第19話 ルフィナ潰し

「いらっしゃ……何だレシュリスカヤさんか」


「何か文句あるか?」


 扉のベルを鳴らして入ったのはすっかり顔馴染みになった21位の人。でも気にしない。何故なら隣にはもう1人の常連客が居るから。


「古賀君、こんにちは」


 今日も今日とて童顔で笑顔を振りまく矢吹さんは、先の誘拐事件の後、頻繁にキャラハンに顔を出すようになった。「何か探偵事務所って秘密基地っぽいよね」という良く分からない理由で出入りしている。

 男ばかりだったから職場に華を添えるという意味では貴重なお得意様だ。もう1人忘れてる? あれは女子にカウントしません。怖いし。


 意外にもレシュリスカヤさんともちゃっかり打ち解けて、今では「ルーちゃん」「美鈴」と呼び合う仲だ。一体どんな手品を使ったのか。


 そんなお喋りに興じる2人にお茶を提供し、時折雑談に混じるのが今の僕の定位置。この中で変わったことと言えば、7月に入って装いが夏仕様になったことだろう。

 半袖からほっそりとした肌を覗かせる矢吹さん。可愛い。写真撮りたい。


「ねえ、テストどうだった?」


 いつもなら日中の出来事や最近のニュースで終始することが多いけど、今日は結果発表とだけあってこの手の話で持ち切りになる。特に隠す必要もないので僕は正直に平均点を貫いたことを伝えた。


「そっかぁ。でも全部満遍なくって感じだね。古賀君は苦手科目とかないの?」


「強いて言えば全部苦手じゃないけど得意でもないよ。まあ、赤点取らないだけマシかな」


「私なんて文系しか出来ないよ。数学とか物理とかさっぱりだもん」


 そう言って見せてくれたテストの成績は国語や社会で健闘しているが、数字や公式を使う問題は空白も多い。なるほど確かに好き嫌いがはっきりしている。


 あくまで一般論だけど女性は理系科目が不得手というイメージに偏りやすい。矢吹さんはその典型例だ。

 一説によればまだ農耕よりも狩猟が盛んだった時代、男が獲物を探し求める間、住処を守るのは女性の役目だった。

 命の危機を伴う狩りの現場で身を守るために合理的に事に当たる必要があった男に比べ、女は互いに日々の苦労を語り合うことで共感能力を発達させたという。


 だけど今の時代、女医さんなんて珍しくないし、男でも数学嫌いは沢山いる。

 興味の違いもあるし、苦手と言っても知らないうちに数字を使う場面なんていくらでもある。例えば菓子作りは僅かな材料の比率が味を大きく左右する数字にうるさい分野だ。


 そしてこの直後に僕はその一般論にヒビがあったことを知る。


「その点、ルーちゃんは良いよねー。初めてなのにいきなり上位に食い込んでるんだからさ」


「美鈴が日本語の読み書きに付き合ってくれたお陰だろ。あれが無かったらこんな風になってなかった」


「ふふーん。じゃあ功労者の私にその内訳を見せてくれたまえ」


 頭を撫でられ上機嫌になった矢吹さんの催促に、気前良く紙が差し出される。

 まだカタカナに不慣れなのが分かるやや下手くそな名前の下に書かれた答えは、古文や日本史のようなある程度日本文化に親しんでないと理解の難しい部分を除けば、中々の出来だ。


 ただ、彼女があの順位になれたのは全く別の要因だった。


「何これ……」


 動揺を隠せない矢吹さんが見ているのは数学、理科、英語のテスト用紙。そのどれもが限りなく満点に近い。点が引かれている箇所も日本語が変とか答えだけ書くなとか見逃してもいいくらいの凡ミスだ。


 更に矢吹さんは気付いてないけど、大学入試レベルに相当する数学の最後の問題はまだ習ってない解法パターンで埋め尽くされ、意地悪で出た理科の説明問題に至っては絶対高校では教えないだろうと思えるほどの複雑な展開図や式のオンパレード。


 少なくとも「ちょっと授業内容先取りしちゃいました」で済むレベルではない。一体何者なのこの子……。


 「今度から私の専属教師になって!」と懇願する矢吹さんだったが、机の上に置いた携帯が鳴り手に取ると、ちょっと困惑気味の顔に。そして何故か画面をレシュリスカヤさんにも見せる。


「どうかしたの? ダイレクトメール?」


「ううん。その……」


 言い淀んでまたレシュリスカヤさんと顔を合わせる。構わないという感じで頷いたので、僕にも携帯を提示してくれた。


 そこに書かれていたのは紛れもない悪意だった。


『転校生のレシュリスカヤは友達がいない社会不適合者』


『図体がでかいから性格も大雑把で喧嘩っ早い』


『手当たり次第に男を食うヤリマン』


『金さえあれば誰とでも寝るビッチ』


『良い点取れたのも教師に股開いたお陰』


 このとき僕が真っ先に取った行動は自分の口を閉じることだった。だって「合ってるっちゃあ合ってる」なんて口を滑らせたら、血の海に沈むことになる。こんなことで人生に王手をかけたくない。


 とは言え、納得できるのは前半までだ。ぼっちでガサツなのは実際に見ているから分かるけど、後半のビッチ疑惑はどうあってもやり過ぎている。


「近頃学校のチャットルームにこんな文章が出回ってるの。この前もノートがボロボロに捨てられてたりしてて、ルーちゃんは平気だって言うんだけど……」


「慣れてるんだよこういうの。ロシアでも下手くそな口実で突っかかる奴なんて吐いて捨てるほどいた。手口がお粗末だったからすぐにバレて転校させたけどな」


 ただ殴り返すだけじゃなくタコ殴りですか。えげつないな。


「僕も気にすることないと思うな。レシュリスカヤさんが男漁りしてるって証拠はないし、こういうくだらない噂はほぼ妄想の羅列だ。退屈しのぎになればみんな本当のことなんてどうでもいいのさ。もし真に受けてちょっかい仕掛けてくる奴が居たとすれば、そいつは本物の馬鹿だ」


「古賀君も結構過激なコメント言うんだね……」


 あれ? ちょっと引かれてる? 

 でも事実を言っただけだし、別に構わないだろう。隣ではレシュリスカヤさんが珍しく目をぱちくりしている。

 あれ? こっちにも引かれてる?


 う~ん、単純に驚いただけなんだろうけど……というかそうだと思いたい。間違ったことを言ったわけでもないのに、妙な気まずさを感じ僕はお茶を濁すことにした。


「先生に相談は? 証拠があるんだったら学校側も対応してくれるはずだけど」


「このチャットルームって生徒間でしか出回ってないの。匿名性だからみんな自由に喋れるんだけど、結構過激なことや先生たちの悪口とかも残ってるから、それどころじゃなくなっちゃうんだよね……」


「そうか……。だったらマーシトロンを使ってみようよ」

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