第11話 優秀な怠け者

 


 支部長室を満たす微妙な空気。

 二人がけのソファに座る誠と那月、その対面のソファで寝転がる千鶴。

 背後に控えるは誠と視線が合う度にウインクを飛ばす薫。


 ケロッとした表情でテーブルに置かれた菓子を摘む千鶴とは対象的に、那月は普段の落ち着きが霧散していた。

 仕切りに直したはずの胸元を気にして、隣の誠をチラチラと見ては顔を赤くしてぷいっと目を逸らす。

 まるで野良猫のような態度である。

 針の筵にいるようで心が休まらない誠を支えてくれるのは、皮肉にも薫が淹れた緑茶だけだった。


「いやータンコブ出来るかと思いましたよー」

「……なんでアレをまともに食らって無事なの?」

「平然としてた方が強キャラ感出ません?」

「じゃあなに、今も痛いの我慢してんの?」

「ちっとも痛くないですね。鍛え方が違うのさ、小童……」

「いつの時代の人間だよ……」

「打てば響く反応っ、やっぱり人は揶揄ってこそですよね! 貴方ボクの玩具になりませんかっ!?」

「お断りだ!」


 半ば本気で危機感を滲ませての否定。

 千鶴の冗談とも思えない言葉に反応を示したのは、誠だけではなかった。


「千歳さん。誠さんは私と組むことになっているので、貴女の玩具にはなりませんよ。――ね?」


 冷淡な那月の声と態度に誠はうんうんと何度も頷いた。

 返事を間違えれば機嫌を損ねると珍しく勘が冴え渡った結果の選択。

 先程の事案で損なわれた信頼を少しは取り戻せただろうか。


 ……とはいえ。


 さっきの光景は脳裏に焼き付いて忘れられそうにないのも事実であって。


「――本当に、本当ですか?」

「っ、ちょっ、近いっ!」


 人目をはばかることなく身を寄せて、並の男ならば悩殺確定の上目遣いで誠を見上げた。

 膝に着いた那月の手、細い指の感覚がこそばゆい。

 目と鼻の先で甘い芳香を漂わせて揺れる銀の束。

 吐息が、頬を撫ぜる。


 気恥しさが勝った誠は息を詰まらせながら視線を右往左往させ、緩く開いた首元から肌色と水色の布地を捉えてしまう。

 それに気づかず、目を合わせようとしない誠の頬を那月の両手が挟み込む。


「ちゃんと目を見て、私を安心させてください」

「――っ、俺はアイツの玩具になんかならない! これでいいか! いいよな!?」

「はい。……そういう訳ですので、誠さんにちょっかいを出すのはやめてください」


 誠の誓いを聞き届けた那月は千鶴に厳しい目で警告する。

 次はないと言外の意味を込めて。

 そこまで彼に執着していると思ってもみなかった千鶴は一瞬だけポカンと呆気に取られ、流れるように腹を抱えて笑い出す。


「千鶴さん、何がおかしいんですか」

「くくっ……なにがって? そんなの決まってるじゃないですかっ! まさか気づいてないんですか? 見えてますよ・・・・・・、なつなつのとてもとても可愛らしい水色のブラ・・・・・♪」

