第38話 異世界でさんざん苦労したので、転移した現代では楽に生きたい



 事の顛末を要約すると、辛うじて命を繋いだ慧と賢司は警察に身柄を拘束されることになった。

 賢司の証言で慧がやっていた悪事が全て明るみとなり、現在はその裏を取っている。

 直に容疑が固まり起訴されるだろうとのこと。


 慧は黙秘を続けている。

 神奈木へ罪を着せたことや子供の誘拐、並びに殺害など目に余る行為が多すぎた。

 魔術師が魔術を用いて犯罪を行った場合、重罪に問われるのは確定だ。

 最低でも二桁年の懲役と魔術師生命の剥奪は覚悟することになる。


 一方で、ある程度の捜査が進んで無実が証明された那月の両親は晴れて自由の身となった。

 報道各所は大々的に取り上げ、世間に彼方の事件と共に激震が走ることとなる。

 また、彼方へ協力していた警察や協会職員の汚職も芋づる式に露見し、粛清が行われていた。

 彼らが表舞台へ出ることは二度とないだろう。


 そんな訳で、全てが解決し元の日常を取り戻すことが出来た那月だが――


「――どうですか?」

「……ん、美味い」

「それは良かったです」


 春の陽気のような微笑みを浮かべる那月。

 目線の先には手作りの肉じゃがへ箸を伸ばす誠。

 穏やかな空気が流れる夕食時は、紛れもなく心安らぐ一時だ。


 二人は変わらず一つ屋根の下で暮らしていた。

 というのも、那月が自ら両親に誠とここで暮らすことを直談判したのだ。


 話を聞いた両親は何故か狂喜乱舞した後に快諾し、このようなことになっている。

 一度は誠も那月の両親と顔を合わせて話し、信用が置けることも確認していた。

 何より、淵に立っていた那月をここまで支えてくれた誠を疑う余地など欠片もない。


「こんなに可愛い女の子の手料理が食べられるんですから、もう少し嬉しそうにしてもいいと思うんですけれど」

「自分で可愛いって言うな」

「……じゃあ、誠さんから見て私は可愛くないですか? 魅力的ではないですか?」

「……その質問は卑怯だろ。負けだ、俺の負け!」


 両手を上げて降参の意を示す誠に、満足そうに那月は笑む。

 照れ隠しの一種であることは、この一ヶ月ほどの付き合いでよく知っていた。

 そして、そういう風に自分を想ってくれている誠に暖かく愛おしい感情を抱いて。


 一つ、話すべきことを思い出した。


「……誠さんに話したいことがあります。とても大事な話です。もしかしたら誠さんは私を責めるかも――」

「――俺をこの世界に召喚したのが那月だ……って話か?」


 誠が何気なく返した言葉に、意表を突かれた那月は僅かに息を詰まらせた。


「っ……どうしてそれを」

「別に明確な根拠があった訳じゃない。ただ、可能性の一つとして考えてた」


 材料は揃っていた。

 神奈木の御子が扱う神降ろしの魔術。

 那月に施されていた記憶の封印。

 どれだけ探しても見つからなかった転移魔術を少なくとも知っている那月の存在。


 もし。


 無意識に那月が神降ろしをして異世界にいた誠を知らずのうちに召喚していたとしても、なんらおかしいことはない。

 強い感情はそれだけで魔術として成立する。


「……今まで黙っていてごめんなさい。真実を知って、拒絶されるのがとても怖かった」


 那月の本心。

 自分を信用してくれている人を裏切ってしまったのではないかという、底冷えするような罪悪感。


 ずっと目を逸らして過ごしてきた。

 けれど、それももう止めだ。


「私は誠さんの大切なものを奪ってしまった。それは変えられない事実です」

「……そうだな。確かに、俺は異世界に色んなものを置いてきた。帰る家も、友人も、他にも沢山」

「…………っ」

「でもな、人生別れは付き物だ。俺が初めて異世界に飛ばされて家族の顔も見れなくなった時はそりゃあ堪えたよ。隣で戦ってたやつが胸を貫かれて死んだ時の顔も忘れられない」

「誠さんを呼んだのは私で、私がいなければこんなことには――」

「でも、那月とこの世界で出会えた」


 どうして、なんて言えなくて。


「その時間すらも、那月は否定するのか? 置いてきたものと同じくらい大切なものを、俺は那月から貰ったよ」

「そんな訳……っ、ないじゃないですか! 誠さんに助けられて、助けられてばかりで。私があげられたものなんて何も――」

「あるんだよ」


 有無を言わさぬ口調でピシャリと遮り、遠い昔を思うように目を細める。


「右も左も分からない俺を那月は外へ連れ出してくれた。馬鹿なことを言っている俺を信じてくれた。衣食住も、ここで生きていくために必要なことも。それに……楽しい日々だった」

「……初めは打算ありきでした。誠さんが居てくれれば、どうにか出来るんじゃないかって」

「そんなの俺も同じだよ。那月が入れば色々知る機会があると思ってた。でも、今は違うだろ? 俺と那月は仲間だ。互いに協力して、時に迷惑も掛け合って生きていく仲だろう?」

