第40話 怪館

「さあ急いで。遅れた分を取り戻すのよ」


 豊島さんの号令でテキパキと出航の準備をするA組(仙崎さんとレシュリスカヤさん以外)。急ぐ気持ちは分かるけど今出てしまうと大惨事だ。

 慣れない作業に四苦八苦する集団の中で、最も話をつけやすい人物、というか唯一の知人に話しかける。


「諸星君ちょっといいかな」


「古賀か。どうした?」


「単刀直入に言うけど出発は止めた方が良い」


「……理由は?」


 怪訝になった諸星君がロープを巻き取っていた手を止める。反射的に反発するよりもまずは意見に耳を傾けてくれる聡明さに感謝し、僕は浜辺を指差した。


「多分これからすぐに雨が降る。さっきから吹いてくる風が異様に冷たい。冷えた大気が流れ込んでいるんだ。天気も怪しい。真昼は快晴だったのに今はおぼろ雲で、やや黒ずんでいる。この季節だから夕立になる確率が高いよ」


 更にはこの前の潜入で弾が掠った肩がジクジクと疼く。雨の日特有の古傷の疼きだ。僕の言葉で天気を観察し同じ結論に至った諸星君だが、思案顔が緩む様子はない。


「言われてみればそうだがここに留まっても、雨に打たれて風邪を引いてしまうぞ。どこか雨宿りできる場所を探さないと」


「そのことなんだけどあれなんて良いんじゃない?」


 あれとは僕らの浜辺から伸びた坂の先にある古びた建物だ。ここからじゃ詳細は分からないけど、軒下くらいは貸してもらえるかもしれない。

 いつ降り出すか分からない現状では、すぐにでも向かった方が良い。


「分かった。じゃあ準備が出来次第向かおう。皆には俺が言っておくよ」


 陰キャで不適合者の二重苦を背負っている僕では、多分誰も耳を貸してくれない。その点、諸星君の言うことなら皆は納得してくれるだろう。

 互いの立ち位置を把握し自分が出来ることを引き受けてくれるというのは、まさしくリーダーの資質だ。


 諸星君の説明で納得してくれた一同はボートをしっかりと樹木に繋ぎ、必要な物を持ち出して早速坂を上った。

 昼間だというのに空は灰色に染まり始め、陽光の輝度も低くなり涼しさも寒いと感じるまでに変わってくる。もう誰もが雨を予感しずぶ濡れを避けるために、一心に歩を進めた。


 簡素な石材で組まれた砂まみれの階段の先には、崩れかかった木製の門が立っていた。表面は泥で汚れ、立て掛けている看板も風化が進み過ぎて文字が読み取れない。


「何て読むのこれ。『蓮……亭』?」


「建物の作りから見るに旅館じゃないか? とにかく行こう」


 鍵は掛かってないようで門はすんなり開いた。やや広めの石畳の奥に例の建物が鎮座している。

 日に焼けて色のくすんだ瓦屋根。窓から覗く穴が空いた障子。錆が目立つ渡り廊下の柵。昔は白く輝いていたのかもしれない壁は、煤で汚れその上を蔓が縦横無尽に這っている。

 縦にも横にも広く大人数の寝泊まりを想定した和風建築だけど、今は見る影もないれっきとした廃旅館が僕らを出迎えた。


「なあ、これ大丈夫なのか?」


 全然大丈夫じゃなさそうな状態に、グループの男子が早くも不安を口にする。何がとは言わないが明らかに「出そう」な建物だ。空模様が怪しいからその雰囲気は余計に不気味になる。


「止めようよ……何か怖いし」


「そ、そうね。怖いかどうかはさて置き、とても人が入れるとは思えないし」


 女子がくいっと諸星君の袖を取る。豊島さんも声をうわずらせながらも、撤退を推奨した。


「そんなのどうとでもなるだろ。さっさと中に入ろうぜ」


 十文字君は寧ろ踏み込もうと意気込んでいる。確かにここを離れれば他に雨宿りできる場所を見つけるのは困難だろう。まだ船酔いの人たちが回復したわけじゃないから、多少不便でも雨風は凌ぐべきだ。


「ひっ」


 耳元で悲鳴が弾ける。仙崎さんがレシュリスカヤさんの腕にしがみつき、カタカタと震えていた。普通じゃない怯え様にレシュリスカヤさんも心配になっている。


「おい、どうした」


「い、今、窓から、の、能面を被った人がこっち見てました……」


 そう言って窓を指差すが当然ながらそこには何もない。ヒラヒラと薄汚いカーテンが舞うだけだ。


「ちょ、ちょっと仙崎さん驚かさないで。冗談でも言って良いことと悪いことがあるわよ」


「ち、違います。さっき本当にあの窓から――」


「大体、この科学の時代にそんな幽霊みたいなのが存在するわけないじゃない。妄想が見せるただの幻よ。だから不適合者って困るわ。この前だって精神的に不安定な傾向が強いってニュースで――」


 豊島さんが得意気に弁舌し始めたのを妨げるように、鼻先へポツリと水滴が落ちた。それは瞬く間に大量のシャワーに変わり、たちまち10匹の濡れ鼠が出来上がる。


「走れ!」


 諸星君が叫び一斉に宿舎を目指す。豪雨は屋根下では防げない威力で、半開きの扉をこじ開け中に踏み込むと、そこは予想通りに荒れ果てていた。

 割れた窓から雨が叩きつけられ、廊下に小さな川が出来る。障子も濡れて白い和紙が頼りなくふやけた。


「どうするんだよこれから……」


 誰とも知れない呟きが全員の不安を代弁する。その不安が全体に浸透するのに時間はかからない。


「ま、まずは先生方に連絡しましょう。指示を仰げば必ず助かるはずよ」


「そ、そうだよね。流石は特進科。冴えてるじゃん」


 豊島さんの提案を青天の霹靂とばかりにE組女子が携帯を取り出すけど、果たしてこんな辺鄙な場所に電波が届くかは甚だ疑問だ。最初は揚々とした女子も画面を見た途端、落胆の色が表れる。