「〜〜〜〜っっ!?!?」


 悪魔的な笑みで千鶴が告げた内容に、またしても那月は真っ赤に顔を染めて震える口から籠った音が漏れ出す。

 何よりも質が悪いのが、たとえ誠が那月のソレを見ていなかったとしても『可愛らしい水色』なのが知られること。

 誠と那月のどちらも幸せにはならず、傍観者だった千鶴だけの一人勝ち。


 慌てて胸元のガードを固めて僅かにキツくなった視線が誠を射貫く。

 拙い、と誠の危機センサーが警報を鳴らす。

 惨状に仕立て上げた黒幕は呑気に口笛を吹き鳴らし、薫はやれやれと我関せずの姿勢を取る。

 羞恥に一匙の怒りを混ぜた那月は彼の真意を確かめるべく慎重に言葉を選んで問う。


「……誠さん。見ましたか?」

「えっと、その……」

「誤魔化しは要りません。で、どうなんですか」

「――水色のやつを見ました! ごめんなさい!」

「ちょっと、声が大きいです! 色まで言う必要はないですよね!? ……はぁ、でも、正直に謝ったので今日のところは不問とします」

「……いいのか?」

「いいんですっ、ですが……流石に恥ずかしいので、忘れていただけると助かります」


 一先ずは許されたことに内心で安堵しながら、モジモジと恥じらう那月を前に「多分一生忘れられそうにありません」なんて言えるはずもなく。

 曖昧な返事すら聞かずに手打ちにした那月はケラケラと笑い続ける千鶴を睨んで、


「大体こういうのは全部千歳さんのせいにしておけばいいんですよ」

「はいはーい。こちらで免罪符は販売していますよーっと。それより、こんな茶番してていいんですか? 過労死レベルで多忙を極めるボクに用事があったんじゃないです?」

「鏡を見てから言ってくれ」


 辛辣な誠の指摘に激しく同意を示す那月と薫。

 那月は兎も角、副支部長の薫にすら見捨てられた千鶴の人望のなさが垣間見えた。


「では、用事を済ませましょうか。千歳さん、予想通り調査は罠でした。本命は私の殺害、並びに協力者の口封じだったと思われます」

「予想通り過ぎてつまんないですね。かおるん、早急に調査に同行していた探索者の素性を洗って下さい。可能な限り、全て」

「わかったわ。三日以内には間に合わせるわ」

「委細全て任せましたよー」


 寝そべりながら出された的確な指示。

 支部長の椅子はただの無能な怠け者が座れる場所ではない。

 千鶴の能力という一点においては、だらしなさに反比例するように優秀であった。


「黒幕はどこなんですかねー。彼方おちかた草薙祇くさなぎすめらぎ……うーん、魔術師の家は何処も腹芸が得意ですからね。それこそ扱いやすいのは神奈木くらいですし、推理しようにも情報が足りませんし、面倒なのであみだくじで黒幕決めません?」

「こんなに物騒なあみだくじ初めて聞いた。……って、アンタは那月の両親が無実だと思っているのか?」

「んにゃ、そんなのはどうでもいいんですよ。ボク達は中立、誰の敵でも味方でもありません。だからこそ、真実の究明のためとあらば協力は惜しまない……つもりですけど仕事増やすのはやめてくださいね? 見て分からないかも知れないですけど、ボクって働きたくないので」


 そんなわけないだろう……千鶴以外の心が始めて一致した瞬間だった。

 微妙に凍りついた空気。

 誰もがどうすればいいのかと迷っている中で、千鶴が「そうだっ」と飛び起きる。


「それよりまこまこのことですよ。探索者証明証を発行して欲しいって話でしたよね、なつなつ?」

「はい。ちょっとばかり込み入った事情があって、頼れるのがここしかないんです」

「ふむー……流石にボクとしても素性のしれない人に証明証を発行するのは躊躇っちゃいますよー」


 素性さえ知れれば発行していいと言っているように聞こえる。

 千鶴の意図を余すことなく読み取った誠がため息を吐いて、


「……で、俺の何を知りたいんだよ」

「じゃあ、なつなつとの関係を――って、嘘です、嘘! その滅茶苦茶に握り締めた拳をしまって! ……おほん。えと、どこから来たんですか?」

「テンションの差が酷いな。ああ、質問の答えは異世界からってことになるのか? 多分」

「嘘……じゃなさそうですね。異世界ですか、そうですか。そもそもこの世界の人間じゃなかったんですね。ようやく合点がいきました」


 得心がいった風に笑って、


「ボクの眼で底が視えないなんて久しぶりだったので、なつなつはどんな化物を連れてきたのかと思っていたんですよ」


 口元を弓なりに歪めて、血のような紅い双眸に遊びは一切なく頭の中まで見透かすように誠を視る。

 千鶴が興味を持つ人間は珍しい。

 大抵のことは高水準でこなせる彼女の眼鏡に叶うには、それなりの何かが必要。

 才能と言い換えてもいい。


「……魔眼持ちか」

「そーですね。ボクは人の資質を色で判別出来ます。詳しい話は省きますが、ボクから見てもまこまこは異常です。どうしてボクがモブみたいな評価を下さないといけないんですかね。ほんとっ、腹立たしいっ!」


 千鶴でなければ見抜けなかった異常。

 得体の知れない怪物を前にしているかのように、緊張がじわりと身体を侵食していく。


「でも、これで話を聞くだけ無駄なのがわかりましたね。戸籍がないんじゃ普通の手段ではどうしようもありません」

「えっ」

「なので! 可哀想なまこまこには一度きりのチャンスをあげます! 拍手!」


 逆にしん、と静まる室内。


「みんなノリが悪いですねー。まあいいでしょう。で、肝心の条件は――まこまこには模擬戦をして貰います。勝敗は関係なく、ボク基準で判定します。相手は……かおるん、お願いできますか?」

「あたしはいいけれど……まーくんは?」

「俺も問題ない」

「なら決まりですね。という訳で、裏手の演習場にゴーっ!」

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