第7話 『神奈木』



 膝丈のズボンと半袖シャツに着替えた誠は那月に連れられ、彼女の部屋を訪れていた。

 何故、と問う暇すらなく、誠は人生で始めて異性の部屋へ足を踏み入れる。


「流石にベッドは一つしかないので敷布団ですが……」


 申し訳なさそうに言う那月に釣られて、誠は整理整頓がなされた部屋を見回す。

 窓に面して置かれたシングルベッド。

 その一段下に誠の寝床になる布団が敷かれていた。

 中央のローテーブルにはノートパソコンと読みかけの文庫本。

 壁際の本棚には古めかしい装丁の分厚い本がぎっしりと詰まっている。


 物が少ないのは変わらないが、それだけにベッドに座るテディベアが那月が少女であることを誠に意識させた。

 誠がテディベアを見ているのを勘づいたのか、恥ずかしそうに頬を赤らめ目を逸らす。


「いや、寝る場所を貸してくれるだけで有難い。というか那月は嫌じゃないのか?」

「茅野さんは信用できますから。それに、今後のことも話したいので」

「ならいいけど……」


 家主の決定とあらば是非もない。


「では、私も汗を流してきます。クローゼットの中とか漁らないでくださいね?」

「しないって。あ、パソコン借りてもいい?」

「そのくらいならご自由にどうぞ。戻ったら今後のことを話したいのでそのつもりで」

「了解」


 最もだと頷き返して、那月は予め用意していた着替えを抱えて部屋を後にした。

 パタン、と閉じたドア。

 一人になった部屋で悩ましげにため息をつく。


「……ほんと、なんなんだか」


 自分に意識させるのが那月の目的なのかと勘繰るも、結局答えが出ることはない。

 人の心を読めるような特殊能力を持ち合わせていない以上、ありのままで接する他ないのだ。


 ノートパソコンを開くと既に起動していて、那月が調べ物をしていた痕跡が残っていた。

 なんとなしに目を通してみるが、ある単語を見て手が止まる。


「……なんだよ、これ。『神奈木』家の当主が違法な魔術実験で逮捕……?」


 魔術の存在する世界なのは誠とて周知の事実だったが、これは一体どういうことかと。

『神奈木』は、那月の苗字だったはず。

 さらに記事を読み込み謎を追う。


「日本屈指の魔術師の家系による前代未聞の不祥事……実験に使用された子供の死体。現在は裁判に向けて拘留中。まず間違いなく死刑の見通し――ああ、なんだよ、これ」


 警鐘が、けたたましく響く。

 風呂上がりの火照った身体を置き去りに、頭だけが真冬のように冷たく冴え渡る。

 嘘であって欲しい、そんな希望を一片足りとも残さぬように砕かれるようで。


 忙しなくスクロールしていた画面が唐突に止まる。

 そこは回覧者がコメントを残す場所で、誠の視線は一点に集中していた。


 自覚もせず砕けんばかりの力で奥歯を噛み合わせ、震えるほど硬く握られた拳。


「――『殺人鬼の『神奈木』には那月とかいう一人娘が居ただろ? 早く世のため人のために地獄に落ちてくれ』……? ……ふざけんな。ふざけんなよ、クソが」


 そのコメントを見た瞬間、沸騰したように怒りが湧き上がる。

 お前が那月の何を知っている――そう、コメントを残した下衆の顔面に叩きつけてやりたかった。


 誠は今日一日のことを振り返る。

 必死にオーガから逃げながら助けを求める少女の姿を。

 脆く壊れそうなのに、常に弱い面を見せようとせず気丈に振る舞う姿を。

 寂しげに自分へ縋るような目を向けていた姿を。

 一輪の花のように可憐で穢れない微笑みを。


 ――なんだ、馬鹿か俺は。


「初歩の初歩だろ、こんなの。人の意見に惑わされるな。真実は自分の目で見て確かめろ。俺は不器用だから二つを追っても成果は出ない。せめて――信じると決めたなら、死ぬまで意志を貫け」


 それは誠なりの教訓。

 自分の目で見たものしか信じられない。

 他人の意見に聞く耳は持つが、参考にするかは自分の勝手。

 何度も何度も取りこぼしたから。

 数え切れないほどの失敗を越えて、誠が手にした唯一の指針。


 信じられなくて大切なものを失うより、馬鹿正直に一つを信じた方がまだマシだと。


 それに、だ。


「鬼王と戦った時、俺の賭けに那月も命を懸けてくれた。信じてくれた。だったら、俺が那月を信じなくてどうするんだよ」


 単純な話だ。

 釣り合いが取れていない。


 那月が自分に預けた信頼で天秤が傾いたまま不義理を働くのは、誠の信念に反するもの。

 信用には対価が必要だ。

 そして対価は、もう貰っている。


 誠が那月を信用する理由としては十分過ぎた。


 だが、しかし。


 それとは別に理由を挙げるとすれば。


「……あんな顔のやつを放っておけるかよ。どうしようもない中で足掻き続ける諦めの悪い顔」


 昔の自分自身と重なる。

 八方塞がりでも、どうにか打破しようと手を尽くす懸命な姿が。

 誠は運良く出会った人に助けられて、今この時を生きている。


 力不足かもしれないけれど。

 誠の心は決まっていた。


「って、時間は――」


 慌てて現時刻を確かめると11時を少し回った頃。

 那月が部屋を出てから20分を過ぎようとしている。

 記事に熱中するあまり、他に調べたいことが山積みなのを完全に忘れていた。


 片っ端から検索をかけること10分。

 画面を追っていた誠の耳に軽い足音が聞こえてきた。

 かと思えばすぐに部屋のドアが開き、白いワンピース風のパジャマを纏った那月がさっぱりした表情で戻ってくる。

 膝下でヒラヒラと薄い布地が揺れ、首元は緩く下手したら胸まで見えてしまいそうだ。

 可憐な華……そんな言葉が似合う那月の姿に目を奪われ、瞬時になけなしの理性を取り戻す。


「調べ物は済みましたか?」

「まあ、ぼちぼちだな」

「そうですか。それはよかったです」


 キッチリ乾かし艶めいた銀髪を後ろへ払いながら、ぺたぺたと素足で部屋を歩いて自分のベッドに腰を落とした。

 そのまま伸びをして、「んんっ……」と心地良さに細い声が漏れる。

 どことなく色気を感じさせる那月から意図的に視線を外すも、声は容易に誠の耳へ滑り込む。

 しかし鋼の精神で持ち堪え、至って自然な様子に誠はあのページが開いていたのが意図的ではないと確信する。


「それでは、茅野さん。今後のことについて少し話をさせてください」


 どうやって両親の話を聞くべきかと機会を窺いながら、誠は頷いた。

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