第9話 路地裏のヒーロー
目の前にリュックが放り投げられる。開けっ放しのファスナーから中身が零れ落ちないように、僕は反射的にだが包み込むようにキャッチした。
放り投げた張本人は一瞥することもなく、正面を見据えたまま動かない。相対するはいかにもガラの悪そうな集団。
改造した制服にトライバル系のエンブレムが目立つジャージ、奢侈なアクセサリ、足元に落ちたタバコ。
キレッキレのアウトロースタイルは、それはそれは近寄りがたい雰囲気を隠そうともせず、目線は光線兵器でも着いているんじゃないかってくらいギラついていた。
だけどそんなギラギラレーザーを前にしても、傍らに立つ少女――ルフィナ・レシュリスカヤはどこ吹く風といった態度を崩さない。
場所はありきたりな地下駐車場。ただしスペースはガラガラ、出口は果てしなく遠くにある。
周りに人の気配はなく申し訳程度に設置された照明が僕らの影を濃厚に浮き立たせる。悪さするにはもってこいの立地だ。
だから一刻も早く帰らせてほしい。
「あのレシュリスカヤさん。まさか女の子が喧嘩するつもりじゃないよね」
「当然だろ。嬲り殺しだ」
駄目だ聞いてないよ。
「でも相手は複数だしこういうのは誰かに助けを呼ぶなりしてさ――」
「アホか。電波が届くところじゃねえし、その間にあいつが連れ去られるだろうが」
それは仰る通りなんですけども。これから先の展開を考えるとかなり都合の悪い方向に持っていかれそうなのは、たぶん気のせいじゃないと思う。
不良たちも同じ考えなのかレシュリスカヤさんにジロジロと視線を這わせ、そのうちの1人が
「何か用かよ姉ちゃん。夜のお悩み相談ならまだ早いぜ。何ならもっといい場所行こうや」
「その前に矢吹美鈴を返せ」
スッと細くなる目尻にその先の言葉が呑み込まれて消える。地上との気圧差で両者の間に吹きすさぶ風。
吸い込まれそうな音と気流は荒野の決闘ならぬ駐車場の決闘を惜しみなく演出してくれた。緊張感が増した舞台は余人の介入を許さない。
……今頃は大人しく家に帰っているはずだったのに、どうしてこうなったのか。
◆◆◆◆◆
例の芸術鑑賞会で起こったことはレシュリスカヤさんの機転で、面倒な連中がナンパしてきたのを追い払っただけという説明になった。もちろんチケットの強請りは伏せたまま。
個人的にはすごく気になるけど矢吹さんは沈黙を守り、下手に突くと藪蛇っぽいから僕も聞かなかった。
一応翌日は安全のために欠席になった矢吹さんだけど、家の周りに怪しい人影はなく変な電話もなかったそうだ。
「それって僕らに言っていいの? 事務所でも
「これくらいなら大丈夫。古賀君たちにも迷惑かけちゃったしね」
なんて言ってたけど本当に大丈夫なのかな。あの不良たちにしてもどうにか連絡先を聞き出そうと必死だったし、もう接触がないなんて保証はない。
彼らの携帯を見た矢吹さんの反応からすれば、何らかの弱みを握っているとも考えられる。
「……ゴシップか?」
賄賂、セクハラ、不倫……お茶の間に顔が知られているほど火の回りが早い厄ネタ。芸能人なら誰もが知られるのを避けたいそれを彼女も抱えているとしたら。
いくつか予想が浮かんだけどそこまでだ。これ以上は深入りすべきではないし、馬に蹴られて死にたくはない。
ついでに言えばこの暑さから逃れるのが最優先事項だ。
「あのクソ社長、いつか労基署に訴えてやる……」
間に合うよう早めに下校しようとしたが、社長からは多少遅れてもいいとありがたいお言葉を戴いた。途中で酒を買ってくる条件付きで。
こういうお使いは良くあることだからいい。両手がビニール袋で塞がる程度だ。ただし今回は何と総計15kg!
重い! 暑い! ビニールが手に食い込む! そして重い!
