第24話 ジャネット先生

 クララちゃんの愛の巣(保健室)を後にし、レシュリスカヤさんから預かった鍵を返しに職員室に入る。テストが終わっても仕事に終わりはない。

 夏休みでも汗水垂らして働き続けるであろう教員の皆様に心の中で「ちーっす。お疲れっしたー」と激励を送ってアクリル板の吊り下がったフックに鍵を戻す。


 ……職員室の視線が集中したのは気のせいだろうか。しかもピリピリじゃなくてビリビリくるぐらいの怨嗟を感じる。

 「いいからさっさと出ろや。いてこますぞワレ」とか言ってきそう……早く帰ろ。


 内と外で滞留する空気の温度差に慣れたとはいえ、扉を開くときはどうも好きになれない。この国特有の纏わり付くような湿気と熱気が汗腺を刺激してくる。

 斜陽を透過して割り増しで生暖かく包み込んでくるせいで、息苦しさすら覚えるほどだ。


 雪国で育った彼女にとっては耐えがたい暑さだろう。しかも暑さだけじゃない別の閉塞感も味わっているはずだ。現在も掲示板ではレシュリスカヤさんが100人斬りしたとかJKリフレやってるとか原形を留めないほど噂が改変している。


 告白騒動から一月も経ってないのに異常な過熱ぶりだ。試験期間中に沈下していた反動を差し引いても普通じゃない。

 たぶん皆面白がってるんだろう。日頃の鬱憤を晴らすにはこういった下劣なネタを肴にし、自分はこんなモラルのない輩とは違うと安い自己肯定感に浸るのが手っ取り早い。


 でもその標的にされている側はどうだ。匿名で守られているから相手は躊躇いなく攻撃できる一方で、噂の的になった者は言葉の刃が首元を過ぎるのを待つのみ。現実でも絶えず衆目に晒される苦しみもあれば、不登校になっても責められない。


 頭に布地を被せて首を絞めつけるようなものだ。自分からは相手が誰か分からず必死にもがくのに、そうすればそうするほど周りは囃し立て、もっとキツく締め上げる。もし窒息死してしまってもすぐに店じまいすればいい。

 果てにはそれを自業自得と割り切って正当化してしまう図太い精神の人間だっているのだから、抵抗は割に合わないだろう。


 個性を個性と認められない幼い価値観が強いる強烈な同調意識。

 自分たちを優しく包んでくれる真綿の中に鎖が潜んでいると知りながらも、少しでも枷を緩めればこの学校には敵しかいなくなってなってしまう。

 誰だって無邪気な悪意に殺されたくないから……。


 足元を見てそんな物思いに耽ってたからかもしれない。僕は爪先に別の爪先が触れようとしたのをかわせなかった。


「ぶへっ」


「オイ!」


 顔に当たったのが紙の感触だと分かったのは、それが全身に降りかかってからだった。膨大な紙束に襲われすっ転ぶとさらに重い何かが圧し掛かってきた。それよりも声が聞こえたような……。


「Oh! I'm sorry! お怪我はアリませーんかー?」


 クリアな英語と妙に間延びした日本語のチャンポンを発したのは、金髪の女性だった。1日に2回も金髪とエンカウントとは妙なこともあるもんだ。


「あ、大丈夫です。そっちこそお怪我は――」


「ノンノン! アナタがクッションになってくれたから平気デース」


 軽いノリで流す女性は絵に描いたような金髪碧眼だった。目元の微かな皺が年齢を感じさせないでもないが、逆にそれが成熟した大人と置き換えられるくらい整合性の取れた面立ちの中で、濃い目のルージュを引いた唇が際立っている。

 純粋な若さにはない年齢を重ねてこそ得られる魅力とも言うべきか。意外にも高いポテンシャルに内心口笛が出た。


 同時にあちこちに散らばった紙が視界に入り、すぐに回収作業に移った。


「す、すみません! すぐ集めますから」


「Thanks! 日本のボーイ優しくて好きネ~」


 手にしたそれは色付きの拍子に挟まれた薄い冊子で、星やら犬猫やら飛行機やらとにかく秩序のない絵が飛び交っていた。反してタイトルはシンプルに『修学旅行の手引き』だ。


「修学旅行……2年生は秋頃の予定じゃないですか? 随分と準備が早いですね」


「行き先がカナダですカラ早く準備しないと間に合いまセーン。ゼニは急げデース!」


「ゼニじゃなくて善ね。いや『Time is money』だから合ってるのか? まあいいや。これで全部ですねミス……ええと」


「ジャネット・バーンズ言いマス。まだピチピチのnewfaceデスヨ!」


 するとこの人がクララちゃんが言ってた新任の英会話教師か。今年の新入りは中々レベルが高いじゃねえか、なんて古参ぶってると手引きの隙間から茶色の封筒が滑り落ちた。ガシャンと音がして拾い上げると少し重い。


