこまで思い出した僕は体を起こし、ベッドから降りた。
病院は苦手だ。診察の割に合わない膨大な待ち時間。すれ違う患者から漂う薬品と体臭が入り混じった匂い。そして延々と繰り返されるこの問答。
「やっぱり変わりませんか……?」
「変わらないねぇ、まったく」
カルテをじろじろと嘗め回すように見た中年の医師は、神経質そうな眉根を緩めることなく言い切った。
諸事情があったとはいえ予約時間を大幅に超過してきた身分からは何とも言いにくいことだけど、こちらとしても安くない額を支払っているわけだから僕も少し食い下がる。
「でも、でもですよ? もう何度も検査しているんですから、原因不明っていうのはちょっと……」
「しかしだね……。率直に言うが不明なものは不明だ。先の検査で君にはマーシトロンが生成したいくつかの仮想夢を受け取れなかったんだろう? 普通は有り得ないんだが、混線して出鱈目な情報を受信してしまったのかもしれん。念のためにどんな夢を見たか教えてくれないか?」
「いいえ。特にこれといったものはありませんでした」
事前に空を飛ぶ夢だと教えられたのに、実際は血風が吹きすさぶ戦場で無限の殺し合いだ。話したところで信じてもらえるわけもないし、下手をすれば精神科を紹介されるかもしれない。沈黙は金ということわざに従い、僕は頭をかいて自嘲気味な苦笑を作り出す。
「不適合者ですからね。ミスマッチは仕方ないかもしれません」
潮時だな、と感じ言い淀んでいる医者に予定調和の台詞を投げる。おっと。考え込むふりして手で口元を隠しても、頬が緩んでいるのがバレバレだぞ。厄介払いがそんなに嬉しいか。
隣接するガラス張りの部屋を一瞥すると、先程まで横になっていたベッドと諸々の計測機器、そしてカチューシャに似た白いヘッドセット端末が見える。
稼働中は緑に点灯した側頭部のインジケータはすっかり沈黙し、言われなければただの髪飾りにしか見えない。未だにあれが夢を見せる機械だとは信じられなかった。
「そう気を落とすことは無いさ。人間の脳構造を完璧に把握しているのがウリのシステムだ。もう何年もすれば技術が進んで君のような子でも適合できるよ」
「はは……気長に待ちますよ」
「念のため頭痛薬だけ出しておこう。じゃあお大事に」
「ありがとうございました」
二度と来るかやぶ医者が。
◆◆◆◆◆
人工知能が社会機構に組み込まれて以降、更なる情報化の加速によりデジタルとアナログの境界がますます薄くなりつつある世界。
中でも独立した実験都市としてあらゆるインフラにAIを大量投入し、類を見ないほどの大発展を遂げたリンクシティでは、ある人工知能が注目を集めその存在感を誇示していた。
マーシトロン。ギリシャ語で「慈悲の機械」と訳されるこのAIは、人間の脳構造を完全に再現することで、初めて人の心を理解したと称されるシステムだ。
登録者の脳をスキャンしたデータを転写し、ニューラルネットワークを用いて再構築。心理的傾向や思考パターンの解析が可能となった。
だが何より既存の人工知能と一線を画すと伝わる機能があった。人に夢を見せるのだ。
人心ほど移ろいやすく曖昧なものはない。競合する感情、衝突する欲求、自分では分からなかった隠された嗜好……そういった心理作用を観測し、並外れた演算能力でデザインした仮初の夢を与え、精神のバランスを安定させる。
専用の端末さえあれば眠っている間にメンタルをリフレッシュできる――常にプレッシャーと隣り合わせの現代社会で生きる人々にとって、断る理由はなかった。
アルコールやタバコよりも遥かに健全で、ずっと確実に癒しを提供してくれる機械は瞬く間に普及し、リンクシティで確固たる地位に座している。
それは良い。良いんだけど――
◆◆◆◆◆
「あのやぶ医者……こっちが不適合者だからって見下しやがって」
人が往来する病院の廊下の道すがら、あの医者のあからさまな顔が浮かび悪態が出る。相変わらず不適合者の風当たりは厳しい。
老若男女問わず利用できるマーシトロンだけど、実際に使ってみるとまだまだ課題が多い。そのうちの一つが不適合者。データを読み取れずシステムの恩恵を受けられない存在だ。
