第10話 気の毒な役回り

 とにかく移動し矢吹さんに寄り添って先を行く背中に追随してキャラハンに入ると、まだ客は誰もいない状態だった。相変わらずの閑古鳥だけど今はこっちの方が都合が良かった。


「なるほど……それは災難だったなお嬢さん」


 そう言って茶を啜るのはキャラハンの社長である菊池きくちさんだ。髭面という胡散臭い探偵の特徴を押さえてはいるけど、見た目はダンディというよりも野性的な成分が濃い。

 そのハードボイルドな風貌は昼よりも夜に映えるもので、バーボンが似合いそうだが当人はワンカップ派だ。


「すみません。ジュースまでご馳走になって」


「構わんさ。グラス1杯で泣き止んでくれるなら安いもんさね。しっかし坊主、お前いつの間にこんなカワイ子ちゃんたちとお知り合いになったんだ? もっと早く紹介しろよ。水臭ぇなぁ」


「そうやって茶化してくると分かってて、わざわざ僕が言うと思ったんですか?」


「何言ってんだ。高校生にもなって浮いた話の一つもないお前の将来を心配してやってるんだぞ。長い付き合いのくせしてそんなことも分からんのか?」


「なあオッサン。話の腰折って悪いけどさ、さっきまでの話聞いてた? この子すごく困ってるんだけど」


 相手が年長者でも変わらない態度で横入りしたレシュリスカヤさんにも感心するけど、この程度の悪態なら菊池さんは動じない。


「あー悪い。確かこんな経緯だったか。こっちのアイドルのお嬢ちゃんが帰り道にいきなり知らない男に路地裏に連れ込まれた。で、ヤバくなったところにこれまた偶然通りかかったこっちのデカい嬢ちゃんが鮮やかに男を撃退。めでたしとなったが何故か紙袋の中身が減っている、と」


 事実を再確認したは良いものの矢吹さんの表情は曇ったままだ。その場にあった荷物は全て持ってきたはずだから、十中八九さっきの男がどさくさに紛れて持ち逃げしたんだろう。


 紙袋に入っていたのはライブで使うための衣装だった。その一部が盗られてしまったわけだ。しかもただの布地じゃないらしい。


「今回のライブはリグセイル社の製品PRも兼ねてて、私の衣装もその試作品なの。確かサーモンなんとかっていう特別な生地を使ってるんだって」


「サーモクロミックのことか? 温度で色が変わるっていう」


「そうそれ! レシュリスカヤさん良く知ってるね」


「へえどれどれ……ほう、こんな薄い布がねぇ。時代は進歩したもんだ」


 机の上に広げられた白い布を興味深く見つめる社長。本人はその気がないだろうが傍目から見れば中年親父がドレスを物色しているようにしか見えない。

 ……アウトだろこれ。


「で、用意してるのはその1着だけだから……」


「代用は無理か。じゃあ警察に盗難届出せよ。解決するかは知らねえけど、出さないよりマシだろ。相手は顔見知りだろうから、すぐに見つかる」


「え? か、顔見知り? 何のこと?」


「あの場所は人目に付きにくいが、人通りの多い道のすぐ傍だ。仮にも人気アイドルが歩いていれば嫌でも目に付くし、怪しい男に連れ込まれたなら尚更印象に残る。でも通行人が騒ぐ様子はなかったとなれば、裏通りから入ったんだろうな。当然男もだ。強請られた後だっていうのに、迎えも呼ばない。なのに1人で危ない道を通っていたら、知らない男に連れ込まれた? 偶然で片付ける方がおかしいだろ」


「う……確かに裏通りから通ったよ。でもそれはレッスンに遅れちゃうから近道しようとしただけで――」


「どうだかな。大方その衣装も盗まれたとか言って実は隠してるんじゃないか?」


「違うよ! 本当に彼は勝手に持ってって……あ」


 しまったと顔に出たがもう遅い。言質は取ったとばかりにレシュリスカヤさんが詰める。


「彼、ね……少なくとも知らない人間じゃないってわけだ」


「う、うう……」


 いよいよ退路のなくなった矢吹さんがあからさまにしょげる。ここはいっそのこと煮るなり焼くなり好きにされた方が良いんじゃないかな。

 追い詰められたという意味ではさっきの路地裏の場面と大差ない気がして、何だか可哀そうにさえ思う。


 次の言葉を待つ空気の中、沈黙を破ったのは意外なところからだった。甲高い電子音が鳴り、矢吹さんがポケットから振動する携帯を取り出す。


「あ……マネージャーさんからだ。時間になっても来ないから心配してるみたい。ごめんね、私もう行くから!」


「あ、おい!」


 渡りに船とばかりに飛び出していった矢吹さんを捕まえようとしたが、レシュリスカヤさんは少し足踏みしただけで結局座り直した。


「追いかけなくて良いの? 折角手掛かりが分かりそうだったのに」


「怖い目に遭ったくせにあれだけ渋るんだ。多分これ以上はゲロしねえよ。それに手掛かりならもうある」


「え?」


 いつの間に? 君がやってたのってコーヒーただ飲みして矢吹さん脅しただけだよ?


