第35話 勝手に殺すな
示し合わせるでもなく誠は鉈を抜き、慧は魔術を放つべく体内で魔力を熾す。
二人の距離はそう離れてはいない。
近接を扱う誠の方が有利かと思われるが、何も敵は慧一人だけではない。
「――起きろ、使い魔共っ!」
一声で壁際に控えていた異形の使い魔たちへ魔力の経路を繋ぎ、動力を得た彼らが一斉に動き出す。
三分の一は慧の援護に、残りは那月ら三人を襲うため不気味に蠢く手を伸ばした。
「さーちゃん少しお願いっ!」
「まかせて」
那月の治癒を続けている薫は異形の相手を凪桜に任せるようだ。
流石に戦いながら治癒するのは自分の身体だけで手一杯である。
気だるげに長い瞬きの後に――パチリと金色の瞳を見開き、小太刀を順手と逆手で一本ずつ抜き脱力して佇む。
床を這って迫る異形の使い魔に恐怖はなく、奇怪な声を上げるだけ。
それはどこか、悲しんでいるようにも聞こえた。
四方から囲まれた凪桜に焦りの色はない。
「――いくよ」
桜色のマフラーを靡かせ、一瞬のうちに凪桜の姿が暗がりへと溶ける。
足音はない。
忽然と消えた凪桜の姿を探す異形。
――ぼとり、と床に落ちた無数の腕。
遅れて鮮やかな断面から溢れた黒ずんだ血液が床をべったりと濡らした。
肉体から切り離された腕はうねうねと床をのたうち回り、やがて活動を停止する。
悲鳴はなく目立った反応もないことから、彼らに痛覚というものは存在しないのだろう。
「やっぱり気持ち悪い」
辟易とした呟きは異形の背後から。
小柄な身体を最大限に使って振るう刃。
首へ奔る銀閃が易々と撥ね飛ばす。
くるりと回って繰り出す踵で浮いた頭部を弾き、ピクピクと痙攣する胴体の正中線を引き裂いた。
一連の流れに迷いも躊躇もなく、明らかに手馴れた者の動き。
凪桜は眉ひとつとして動かさない。
闇に紛れ首を狩る暗殺者に次々と倒れる異形の使い魔たち。
意思なき亡骸で埋め尽くされた戦場で、金色の光が煌めき踊る。
「俺も行くか」
そんな三人を背に、誠も億さず前へ踏み込む。
溢れ出んばかりの激情を理性で縛り、冷静かつ堅実に目の前の敵を倒す算段をつける。
慧は魔術師でありながら剣を持っていたが、今日はどうにも見当たらない。
後方からの魔術攻撃に専念するだろう。
なら邪魔になるのは肉壁となる使い魔たち。
彼らも慧が使役しているとなれば、ある程度の連携は取ってくると見るべきか。
だが、あくまで操っているのは慧本人。
精神的な余裕がなくなれば、連携は瓦解し攻めやすくなる可能性は十二分に考えられる。
コンマ数秒の思考。
誠が下した決断は――術者への奇襲だった。
「――一つ、教えてやる」
魔力を巡らせての二歩目。
速度の差で生まれた緩急に目で追うことが出来ず、慧は誠の姿を見失う。
それは使い魔も同じで、間をすり抜ける誠からワンテンポ後に手が伸びる。
すれ違いざまに刃を滑らせ傷を刻み、赤黒いシャワーを抜けて慧へ肉薄した。
使い魔の妨害をものともせず、ピッチャーが投球するようなフォームで鉈を振りかぶり、
「――俺は人を殺せるぞ」
「!?」
致死の刃は慧の顔面スレスレで不可視の障壁に阻まれ届くことは無かった。
生命の危機を感じた慧が反射的に行ったものだったが、遅れていれば一撃で顔面を二つに割られて死んでいただろう。
見えないほどに早くはない。
止められないほどに強くはない。
されど、本気の殺気が込められた攻撃を前に恐怖を感じない人間はいない。
いくら魔術師がいて、『鏡界迷宮』があったところで、真に人と人が殺し合う体験は珍しい。
しかし、誠がいた異世界は別だ。
グレーゾーンの人間たちは後暗いことに手を染めていることが多い。
そんな手合いと何度と殺し合い……時に殺して誠は生き残った。
「
地の底から響くような問いかけの声。
ヒュッ、と浅く息を呑む。
収縮した血管、震える指先。
目の前で障壁と拮抗する刃から距離を取り、突き放すべく魔術を行使する。
マシンガンのように撃ち出したのは風の刃。
