第18話 パッチとクラスメイトとスター
如何に世界が広いと言えども、人間の価値観というのはある程度似通っているもので、盗みはいけないことだし、形式は異なるけど食事の前に感謝の意を表する文化は至るところにある。
学校生活にもそれは当てはまるだろう。授業はダルい、放課後は天国、文化祭は気になるあの子とお近づきのチャンス!
だがそんな定番の裏には僕ら学生を古来から脅かす奴がいる。迫り来る審判の日に教師陣という上位存在が遣わす悪魔。
眠りを妨げ平静を乱し、弱者を容赦なく裁断する……そう。定期試験だ。
そして今日は答案返却の日。欠片も期待していなかったテスト用紙を受け取ると、やっぱり予想を裏切らない点数が赤ペンで隅っこに書かれている。
平均点ドンピシャ。狙ったわけではないが適当に埋めた割には面白い結果だ。別に勉学に力を入れている訳でもないから、悪い点ではない。
クラスメイトも様々な反応を見せている。
前回より下がったと嘆く男子とは反対に目標点に達したと喜び合う女子。仲間内で結果を見せ合い放課後の買い食いの財布役を決める者。
それでも全体的に朗らかな空気なのはこの1年E組が持つ特色と言ってもいい。
由来は教室の中心で笑い合うグループ――正確にはそのうちの一組の男女。
男の方は明るく染めた髪を逆立て、雄々しさの際立つヤンチャそうなイケメン。制服のズボンをロールアップにし、首にはクリスチャンなのか知らないけど十字架のネックレスが輝いている。
確か
携帯を片手に受け答えする女子は見事な金髪を伸ばした
総合的には勝気なクラスの女王と表現するのが適切だろう。爪の先まで妥協しない美意識の高さは服装にも反映され、適度に着崩した制服のスカートは短く、カーディガンを腰に巻く姿は都会風の垢抜けたギャルを存分にアピールしている。
どちらもそれなりに背丈があり、アイドルでも通用するルックスを備えているから自然と人目を惹く。派手な見た目だからイベントも大好き。5月の球技大会なんて
なぜ人聞きっぽく言ってるのかって? そりゃ僕はどうしても抜けられない用事でやむを得ず欠席したから。
まあこんな病弱系男子に出来ることなんて応援くらいだし、そもそもスポーツにそこまで興味はない。
ところがこのクラスで行事に不参加だった生徒は級友と認められない暗黙の了解があったようで、登校して早々に御子柴さんに問い詰められ、曖昧にしか返せなかった僕は以降立派なハブられ役にキャスティング。
現在に至るまで机で本を読む「そういえばいたっけあんな奴」Aを割り当てられている。
百均で買った『動物農場』の文字列を追いながらもグループの談笑が伝わってくる。
「マジありえないわー。追加課題とかくそメンドいんだけど」
「赤点取ったオメーが馬鹿なんだろうが」
「神威君だって似たようなもんだろ!? 前回一緒に仕打ちに耐えた仲じゃねーか」
「俺はバスケ部の大会があったから、補欠連中が代行してくれたぜ」
「くっそー! こんなことなら俺もマーシトロンのスポーツ適性診断受けりゃ良かったー!」
「悪いな。監督が俺を試合から降ろしてくれなかったんだよ」
「ううっ……なあ乃亜、こんな裏切り者ほっといて今日はボーリング行こうぜ。リフレッシュしねえと身が持たねえよ」
「あたし先約入ってるからパス。これからレミたちとスイパラ行くの」
「またかよ! その台詞一昨日も聞いたぞ」
数分にも満たない間に取り交わされるリア充単語の数々は、耳に届くだけでも随分と楽しそうだ。
それにしても宿題を人任せにするなんて何て羨ま……いや身勝手なんだろう。僕なんて逆に菊池さんにまかないを作らされるのに……やっぱり期待の新星という肩書は伊達ではないということか。
そんなやるせない鬱憤を募らせているのを尻目に盛り上がる一団に、男子生徒がおずおずと近付いてくる。
「あ、あの……」
「ん? 何? ってか、誰?」
「ひっど。あたしらのクラスの学級委員じゃん」
「あーそういやそうだったな。んで、何か用?」
「……先週の英語の課題集め終わったから、職員室まで持っていってほしいんだけど」
恐々とした態度で学級委員君が発した言葉に、ピクリと十文字君の眉が上がり空気が変わる。
「は? どゆこと? 何で俺がしなきゃいけないわけ?」
「だ、だって授業のときに先生が十文字君を指名したし……」
「知るか、んなもん。大体俺が頼まれたって証拠はあるのかよ」
「証拠って言われても……」
困り果ててしまう学級委員君に睨みを利かせる十文字君に、思わぬところから助け船。しかし御子柴さんは少し人の悪い笑みをしていた。
「ちょっと止めたげなって。あんたが怖い顔するから委員君がビビッてんじゃん。ねえさ、あたしらも暇じゃないの。誰か代わりに頼んでよ。例えばほら……パッチとか」
その会話にげんなりする。このワードが出てくれば彼に残された選択肢は1つしかない。逡巡する間もなく上履きの擦れる音が僕の席で止み、見上げればさっきの学級委員君がプリントの束を机に置いた。
「悪いけどこれ頼めるかな」
疑問符! 疑問符忘れてる! 他人に頼み事するときは、語尾に「?」でしょ!