「……やば、ここ圏外になってる」


 一旦は希望が見出せたが故に全員の落ち込み様は殊更だった。


「嘘だろ……。電波が届かないって、じゃあマーシトロンにも繋がらないのかよ!?」


「そもそもe-ピロー自体持ってきてねえよ……」


「私、勉強漬けで疲れてたから今夜はプレミアムクラスの仮想夢を注文しようと思ってたのに……」


 楽しいレクリエーションが一転して孤立無援となり、未知の状況に陥った同級生の不安がさらに醸成される。

 何より心配なのはマーシトロンが使えないことだ。睡眠時に仮想夢で精神状態を安定させているリンクシティの住人にとって死活問題に当たる。


「助けが来ないってことは今日はこのボロ屋で寝泊まりすんのか?」


「嘘でしょ……? こんな汚い場所で寝たら絶対ゴキブリの悪夢とか見ちゃうって」


 普通なら助けが来なかったりサバイバルへの不安感が付き纏うものだけど、彼らにとっては些末事に等しいようだ。

 身体の危機よりも心の危機。リンクシティにおける絶対の価値観。けれども僕はそこにどうしても「ズレ」を感じてしまう。


「例のペンギンロボットにGPSが積み込まれてるだろ。流石に何時間も同じ場所に居ればおかしいって分かるんじゃないか?」


 レシュリスカヤさんの指摘で皆の焦りが落ち着き始めた。それなら救助も時間の問題だろう。

 重いしかさ張るから浜辺に置いてきたが、一応は借り物だから防水シートで覆い波にさらわれない場所に隠したのだ。この天候ではすぐには来られないけど、ここで野宿はしないで済みそうだ。


 すると男子の1人が気まずそうに呟いた。


「ごめん。俺、電池を無駄遣いしちゃいけないって思って、スイッチ切っちまった……」


「おい……!」


 素直に告白した男子に十文字君が詰め寄る。カースト上位の威圧に男子の方はすっかり及び腰だ。


「ふざけんな。今すぐ電源入れてこい」


「え、でもこの雨の中じゃ――」


「怒鳴るなよチンピラ。わざわざ風邪引きに行かせる気か? ただでさえ病人抱えてるのに、これ以上増やしてどうする。もう少し考えてから物言え」


「……今何つった外人女」


 レシュリスカヤさんが割って入ったことで今度は彼女に矛先が向かうが、威嚇があまり効いてないようだ。一触即発にもなり得る空気の中で、それを打ち破ったのは諸星君だった。


「とにかく中を探してみよう。これだけ大きいんだ。使える部屋が見つかるだろうし、もしかしたら電話くらいあるかもしれない」


「そうね。そうしましょう。具合の悪い人を除いて二手に分かれてはどう? 片方は部屋の捜索、もう片方は通信手段の確保という形で」


 豊島さんも便乗して仕切り出す。各々が勝手に動き出す前に諸星君に賛同することで、自身の立ち位置とある程度の発言力を確保できると踏んだからだ。


 忌々しげに舌打ちした十文字君をレシュリスカヤさんは冷ややかに見つめ、さっさと班分けに参加する。豊島さんもそうだけどこのメンバーは中々にクセの強い面子が多く、統率は一苦労だ。


 先に回復した仙崎さんを除きまだ調子の戻らないE組の男女2人は、悪いけれど玄関先で待機してもらうことにした。

 部屋の捜索は十文字君、もう1人のE組女子、仙崎さんに加え僕の4人。

 通信手段の確保は諸星君、レシュリスカヤさん、豊島さん、A組男子の4人だ。もっとも電話線が簡単に見つかるとは限らないので、並行して体を暖めるためのヒーターも探す手筈になった。


「くそっ、ここもかよ」


 防水バッグに入っていた懐中電灯で部屋を照らすが、蜘蛛の巣や埃まみれな部屋ばかりで長く居座る気にはなれない。

 外れくじばかりで悪態が出る十文字君の後ろで僕らは適当に付いていくのみ。女子たちも最初は怖がっていたが、段々と慣れてきたらしく歩調も悪くない。


「神威君さあ、こんだけ探しても見つからないし、そろそろ戻らない? あたしお腹空いた……」


「馬鹿言え。このまま手ぶらで帰ってたまるか。……お、ここなんてどうだ?」


 ライトが照らし出したのは今までの個室と比べ、倍以上はある広い間取りだった。テーブルや座椅子、奥にはテレビが据え付けられていることから、宴会場か何かだろう。

 奥まった場所にあったお陰で風雨による劣化がほとんどなく、目立った汚れもない。休憩所に使うには充分な条件を揃えている。


「やるぅ神威君。ここなら皆ゆっくり休めそう。あとは諸星君の班がヒーターを持ってきてくれれば完璧だね!」


 早速座椅子でくつろぎ始めた女子に続き、僕らも適当な場所に座る。万が一破片を踏んづけないように懐中電灯で机の下を照らすと、茶色くも赤黒くも見える奇妙な染みが畳に散っていた。

 何か引っかかるものを感じそっと染みを拭うと、ざりっとした感触と共にその一部が指先に残った。鼻に近付けると微かな鉄臭さ――血痕だ。

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リバイバル・シンギュラリティ ポム丸 @cape333

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