「……私が誠さんから大切なものを奪っていたとしてもですか」

「そうだよ。失敗しない人間はいない。ましてや無意識でやったことを責めても意味無いって」


 那月は自分を罰して欲しいのだろう。

 銀のヴェールに隠れた表情は窺えず、俯きテーブルの下で固く両拳を握り締めていた。


 そんな様子が、どうにも見ていられなくなって。


 どうしたらいいか数秒かけて悩んだ挙句、誠は席を立って那月の横へつく。


 そして、


「……これでも、全然伝わらないか?」


 伸ばした両手を華奢な背に回して、優しく那月を抱き留めた。

 驚いたのか、一瞬だけ那月は肩を跳ねさせたものの、突き放すようなことはしない。

 恐る恐る温もりを確かめるように小さな手のひらが誠の背を撫でる。


「俺は不器用だから耳触りのいい言葉なんてかけられない。けど、こうして目の前で泣きそうな一人の仲間を抱き締めるくらいは出来る」

「……だめ、です」

「これじゃあ足りないか?」


 困ったように問うと、那月は顔を見せないまま胸の中でフルフルと首を横に振る。

 しかし、那月が抱き締める力は反比例するように強まっていた。


 本当は、もうわかっていた。


 誠が何も怒っていないことも、自分のことを大切に思ってくれていることも。

 那月も同じで……だから、胸の奥が痛くなる。


 あくまでそれは、仲間に向ける感情だから。


 今欲しいのは、それじゃない。


 身を僅かに離して上目遣いで見上げた先。


「……私を、仲間としての那月じゃなく、一人の女の子としての那月として見てくれませんか」

「えっと……ごめん。言ってる意味がわからなかった。俺にもわかるように簡単に言って欲しい」

「……誠さんって乙女心がわからないって言われませんか?」

「なんだよ唐突に。特に言われたことはなかったけど、それが何か?」

「はあ。天然なんですね。なら仕方ありません。――恥ずかしいので一回しか言いませんよ」


 軽いため息を吐いて、薄らと頬を赤らめ紺碧の瞳に宿ったそれは恋する乙女の恋慕と、ほんの僅かな嫉妬心。

 普段なら口に出せない甘えた言葉も今なら言える。


 断られたら、なんて考えは頭になかった。


 今を逃したら次があるかわからない。


 二度と後悔なんてしたくなかったから。


 少しの溜めを置いて、桜色の唇が開いて。


「――キス……してください」

「……………………はい?」


 精一杯の間を挟んで、誠が聞き間違えたのかと何度も頭の中で那月の言葉を反芻した後に素っ頓狂な声を上げる。

 未だに理解が及んでいない誠とは真逆に、那月の眼は真っ直ぐで純粋だ。


「えと、一応理由を聞いていいか」

「……私が連れ去られて誠さんが気を失った時、凪桜ちゃんが口移しで薬を飲ませたと聞きました」

「それはそうだが……あれはやむを得ない処置で」

「そんなのわかってます! ……でも、嫌なんです。私はッ!! 誠さんを誰にも渡したくないッ!!」


 必死に叫んだ声がリビングに響いて。

 ぐい、と迫った鼻先。

 つま先で立ち最大限に距離を詰め、揺れた銀髪から甘い香りが漂った。

 Tシャツの肩口を掴む那月の繊手は震えていて、天井の明かりを反射した紺碧が夜空のように煌めく。


 独占欲。


 滲み出した欲は際限なく膨れて、膨れて、抑えられなくなって。

 理性と本能の狭間で見失わなかったのは、たった一つの大切なもの。


「……ダメ、ですか?」


 目が、据わっていた。


「ダメとかじゃなくて! いや、待て! 心の準備ってものが」


 本能的な危機感を覚えた誠が焦りのままに那月から離れようと後退る。

 しかし那月も送れず追随し、ぺろりと赤い舌が唇を濡らす。

 肉食獣が獲物を狩る時の眼差しと似ていた。


 ひく、と誠が息を呑んで。


 迫った顔、暖かな吐息が頬にかかり。


「――待ちませんっ」

「っ!?」


 柔らかな感触が重なって。


 驚きも不安も恥ずかしさも何もかも全て思考の遥か彼方かなたへ吹き飛ぶ程に鮮烈な衝撃だった。


 優しく触れ合うだけのそれは一瞬。

 だというのに、満ち足りたような充実感を感じるのは何故だろうか。


 離れて、再び向き合った二人が目を合わせる。


「――唇、奪っちゃいました」


 悪戯げに微笑む那月の頭を小突いて。


 異世界でさんざん苦労したから、転移した現代では楽に生きたかったのに。

 現実、そう上手くはいかないものだ。


 だけど明日は、きっと楽しい日々になる。


 そう信じて、彼らは今日も生きていく。



 完


――――――――――――――――――――



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