「ま、後は私で何とかするから」


 そう言ってさっさと女性陣が帰った後のオフィスは、普段と同じなのにどこか物足りなく感じた。

 さっきまでのフレグランスの香りが消え失せ、埃っぽさと男臭さが鼻腔に刺さる。夢はいつだって覚めると儚く感じてしまうものだ。


「余韻に浸っているところを悪いが、お前さんはどうするんだ?」


 どうしようかなぁ。ぶっちゃけレシュリスカヤさんが僕の言おうとしたこと全部言っちゃったから、出る幕がない。


「社長は傍観ですか? アイドル相手なら鼻息荒くして依頼をもぎ取ると思ってたんですけど」


「さり気なく雇い主を変態扱いするな。それに俺は別件で忙しいんだ」


「……例の特別依頼ですか?」


 数年前から受けたある人物からの依頼。キャラハンは労働力の大半をその対応につぎ込んでいる。


「クライアントがうるさくてな。最近また妙な動きがあったらしい」


「……僕のやることは?」


「まだ何もない。強いて言うならさっきのアイドルちゃんの件だ。あの子にはだが、今回の結果次第では『幽霊狩り』に大きく影響が出てくる。俺たちにとっても山場になるだろう」


「……何かやだなぁ。同級生の女の子を騙して仕事って。週末だから休日出勤になるし。公務員のはずなのにヘコむなぁ」


「何のためにお前をクソ暑い砂漠から呼び戻したと思ってる。下っ端が一丁前に文句言ってんじゃねえ。かのビスマルクだって若者にこう言ったんだぞ。『働け、もっと働け、あくまで働け』ってな」


 社長が湯呑みを傾けると机の電話が鳴り出した。受話器を取るとすぐにこっちに放り渡す。そのにやけ面で相手が誰か分かってしまう。


「愛人がお呼びだぜ」


「だからあの人とはそうじゃないって何度も……はあ。もしもし姐御?」


◆◆◆◆◆


 階段を下りながら情報を整理する。今は制服の代わりにジャンパーとズボンのありきたりな格好だ。調査業務に学生服は目立ちすぎる。


 文字からお分かりいただけるように、僕はこの件に割り込むことになった。例のクライアント、つまり姐御からの頼みは極力引き受ける約束になっている。

 本当はとても面倒だけど。とても面倒だけど。大事じゃないけど2回言ってみました。


 さて衣装のパーツを探すにしても、圧倒的に情報が足りない。だから少し考えてみる。


 まずは泥棒。逃げ際でも盗むのを忘れなかったくらいだ。矢吹さんよりも衣装に執着していたのは明白。

 ただ目的がはっきりしている割に手口の方はお粗末だった。本当に奪うなら夜中に背後から実行した方が顔を見られるリスクは格段に下がる。知り合いなら尚更だ。


 その危険をわざわざ犯したのは何故か?


 顔が見られてもいい? 違う。それならあんなに慌てない。時間がなく仕方なしに昼に呼び出したというのがしっくりくる。

 では何に間に合わせようとしたのか。目下思い当たるのは先日の文化会館で因縁つけてきた不良たちしかない。


 あの不良たちも矢吹さんに近付き、何らかの弱点を盾に連絡先を聞き出そうとした。事前に計画しなければ出来ない。

 文化会館に来るというのもどこから知ったのか。高校の行事がネットに上がるのは終わった後だから、その動向を知る人間に前もって聞き出さなければならない。


 芸能事務所は有り得ないし、学校の線も薄い。あの見た目で聞けば不審者扱いだし、卒業生なら聞き出す必要もない。

 それに教師も大勢いるあの場をうろつけば、卒業生とすぐに分かってしまうはずだ。すると残るは泥棒だけになる。


 その前提で行くと疑問も生じる。不良たちに情報を漏らし自身も盗みをしたにもかかわらず、矢吹さんは通報しなかった。大事な試作品を取られたのに不自然過ぎる。


 ……少しだけ泥棒の正体が見えた気がする。確証はないがいずれにせよ追うだけの価値はある。しかし彼の人はすでに何処。スタート地点で詰んじゃった!


 というわけで対象変更。まずはあの会館だ。

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