第8話 ランチタイムの恐喝
第2ラウンドの火蓋は出口付近の休憩所で切って落とされた。人波を縫ってターゲットに肉薄する我らが矢吹さん。設置されたテーブルで他に空きがない体を装って隣に座る作戦だ。
僕は手に汗握って隅っこのウォーターサーバーで水を飲むふりをして待機。たかだか忘れ物を渡すためだけに、これほど心を砕いてくれる彼女に申し訳なさが滝のように溢れ出て来た。
どうやらファーストコンタクトは成功らしく、感触も悪くなさそうで取りあえずの会話は成立している。ちょっと好奇心が湧きだしてしまい、なるべく静かに接近して後ろに陣取る。聞き耳を立ててみると
「へえ~レシュリスカヤさんってハーフなんだ! でもすごい日本語上手だよね」
「母親はロシア人で父親がドイツ人ってだけの話だ。どっちも日本に住んでた経験があったから、私も自然に話せるようになった」
「そういえばさっき男の子が話しかけてるの見かけたんだけど、すごく落ち込んでたみたいだよ。何かあった?」
「別に。『ロシアって酒代わりにラッカーを飲むんだろ。あんな臭いもんよく我慢できるな』ってナメた口利きやがったから、『お前のツラと欠片もマッチしてない香水よりはマシ』って返した。その後もぶつくさ言って面倒だったから『息が臭くて悪酔いする』って注意したら帰った」
うわぁ、辛辣。代謝が多い年頃は自分の匂いや身だしなみに気を遣うもの。ましてや人一倍汗をかく運動部にとって、その台詞は深く突き刺さる。
「でも誘ってくれたんでしょ? こっちに来たばかりでレシュリスカヤさんも心細いだろうって考えてくれたんじゃないかな? 」
「その割には随分と鼻の下が伸びてたけどな。別の意味で仲良くしようって魂胆だろ。第一あんな誘い方されても私は着いていこうなんて思わない」
「そうかもしれないけど……こういうイベントがあった方が打ち解けやすいし、友達もできると思うの。きっとみんなだってレシュリスカヤさんのこともっと知りたいって思ってるよ」
「だったら昼休憩が一番手っ取り早いはず。まあさっきの連中と似たり寄ったりばかり来るし、鬱陶しいだけだったけど。無理に顔作って話作って合わせるなんて疲れるだけだろ。私はご機嫌取りなんてごめんだし、取られるのもうざったいから嫌いなんだよ。ついでにコソコソ嗅ぎ回ってるネズミもな。特に後ろの席にいる奴」
ギクッと背中に電流が走る。どうやら最初からバレていたようで、矢吹さんも口元を強張らせている。
もっとも冷ややかな視線はこっちに向けられているので、ビビリメーターは僕の方が遥かに高い。取引先に向かうような心構えで襟元を正し同席させてもらった。
「……どうも」
「この国には二度あることは三度あるって言葉があるって聞いてたけど、どうやら当たってたみたいだな。で、わざわざこんな回りくどいことして、こいつと引き合わせたかったのか?」
「ん? 二度あることはって、2人とも知り合い?」
「……以前街中で偶然な」
向こうとしても先週の出来事は言わない腹積もりらしい。どうせ絶好の狩場を独占したいに決まってる。
そこのところを矢吹さんに是非追及してもらいたいけど、彼女は特に気に留めた素振りもなく本題に移った。
「じゃあ自己紹介は省略するね。実は古賀君がレシュリスカヤさんの落とし物を拾ったから、届けようとしたんだって。ほら古賀君」
「もう忘れないでね」
「生徒手帳か。じゃあ留守電入れてたのってお前か?」
「聞いてたのなら連絡してよ。そうしたらもっと早く渡せたのに」
「……色々と忙しかったんだよ。まだ身辺整理とか済んでないから」