脳に異常があるのかシステムとの相性の問題か。原因は分からないけどそういったイレギュラーが一定数いるのは事実であり、世間的には除け者扱いされる。それについても目下調査中というけど、改善するのはいつになるやら。
……いかん。どうにも今日は気が立っている。
というのも昨日から頭痛がちょっとキツくなり、そのせいで寝不足になって宿題を忘れるばかりか最初の授業を悠々と遅刻する偉業を成し遂げ、堂々と凱旋したことに感心した教師が反省文2倍の褒賞を宛がったのだ。
そりゃあ診察にも遅れるわけで、虫の居所も悪くなるというものだ。
……実際のところ本当にイライラしている理由は、さっき検査室で垣間見たあの夢のせいだ。いつ終わるか分からない長い長い殺し合いの夢。
物心ついた頃から際限なく何度も見る悪夢の結末は、ほとんどは負け犬となってミンチにされる。ある時は爆弾でバラバラにされ、ある時は手足を引き千切られ。
原因は分からず検査を受けても全て空振り。不適合者が故のアクシデントと思われます、大丈夫だ、きっと良くなるよ……こんな言葉を耳にタコができるほど聞いてきた。
そんな普通の目覚まし時計では味わえない生々しい体内アラームのお陰で、ほぼ毎朝が最悪の気分なのは言うまでもない。
今朝も鏡に映った自分の顔は草食系特有の頼りなさに常にない陰気な雰囲気を帯びていた。そのせいか一段と人に避けられていた気がする。
けれども皮肉なことにそう言ったことには慣れていた。原因はこの眼帯なのは分かってる。右目を占拠する白いこいつとは長い付き合いだけど、幸せを運んでくれるラッキーアイテムになったことなんて一度も無い。
小さな頃にちょっとしたアクシデントに巻き込まれたせいでこうなってしまい、おまけに後遺症で前髪が一部色が抜けてしまっている。
地味な外見を取り繕うワンポイントと割り切れば聞こえは多少良くなるけど、実際は眼帯=病弱+中二病、白髪=失敗したメッシュと勘違いされ、総合評価は「高校デビューに失敗した中二病のもやしっ子」に確定してしまった。
まあいいさ。もやしっ子はもやしっ子らしくささやかな趣味で心を落ち着けるとしよう。
院内に軽食OKな休憩所があるのを思い出し、鞄から読み止しの本を取り出して歩く。
『赤と黒』。野心家の主人公が王政復古の世で出世と情愛に翻弄される様を描いたスタンダールの代表作。
不思議なことに昔から漫画より活字の方が僕の性に合っていたけど、どうにも同年代との隔たりが大き過ぎたらしい。
小学生の読書感想文で周りが『ダレンシャン』や『赤毛のアン』を発表する中で、僕だけ『人間失格』を読み上げた時のドン引きぶりはちょっと失敗だったと思う。
ふと正面に女性が数人の子供をあやしている光景が映る。親子だろうか、涙目の子供たちに
「泣いてない? 我慢できた?」
「で、できたもん……」
予防注射の案内を示す壁紙が貼ってある部屋から出て来た勇者は精一杯の強がりで成果を報告したが、頬と同じくらい赤い目元は誤魔化せない。それでも母親は優しく頭を撫でる。
「そうか。じゃあ帰りに好きなお菓子買っていこうね」
「やった~!」
さっきまでの泣き顔がパッと一転してご機嫌になりスキップする姿は微笑ましく、通りすがりのお年寄も「めんこいのぉ」と呟く。
ところでちょっとしたほんわかテイストになるのは結構だけど、ここは病院だ。言うまでもなく走りは厳禁である。けれども元気盛りのチビッ子たちはそんなことお構いなし。
「駄菓子屋まで競争しようぜ!」
「ビリの奴よっちゃんイカな!」
「あっ、こら!」
嫌な用事が済んだ途端に持て余していたエネルギーを使って廊下を駆ける。その転換の早さに母親の反応が遅れ、ついでに僕も一瞬立ちすくんでしまう。
あわや接触寸前に迫る超特急を避けるのに成功したが、後ろを向いたまま走ってきた子は気付かずにどんどん先へ進んでいく。
慌てて追いかける母親と追随する職員が僕に「どうして捕まえてくれなかったんですか!?」と怒鳴り、何故か捕獲要員にされたのだからたまったもんじゃない!
