第20話 マーシトロン

「マーシトロンを使うってどういうこと? 古賀君何か分かるの?」


「まだ何も。だけどもしかすれば手掛かりが見つかるかもしれないと思ってね。レシュリスカヤさんのアカウントでログインしてくれないかな? 僕は不適合者だから登録してないんだ」


「私もそうしたいのは山々だ。でもデータの総量が最低ラインに達してないって言われたから、登録は控えてる」


 たった一言でチャンスをぶち壊しやがった……。僕みたいな不適合者はともかくあんな便利なもの使わなきゃ損でしょ。


 リンクシティで生活するなら免許証より大事なものだが、脳活動から性格的傾向や深層心理を正確に診断するには累積した膨大なデータが要求される。

 登録者の大半は長年この街で暮らしているから問題ないが、海外から来日した彼女では圧倒的にデータが不足しているわけだ。


「仕方ない……。悪いけど矢吹さんのアカウントでログインできる?」


「うん。ちょっと待ってて」


「マーシトロン……夢を生み出す人工知能。ただのプログラムに従うヒューリスティックマシンとは違う真の知性に迫る電脳ってやつか」


 矢吹さんが携帯で専用の画面を呼び出すのを隣でしげしげと観察するレシュリスカヤさんの表情は、物珍しいというより何故か訝し気な感じだ。

 まあサービスの公表がされた当時もマーシトロンの性能に疑問を持つ人が多かったのを振り返れば、別に不思議なことじゃないかもしれない。


 それにしても随分と詳しいな。理数系が得意なのは分かったけど、コンピュータの勉強でもしていたのだろうか。


『ユーザーコードを確認。マーシトロンのご利用ありがとうございます。またお会い出来ましたね』


 聞く者の心に染み入るような鈴の音と共に現れたのは、柔らかに微笑む女性だった。光を織り込んだように輝く銀髪の下に位置した端麗な顔立ちは、きめ細やかな肌の艶もあってまさしく透き通った美しさを醸し出している。

 しかしコンピュータグラフィック特有の過剰な美への気味悪さはほとんど感じられず、慈愛に溢れた眼差しは母性そのものと言えるほど完成されていた。


 実によく出来ている、というのが彼女――マーシトロンの標準的仮想人格インターフェイスの第一印象だ。表情も声音も相手を労わる絶妙なラインを心得た配分が成されている。

 瞬きの仕草さえプログラムとは思えないほど自然で、寧ろそう思うことこそが不自然と感じられるほど人間的だった。


「これでどうするの?」


「少し借りるね」


 了承をもらい軽くズボンで手を拭ってから、矢吹さんの携帯を拝借。いくつかのコマンドを入力しQ&Aコーナーからリグセイル社が管轄する統計調査用の検索モードを呼び出す。


「あれ? こんな機能あったっけ?」


「一般的には知られてないけど、こういうのに詳しい知り合いに教えてもらったんだ。ちょっとしたコツがあってね。さて、絞り込む条件は……過去3ヶ月間に麦ヶ丘の生徒で怒りを抑制する仮想夢を見た人をリストアップ」


『……542件が該当。申し訳ありませんが個人情報保護の観点から氏名と夢の内容に関する公表は控えさせていただきます』


 深々とした一礼で誠意のある姿勢を示すマーシトロン。単なる音声ガイダンスとは一味も二味も異なる対応だ。リンクシティの顔役に相応しいシステムを生み出さんとした開発スタッフのこだわりが垣間見える。


「結構あるな……。しかもフィルタリングされているから詳細は分からない。どうするんだ? 古賀」


 レシュリスカヤさんがどこか試すような口振りで促す。腕前を拝見させてもらおうというわけか。こういった多数の事例を前にした場合、対処法は2つ。虱潰しに探すか、更に条件を追加するかだ。

 夢にはその人の潜在的欲求が現れやすいという。密かに攻撃したいという気持ちを計測した者の中から、夢の中身を具体化すればまだ絞り込める余地はあるはずだ。


「検索ベースを仮想夢から補償夢へ。他者への反骨心、特に攻撃的兆候を有した夢を見た生徒をチェック」


「ねえ、補償夢って何?」


「心理学で用いられる概念だ。内包した強い願望や欲求を夢の形で実現することで、心のバランスを保つ働きがあるらしい。泳ぐ夢なら海に行きたいっていう感じにな」


 矢吹さんの質問にレシュリスカヤさんがすっと答えた。単なる物知りって言うより雑学博士だな。ミリオネアに出たら結構良い線行くんじゃないか?


