第22話 キャットファイト

「……だからさ、しらばっくれるの止めなよ。もうみんな知ってるんだから」


 保健室の主に会いに行く道すがら、どこかで聞いたような声がした。出処は月数回の特別授業以外入らないデジタルメディアルーム、もといコンピュータ室だ。

 無断で入れる場所じゃないから誰かが許可を取って使っているということになるけど、この様子じゃ真面目にキーボードを叩いている訳じゃなさそうだ。


 好奇心に負けて扉の窓枠から様子見すると、室内には数人の女子が何やら険悪な雰囲気で話し込んでいた。

 その中心で足を組んで椅子に座るのは、一躍時の人となったレシュリスカヤさん。いつも通り、というよりいつも以上に機嫌が悪そう。

 その前に立ちはだかるのは意外や意外、E組のトップカーストの一角に並ぶ御子柴さんだ。更にその周りには4人ほど女子が控え、囲いを作って退路を塞ぐ。


「しらばっくれるって何が?」


 早く終わらせろと面倒臭さを前面に押し出してレシュリスカヤさんが聞き返す。


「は? あんたが誘惑して男食ってんでしょ? この前なんて告ってきた先輩と寝たらしいじゃん。大胆にも体育館で」


「誘惑? 寝た? デマに決まってんだろ。そこらのネジの緩い馬鹿女と違って私は暇じゃない。今だってこうして情報の残りの課題してるんだ。邪魔だからさっさと帰れ」


「そんなの先生に頼めばいいじゃん。簡単っしょ? ちょっと一緒にお昼寝でもすれば、課題もテストの点も融通してくれるんだからさ」


 分かりやすい挑発にクスクスと女子たちの含み笑いが乗る。それに対する返答はため息から始まった。


「お前、この学校がマーシトロンを導入している意味を理解してるか?」


「何はぐらかそうとしてんの? あんたこそあたしの言葉理解してる? あ、日本語難しくて分かんないか。ごめんごめん。次から簡単な話し方にしてあげまちゅからね〜」


「ちょっと乃亜ってば幼稚園児が相手じゃないんだからw」


「別にお前がどんな話し方しようが構わないけど、端から見れば頭悪いって思われるぞ。ただでさえ馬鹿っぽいナリしてんだから」


 取り巻きの相槌にも耳を貸さず、レシュリスカヤさんはあくまで淡々と返す。手慣れてるな。相手のペースに乗らないように意識している。


「レシュリスカヤさんさぁ、そういう言い方だから友達いないんだよ? 人のこと馬鹿にする前に自分のイタさに気付いたら?」


「底の浅い奴らとツルむくらいなら今の方が気楽だ。で、さっきの質問の答えは出たか? 分からないなら分からないって言えよ」


「何こいつ、ウザ……そんなのみんなが快適な学校生活が送れるようにするためでしょ。システムが脳の動きを調べて夢の中でストレスを消してくれるっていう。性格とかで適性も分かるから、あたしもマーシトロンの推薦で読モの仕事してるし、こういう環境じゃなきゃ中々来ないチャンスだから結構使えるよ。そういうのを全部無駄にしたどこかの誰かさんと違って。ねえ?」


「乃亜ちゃんマジ可愛いよね~。昨日ミンスタでアップした画像見たけど、スタイル超良いし!」


「ウチらと根っこから違うよね。秘訣とかあるなら教えてよ。あ、でもどこかの誰かみたいに走りまくるのはヤだよ?」


 女子って怖ぇ……。あの放送から拾ったネタで遠回しにイジる御子柴チームから黒いオーラがガンガン出ているのが分かる。

 っていうか中心にいるのにレシュリスカヤさんよくあんな涼しい顔できるな。メンタル鋼どころかダイヤで出来てるんじゃないの?


「パンフの中身をコピペしたみたいな回答だな。そんな答えの時点でお前らはボンクラ確定だ。話にならない」


 ターンがレシュリスカヤさんに回った。その言葉に御子柴さんらが静まり返り、毒々しいオーラが刺々しいのに変わる。


「何言ってんのキモ。コピペって麦ヶ丘はそういうところじゃないの? あんたの方こそ頭大丈夫?」


「そういうところだからだ。マーシトロンの恩恵を受けるには脳のデータを定期的に更新する必要がある。それは教師も生徒も同じだ。もしも私が教師の誰かとヤッたなら、同時期に同じホルモンが分泌されたデータが揃うはずだ。それだけで決定的な証拠にはならないが、学校側が疑うには充分だろ。世間体もあれば特に厳しいだろうからな。事実確認のためにSNSやメールを探られてアウト。百害あって一利なしだ」


 その特殊性もあって教育界でも注目を集める麦ヶ丘高校は当然優秀な教員が多く、キャリアに箔を付ける意味でも異動して教鞭を執りたいという人も多い。

 そんな意識の高い人間が簡単に経歴に傷を残す真似をするだろうか。レシュリスカヤさんの発言通り監視が行き届いているこの高校で、その選択は余りにもリスキーで不自然だ。


「試験にしても問題の内容が分かってるなら、1位とは行かないまでも10位くらいは狙えるはずだ。少なくとも私だったら今回みたいな半端な順位は取らない」


「だ、だから何だっての!? 先輩を誘ったのは変わらないし!」


 あ、そっちの方に切り換えるんだ。


「あー体育館の話か。言っとくけどあそこ監視カメラあるぞ」


「えっ!?」


「あれを見ろ」


 思いがけない言葉に意表を突かれる一同をすかさず畳み掛ける。指差したのは天井の隅にある黒い半球状のガラスに覆われたカメラ。今も彼女たちの方を向いて記録し続けている。