しつこく逃げ回る小鬼どもを追いかけること暫し、遂に恐れた事態になってしまった。
「……っ!」
「うわっ!」
先頭の子が角から出て来た人影に見事にクリーンヒット。尻餅に巻き込まれて後続の子もドミノの如く共倒れした。言わんこっちゃない。
すぐにわんぱく坊主を起こして、ぶつかった人に謝って――と、いつもならそんな小さなトラブルで済むはずだった。けど、場所がそれを許さなかった。
僕らがその光景を目撃したのは、2階の渡り廊下だった。側面には手すりが付いた普通の廊下で、よほどの偶然が重ならない限り落ちる確率は皆無。
しかし先頭の子は少しばかり体格が大きく、少しばかり勢いが強過ぎ、少しばかり手すりに乗り上げる姿勢だった。
そんな小さな悪因の累積が導き出した結果は、ごく当たり前の物理法則で。
「わっ」
先頭の子は反動を殺しきれず手すりから飛び出した。事故。転落。助けなきゃ。反射的に走り出すが開いた距離は余りにも遠い。
数秒もあれば追いつけるはずなのに、恐ろしいほど先にあるように感じる時間感覚の中で、重力はお構いなしに子供を奈落に引きずり込んだ。
「てっちゃん!」
母親の悲鳴が今更ながら伝わるが、遅い。間に合わない。そう誰もが思った時、全く別の偶然が割り込んできた。
子供が落ち始めた直後、ぶつかられた影の方もまた飛び出したのだ。
天井を透過した光が余すところなく晒したその瞬間は、危険を芸術に変えた。影は女だった。
色素の薄い髪を靡かせ自らも身を躍らせる姿は、さながら天界から舞い降りた守護天使。
躊躇なく踏み出した挙動は空気の対流さえ操ったように軽やかで、誰もが不可視の翼を幻視したほど美しかった。
女は空中で子供を抱きとめると器用に体を捩り、綺麗な放物線の着地点に合わせて前転した。
アクロバットなモーションの衝撃を全身に振り分け、落下エネルギーを回転運動に変換、相殺する。
体操選手ばりの曲芸を成功させ両足できちんと起き上がると、僅かな静寂を挟んで辺りは割れんばかりの大歓声に包まれた。
「てっちゃん!」
駆け下りてきた母親が我が子を涙ながらに抱きすくめる。胸元に引き寄せられた子供も時間差で状況を理解し、母親に縋ってわあわあ泣き出した。
映画のワンシーン染みた救出劇で興奮が冷めない空間に僕も遅れて踏み込むと、その主役と偶然に目が合った。
その場に立っていたのは女性ではなく、女子高生だった。何で分かったかというと僕の通う高校と同じ制服を着ていたからだ。
しかし黒を基調としたブレザーのボタンは全開で首元にはあるはずのリボンがなく、襟元の校章はどこかに飛んでいったらしい。
かなり不良っぽい着崩しに冷や汗が流れるが、その顔を見ればすぐに汗腺が閉じた。
うなじの辺りで一つに結んだ亜麻色の髪が秋の木漏れ日を想起させるならば、明らかに東洋系とは異なる凛々しく彫りの深い顔立ちは、どこかの貴族かと思うほど気品があり大人びていた。
何故か頬を覆うガーゼも気にならないほどの造形美だったが、よく見ると反対の頬に小さな傷跡を残し、氷晶のような細面にある種の凄味を与えている。
だが何より印象的なのはこちらを睥睨するその目だ。青味がかった灰色の虹彩は研ぎ澄ましたナイフの如く硬質な光を湛え、切れ長の瞳をさらに鋭く見せている。
男である自分と変わらないくらいのすらりとした長身も威圧感を増長させるのに一役買っていた。
荒々しくも高貴な美貌に僕は息を呑んだ……と言いたいところだが要するにその眼差しに射竦められ、蛇に睨まれた蛙の気分をリアルに味わったのだった。
「……お前、こいつの兄貴か?」
夏も近いはずなのに気温が下がる錯覚を覚えるほど冷たい声音に、つい背筋が硬直して気を付けの姿勢になる。
「
相手が外国人という状況に反射的に英語で答えたけど、不思議なことに聞こえて来たのは流暢な日本語だった。
通じたのかそうでないのか関心の消えた様子で僕との会話を打ち切ると、今度は母親の方に向いた。
「怪我はしてないと思うが、念のため検査した方が良いぞ」
「あ、ありがとうございます! ほらあんたもお礼言って!」
「ぐすっ……あり、がと、お姉ぢゃん」
鼻を引きつらせながら頭を下げる親子に仏頂面のまま近寄った少女は、子供の額を軽く指先で弾いた。
「もう二度と母親を泣かせるなよ」
「はい……」
「あのーこれ上の階に残ってたんだけど」
ここに来る前に拾った学校指定のバッグを差し出す。意外に重い。タブレットで授業をする時代に紙の教科書でも持ち歩いているのだろうか。
そんな考察をよそに軽々とバッグを肩に担いだ少女は、用は済んだとばかりに踵を返し、注目の視線を風と受け流して人混みの中に消えていった。
訳もなく強張っていた意識が緩み、遠ざかっていた喧騒が蘇る。
やっとこさ帰路に着いたのは子供が軽い拳骨で戒められるのを見届け、院内の責任者に事情を説明した後だった。
帰り際になって母親に「是非お礼をしたいから、あの人の名前だけでも教えて下さらない?」と頼んで来たが、そう言われても見覚えがない。
第一、入学して数ヶ月しか経ってないのに女子の顔なんてそうそう覚えられるものではない。
ただ、小学生が言っていることは事実。あれだけ際立った容姿ならすぐにでも噂が広まるはずだ。若しくは僕がそういったコミュニティに入ってないから知らないだけなのか。
「しかしあの人どこかで……ぐっ!」
無意識に顔を再生すると頭の片隅がズキリと疼いた。訴えるように内側から何かが頭蓋を突き破ろうとする感覚。
今朝のより数倍キツい痛みに足元が覚束なくなったが、何とか踏み止まる。歯を食い縛り高まる動悸をやり過ごして一息。
「こんなの何ともないだろうが……!」
必死になって自分に言い聞かせ、貰ったばかりの薬を無理矢理飲み下す。そうだ。何ともないはずだ。あの地獄に比べればこんなのは何とも――
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