少し言い淀んでいたけど越してきたばかりなら仕方ない話だ。興信所寄る暇はあったんですね、と皮肉を返してやりたかったけど、矢吹さんの作ってくれた空気をぶち壊すのは忍びないので呑み込んでおく。
レシュリスカヤさんはパラパラとページを捲って一息。
「良かった。連絡先とか勝手に書き込まれてなくて」
「何で僕がナンパを兼ねて返したことになってるの? イケメンでも中々出来ない高等技術だよ」
出会いの形が最悪だっただけに生憎この子に惚れる要素は皆無に等しい。いや確かに見た目は文句ないけど。
「まあ何にせよ、助かった。礼を言う」
これには内心面食らった。この手の人間は「あなたのような底辺の人間にこの私の手帳を拾わせてあげたのよ? 寧ろ感謝してほしいくらいだわ」なんてふんぞり返るイメージが強かったけど、最低限の礼節は心得ているらしい。女帝と言われても差し支えないオーラがあるけれど。
回り道が多かったけどこれにて任務完了。目的に集中して忘れていたけど、今更ながらに男1人と女2人の構図はかなり緊張する。
心なしか周りの男連中の視線が痛い。直近の奴なんていつ飛び掛かって来るか分からないくらい殺気立ってる。さっさと退散しようと腰を浮かしかけた時だった。
グー。
椅子が床に擦れるでもなく、間違ってもくしゃみではない音が響く。僕ではない。では矢吹さんかと窺えばきょとんとした様子。ならばと残された容疑者は分かりやす過ぎるほど明後日の方向を見ていた。
「えっと……レシュリスカヤさん、もしかしてお腹空いてる?」
恐る恐るな矢吹さん。
「別に空いてない。何なの急に」
明後日のままのレシュリスカヤさん。気持ちは分かるけど赤い耳は雄弁に自白していた。
「でもさっきお腹の音が」
「腹の音? 特に何も聞こえなかったけど」
あくまでも黙秘を行使するけど、胃の方は正直だ。本人の意思とは無関係に鳴るアラートに更に耳が赤くなった。
「変なことじゃないから笑ったりしないよ。お昼は食べてないの?」
「……カードをまだ発行してないから弁当買えなかった。現金もないし」
「カード? 現金? そんなのここにはないよ。触るだけで勝手に引き落とされるもん」
専用の端末に触れば静脈やら指紋やらを読み取り、認証が通って電子の海に沈む口座から自動的に振り込みが完了するのがリンクシティ流だ。
通貨も使えないわけじゃないけど、かさ張るしダサいって風潮で持ち歩く方が珍しがられる。こうしたことはよそから来た人間にはありがちだ。
「キャッシュレスを飛び越えてノーウォレットの時代かよ……」
「お腹空いてるんでしょ? なら私のお弁当分けてあげる」
「いやいい」
間髪入れずに拒否され目をパチクリする矢吹さん。他人に善意を受け取られないのは初めてだったのだろう。この場合は相手側の対応の方が珍しいけど。断固とした口調でレシュリスカヤさんが続ける。
「正当な理由もないのに受け取る訳にはいかない」
「お腹空いてる人におかず分けてあげようとしただけなんだけど、駄目?」
「一方的に施しを受けるのは不公平だろ。借りを作るのは好きじゃない」
「う~ん、でもなぁ……そうだ! あのねレシュリスカヤさん、私のお弁当、お母さんが張りきっちゃってちょっと作り過ぎちゃったの。残すと多分怒られちゃうから、手伝ってくれないかな?」
即興にしては中々上手い言い訳だ。その証拠にレシュリスカヤさんも考え込む表情に変わる。そうまでしてお裾分けしようとする矢吹さんの善人振りは最早天使だ。
