第21話 フォーカス・in・麦ヶ丘
翌日。
テストも終わり夏休みまでのカウントダウンが近付き、ゆるりとした空気の校内で僕は1人緊張を走らせていた。
それは何故か。決まっている。例の陰口問題を調べるためだ。断っておくが別にレシュリスカヤさんの心情を慮ってではない。
それに付随して掘り出された彼氏疑惑。今はまだ燻っているけど、日の下に晒されるのは時間の問題だ。更に困ったことにその候補に僕がノミネートされているのだ。
最初は人違いと割り切れたけど、更新されるログを見る限り落ち着いていられる状況ではなくなってきている。
幸いにも普段の慎ましやかな(影が薄いとも言う)生活態度のお陰で、未だに正体は分かってないけど、大人しくやり過ごせるほど楽観主義者ではない。
ならば燃え上がる前に火元を特定できれば、男の影も自然消滅するはず!
そう意気込んで探りを入れようと思っているのだけど……
「誰に聞けばいいんだ……?」
早くも手詰まりつつある。情報収集の基本は人から直接聞くことだ。入手方法は複数あるが聞き込みは手堅い手段として定評がある。
警察が事件現場の周辺でやるのと同じだ。ただ信頼と権威でそれが出来る警察と違って、人付き合いが少なく最早空気と同化しつつある僕では声を掛けることすら難しい。
そもそも「レシュリスカヤさんの彼氏について何か知ってる?」なんて尋ねれば、少なからず僕自身の印象がその人に焼き付いてしまう可能性がある。それでは却って危険だ。
だからと言って何もしないままでは事態の好転は望めないジレンマがある。さてどうしたものか……。
「あれ? 古賀じゃないか」
聞いたことのある呼び声がつい先日のものと思い起こす頃に、諸星君がこちらに歩いてくるのが見えた。今日もキラキラしているけど、学年の殿上人が僕に声を掛けるなんてどういう気紛れを起こしたのか。
また名前を呼んでもらえた喜びよりも、警戒心の方が勝ってしまう。もちろん表情には出さずに、平静を装う。
「どうしたんだ? 何だか難しい顔をしてたぞ」
「そ、そうかな……うん、そうかも。何だか最近こんな噂が出回っててさ。クラスの雰囲気もちょっと居心地悪いって言うか……」
矢吹さんからコピーした文面を携帯で見せて言う。実際はそうでもないけど、理由としては不自然ではないはずだ。少し即興が過ぎたかとも思ったけど、意外なことに諸星君はすんなりと受け入れた。
「お前のところもか。俺のクラスも似たようなもんでさ、空気がピリピリしてるんだよな。まあ実際、噂の本人が居るから仕方ないかもしれないが」
そういえば掲示板の前で特進科がどうこうと聞こえた気がする。同じA組なら疑心暗鬼の度合いも段違いだろう。
「レシュリスカヤさんは大したことないって言ってたけど、クラスメイトを疑うのってあまり良い気分じゃないんだ。もうすぐ職場見学もあるし、嫌な空気を引きずりたくはない。微力かもしれないけど、俺に出来ることがあれば協力してあげたいんだ」
「それって聞き込みとか?」
「ああ。まだ目ぼしいネタは入ってないけどな」
何とも心優しいことだ。自己保身で動く自分が恥ずかしくなってくる。しかしこれはチャンスかもしれない。
顔が広く人当たりも良い彼を介せば、効率良く情報が手に入る。クラスの改善という目的もスムーズに話を進める一助になるはずだ。
「諸星君だ。こんなところで何してるの?」
「ああ、こんにちは先輩。実はですね……」
目の前では通りかかった2人組の女子が話しかけ、応じた諸星君が早速聞き込みを開始していた。
既に上級生にも顔が知られているようだ。隣にいる中二病もどきを全く気にしないあたり、学校のスターと話すのに夢中らしく、嬉々としているのが分かる。
……自分から声を掛けてきただけあって、割と可愛い部類の女子だ。パシられてもいいから彼氏にしてください。
