第10話 探索者協会へ



「誠さん! 次はあっちに行きましょう!」

「わかった、わかったからちょっと待って! 迷子になる! 俺が!」

「むぅ……しょうがないですね」


 那月は不服げに頬を膨らませて、けれど上機嫌に歩く速度を緩めて荷物で両手が塞がっている誠の隣に並んだ。

 買い出しのために訪れた郊外のショッピングモールは、平日の午前だからか空いている。

 しかし、擦れ違う人の視線を否応なしに那月は引き寄せていた。


 それも当然。

 今日の彼女は一段と気合が入っているのだから。


 白い薄手のオフショルダーニットから覗く色香に溢れる肩から鎖骨のライン。

 緩いグレーのキュロットと脚を包む黒いタイツの対比が一層美しく魅せる。

 素体の良さを活かすナチュラルメイクで少女らしさも演出しながら、桃色の唇は情欲を唆るほどの柔らかさで艷めく。

 銀を梳かしたように光を反射して輝く長髪を手で払えば、さらりと銀のカーテンが舞い踊る。

 細部のケアも怠ることなく、一部の隙もない美少女……それが誠の隣にいる那月という存在。


「周囲の視線が痛い……なんであんな男が隣にいるんだよって男女両方の視線が痛い……」


 必然、那月の後に誰もが至って普通な誠を見て、どろりとした嫉妬を帯びた視線を浴びせるのだ。

 そんな目で見られる経験は皆無であった誠のストレスは加速度的に上昇する。

 外見上では変化こそ現れていないのは、一重に隣にいる少女を思っての痩せ我慢。

 出来るなら今すぐに逃げ出してしまいたい気分だった。


「そんなの気にしなければ良いんですよ」

「俺はそんなに精神が図太くないっての」

「私が図太いって言いたいんですか? 流石に心外です。これでも多感で繊細な16歳ですよ?」

「自分で繊細とか宣言するやつは例外なく図太い」


 バッサリと那月の抗議を切り捨て、歩く。

 歩幅を合わせて、他愛のない会話をして、適当に相槌を打って。


「……これって、客観的には恋人がデートしてるように見えたりするのでしょうか」

「那月さん? そんなに俺をストレスで殺したいの? ねぇ?」

「単なる興味・・ですよ。私、年が近い男の人と二人で出歩くなんて始めてだったので、言ってみただけです」


 柔らかく笑って誠よりも少し前へ。

 銀を揺らして、ほんのりと熱を持った自分の顔を隠したくて。

 困ったように後ろから響く足音が頼もしくて。



 楽しい時間が過ぎるのは早く、あっという間にお昼時がやってきた。

 立ち寄ったフードコートで昼食を済ませて午後の部が開幕する。

 持ち運べないものは那月の自宅に配送してもらうことになっているが、誠が両手に抱える荷物はそれなりの重量だ。

 しかし、その程度の重さはなんのその。

 鍛えた筋肉の前には無力であった。


 連絡用の携帯端末も購入したところで、当面の生活に必要なものは揃った。

 稼いだらキッチリ返さなければと心に留めて、続けてバスを乗り継いで向かうのは那月の用事。


「――着きましたよ。ここは探索者協会の支部……ギルドなんて呼ばれ方もしますね」


 簡単に紹介する二人の前には、近辺では一際目立つ大きな建物。

 探索者を統括、管理して効率的に運用するための世界共通機関。

 国の産業を支える探索者を国が支援するのは自然であり、利用者は世界人口の5割を超えるとも言われている。

 本部はアメリカのニューヨークに構えられているが、支部は全世界に多数存在する。


「なんという現代ファンタジー。ベタだけど機能を考えたらないわけがない」

「探索者が職業としてある以上、基準を設けているのは多くの人にとっては助かりますからね」


 解説もそこそこに、那月に連れられる形で二人は建物の中へと消えていった。



 異世界にも似たような建物はあったが、中にいる人は至って普通の人が多数派・・・だ。

 中には探索で使う装備を着込んだ人もいるが、待ち合わせ場所としても使われているのだろう。

 誠が恐れていた世紀末風現代ファッションの巨漢や明らかに何かあったと察してしまう血塗れの人は、今日のところは姿が見えず安堵する。

 ガヤガヤとあちこちから話し声が響く広々としたホールを抜けて、幾つか並んだ受付へ。

 女性の職員さんが二人を見て用向きを伺う。


「こんにちは。本日はどのようなご要件でしょうか?」

「えっと、ここの支部長に呼ばれて来ました」

「失礼ですがお名前を伺ってもよろしいでしょうか」

「神奈木那月です。それと、出来れば隣の彼も――」


 当然話を振られた誠はどうするべきか悩んだ挙句、会釈だけしてやり過ごす。


「……っ、わかりました。少々お待ちください」


 やや驚いて表情を崩すも、すぐさま持ち直して奥へと駆けていく。

 待つこと一分足らずで先程の職員が戻ってきて、


「確認が取れました。お二人で支部長室までご同行お願いします」


 許可も取れたところで職員に連れられ、支部長室の前に来たところで仕事は終わりとばかりに二人は残される。

 いつものように那月が扉をノックしようとして、そういえばと思いとどまった。


「誠さん。今から支部長に会いますけど……その、かなり変わった人なので気をつけて下さい」