どうして神様はこの人に輪っかと羽を授けなかったのだろう。もう世界の七不思議に加えてもいいレベルだ。この世の残酷さを嘆いていると、レシュリスカヤさんも納得し合意としてバスケットが渡されていた。
蓋を開くと矢吹さんの言葉は正しく、数切れのサンドイッチとさくらんぼが手付かずのまま残っていた。レシュリスカヤさんは小さな口を開けて控えめに食べていたけど、空腹だったせいで割と短時間で完食してしまった。
「悪い。この恩はいつか必ず返す」
「あまり畏まらないで良いよ。私がそうしたいと思ってやっただけだし」
「でもそれじゃあ収まりが付かないんだ。相応の礼をしないと私の気が済まない」
固く唇を引き結んで引かない姿勢にちょっと気圧されてしまう。たかがサンドイッチに大袈裟なと思うけど、どうやら彼女にとって甘んじて恵んでもらうのは望ましくなく、対等なやり取りを求めている。
意外と義理堅い性格に天使矢吹エル(語呂悪い)も悩んだ。
「と言われてもそんなすぐには……あっ! ならチャリティコンサートで今度ソロで歌うんだけど、良かったら見に来てくれない? 知っている人が見てるって思うと頑張れるから」
「それは良いけどチケットとか高いんじゃないのか?」
まあ、ライブとかで席を取るにはウン千円単位の金が飛ぶ。普通の学生からしたら簡単に承諾できる話じゃないだろう。レシュリスカヤさんのもっともな疑問に矢吹さんはビシッと小さな紙切れを掲げた。
「実は知り合いに配るためのチケットがまだ残ってるんだ。余りものだからタダでいいよ! そうだ、2枚あるから古賀君も来ない?」
「いや、いくら何でもそれは――」
「謹んでお受けいたします矢吹様」
速攻で跪き矢吹様の陶磁器の如き御手から神聖な紙札を戴く。ああ、何て神々しいのだろう。心なしか表面に印刷された文字すらも達人の一筆に見えてしまう。ついでに何か良い匂いするし。絶対ファンクラブ入ろう。
「ありがとう! ほらレシュリスカヤさんも」
「あ、ああ。サンキュ」
「離れた席になっちゃうからそこは悪いけど、勘弁してね」
「何を仰いますか。我らは矢吹様に忠誠を誓った身。その程度の不都合など不都合の内に入りません」
「おい。何勝手に話を進めてるんだ」
「嬉しい! 絶対来てね。約束だよ!」
「はっ! 我が命に代えても」
ああ、今日は何てツイてるんだ。人気アイドルと話せただけでなくコンサートのお誘い(プライスレス)まで!
約1名不服そうな顔だけど気にはしまい。ありがとうレシュリスカヤさん。君の手帳のお陰で僕の虹色スクールライフ(アイドルルート編)が始まるのだから。
そんな浮ついた気分がいけなかったのかもしれない。僕は矢吹さんの近くに来た人影に気付くのが一瞬遅れてしまった。
「あれれ~良いのかなぁ。アイドルがチケットの横流しして」
馴れ馴れしく話しかけてきたのは見たことのない男たちだった。派手に弄った頭髪と耳に付けたピアス、ダルダルズボンとおよそ普通とは言い難い。先程のサッカー部が可愛く見えるほどの改造だ。
「横流しって……違います! これは販売用のとは違うもので、決してそんなんじゃ――」
「でもさぁ、売り切れてライブ行けない奴だっているわけじゃん。なのに大してファンじゃない奴に配るってフェアじゃないんじゃない?」
「それはこれからなってもらいますから大丈夫です。ね!」
「ウンモチロンダヨ」
ちょっと論点のズレた状態で話を振られ、オウム返しに答える。若干声が震えているのはチケットをもらえて嬉しいからであって、決して目の前の不良が怖いわけではないぞ!
