第12話 模擬戦 vs薫



 演習場に出来た人集り。

 彼らはガヤガヤと騒ぎ立てながら、その時を今か今かと待ち構えていた。

 商機を逃すまいと売り子が至る所で声を上げ、観客の探索者は飲めや食えやのお祭り騒ぎ。

 好奇と品定めするような視線に晒されるのは中央にいる冴えない青年。


「……おい、千歳。この騒ぎはなんだ」

「あーこれですか? ちょっと噂を立ててあげたらこのザマですよ。娯楽に飢えているんですね♪」

「黙れ元凶。クソっ、明日はストレスで寝込むんじゃないか……?」

「まーくんも大変ね……心から同情するわ」

「同情するなら今すぐ人払いしてくれよ!?」

「そりゃ無理ですって。そんなことしてたら来年になりますよ」

「お前は少しやる気を出せ」


 千鶴の提案で模擬戦をすることになったのはいいのだが、観客がいるとまでは聞いていなかった。

 どちらかといえば模擬戦ではなく見世物。

 気にしているのが誠しかいないために民主主義的決定の前に敗北するしかないのだが。


 模擬戦の審判は千鶴が務めることになっている。

 大丈夫かと不安ながら、もうここまで来たらヤケも同然。

 自分に出来ることを精一杯やるだけと割り切っていた。


「――誠さん! 頑張ってください!」

「なんとかご期待に添えるようには努力するよ」


 模擬戦に参加しない那月は少し離れた場所から応援して手を振っていた。

 信じてくれる少女の期待を背に、誠は相手の薫を見やる。


 薫の獲物は両拳に装着した鋼の篭手。

 対して誠が選んだのは使い慣れた鉈。

 刃は潰されているものの、探索者の膂力で振られれば鈍器の域に達する威力を得る。


「判定はボクがしますね。どちらかが寸止めするか降参したら決着。多少の怪我は治癒術士がいるので気にせず安心して殴りあってください♪」


 怪我人が来ても直ぐに治療ができるように、協会には治癒魔術を扱える人間が常駐するよう義務付けられている。

 千鶴の言葉に何かしらの裏を感じたが、今は模擬戦に集中するべきと深呼吸。


 戦いへ、意識のスイッチを切り替える。


「まーくん、お手柔らかにね?」

「それはこっちのセリフだっての」

「それじゃあ見合って――はじめっ!」


 開戦の合図。


 瞬間、両者同時に身体を魔力で満たし、地を蹴り懐へ踏み込む。

 宙を薙いだ鉈は篭手で受けられ、反撃の鉄拳は紙一重で躱され空を切る。

 初撃は共に不発。


 間髪入れずに奔る鉈は見切られているかのように薫の完璧な防御を貫くことは叶わない。

 余裕を見せる薫だが、それは誠とて同じ。

 これはほんの小手調べ。

 まだ勝負は始まったばかりなのだから。


 篠突く雨のような鉈の連撃。

 縦横無尽に閃く鈍色、間を埋める拳打を前にして、薫は一歩も退かない。

 鉈に合わせて篭手を振り抜いて弾き、突き出した腕を掴んで関節技へ持ち込もうとした。


 しかしそれも想定内。

 焦ることなく腕と身を引き、そのまま身体を回してブーツの踵での回し蹴り。

 入るかと思われたが盛り上がった金属のように硬い上腕二頭筋に阻まれた。

 靴底で蹴り抜いて両足と左手の三点で着地し、距離を取りつつ視線は前へ。


「それで終わり? なら――行くわよッ!」


 二人の攻守が入れ替わる。

 消えたとすら錯覚する速度で詰めた彼我の距離。

 咄嗟に誠は身体強化のギアを一段上げて、薫の姿を目と鼻の先に捉えた。

 振るった刃が届くより突き出した拳の方が尚早い至近距離クロスレンジ

 それは薫が最も得意とする領域。


 リズミカルに繰り出される剛拳は、一撃貰えば容易に意識を刈りとる威力を秘めていた。

 瞬時に見抜いた誠は引き戻した鉈と体捌きで流れるようにいなし、凌ぎ続ける。

 掠るだけで痺れを残していく拳の威力に瞠目し、誠の意識がさらに深い集中の海へと沈む。


 ダンスでも踊っているかのように優雅でありながら、トリッキーな挙動で翻弄する。

 時折混じえる重機の衝突に匹敵する蹴撃が髪の端を穿ち、冷や汗がどっと滲み出た。


 ――完全に殺す気だったろ今のっ!?