「はっ、あんなの誰でも気付くし。体育館には1つもありませんけど」


「あのカメラはブラフだ。稼働中の赤ランプが点いてない。本物は室内後方の時計。一部だけ微妙にレンズが反射してるだろ」


 言われてみれば確かにデジタル表示の中心部分が少しだけガラスの反射光を二重に帯びている。

 女子勢も注目すると気付いたらしく「ホントだ」「うそ、マジ?」等々の反応があった。その間をレシュリスカヤさんは逃さない。


「よくある威嚇効果を狙った設置の仕方だな。前方にも時計があるのにわざわざ同じものを反対側にも置くなんて不自然だから分かりやすかったけど。大して使わないここにもあるんだから、体育館なんて何個あるやら」


 ましてそんな場所で事に及ぶ確率は皆無。当然の帰結にぐうの音も出ない取り巻きの中で、しかし御子柴さんはなおも食らいつく。後には引けないというような焦りを出しながら。


「分かんないし。そういうのがない場所でこっそりシたって――」


「時間帯によっちゃ警備の巡回だってあるのにか?  随分とスリリングなのがお好みなんだな」


「なら学校の外で――」


「おいおい証拠なしの当て推量って一番ダサいぞ。私は無実の証拠なんていくらでも出せるが、そうなったら最後にツケを払うのはお前らだからな」


 最初はただの言い掛かりだったのに、いつの間にか立証がどうのと必要以上にスケールがデカくなってる……詐欺師の手口だぞそれ。

 ただ露骨な脅しは効果抜群。御子柴さんの動揺がグループ全員に伝播し、序盤の勢いが明らかに落ちている。


「……どうしても私を淫売扱いしたいらしいが、仮に百歩譲って私がそいつと付き合ったとしてお前らに何のデメリットがある? まさか狙ってたとか――」


「は!? 有り得ないんですけど!」


 すぐに御子柴さんが否定するが、これは罠だ。敢えて不明瞭なヴェールで覆っていた言い掛かりの理由に浸け込む隙を与えてしまう。


 勿論、レシュリスカヤさんの次の台詞は――


「じゃあ何で?」


「……」


 言葉に詰まった御子柴さんが俯き、肩を震わせる。目の端に光る物を浮かべる彼女をよそに、他の女子もいつ自分に矛先が向くか気が気でない。

 レシュリスカヤさんの方は興味が失せたようで、PCに集中し始める。勝敗はついた。もう十分だろう、と腰を上げて扉から離れようとすると、何故かレシュリスカヤさんが御子柴さんに向き直った。


「つーかそもそもお前誰? 初対面のくせに難癖付けるって随分な挨拶だなおい」


「~~~っ! あんたねぇ……!」


 ボロクソにされてからの追い打ちに、半泣きだった御子柴さんの感情が振り切れ反射的に手が伸びる。

 まさかの実力行使かと思いきや、それよりも御子柴さんの眼前に指先が突きつけられる方が速かった。


「……後先考えずに手ェ出すなら喧嘩なんか売るな間抜け」


「う……」


 一段と冷たい警告に青くなった御子柴さんが後退り、押された取り巻きの1人が尻餅を着く。今度こそ矛を収めたレシュリスカヤさんは画面を見つめ、さっきよりも幾分か抑えた声で告げた。


「用事が済んだなら失せろ。作業に集中できない」


 提示された逃げ道に女子たちが従い、お通夜みたいな雰囲気で教室を後にする。急いで物陰に隠れたから気付かれなかったけど、何人か嗚咽してた。相当怖かったんだろうな……気持ちは分からなくもない。


「女の泣き顔を覗き見か。いい趣味だな」


「へ? あっ……」


 いつの間にか傍に立っていたレシュリスカヤさんが微笑む。ニッコリじゃなくてニヤリの方だけど、僕からしたらギロリと大差ない。


「無糖を頼んだはずなんだけど」


「売り切れだったのでそれで我慢して……」


 矢吹さんに覗きをチクられない代わりに缶コーヒー1本で手を打ってもらった。飲食禁止の室内でカメラに映らない角度で、平然と微糖の蓋を開けるレシュリスカヤさんに先程の喧騒を引きずっている様子はない。


「アイドルのゴシップの次はキャットファイトの取材か? 探偵よりもタブロイド記者に転職しろよ」


「だから偶然だってば……しかしまあ、ひやひやしたよ。あれだけの熱戦はそう見ないからね」


「あんなの蚊が飛んでくるのと変わらねえよ。日本人ってのは雰囲気にビビり過ぎだ」


「じゃあ君の地元は違うってのかい?」


 ムッと来てつい言い返すと薄く笑っていた彼女から表情が抜け落ちた。窓から射す逆光に部屋全体が塗り潰される中、あらゆる負の感情が凝縮した双眸が揺らめいて見えた。


「……ビビった奴から死んでいったよ」


 空調とハードディスク以外駆動しない空間で、その呟きは奇妙な重力を持って床に溶けた。冷やかすという考えも及ばず沈黙に陥っていると、彼女はバッグに荷物を詰め込み席を立った。


「課題も終わったから帰る。古賀も出ろよ」


「あ、待って。僕も少しだけ調べ物したいから使っていいかな? 鍵は後で職員室に返しておくから」


 何となく一緒に出るのが躊躇われ残留を申し出ると、扉が閉まる直前にタグ付きの鍵が飛んできて僕の手に収まった。

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