「マジか。実は俺たちも美鈴ちゃんのファンでさ~。チケット買うためにコンビニをハシゴしまくったんだけど、どこも品切れでよ。こいつらみたいに俺たちにもチケットくれよ」
「そんなこと言われたってもうチケットはありません」
「ふーん。良いんだそんなこと言って」
そう言って不良が携帯を取り出し、矢吹さんに画面を見せる。僕らの方からは何が映ってるか見えなかったけど、何故かそれを見た瞬間、矢吹さんの顔は凍りついた。
「どうして……」
「それは秘密。大丈夫だって。チケット渡してくれたら黙っとくからさ」
俯いたまま肩を震わせる矢吹さんと対照的に余裕に溢れた態度を崩さない不良たち。次々と告げられる要求を黙って項垂れながら聞いている。
「……こんなところだな。3日待つからその間に手配してくれよ。そうだ、一応そっちの連絡先も教えろよ」
そろそろ限界か。薄っすら目尻に溜まった雫が落ちる前に何とかしよう。本当は面倒だから避けたいけど、少なくともこちらに注意を向けることはできるはず。
特に親しいわけではないけど、目の前で顔見知りが虐められる光景は何となく気分が悪い。
「もうその辺に――」
柄にもなく腰を浮かして切り込もうとしたとき、もう一箇所でガタンと大きな音がした。そこにはもう1人の相席人が底冷えのするほどの雰囲気を放ち、腕を組んで立っていた。思わぬ乱入者に戸惑う不良。
「何だよお前。文句あんのか?」
「いや別に。たださっきから喧しい鳴き声が耳に入って来るから、猿が迷い込んだのかって気になっただけ」
「あ? どういう意味だコラ?」
売り言葉に買い言葉。高まる緊張に反比例して和気藹々とした空気が氷点下まで冷え込んだ。
同室の生徒たちも触らぬ神に祟りなしとばかりに、扉の外に消えていく。そうこうしているうちに冷気の中心はますます荒れていた。
「見たところ猿は居ないみたいだけどな。代わりに猿もどきはいるけど。ああ、一応注釈しておくと猿以上人間未満って意味だから」
「そりゃ俺たちのこと言ってんのか? 殺されてえのかクソアマ!」
ガツンと蹴り飛ばされた椅子が遠くに飛んでいくが、レシュリスカヤさんは少しもビビらない。どうやら囮役を引き受けてくれるらしい。
勝手に解釈した僕は取りあえず両者に挟まれ右往左往していた矢吹さんを気付かれないように誘導し、部屋の外に連れ出した。
「粋がるなよ。どうせお前ら素人だろ? 見た目だけ取り繕ってもバレバレだっつの」
「何言ってやがんだ? 俺らが女相手に手ぇ出せないとでも――」
「まず恐喝ってのはこんな人目に付く場所でするもんじゃない。やるなら路地裏が相場と決まってるんだよ。まあ、アドレス聞き出すには上等なこじつけだったけどな。チケットより連絡先の方がよっぽど価値がある。で、お前らあの子を呼び出して何するつもりだ? さっきの態度は明らかにファンじゃないだろ」
核心を突かれたのか不良たちは明らかに狼狽する。そこに更にレシュリスカヤさんが踏み込む。
「代わりといったらなんだけど私のアドレスなんてどう? 登録してやるから携帯貸せよ」
「は、はあ? 何言ってんだ。貸すわけないだろうが」
「私じゃ不満か? それとも携帯に見せたくない物でも入ってるのか? 心配するな。別に乳丸出しの女でも気にしねえよ」
中々に大胆な発言をしながら強引に不良から携帯を奪おうとする。だがそれを止めたのは意外な人物だった。
「レシュリスカヤさんもう止めて! 良いの。私はただチケットを頼まれただけだから」
いつの間にか避難したはずの矢吹さんが両者の間に割って入り、レシュリスカヤさんを押し留める。
「何言ってるんだ。こいつらはお前のこと――」
「本当に大丈夫だから。ほらもう時間だよ? 遅れないうちに集合しなきゃ」
腕時計を見せて有無を言わせずレシュリスカヤさんを連れ出す。その必死さに釈然としなかったが、レシュリスカヤさんは最後に不良たちを一睨みして大人しく休憩室から退出した。
不良たちも扉が閉まるまで僕らを忌々しげに見ていた。
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