 誠の悲痛な叫びに反して、観客のボルテージは右肩上がりに伸びていく。


「薫さんと互角!?」「うおぁぁぁぁぁぁっ!!!!」「惜しいっ!」「兄ちゃん頑張れお前に晩飯代賭けてんだよ!」「うほっ、いい男!」


 怒号のように確かな熱量を孕んで響く歓声。

 驚愕、歓喜、その他色々な感情が混ざり合った歓声は、概ね好意的なものが大多数を占めていた。

 理由は色々とあったが、なによりも『あの早乙女薫』と互角に打ち合っていること。


 探索者ならば彼を知らない人はモグリとすら呼ばれるほどに伝説的な探索者。

 今は現役を引退しているものの、肉体と強さが衰えたと侮るものはいない。


 では、そんな評価を世間から下される薫と真正面で打ち合っている冴えない青年は何者なのか。

 強さこそを重視し極限まで追い求める探索者であれば、興味を惹かれるのは畢竟……至極当然のことであった。


「早く本気を出さないと負けちゃうわよッ!」


 より鋭く、より苛烈に殺到する鉄拳と豪脚の嵐。

 そんな事言われても、と口に出すことは出来ず、身を守るための迎撃に追われる。


 真正面から受ける必要は無い。

 ワンクッション挟んで外側へ衝撃を流して身体への負担を軽くする。

 次を予測しながら顔面を打ち抜かんと迫る右は首を倒して躱し、腹を掬い上げる左を受け止めながら背後へ自ら跳ぶ。


 くるり、上下反転した世界。

 きっかり一回転で膝を曲げながら着地し、弾丸のように飛び込んだ。


 薫と実際に戦ってみて勝てるかどうかの前に、誠は一つの結論に行き着く。


 ――死ぬ気でやっても、この人は殺せない。


 どれだけ異常な思考なのか気づかないまま。


「――っ!?」


 変化は一瞬。

 だが、常に身を死地に置いていた熟練の戦士は誠が纏う雰囲気が一変したことを肌で察知した。


 同時に粟立つ皮膚。


 生物の本能に訴えかける原初の感情。


 恐ろしいまでの……殺気・・


「はっ」


 浅い息、風きり音を響かせる鈍色の輝き。

 惜しくも薫を捉えられはしなかったが、回避のタイミングはギリギリの紙一重。

 コンマ一秒でも遅れていれば決着がついていた。


 初めて薫の表情に焦りが浮かぶ。

 模擬戦だと頭では理解しているのに、身体は殺し合いだと訴える。

 さっきの一撃を回避出来たのは反射的に己の感覚を優先したからだ。


 つまり――見切れてなどいなかった。


(嘘でしょっ!? まるで人が変わったみたいじゃない!?)


 驚愕に震える薫。

 戦況が傾いたのを目敏く理解した一部の観客が、ゴクリと戦ってもいないのに息を呑んだ。


 初手を外した誠は手元で鉈を回して逆手に持ち替え、続けざまに突きを放つ。

 しかし、薫の分厚い胸板の前に差し込まれた篭手が受けきり、鉄と鉄が打ち合う甲高い音と共に火花が弾けた。

 これもダメか……淡白な感情のまま誠の姿が薫の視界から掻き消える。


 見失い必死に気配を探る薫の足元に重い衝撃。

 ローキックには反応出来ず、派手に転んだように巨体が宙に浮く。


 最後に薫が見たのは暮れゆく茜色の空と、首元に添えられた鉈の刃で。


「――そこまでっ!」


 誠の勝利宣言が高らかになされ、演習場の観客から一斉に歓声が爆発した。

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