炎天下の中こんな大荷物を運ばせるなんてバイトを何だと思ってんだ。相変わらず酒屋の親父さんからはツケを返せと追い回されるし、汗の量が半端ないくらいヤバい。
パンツなんて尻に張り付いて皮膚に繊維が解けたんじゃないかって思うくらい境界線が曖昧になってる。
セミの鳴き声をひたすら聞き流すこと数十分。やっと目的地オアシスが見えてきた。あと少し、あと数メートルで冷房の効いたひんやり空間だ!
それだけを頼りにバンビみたいに震える両足を叱咤する。ところが神様は変なところで試練を与えてきた。
「ちょっと止めてよ!」
「おい、大声出すなって!」
建物の合間にある路地裏で女子生徒が若い男に絡まれていた。というか矢吹さんだった。両腕に抱えた紙袋を必死に守ろうとしている。
……悪いことは思いのほか連続するらしい。漫画でヒーローが登場するのに持ってこいのこの状況、「止めろよ。嫌がってるだろ」と決まり文句でも告げて颯爽と男を撃退できれば「キャー古賀君カッコいい!」なんて甘い展開も期待できるんだろうけど、生憎と僕はそんな柄じゃない。
いや待て。仮に負けたとしてもこういうタイプの子は
「ごめん。助けに来ておいてやられるなんて……」
「そんなことない。勝てなくても諦めずに立ち向かっていく古賀君、とってもカッコ良かった!」
「矢吹さん……」
「古賀君、好き……」
これだ!
逆転の一手が閃き、実行に移すべく物陰からタイミングを計る。なるべくクライマックスなところで登場したい。
あ、声量の練習とかしといた方が良いかな? それに決め台詞も考えないと。
「いいから大人しくしろって!」
「か、返して!」
今だ!
「面白いことしてるな。私も混ぜてくれよ」
予期しなかった第三者の声が耳に届き、タイミングを見失って盛大にズッコケる羽目になった。
声が聞こえたのは反対方向。つまり路地の向こう側。そしてそこに立っていたのは謎めいた転校生――レシュリスカヤさんその人だった。
大胆不敵に佇む姿は本人の容貌も相まってある種の威圧感が滲み出ている。いきなりの闖入者に気圧されたのか男は奪った紙袋を取り返そうとする矢吹さんの腕を放し、警戒態勢を取る。
「な、何だお前。こいつの仲間か?」
「そういうお前は誰だよ。ストーカーか? モテないからって女襲っても後でブタ箱行きになるだけだぞ」
「お前に関係ねえだろ!」
邂逅10秒で落とされた火蓋。言うや否や突っ込んだ不審者は大きく紙袋を振りかぶる……前に、放り投げられたショルダーバッグが顔に命中して呆気なくバランスを崩した。
無造作に当てたレシュリスカヤさんは空を切った腕を掴み、その手首を背中に回して捩り上げる。
「まだやる? 次はフルコースでスパーリングしてやっても良いけどな……ん?」
男の背中を見て何故かその拘束を解く。
「失せろ。今すぐに」
「く、くそっ!」
脅迫の仕方もテンプレなら逃げ方もテンプレだったのを見届けた後、レシュリスさんは壁に蹲っている矢吹さんに近付きそっとその肩を抱いた。
「矢吹さん大丈夫? どこか怪我してない?」
「う、うん。平気。ありがとう」
何だか完全に成宮レシュリスカヤさんがヒーローっぽい終わり方になってしまった気がする。心なしか矢吹さんの目が潤んでるし。一方の僕は勝手にスッ転んだだけの部外者。
うん、何て言うかバディもので出てくる冴えないボケ役みたいだ。
「で、そこで勝手にスッ転んだ間抜け」
まさか本当に言われるとは思わなかった。もう泣いていいかな?
「た、助かったよレシュリスカヤさん。でもどうしてここに?」
「決まってるだろ。お前の店で好きに飲み食い……ゆっくりとコーヒーを飲みたかったんだよ」
矢吹さんを気にして言い直したのか上手く聞き取れなかったけど、彼女の本心はしっかりと伝わった。もう完全に自分の城と思い込んでいるらしい。さっきの喧嘩劇といい、男には優しさの欠片もないヒーローだ。
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