第23話 イケないクララちゃん

 調べ物は早く片付き、僕はようやく保健室の前に到着した。


 ……ぶっちゃけると、期待感が半端ない。


 保健室。それは古今東西あらゆるコンテンツ(R18含む)で男子に夢を与えてくれたドリームスポット。

 可愛い同級生が見舞いに来ることもあれば、魅惑の養護教諭とイケない課外授業をする特別教室になることだってある。

 そんなおいしい話は空想の中だけと分かっているが、それでも僕は胸の高鳴りが抑えられなかった。


 実は最近麦ヶ丘に新任の養護教諭が来たらしいのだ。その美しさたるや既存の価値観を覆すほどとまことしやかに言われている。

 夏休みに入る前に一目見たいと思っていたけど、都合良く用事が出来たから喜び勇んで訪問したわけだ。


「失礼しま~す」


 先客がいるかもしれないので静かに入室したが、気分的には寝起きドッキリのリポーター。ドキドキとワクワクにときめきながら消毒薬の匂いに満ちた部屋に分け入っていくと、寝台を仕切るカーテンの向こうで蠢く影があった。


「あっ……だめ……」


 ……ん?


「そんなこと言って……じゃあこれは何?」


「だ、だって……そこばっかりするから……あっ!」


 ……え? マジで?


「もう正直になったら? 我慢は毒にしかならないんだから……」


「お、奥はダメェェ……!」


 おいおいおい寝起きドッキリどころか本当に課外授業してたよ!


 行為の激しさを物語るように影がギシギシと揺れ、その場に硬直してしまう。

 え!? どうすんのこれ、どうすればいいの!?

 と、取り敢えず一時退却だ。陣形を立て直さなければ!

 痛ってぇ!? 机の角が小指にぃ!


「誰なの!?」


 不埒な侵入者を気取って勢いよく開かれるカーテン。そのベッドに座していたのは予想通り2人。女子は眼鏡をかけたボブカットの子で野暮ったいが中々の容貌だ。頬を染めて妙に色っぽい顔をしている。


 だが僕が目を奪われたのはもう1人の方だった。


 白とも銀ともつかない煌びやかな長髪が空気を孕んで軽やかに舞う中で、雪肌に覆われた顔の造作はヴィーナスが設計したのではあるまいかというほどに秀麗だ。

 そのまなじりは尖れば時間さえ止まるほどの冷気を発し、緩めば全ての人間を虜にする魔性を放つ。その口元は微笑みで自然すら癒すが、一度毒を吐けば魂まで侵すのだろう。

 冷厳でありながら耽美。男女の境を超越した魔的な美。価値観を覆すとはまさに至言の人間がそこに居た。


 白衣を着て女子の背中に指圧しながら。


「……え? あ……その……っ! いやあぁぁ!」


「うおっ!」


 快感で事態を呑み込めていなかった女子が我に返り、一目散に逃走する。残ったのは白衣の人と出歯亀だけ……超気不味い。

 だけどまあ、この人の場合無礼を詫びる間柄でもないから良いか。


「……何やってるんですか有馬ありまさん」


「あら随分な言い草ね。あなたには男子禁制の張り紙が見えなかったのかしら? タッちゃん」


 ねえよんなもん。ってかそれならあんたも駄目でしょうが。久々の再会が運動会の真っ最中というショッキングなスタートだったにも関わらず、既に椅子に腰掛け呑気に茶を啜っているこの御仁は、変なことに知り合いだった。


 あろうことか校舎で巡り合わせるなんて世間は狭い。


「いつものことよ。不安がっている子が来たからリラックス療法で楽にしてあげただけ」


「明らかに興奮させてたでしょ。PTAにバレたらどうするんですか?」


「素敵な時間だったわ……」


 聞いてねえし。柳腰をくねらせて悶える姿は乙女そのもの。見上げるほどの長身はモデルでも通用するレベルだけど、神様の手違いで生まれた時に染色体をもれなく男にすり替えられてしまったそうな。


 それでも滅多にお目にかかれない美形と知己なのは、事務所が贔屓にする情報屋という職業故だ。


「初めて会った時は美容師でしたよね……教員免許も持ってたんですか?」


「あなたの社長さんに頼まれたのよ。ケツの青い新人君の学園生活をサポートしてくれって。あなたのお尻の所有権が報酬よ♡」


「残念ですよ蔵之介くらのすけさん。続きは塀の向こうになりますね」


 純潔を守るために市民の味方110番を召喚する。情けは無用。エッチな大人のお姉さんとランデヴーするはずだった展開を無残に打ち砕かれた報いだ。

 恨むなら青少年保護育成条例を恨むがいい!


「蔵之介ぇ? 私のことはクララちゃんと呼べっつってんでしょうがぁぁぁぁぁぁぁ!」


 乙女が般若に変わった瞬間だった。猛禽類に負けない握力で吊り上げられ、右に左にシェイクされる。


「タンマタンマ! 出ちゃうから! 口からもんじゃ焼き(昼のミートボール+ツナサラダ風味)が生まれるから!」


 切実な願いが伝わり解放される。本名で呼べば殺意を剥き出しにするのは変わらないなぁ……。


「蔵之……クララちゃんはフリーランスでしょ。こんなとこまで着いてきて大丈夫なんですか? 僕らのバックにいるのは――」


「菊っちから情熱的に口説かれちゃってね。安心なさい。私は『協力者』よ。タッちゃんたちがここでも理解してるから」


 社長もらしくないな。極めて限られた人間しか共有してない『特別依頼』に外部から人を取り込むなんて博打が過ぎる。

 あの人のことだから絶対『上』には報告してないだろう。僕としては有用な情報源が確保できて有り難いけど。

 どのみち今回は依頼とは関係ないから気楽にいくか。


「んじゃ早速。学校で変な噂が流れてるのは知ってます?」


「例の転入生の子のこと? 抜かったわ。私も狙ってたのよあの子」


 平気で生徒を手籠めにしようとするという教育者とは思えない発言。ここの人事担当大丈夫か?


