第38話 浜辺の女神
「あっれ~オネーサンどっかで会ったことあるくない?」
「いえ、その……初対面です……」
「思い出した! 同中のクルミちゃんっしょ! 超ナツいわ~。何? 里帰り?」
「ひ、人違いです……!」
近場からさざ波に紛れて届く会話。もしかしなくてもナンパだと分かる。いやそれよりもさっきの女子の声はまさか……!
そこに居たのは間違いなく矢吹さんだった。日サロで焼いてきたようなジモティに隠れて見えにくいが、矢吹美鈴ファンクラブ会員番号4218の目は誤魔化せない!
これは神が与えたもうた試練だ。ここで颯爽とナンパ野郎を追い払い矢吹さんへの想いを再アピールすれば、クララちゃんが流したあらぬ誤解も払拭できるはず!
「っつーのは冗談でさ、今1人? 俺ら向こうにダチが居るから一緒に遊ばね? ジュースとかかき氷とか沢山あるぜ」
「友達待ってるから結構です……あ、ルーちゃん」
「え、友達ってこの子!? やっべ、超レベル高え! な、なあネエちゃん、ここからちょっと歩けば美味い店あるんだけどよ、一緒に――」
「
「あれ? 英語? え、えーと……」
「
「く、くそっ! 何言ってるか分かんねえんだよクソアマ!」
キレッキレのネイティブトークに気圧されたジモティが形勢悪化を悟り、捨て台詞を吐いて退散する。
チキショー! よりにもよってまた同じ展開かよ!
どうやら僕は敵を見誤っていたようだ。
ルフィナ・レシュリスカヤ。彼女こそ僕が倒すべき真の敵だったのだ。その鉄壁のガードを崩さない限り、僕と矢吹さんの夏は始まらない。
「ありがとうルーちゃん。ちょっとしつこかったから助かっちゃった」
「タイミングが良かっただけだ。気にするな。まあ、他の奴のチャンスを潰しちまったみたいだがな。ほら、あそこで突っ立てる馬鹿」
「え? ……あ、古賀君」
「や、やあ……」
うっわー、超気まずい……。何も悪くないのにこのいたたまれない心の距離は何だろう。今なら「こんなに近くなのにあなたが遠い」的な安い歌詞のラブソングにものめり込めそうな気がする。
「クララ先生と一緒じゃないんだ……」
「う、うん! 勉強ばかりだから今日くらい学生同士で楽しんでこいって言われてさ。まったく普段からあれくらい気を遣えないのかなぁ」
「そうだよね……四六時中一緒にいるわけにはいかないもんね。だって2人は教師と生徒という禁断の垣根を越え――」
「違う! これは誤解なんだ! 昨日はただクララちゃんがマッサージしてくれただけだよ。本当にそれだけなんだ!」
「大丈夫。2人の仲は私の胸の中に留めておくから。幸せになってね」
「その辺にしといてやれよ。そいつもう半泣きだぞ」
完全にクララちゃんの話を曲解してしまった矢吹さんを元に戻すのは至難の業だった。
些細な言葉の解釈の差が新たな誤解を生み、その度におだてて宥めて泣き落とし、最後は「僕はノーマルなんだ! 誓って浮気なんかしてない!」と渾身の土下座をしたらようやく信じてくれた。
ちょっと引き気味な感じだったけど錯覚だろう。こんなことで僕らの愛は破れたりしない!
僕が矢吹さん一筋だと分かってもらえたお陰で、やっと水着の方に意識が向いた。
矢吹さんは青地のフリルとスカートに水玉模様というデザインのおかげで、華奢な彼女の可愛らしさがさらに増しながらも、清涼剤のような爽やかさを演出している。
いつかPVで見たグラビアが飛び出たと錯覚するレベルだ。やや胸が寂しいけどフリルの効果で上手くカバーしているし、そもそもそんなのが気にならないほど天真爛漫な輝きが浜辺にもう一つの太陽を生み出す。
「尊い……」
「古賀君、何で泣いてるの……?」
ぐすっ、だって、少し前までガチムチマッチョのオッサンたちに囲まれて訓練してたんだもん。
あのゴツゴツして見るだけで暑苦しい連中と比べ、女子という存在がどれほどありがたいことかこれ以上ないほど実感できる。
しかも矢吹さんの水着が生で拝めるならば、若干引かれても何の問題もない。ビバ夏!