「これは?」


「旅費デスネー。Bankで集めるハズが後で足りナイ分かって持てキタってボーイたち言ってマシタ。他のクラスも集めてマス」


 厚みからして諭吉君30枚は固いな……。1人1万円ずつってとこか。1枚くらいなら僕の英世君と入れ替えてもバレない気がする。


「ジャネット先生も参加するんですか?」


「No! 私は担当のclassがないですカラ、お留守番デス! どうせ行くなら国内コースのKyotoが良かったデス。キンカクジ、エイガムラ、ヤツハシ、センマイヅケ、テンイチヌードル……日本のカルチャーが目白押しヨ!」


 後半の列挙にこの人の旅行先の趣味が垣間見える。二郎系もオススメだよ? 完食するのは勇気が要るけど。


「随分詳しいですね」


「ずっと来たかたですカラ。最初はフレンドもなくて寂しかったデスヨ。でもこのスクールは良い人イッパイ! 外国の子も居たカラすぐ仲良くなりマシタ」


「仲良くってレシュリスカヤさんとですか?」


 僕に負けず劣らずのぼっち度を誇り尚且つ反骨心の塊みたいな彼女が先生と? やっぱり外国出身だから通じ合うものがあるのだろうか。


「違いマスヨ。御子柴さんってvery cuteな子ネ。テストのためによく質問来てくれマシタ。日本の流行たくさん教えてもらいマシタヨ」


「質問に?」


 変だ。御子柴さんがあれだけレシュリスカヤさんに敵対的だったのは、外国の血が混じってる点が被ってるからだったはずだ。

 教師という違いはあれど外見も申し分ないジャネット先生なら注目も多いはず。自発的に仲を深める理由はない。ならレシュリスカヤさんのみに攻撃するのは別の動機がある?


 ……掲示板の書き込みが脳裏に浮かびちょっとした仮説を思いつく。でもまだ弱い。裏付けが必要だ。


「テスト以外にも質問されたんじゃないですか? 同性で話すときって大抵異性のネタが絡むし。ほらジャネット先生綺麗だからモテそうですし」


 軽く揶揄う感じで相手を持ち上げる。ジャネット先生も満更なしに笑い、大袈裟に小突いた。


「Oh! やっぱりそう見えマスカ? これでも若い頃はパッショネイトな恋を何度も――」


 機嫌が良くなったジャネット先生は御子柴さんから質問の延長でその手の相談を受けたことを話してくれた。

 曰く「最近告白されて断ったが相手の元カノが嫌がらせしてくる」そうだ。ほとんど愚痴だったけど相当ストレスがあったらしい。


「嫌がらせってどんな?」


「私も尋ねたんですケド大したことじゃナイって話してくれませんデシタ」


 まあ無理だわな。マーシトロンじゃなくて教師にわざわざ話すくらいだから、御子柴さん本人も何らかの事情を抱えているのだろう。

 でもお陰で。その人物もある程度目星が付く。

 問題は御子柴さんと元カノの間に何があったのかだ。


◆◆◆◆◆


「何か良いことあったの? ルーちゃん」


 何気なく携帯の画面に見入ってると前に座った美鈴が尋ねてきた。


 放課後、学校を出るときに呼び止められたルフィナは途中まで一緒に帰ることになり、強烈な西日から逃れるようにフランチャイズに寄って今はスプライトとストロベリーシェイクに舌鼓を打っている。