まともに食らえば人体など簡単に斬り裂く魔術。
視認が難しく速度も早いため、この距離では何発か当たると確信していた。
誠は焦らず体内に循環させる魔力量を増やす。
リソースを割くのは視覚と聴覚。
緩慢に流れる世界の景色を一つ一つ認識し、迎撃する必要があるものだけをピックアップした。
そして。
機械かと見間違うほどの正確さで殺到した不可視の刃を全て叩き斬った。
風で翻る黒の外套、髪の間から鋭く冷たい黒玉の瞳が慧を射貫く。
「……っ、どうせ偶然だ」
「そう思うならお得意の魔術でやってみろよ。お前の全てを否定してやる」
敢えて誠が追撃をかけることはない。
奇襲を凌がれた以上、攻勢に出るための根拠が欲しいところだ。
魔術師は総じて手札が多い。
不確定要素は排除しておきたい。
それに、千鶴から聞いている彼方の魔術は厄介だ。
一手で有利が逆転しかねない。
魔術への抵抗力を上げるため常に魔力を供給し続けてはいるが、純魔術師ではない誠に長時間の維持は難しい。
となれば短期決戦が望ましく、挑発に乗ってくれるなら好都合だった。
「下民が……口を慎め。僕は選ばれた存在だ。上は――僕だッ!!」
怒気を孕んだ魔力の濁流。
何もかもを押し流し思いのままに塗り替える彼方の魔術――精神干渉。
最大にして最悪の手札を躊躇いもなく切った。
それは彼方が魔術師の名家たる所以。
代々研鑽を積み上げ、一族にのみ継承されてきた秘中の秘。
他者を支配するための命令権。
悪魔が、誠を捉えた。
「……っ、身体が」
「くは、ははははっ!! 僕が絶対だ! 誰も僕には逆らえない!」
「クソが……ッ!」
「ほら、さっきまでの威勢は何処へ行った? 野良犬みたいに吠えてみろよ」
辛うじて支配に抗う誠を高笑いしながら慧は挑発し続ける。
誠の魔術抵抗を抜けて効き目を示した精神干渉の魔術、その効果は絶大だ。
身体の自由を封じられ、握る鉈の刃は自分の胸へと向きつつある。
止めようにも止められない。
ここまで強固な魔術だったのは誠の誤算、ミスとしか言いようがない。
対策は考えうる限り講じた上での敗北。
拙い、と煩いくらいに警鐘が鳴り響く。
幾多の死地を越えて生き残った誠の危機に対するセンサーは本物だ。
「もう飽きた。死ね」
くい、と指を繰る。
四方八方を埋め尽くす氷柱の鋭利な先端が、銃口のように誠へ狙いを定めて。
数秒後に蜂の巣になる光景を誰もが幻視した。
死が脳裏を塗り潰し、身体の芯から凍てついたかのような寒さに襲われて。
「――誠さんっ!!」
声が聞こえた。
澄んだ想いと祈りを乗せた声は世界へ届き、御子が望む奇跡として顕現する。
それはどんな魔術も及ばぬ領域。
誠を蝕んでいた魔術の気配が消えていく。
それだけに留まらず、奥底から泉のように湧き出る力は誠が保有する限度を遥かに超えている。
放たれた氷柱の雨が穿ち貫き、凍えるような冷気と氷霧が部屋を満たした。
「……はは、あははッ!! 僕に逆らうから死ぬんだ! 一生地獄で後悔していろッ!!」
勝ち誇った慧の罵声をいり混ぜた笑い声が響く。
誰もが誠の死を幻視しただろう。
たった一人を除いて。
「――人を勝手に殺すな。俺は楽しく生きるって決めてんだ」
薄らと氷霧の奥に揺らいだ人影。
水平に描かれた鈍色が氷の粒子を切り裂いて。
不敵な笑みを湛えて立っていた。
氷柱が掠った部分は服が裂け、赤く血が滲み出ているものの傷は浅い。
流石に全部叩き落とすのは不可能だった。
だが、生きている。
事実は揺るがない。
「……ふざけるな」
「ふざけてなんかいねぇよ。大真面目だ」
「黙れ黙れ黙れ黙れッ!!!!」
乱暴に頭を掻き毟りながら地団駄を踏む。
冷たい目で見る誠は静かに魔力を巡らせる。
「終わりにしよう。俺もお前の顔は見たくない」
白銀の閃光を纏い、鋒を向けて宣言した。
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