「……というわけなんだけど何か知りませんか?」
「うーん、そうは言っても私たちもレシュリスカヤさんのこと大して知らないからなぁ……ねえ、確かあのときの放送って録音してたよね」
「あーそういえばしてたかも。ちょっと待ってて」
「放送?」
「2週間ほど前だったかな。昼休憩のときに『フォーカス in 麦ヶ丘』って特番の放送が流れてさ」
「ああ、不定期に有名人を対談形式でインタビューするっていうあの……俺はその頃部活のミーティングで忙しかったから聞いてないな」
「そこにレシュリスカヤさんが出たらしくて、面白そうだったからこの子が録音してたんだよね」
スピーカーモードにした携帯から複数人の話し声が聞こえ、その中から一際大きなそれが鼓膜を揺する。
諸星君が話している間に廊下の反対側に離れ、携帯を開いて無関係を装いながら僕は聴覚に神経を集中した。
『……そんなこんなで我が校の栄えある『フォーカス in 麦ヶ丘』も放送開始以来、様々なゲストをお迎えしましたが、今日は初の海外からの転入生と話題のルフィナ・レシュリスカヤさんに来ていただきましたー!』
『……どうも』
『いやーこの度は出演に承諾して頂きありがとうございます。まさか1ヶ月もアプローチを無視し続ける人がいたなんて、あまりのスルーっぷりに私別の何かに目覚めてしまうところでした』
『流石に放課後までうろつかれて家まで来られたら嫌なんで』
『その釣れない返事もステキ! それにしても噂通り凄い美人ですね。背もかなり高いし……よろしければ身長とか聞いても良いですか?』
『……174cm、です』
『モデルかよ! ロシアでも結構声かけられたんじゃないですか?』
『電話番号のメモを渡されたのは何回か。興味ないんで捨てたけど』
『おや意外に淡泊。では興味あるのは? 趣味でも構いませんが』
『読書とチェスボクシング』
『チェ、チェスボクシング?』
『そのままの意味だ……ですよ。リングで1ラウンド殴り合って、盤上で駒を動かす。これをどっちかが勝つまで繰り返すんです。殴ってKOしても良いし、チェスでチェックメイトしても良い』
『へ、へえ……ちなみに今は何の本を読んでますか?』
『カントの『純粋理性批判』』
『……中々高尚な趣味をお持ちですね。ではここでお便りが来ているので紹介しまーす! 『レシュリスカヤさんってスタイル抜群ですけど、何か特別なロシア式ダイエットでもしてるんですか? 食生活とか詳しい事教えてください!』……なるほど。美と食の狭間で苦闘する女性ならではの質問ですね。で、実際どうなんでしょう? 毎日コサックダンスしたりとか?』
『しねえよ。ダイエットだってそもそもしたことねえし。よく食べてよく動いてよく寝れば大丈夫じゃないですか? 動くのだって1日15kmくらい走れば何とかなる』
『いや、それってダイエットのレベル超えてますよね……』
これ流さない方が良かったんじゃ……と思うほど的外れというか珍回答な展開に、諸星君もやや苦笑い。「中々アクティブなコメントだな……」とお茶を濁したのはせめてもの優しさだろう。
「ウケるよねー。自己紹介にしてもぶっ飛びすぎ」
「それな。そんなに走ったら筋肉ダルマになるっつーの! この子、絶対盛ってるって」
いや、恐らく本当に走り込んでいるのだろう。でなければあの強さに辿り着けない。しかし事情を知らない先輩組の会話の応酬は続く。
「趣味とかも狙って言ってるよね。『漫画とかに流されない私って特別!』みたいな。意識高い系(笑)かよ」
「敬語不自然過ぎ。アナウンサーの人って確か先輩でしょ? 口の利き方くらい指導しろっての」
おおっと、審査員は揃って辛口評価。尖ったコメントがマイナス1ポイント!