気のせいか少し強い語気に何か返そうと思ったけど、ここで拒めば次に吊るし上げられるのは僕だ。
だからなるべく愛想の良い顔で「うん」と言わなければならないのは必然的なのだ。これだけで僕のクラスでの立ち位置を認識していただけるだろう。
「悪いな。えっと……パッチ」
しかも名前も憶えられていなかった。まったく厄介な渾名が付いたもんだ。誰が言い出したか知らないけど本名よりこっちで呼ばれる方が圧倒的に多い。
挨拶よりも「なあパッチ」「パッチこれよろしく」と言われる確率も。
そもそもパッチって何だ。ひょっとして右目のこいつか。眼帯=アイパッチ=パッチなのか?
だが仕方ない。みんなの頼れるパッチ君は渡世の義理を重んじるのだ。
◆◆◆◆◆
予想よりもかさ張る紙の山を抱え職員室まで向かうと、そこにはちょっとした人だかりが出来ていた。
麦ヶ丘高校では試験が終わると好成績の上位50人を掲示板で公開する風習がある。自分の現状を理解することで更なる学習意欲を望むという狙いだが、僕には縁のない世界だ。
邪魔だな、と思いつつも人混みに割り込む中でやっぱり気になって首だけ動かす。ランキングの中にE組の生徒名はない。というかまだほとんど名前覚えてないから見分けられるかも怪しい。
半ば約束されたように特進科で埋め尽くされた猛者たちに混じって、妙に長い名前の生徒が居た。すれ違い際に無意識に目で文字をなぞると
ルフィナ・レシュリスカヤ 21位
いっけね。口から魂が抜け出ちまうところだった。
嘘でしょ? 外国人転校生だから漢字が苦手で読み取れませんでしたの法則が通じないの?
1年生だけで300人以上はいることから、彼女は初回で上位10%に食い込む強者だというのが分かる。
美形で腕っ節が強くて成績優秀なんてどこの少女漫画の住人だよ。おまけに性格も男前だし。もういっそのこと性転換して2次元の世界に転生してくれないかな。
だが僕は忘れていた。この学校にはもう1人の同類が在籍していることを。
ちなみに次の会話は隣の女子がその同類を端的に説明しているものである。
「見てー! また諸星君トップだよ」
「中間と合わせて連続制覇でしょ。マジ天才じゃない?」
「イケメンだし優しいし1年生で空手部のホープって超優良物件じゃん! 流石麦ヶ丘の王子!」
「っていうかあれ諸星君じゃない!?」
噂すれば影が立つということわざの見えざる力が働いたのか当のご本人が登場。途端に人の波がうねり、瞬く間に1人の男子生徒を中心に輪が広がっていく。
掲示板の前に残されたのは人波に揉まれてボロ雑巾みたいに転がったパッチ君。ふっ、所詮僕みたいなのは頑張ってギャグキャラが精々さ……。
さて満を持して現れた麦ヶ丘の王子こと
新入生総代の座に胡坐をかくことなく定期考査では常に首位をキープし、体育では空手以外の種目も活躍できる万能選手。入学当初に彼を引き抜こうとした運動部は両の指でも足りないらしい。
これだけでも供給過多なのに、天はその容貌すらも祝福した。ワックスで丁寧に整えた髪の下はきりりとした眉目とスッと伸びた鼻や顎の稜線が上手く噛み合い、色黒なのに柔和で涼やかな正統派の顔立ちというギャップを生み出す。
加えて恵まれた体格を武道で鍛えているとあれば、それはもう物語の世界から降臨した王子様に違いない。
「諸星君、放課後空いてる? 私テストで分からない問題があるから教えてほしいな」
「ごめんな。今日から部活再開だから、また今度にしよう」
「諸星君、週末に新しく出来たカフェ行こうよ。私たち奢るから」
「女の子にお金払わせるなんて悪いよ。何だったらみんなで出かけないか? 君たちのことタイプって奴ら知ってるんだ」
次々と降りかかるお誘いをそつなく処理できるのは、生まれつきの要領の良さかこなした場数の賜物か。
その口の上手さを少しは分けて欲しいけど、媚びる前に廊下に散らばったプリントを回収しなければ。
けっ、本物のイケメンならまず困ってる奴を見逃さないだろうに。こうして僕が拾い続けているのに気付かないならイケメン失格だな!