「遅かったな。欠席したって聞いたが、結局間に合ったのか?」
「あ、うん。親戚の方の用事と予定が被っちゃって――」
実はこのビーチに踏み込んだ折に、僕は彼女と話すときには最大限の自制心を持とうと決めていた。
事前に意識しておかないほどに、その姿は衝撃的だったから。話しかけられた以上無視するわけにはいかず、覚悟を決めて正対する。
一瞬、時が止まった。
レシュリスカヤさんはどちらかというとシンプルな出で立ちだった。黒の三角ビキニにホットパンツ、その上に羽織った白いシャツと肌の露出は比較的少ない。
にも関わらず彼女のプロポーションは色んな意味で規格外だった。
平均以上に発達した胸がくっきりと谷間を作り、引き締まったウエストはくびれながらも高密度の腹筋が浮き出ている。特に長い脚はしなやかで鋭さすら纏い、美脚という表現が陳腐に思えるほどだ。
細身だが恐ろしく鍛えられた身体。無駄を削ぎ落としたアスリートの如き機能美と天性の艶やかな女性美の黄金比は、ギリシャ彫像も斯くやという圧倒的な存在感を誇っていた。
「見世物じゃないぞ」
「あ、すんません」
高校生とは思えない身体つきについまじまじと見入っていると釘を刺された。
いかん。矢吹さんが隣に居るというのに、他の女子に夢中になってしまうなんて!
これほど完成されたスタイルなんて姐御以外見たことが無かったのに……スラヴとゲルマンの血統恐るべし。
「何度見ても凄いよねこれ。私もルーちゃんの水着選びそっちのけになっちゃったもん」
「2人で買いに行ったんだ」
「ううん、寺田君も一緒だったよ。流石に水着コーナーには来なかったけど」
へー彼氏と一緒に行ったんだー。おのれ寺田め、美鈴ちゃんだけでは飽き足らずレシュリスカヤさんにまで手を出したか。
やはりあの腐れ幼馴染は一度粛清せねば。スイカ割りのどさくさに紛れて脳天かち割ったろか。
「というか古賀君もそんなだぶだぶのTシャツなんて着てたら暑くない? 熱中症になっちゃうよ」
「熱中症よりも日焼けの方が怖くてね。日焼け止め忘れちゃったし。それよりも何か視線が……」
チラチラとそれとなくこっちを見てくる同級生たち。中にはあからさまにヒソヒソ値踏みしている輩も居る。
何であんな美女2人にお前がくっ付いてるんだよ。空気読めや。そんなところだろうか。
だがめげない。こんなチャンスをふいにするくらいなら、妬みなど税金だ。
「あーたぶん、これのことじゃないかな……」
矢吹さんが手持ちのポシェットから携帯を取り出す。映したのはいつぞやの裏掲示板。
『レシュリスカヤってやっぱり古賀と付き合ってるくない?』
『資料整理の時喋ってるの見た。よくあんな女と平気で話せるよね』
『校内史上初の不適合者カップル誕生の件』
「……」
やべえすっかり忘れてた。最初は僕が変な誤解を受けないために動いてたのに、紆余曲折を経ているうちに完全に記憶から抜け落ちてた。
つーかこの学校当たり前のように実名公表してない? 不適合者なら何してもいいってか!? ふざけんな僕には美鈴ちゃんという心に決めた人が居るんだ!
いやそれよりも今はもう1人の反応が気になる。見た感じいつも通りのノーリアクションだけど、腹の中はどう思っていることやら。まずはフォローしておくべきだろう。
「ま、全く困っちゃうな~皆して根拠のない噂信じちゃってさ。レシュリスカヤさんなら僕みたいなモブよりもっと上のランクを狙えるよ」
「ね?」と同意を求める。よし、これでこの子が軽く肯定すればこの話題は手打ちだ。
「……ただのモブじゃないのは古賀の方だろ」
「へ?」
小さな呟きが潮風の嘶きに遮断される。もう一度聞こうと顔を寄せたら、スッと微妙な間合いを空けられた。あっれー? 何か敬遠されてる?
おかしい。まさかまだ先月のボヤ騒ぎのことで警戒されているのか?
期待した答えが返らず、事態を知らない矢吹さんもきょとんとなり、会話が回らなくなった。
だがそこはアイドルとしてトーク力も優秀な矢吹さんが、すかさず別の話題を持ち出す。
「こういうの好きじゃないな。不適合者だからって面白がって……ルーちゃんも古賀君もとても良い人なのに。でもルーちゃん綺麗だからこういう話のターゲットになりやすいのかも。さっきのナンパも早速挙がってるよ。『英語でガンガン攻めてた。パネェ』だって」
「日本語分からないふりすれば大抵は諦めるからな。偶に英語で返す奴もいるから、普段はロシア語を使ってる」
「……ん? じゃあレシュリスカヤさんがロシアに居た時は? 海外ってサブで英語を話す人なんてざらでしょ」
「そのときはドイツ語で話してた」
なんちゅうスペックの無駄遣い……。
その後も適当に駄弁っていると、ピンポンパンポーンと迷子センターでよく聞くコールがビーチに伝播した。
『14時になりました。麦ヶ丘高等部の皆さんはホテル前の広場に集合してください。繰り返します――』
「集合? この後何かあったか?」
「私は何も聞いてないけど……とりあえず行ってみよっか」
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