「ああいう気の強い子って調教し甲斐があるのよね……それをどこの馬の骨とも知れん奴に……!」


「似たようなタイプなら僕のクラスにもイキのいいのがいますよ。御子柴って娘なんですけど」


「御子柴って御子柴乃亜ちゃん? 確かにハーフ系ギャルも悪くないわね……」


 ん? 今この人何て言った?


「あの子ハーフなんですか?」


「そうよ。ほら」


 病院にもありそうな診察用のコンピュータに映し出されたのは所属事務所の公式サイト。

 同年代のプロフィール写真がずらりと並ぶ中、御子柴さんは普段の傲岸振りが嘘のような笑顔が貼り付けてあった。う~ん女性は皆役者とはよく言ったもんだ。


 中学時代にマーシトロンの適性をパスしティーン系雑誌で専属に選ばれた新進気鋭の注目モデル。オーストラリア人の血を引くハーフでアピールポイントは天然のブロンドヘア。特技はギターとダンスで好きなブランドはマ〇ジー。


 へえ、言われてみればそれっぽい顔立ちしてるな。あの二重瞼は生まれつきか。


「全然知らなかったな。これだけ有名ならもっと話題になってもいいはずなのに」


「タッちゃんが世間に疎いだけよ。まあ、タイミングが悪かったのかもね。ほらもっと話題になる子が入ってきたじゃない」


「流石に僕の美鈴ちゃんと比べたらね……」


「モテないからって妄想に逃げないの。残念だけど外れ。ルフィナちゃんよ」


 またレシュリスカヤさん? どこでも出てくるな目立ちたがりさんめ。だけど彼女は芸能人じゃないしオシャレに気を遣ってるタイプでもないんだけどなぁ。


「編入生の中で初めて特進科に入った秀才であのルックスとスタイルでしょ。そこに外国人なんて属性が付けば立つ瀬がないわ」


 日本の高校の大半がそうであるように麦ヶ丘で混血の割合はほぼ皆無だ。だからこそ御子柴さんの希少性が際立つのだが、折しも自身のポジションが崩されかねない存在が現れてしまった。

 だからデジタルメディアルームで牽制を仕掛けたのか?


「だからって表立って衝突するとは考えにくいけど」


「表向きは、ね。裏ならやりたい放題よ。でっち上げの噂や悪口で外堀を埋めるなんて珍しくもないわ。あなたも現役の高校生ならスクールカーストの重要性は分かるでしょう? 今年は特に人の出入りが激しいからランクの変動に皆やきもきしてるもの。私は飯のタネが増えてありがたいけどね」


「ということは彼女の他にも転入生が?」


「そうねぇ。2年生にも何か有名な子が入ったらしいけど……あ、そうそう! 外国人ならルフィナちゃんだけじゃないのよ。新任の英会話の先生が確かそうだったわ」


 先生ねぇ。もしこんな面倒事が無ければ暇潰しに探すかもしれないが、生憎と今回は生徒間の関係が要点だ。教師は無視しても構わないだろう。


「にしてもルフィナちゃんも勿体ないことするわよね。今のうちに男作っときゃ淡い一夏のラブロマンスを満喫できるでしょうに」


「上から目線で口説かれたのがお気に召さなかったらしいですよ。ありゃ将来婚期が迫って焦るタイプだな」


「女の子に相手にすらされないのに何言ってんだか……確かに普通の男じゃ敬遠する物件よね。よっぽど自信家だったのかしら」


 自信に満ち溢れたのも良いが今は強引さよりスマートさが持て囃される時代だ。僕が声を掛けられないのも自ら避けているからで、中二病チックだから避けられているんじゃない。

 丁寧に扱うほど美しい花が咲くように、僕という紳士も来るべき日のために蕾を開こうとしているのだ。

 なので誰か優しくしてください。


「高尾っていうらしいんですがたぶんヤリチンだと思います」


「そう言い切る時点で相当な偏見よそれ。高尾……あの安産型の子かしら」


「待った。特徴として思い出す部位がおかしい気がする」


「何言ってるの。外見から捉えるならスリーサイズを測るのは基本でしょう?」


 これがスケベな親友キャラとかなら学園中の美少女を網羅したマル秘手帳でも見せびらかすんだろうが、不思議とクララちゃんの台詞からは何も湧き上がらなかった。あんな平たくて固いだけの身体のどこに興奮するんだこの人は。


「ちなみにタッちゃんのお尻は――」


「あ~あ~聞きたくない聞きたくない! ……で、安産型の彼はどんな人?」


「やだ……タッちゃんまさか……」


「言葉の揚げ足取んな! 人柄や風評について聞いてんの!」


「分かってるわよ。端的に言うなら典型的なリア充って感じ。元サッカー部の2年生で前々から派手な異性関係があったそうよ。つい最近も彼女と別れて新しい恋を探しに可愛い娘へ軒並み声を掛けてるみたい」


「詳しいですね……お気に入りでした?」


「浮気性は守備範囲外よ。ワンナイトなら考えなくもないけど。さっきまでマッサージしてた子いたでしょう? あの子も勧誘に引っ掛かってここに駆け込んで来たの。もう手当たり次第って感じね」


「それは良くない。風紀の乱れを正すために汚物は即刻滅菌しなくちゃ。いやこの際だ。学校で僕よりモテる奴は全員滅菌されろ」


「逆恨みも極まれりね……」

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