……止めよう。虚しくなってきた。
負け惜しみにもならない僻みに辟易し、プリントを集めていると目の前に立つ人の足。ついでに見上げれば和やかな笑みをたたえた諸星君の御尊顔が乗っかっていた。
「大丈夫か? 良かったら俺にも手伝わせてくれ」
「え? あ、はい……」
突然の申し出にポカンとする間に残りの紙を拾い上げる諸星君に八方美人な様子はなく、純粋に手伝ってくれるのが分かる。性格までイケメンだなんて……!
「古賀も何かあったら遠慮なく言ってくれよな。俺、割と暇だからさ」
まさかの名前呼び。いや本来ならこれが普通なんだけど、変なニックネームが先行してしまった身の上からすれば、思わず感動してしまう。
それも彼みたいなスーパー高校生が覚えてくれていたなんて、子孫に自慢できるかもしれない。
こっちこそ勝手に妬んでごめんよ諸星君。そうか。今日の星座占いが言ってた素敵なことってこのことだったんだね。ああ、眩いばかりのその笑顔に僕の醜い心が浄化されていく……。
恐るべしイケメンの魔力。まさか性別問わず魅了して来るとは。ただ唯一の弊害はその矛先を同性に向けることで、一部の特殊嗜好を持つ方々を刺激してしまうことだ。
諸星君は気付いていないけど、現に今のやり取りを目撃した何人かの女子から何故か腐った視線が刺さってくる。
一番近い子なんて鼻血と涎がこぼれて顔面がとんでもないことになっていた。やだなぁ、「もろパチ」とかタグ付けされたくないなぁ……。
しかしそんな発酵空間も長くは続かない。
「あっ、リュウだ!」
群がる人だかりに割って出たのはさっきまでリア充会議に勤しんでいたE組の女王御子柴さん。傍には同じくE組のリーダー十文字君と取り巻き以下省略。
「やあ乃亜。神威も」
「ようリュウ。また学年1位かよ。お前ら特進科のせいで全体の平均点が洒落にならないの分かってんのか? ちょっとは下々のことも考えてくれよ」
「神威も少しだけ勉強してみたらどうだ? 日頃の予習復習さえちゃんとしていれば、点は取れるぜ?」
「その前にお前と脳味噌交換した方が手っ取り早いわ」
「ねえリュウ、あたし前より総合で20位も上がったんだよ! 結構頑張ったくない?」
「ああ。そう言ってもらえると放課後に勉強に付き合った甲斐があるよ」
「だから今日はぁ、お礼にスイパラでケーキ奢ってあげる! 行こ?」
「うーん、この後部活あるんだけどな……」
華というのは単体でも映えるものだけど、寄り合わさればその度合いは増し増しになる。俺様系と爽やか系、ベクトルこそ違えど学年屈指の人気者が揃えば、辺り一帯の輝度は極値まで活性化する。ついでに妄想市場も活性化する。
そこにギャル系クイーンが推参すれば一体何カンデラを計測するのだろうか。そんなドリームチームが放つ聖なる光にスライム程度の日陰者は幽霊の如くフェードアウトするしかない。
さっさと職員室行こう……。
どうでもいいけど御子柴さんって諸星君の前では普段と全然態度が違うな。
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