「つかさー、あんなキツい顔で声掛けられたって信じられないんだけど。物好きっているんだね」
「裏じゃ違うんじゃないの? 放課後に誰もいない教室で愛想振ってさ。1回1万円でーす♡って」
「……待ってください。何の話か分からないんですが」
不穏なワードを怪しむ諸星君に意味ありげに笑う女子。
「えーだって最近あの子掲示板で変な噂流れてるじゃん。この前も告られたらしいけど本当は向こうから誘ってすぐに……って話らしいし」
「まあ外国の子って進んでるからそういうのも抵抗無いんじゃない? 相手もそこそこカッコいいから目を付けたんでしょ」
「……彼女はそんなことしないと思いますよ」
静かだが低く抑えたような言葉に、ほんの僅かな間が空く。背中を向けているから諸星君がどんな顔をしているかは分からないけど、先輩たちのネガキャンが止まるには十分な圧があった。
「噂はあくまで噂でしかないですからね。それにこの手の話題って大抵尾ひれが付き物ですし」
「だ、だよね〜。本当は告られてないかもだし」
「実は私もカントにハマっててさ~。やっぱり資本主義は打倒すべきだよ。うん」
いやカントって哲学者だし。それ言ったのマルクスだし。というか現代社会を全否定しちゃったよ。この人将来は革命家にでもなるのか?
「あ~でもテストの方はどうかな? もしかしたらそっちから先に流れて告った云々の話に――」
「先輩方は知らないかもしれませんが、レシュリスカヤさんいつも図書室でギリギリまで勉強してましたよ。俺も時々使うから見ただけだけど。それにうちの学校、情報管理とか厳しいみたいだから問題のリークもあり得ないんじゃないかなぁ」
「確かに! ウチらのクラスの男子もさぁ、『テストマジムズい! カンニングしねえと死ぬわ!』とかほざいてたけど、勉強しろよって話だよね。ホント男って馬鹿ばっか。あ、諸星君は違うからね!」
流石学年トップは信頼がある。もっとも慣れているのかお世辞には聞こえない熱量を諸星君はさらりと受け流した。
「色々とありがとうございました。もし他に何か分かったことがあれば教えてください」
軽く会釈してその場を行き去る彼の背中を僕もさり気なく追うと、曲がり角で待ってくれていた。
「……レシュリスカヤさんって上級生受けが悪いみたいだね」
「彼女、大抵1人でいるからそうそう絡まれることもないと思ってたんだが、予想以上だな。多分噂が拍車をかけてるんだろう」
「でも諸星君は同じクラスだからそんなの嘘だって分かってるし、レシュリスカヤさんも心強いんじゃないかな」
「そう思ってくれてると良いんだけど、あんまり話せてないからな……」
分かる。普通に歩いているだけでモーセの海割りみたいに通行人が遠ざかるほど威圧感あるし。あの中で普通に話しかけられる矢吹さんは改めてヤバいと思います。
「まあ最初にしては上々の戦果だ。俺は他の場所を当たってみるよ。古賀はどうする?」
「うーん、このまま付いていったらおもしろ……有益な情報が聞けるだろうけど、僕は僕で用事があるから遠慮しておくよ」
「そうか。そっちでも何か分かったら教えてくれ」
階段を上って別の階に行った諸星君と別れ、僕は携帯を取り出した。選ぶ番号は絶賛神推し中のマイラブリーエンジェル矢吹たん。
今は幼馴染とかいう下らないしがらみに囚われた男と交際中だけど、男の浮気が発覚し(←予定)、悲しみに打ちひしがれているところを僕が紳士的に慰め(←予定)、甘酸っぱい恋が始まるのだ(←予定)。
何だったら伝説の
「もしもし矢吹さん? ちょっと聞きたいことがあるんだけどいいかな」
『古賀君? 急にどうしたの?』
「ほら例の虐めの件なんだけど、この前変な人だけど当てがあるって言ってたよね。出来たら紹介してくれないかな? もしかすれば解決の糸口が見つかるかも」
『本当!? でもかなり混乱すると思うよ。結構癖のある人だから』
「平気だよ。職業柄、癖の強い依頼人もたくさん見てきたし。で、どんな人?」
『保健室の先生なんだけど、生徒の相談に親身になってくれるから情報通で有名なの。今回のことも何か知ってるんじゃないかな』
「保健室だね。行ってみるよ」
『任せっ放しでごめんね。私も手伝ってあげたいけど、マーシトロンに止められちゃったし……』
「システムの判断だから仕方ないよ。僕でお役に立てるなら本望さ。僕らの将来のためにもね」
『え? 今なんて?』
「アディオス」
ここで彼氏疑惑に僕も引っ掛かったら矢吹さんも悲しむに違いない。今のうちに都合の悪いことは闇に葬っておくべきだ。
次の情報源を確保するために僕は保健室に出向くことにした。
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