『……67件該当。パターンによって更に細かな感情のタイプに類型化できますが、実行しますか?』


 益体のない思考を浮かべているとマーシトロンが報告してくる。思ったよりもふるい落とせたようだ。このまま選択を実行すれば更に絞り込めるだろうけど、分類が細か過ぎると却って判断に困る。だから今度は逆方向からの推測で一気に特定する。


「逆補償夢で重複して検索。他者による受動的なアクションを中心に追いかけられる、又は襲われる等の夢が現れたケースを洗い出して」


「逆補償夢って?」


「恐ろしい夢や嫌な夢を見た場合の概念だな。心の中で恐れている事態を夢で予め体験しておけば、現実でそれが起こったときに少しは冷静さを保てる効果がある」


 もし虐める対象が地味な子ならやり返される可能性はほぼ皆無だから、逆補償夢なんて見ないだろう。でもレシュリスカヤさんはその真逆。軽視よりも畏怖されるタイプだ。

 犯人が報復を恐れて直接揶揄うのではなく、間接的な方法で攻撃しているのが証拠だ。どんなに強気でも胸の内には突き止められるかもしれないという不安があるに違いないと踏んだ。


『……11件該当』


「あ、かなり減った! もうほとんど特定できたんじゃない?」


 希望が見えてきたが、まだ多い。確信を得るためにももっと減らしたいところだ。でも追加できる条件がこれ以上思いつかない。

 何か見落としがあるんじゃないかとも思ったが、1人でアイデアを捻るには限界がある。ここは当事者の力を借りるのが妥当だろう。


「レシュリスカヤさんって学校で喧嘩とかしてないよね?」


「知らない。クラスメイトは連絡事項以外話さないし、最近は美鈴とテスト勉強漬けだったからな」


 何それ聞いてない。宿題代行してもらったり、学年首位にサポートしてもらったり、アイドルと勉強会開いたり……見た目の良い輩は勉強でも優遇されるのか? 格差社会って辛いわー。


「ん~じゃあ誰がやったんだろ? もうちょっとで何か分かりそうなのにぁ……」


「あ……そういや少し前に知らない男子から呼び出された。用事があるくせに呼びつけるとかふざけてんのかって思ったけど」


 ふと思い出したように呟くレシュリスカヤさんに、矢吹さんは目敏く反応した。


「呼び出しってまさか……」


「告られた」


「キャー!」


 飛び上がらんばかりに矢吹さんが浮き立つ。さっきまでの真面目なトーンは何処へやら。すぐに恋バナという名の尋問が始まった。


「いつ!?」


「先月末。放課後に」


「どこで!?」


「体育館の裏だったかな。クソ暑かった」


「どんな人どんな人!?」


「何かやたら偉そうな奴。『転校したばかりで心細いだろ。付き合ってやるよ』って……なあ、これ関係あるのか?」


「何言ってるの? 事件を解決するための超重要証言だよ。で、どうなの? OKした?」


 虐めの相談そっちのけで矢吹さんが目をこれ以上ないってくらいキラキラさせる。女子ってホントこの手の話題に食いつくよなぁ。前に座る非モテ野郎の存在も忘れるくらい熱中してる。


「断った。見ず知らずの男から急に付き合えって言われて、すんなり受け入れるほど飢えてないし。返事する前に連絡先渡されたときはマジでウザかった」


 聞き始めはよくこの子にアタックしたなぁ、なんて感心したけど、この分だと相手も相当アレな人らしい。興味本位でちょっと聞いてみるか。


「ちなみに何て名前の男子?」


「かなり前だったからな……。高尾って言ってた気がする」


 うん知らね。出来ればさっきの学校パートで出てきた男子のどれかだったら一件落着だったけど、こりゃお手上げだ。しかし現時点ではその男子が最も怪しいことになる。

 異性に対する嫉妬は長ずればストーキング等の危険行為にも抵触する可能性がある。仮想夢を以てしても解消できないほどの強い感情だ。悪化する前に突き止めた方が良い。


「更に重複検索。補償夢で特定の女子に執着心の強い傾向を示した男子を上げてくれ」


 これだけ具体的に絞れば充分だ。嫌がらせの程度や規模から考えても犯人は1人か2人。個人情報は開示されなくてもマーシトロンに事情を説明すれば、状況を推察して犯人に対し予防措置として高度な仮想夢治療とカウンセリングを組んでくれる見込みがある。


 ところが、結果は予想外の展開となった。


『該当するデータがありません。検索条件の再設定を推奨します』


「え? 何で?」


 僕の疑問を代弁するように矢吹さんが反応する。該当がないということは前提条件が間違っていたか、どこかに見落としがあったということだ。

 現時点の情報を再考察しても抜け穴があったとは考えにくい。すると前提が途中からズレたのか? いやまだ情報が足りないのかも……次々と思索を巡らせながら、精査を始める。