「……帰りたくなってきた」

「ダメです」

「ですよね……」


 ガックリと肩を落とすも、逆に那月が変人と評価する人が見てみたくもなっていた。

 興味半分、恐怖半分。

 準備は出来たとばかりに那月が扉をノックする。


「――入って良いわよ〜」


 それは粘つくような男の低い声。

 本能的に身の危険を感じた誠がぶるりと身体を震わせる。

 那月も眉根を寄せて怪訝な表情をするも、立ち往生する暇はないと扉を開けて中へ。


 二人の視線の先、歓迎するように人のいい笑みで近寄るのは筋骨隆々とした女装中の大男。

 鍛え上げられた筋肉を押さえつける張り裂けそうなビビットピンクのベスト。

 華のように膨らんだフリルの多いスカートから伸びる太く逞しい小金色の両脚。

 メイクのなされた顔、長いつけまつ毛でパチリとウインクを飛ばす。


 はっきり言って、誠の精神は狂い始めていた。

 新手の悪魔と言われた方がまだ納得して現実を直視することが出来ただろう。


 時に現実は想像の天井をぶち破って天へと突き抜けるもの。


「……那月、これは夢か?」

「現実です。それより失礼ですよ」


 早くも現実逃避を始めた誠に注意する那月は、見えない脅威を警戒するように室内へ視線を巡らせていた。

 誠には目の前の男以外に警戒する対象がいるように思えなかった上に、人のことを気にしている余裕が無い。


「お久しぶりね、なーちゃん。元気してた?」

「こちらこそお久しぶりです、薫さん」

「もぅ、カオルちゃんで良いわよ。それより、隣のあたし好みな色男は?」


 薫が誠へと視線を移し、うっとりとした眼差しを向けた。

 またしても震える身体。

 心までは屈服せまいと、眼前の恐怖に真正面から立ち向かう。


「茅野誠です。今日は那月に連れられて……」

「あら、そうなの! しかも今、まーくんは名前で呼んでいたわね。もしかして……そういう関係?」

「違う!」

「違いますっ!」


 図らずとも息ぴったりでの否定。

 あら、と薫は口元に手を当てて、「お熱いわね」と聞こえない声量で漏らした。


「ああ、そうそう。自己紹介がまだだったわね。あたしは早乙女薫。ここの副支部長をしているわ」

「……副? 支部長じゃなくて?」

「ええ。支部長なら――」


 薫はまだ見ぬ支部長の居場所を伝えようとしたのだろう。

 だが、その寸前。


「――ひゃっ、んっ」


 誠の隣から聞こえた……嬌声。

 羞恥に染まる那月の表情、庇護欲を掻き立てる潤んだ紺碧の瞳は誠に「見ないで」と訴えているようで、それが逆に目を離せない要因になっていた。

 何事かと異常を確認する誠が発見したのは、モゾモゾと那月の服の内側……胸の辺りで蠢く何か。

 固まる思考、相反して視線はその一点に固定されていた。


「――あー、いい揉み心地ですねー。慎ましくも若々しいハリと弾力に富んだ、それでいて指が沈むほどの柔らかさっ!」


 まるでグルメリポートのように那月の胸の感想をつらつらと述べるハスキーボイス。

 スキンシップと呼ぶにはあまりに過激で、背徳的で、扇情的な光景。


「んーっ、ブラ邪魔なので外しますねっ?」

「〜〜〜〜〜〜っっっ!?!?」


 パチンっ、と。

 留め具が外れる音と同時に那月から声として認識できない音が発せられて。

 羞恥が一周まわって怒りへ変わり、臨界点を迎えた那月は残像が残るほどの速度で背後のソレへ回し蹴りを叩き込む。


 回避はままならず、まともに食らったソレは壁へ勢いよく激突して上下逆さのまま奇妙なオブジェと化した。

 そこで始めて誠にソレの全容が映される。


 癖っ気のある栗色の髪はセミロング程で、逆さのまま垂れ下がっている。

 背丈は那月よりも少し小さいだろう。

 身につけている服はブカブカのTシャツのみで、それもめくれあがって胸を覆う黒いブラジャーが唯一の装甲。

 同色で際どいデザインのパンティーから精一杯に目を逸らしながら、誠の脳裏を過ぎる那月の言葉。


『かなり変わった人なので気をつけてください』。


 それ、ちょっと違くないかと。


「ド変態の間違いだろ……」

「――初対面でド変態って酷くないですか? もしかしてそういう趣味の方?」

「違うわアホっ!?」


 今しがた壁と同化した人からの呼び掛けに全力を持って否定の言葉を叫ぶ。

 よいしょ、と床を転がり起きて乱れた髪を適当に直し、眠たげな猫のような紅い瞳が誠を向いた。


「あー、どうも。ボクが支部長の千歳千鶴です。ところでまこまこ?」

「まこまこって俺?」

「そうそう。二人は乳繰り合ってるズブズブでヌチュヌチュな関係で――ぶへぇっ!?」


 視認すら叶わない速度で迫る右ストレートが千鶴の頬を打ち抜き、再び壁とドッキング。

 ぜぇぜぇと息を荒く、外されたブラジャーが落ちないように左手で胸を押える那月が顔を真っ赤なまま、


「私とっ! 誠さんは! そういう関係じゃありませんーっ!!!!!!」


 響く絶叫。


 それは協会内に余すことなく伝わったと聞かされ、千鶴に弄られ羞恥に悶えることになるのは別の話。

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