 涼に浸りながら爽やかな甘味と泡が弾ける感触を楽しんでいると携帯が震えた。掲示板を探らせていた検索エージェントからだ。

 事前に打ち込んでおいたシークエンスに従い、あるデータを漁らせた結果、予想した条件に引っ掛かったものがあったのだ。

 検索を始めて15分か。途中で邪魔してきた金髪女を差し引いてもお釣りの来るスピードパフォーマンスだ。


 その有能振りに密かに満足したのが顔に出てしまったらしい。ルフィナはなるべく自然に振る舞いを戻した。


「そうだな。課題を出し終わって後は夏休みまで自由だと思うとつい、な」


「夏休みか~。私はあんまり印象ないな。他の子がお休みでも基本的に歌のレッスンとかで忙しかったし。お祭りとかには参加したけど」


 普通の子供とはかけ離れた生活に思うところがあるのだろう。美鈴は珍しくダウナーな様子でシェイクの残りを吸う。


 夏休みか……。


 一般的には親の実家に帰省したり友人たちと思い出作りに勤しむ季節らしいが、ルフィナには顔を見せるために帰る家はなく、友人は1人もいなかった。

 そもそもそういう風に楽しむ時間を持った試しがない。その点では美鈴に共感しないこともないが、敢えて話題にする気はなかった。


 出来るなら自分のことはあまり知られたくない。


「でも今年はルーちゃんと沢山遊べるからいっか! ねえねえどこ行く? 山? 海?」


「悪い。夏の間は予めスケジュール組んでるんだ。都合は着くようにするが確約は出来ない」


「え~そんな~」


 露骨にへこむ美鈴には申し訳ないが、こればかりは譲れない。私は遊びでこの街に来たんじゃない。そのためにも使える時間は有効に消化しなければならない。


「初めて自由に過ごせる夏だから色々なプランを考えたのに……」


「スケジュール調整用のアプリがあるから後で共有しよう。それでもダブるなら専用の人工知能に頼れば良いだろ。ビジネス用のなら時間単位で取引先と時間を調整できるものもある」


「だね……でもルーちゃん方こそ本当に平気? 掲示板見たんだけどどんどん過激な内容になってるよ」


 自分の楽しみより他人の心配を優先する。正直この素朴な優しさにはまだ戸惑いがある。経験上、何か裏があるんじゃないかと探りを入れてしまいそうになる。少なくともルフィナの周りの環境はそんな人種は生息していなかった。


 ただ、だからこそ美鈴の眼差しが真剣に向き合っていると理解できるし、不安の種をこの子に残すのはフェアじゃないと思う。ほんの少しならネタ晴らししても良いだろう。


「何度もあったから慣れてるって言ったろ。誰がやったかも知ってる」


「え!? そうなの?」


「ああ。ある意味私と同じ人間だからな。ヒントは掲示板にあった」


 同じ人間というワードの意味を捉えられない美鈴の前に、ルフィナの名が掲示板に初めて登場した書き込みを画面に出す。


『1年のレシュリスカヤって援交してるらしいよ』


 何度見てもくだらないとしか思わないが、内容は問題じゃない。これには普通の書き込みと致命的なまでに差が明らかなのだ。


「美鈴は掲示板に書き込んだことってあるか?」


「ううん。私は見る専だから。使う頻度も少ないし」


「じゃあ想像で良いから書き込む側になったとして、そのときにどんなことに注意する?」


「そりゃ後ろめたいことするんだから誰が誰だか分からないように工夫するよね。ニックネームやイニシャルを使ってなるべく本名を出さないように……あっ!」


「おかしな話だよな。他の奴は丁寧に名前をボカしてあるのに、私はご丁寧に本名で晒されてる。それも現在進行形で」


 どのコミュニティでも暗黙の了解があるように、麦ヶ丘高校の掲示板も個人の中傷はなるべく特定されないようにするのが不文律になっている。だが今回に限ってはその最低限のルールが破られた。


「つまりこれを書き込んだゲス野郎は、掲示板の流儀を知らない田舎者ってわけだ。少なくとも高尾じゃない」


「確かに……」


「リスク管理もお粗末だ。いくら生徒間でアクセスを限定していても、これだけはっきりした悪意が私の目に触れた以上、マーシトロンに知られるのは時間の問題。最悪の場合、利用禁止処分を食らうかもな。仮にもこの学校、いやこのリンクシティに住んでいれば当然予想できる結末になる。それが分からないならここに来てまだ日が浅いってことだ。私みたいに途中から入ってきた奴に限る」


「ってことは……犯人は転校生?」


「ああ」


 そこから先は話が早い。ルフィナはスプライト片手に画面をスクロールし、推測から絞り込んだ条件にヒットしたセンテンスを一覧にして並べた。


「4月から今月のスレッドの中で転校生に関係するものを抽出した。まあ今回のこともあるから大半は私についてだったけどな。でもその中にもう1人――」


 画面をタップするとルフィナの名が消え、残った1人の名前が麦ヶ丘のアーカイブに納められた生徒のデータと合致する。新学期が始まって少し後という中途半端な時期にやってきたその人物は――

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