 もし情報があるとすれば残るは掲示板だ。過去ログを念入りに調べるうちに、僕の勘がそこに一定の傾向があると告げていた。

 そのキーとなるレシュリスカヤさんを見ると彼女も同様の考えに至っており、携帯で表計算ソフトに掲示板のデータを入力してパターン化を進めていた。


 もしこれで勘が裏付けされれば、


 ただ量が膨大だから時間が必要になる。ここはパソコンにも強い彼女に任せるのが妥当だ。というか元々はレシュリスカヤさんの問題だ。協力を頼まれるわけでも本人の意思を確認したわけでもないのに、勝手に詮索を深めるべきじゃない。


『ご希望であればリグセイル社が販売するカートリッジタイプの仮想夢パックをご案内させていただきます。本システムが提供する仮想夢がご期待に添えない場合やトラブルなどで受信できない場合、お手持ちのe-ピローに差し込むだけで手軽に仮想夢をダウンロードできる製品です。どのタイトルも専門のカウンセラーが監修しており、ユーザーレビューも高評価をいただいています』


 マーシトロンも検索の経緯から状況を推測し、臨時の対応策を奨めてくる。他にも即効性に定評がある心理療法を施す医療機関等の連絡先も添付する手の込みようだ。

 だがそれでは根本的解決にはならない。虐めが長引けば長引くほどストレスは増大し、より強力な癒しを求めるようになるだけだ。


「別に要らない。生憎とe-ピローも買ってないからな。これまで変な夢も見てないし、今のままで平気だ」


 本当にどうでも良さそうにレシュリスカヤさんが話を打ち切り、新ガジェット・マーシトロンちゃんもちょっとしょんぼり気味。不憫な……。


「えーそんなー……やだよ。ルーちゃんが悪く言われるままなんて」


「改めて言うけど私気にしてないから。こんなこと何度もあったし、ある程度目星も付いてる。それに変に踏み入って美鈴を危ない目に遭わすわけにはいかないしな。私の問題なんだ。ケジメ付けるのも私なのが筋ってもんだろ」


 頼もしさすら感じる余裕を浮かべ、景気良く紅茶の残りを飲み干し、バッグを肩に担いで立ち去る背中は番長的オーラが滲み出ていた。やだ、かっこいい……。


「ルーちゃん大丈夫かな……無理しないと良いけど」


 十中八九心配ないと思う。常識に囚われない発想で居場所を割り出し、数の不利を屁にも思わなかったレシュリスカヤさんのことだ。寧ろ相手の方が気にかかってしまう。


「でもやっぱり……ねえ古賀君、虐めの事こっそり調べてもらえないかな?」


「へ?」


 待ってほしい。コンサートの件は居合わせたノリでお供したけど、今回は完全にノータッチだ。れっきとした部外者のはずだ。


「ルーちゃんはああ言ってるけど、友達を悪く言われるのは私も腹が立つの。段々と日本の生活にも慣れて来たのに、これじゃあ可哀想だよ。古賀君もルーちゃんと仲良いでしょ? 人手が多い方が早く解決できるよ」


「そりゃそうだけど僕なんて役に立たないよ。もっと頼りになる人だったら矢吹さんの周りにも居ると思う」


「当てはあるんだけどちょっと曲者っていうか変人っていうか……古賀君なら目立たずにさり気なく調べられる気がするの。私の勘が告げてるの」


 出た。女性のみが備える高感度センサー『女の勘』。根拠も理屈もすっ飛ばして「ただ何となく」で結果に辿り着いてしまう非常に厄介な代物だ。

 しかも何やかんやでそれが真実だったりするから質が悪い。


 再びピコンと矢吹さんの携帯が鳴る。何か新情報かとログを見るとそこには驚愕のメッセージが。


『そういえばこの前レシュリスカヤが男と一緒なの見た』


『そうそう。うちの制服着てたね』


『ってことは彼氏!?』


 彼氏なんてあの子に居たっけ?


 校内では相変わらず浮きまくってるし、居たとしたらこんなところで油を売ってたりはしないはずだ。


「矢吹さん心当たりある?」


「ううん。全然そんな話聞いてない」


 現状最も近しい矢吹さんでも知らないとなると一体どこのどいつだ?


 一方チャットルームもタイムリーな速報に続々と舞い込む目撃情報の数々。そこにある一文が僕の注意を引いた。


『少し前に文化会館で――』


 少し前、会館。ふむ。どこか縁を感じる言葉だ。そういえばあのときも、大勢の前で同じテーブルに着き――


「古賀君、どうしたの? 汗が凄いことになってるよ」


 マズい。何かとんでもない事態になっている気がする。具体的には僕の平穏な学校生活が崩壊する類の。


「嘘だろ……」


 呆然とした僕の呟きをよそに、チャットルームの暴走は着々と進んでいた。

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