第5話 報酬の星空

 


 感傷に浸るのもそこそこに、たたたと靴音鳴らして誠へ近づく那月。

 表情には興奮が隠しきれておらず、朱の刺した頬は恋する乙女そのものだ。

 細剣を鞘に納めて呆然と立ち尽くす誠の正面に立って、


「やりましたね、茅野さん。それより今のは――って、大丈夫ですか!? 顔色が幽霊みたいに白いですよ!」

「うわ……マジか。一気に魔力使ったから欠乏症だろうな。休めばすぐ……っ」

「足元もふらついてるじゃないですか。ほら、無理しないでください。肩くらいなら貸しますから」

「……悪い」


 若干の情けなさを感じながらも誠は有難く那月の肩を借りた。

 自然と身体の距離が近づき、揺れる長い銀髪の隙間から扇情的な少女の肌が目に入る。

 妙に罪悪感を覚えて目を逸らすも、既に誠の脳内にはその光景が焼き付いていた。


「……どうかしましたか?」

「っ、いや、なんでも」

「怪しいですね……」


 しどろもどろな誠に不信感を抱いたのか、懐疑に満ちた視線が横目で送られる。

 誠は露骨に視線を合わせようとしない。

 やがてどうでも良くなったのか那月が軽くため息を吐いたところで、ようやく壁際まで到達した。


 二人揃って腰を下ろし完全に緊張の糸が切れた誠の身体が横に倒れて。

 誠の頭が地面にぶつかる寸前、那月の両手が包み込むように支えた。


「茅野さん? ……あ、寝てる」


 心配そうに顔を覗き込むと、瞼を閉じて静かに呼吸を繰り返す誠の寝顔があった。

 覇気の一切感じられない安らかな寝顔を、悪いとわかっていてもまじまじと見てしまう。


「イケメン……と呼ぶには残念ながら物足りないですね。何より目付きが絶望的ですし」


 多少ゴワゴワとした髪の感触を確かめながら、聞かれていないのをいい事に好き勝手な評価を下す。

 辛口なようで、那月の表情は至って穏やかだ。


 誠が命の恩人であることに変わりはない。

 だとすれば好意を抱くことはあっても敵意を向けることはないだろう。


「地面に寝かせるのも忍びないですし……気持ちよく寝かせてあげましょうか」


 こうもぐっすり寝られては急いでいる那月といえど、誠を起こすのは躊躇われた。

 だから、という訳では無いけれど。


 ちょっとした好奇心から、那月は姿勢を正してスカートの裾を直し、誠の頭をそっと乗せた。

 要するに……膝枕。


「なんだか不思議な気分ですね。暖かくて、不思議と安心する。少し重いのが玉に瑕ですけれど」


 文句をいいながらも語調は軟らかく、手で誠の髪を優しく撫でつける。

 癖になる、とはこのことだろう。


 都合十分ほど経過して、誠が「うぅ……」と苦しげに呻き声を上げながら目を開いた。

 寝ぼけているのか周囲を軽く見回し、頭の裏の柔らかくも弾力のある魅惑的な感覚を思い出す。


「なんだこれ……ん? 銀髪?」


 視界の端にかかる銀色の毛束には見覚えがあった。

 恐る恐る顔を上へ向けると、こくりこくりと那月が船を漕いでいる。

 呼吸の度に慎ましい胸も上下を繰り返す。

 無防備に居眠りに耽る那月に微笑ましいものを感じるも、同時に頭の裏の感触の答えに行き着く。

 那月を刺激しないようにゆっくりと起き上がり眠っていた場所を確認すると、那月の黒いタイツに包まれた太ももがあった。


「……そりゃ気持ちよく寝れるわけだ」


 何も言わずに寝かせてくれた那月に感謝し、起きたらキッチリ礼をしようと心に決める。

 誠は広間を探索しようとしたが、予想以上に響いた足音に反応して那月が肩を震わせ飛び起きた。


「――っ、いつの間に眠って……」

「お、起きたか。膝貸してくれたんだろ? ありがとな」

「別に私が好きでやったことですから。それより誠さんの体調は?」

「んー……万全じゃないにしろ動ける程度、かな。よく眠れたのも大きい」

「……思い出したら恥ずかしくなってきました」


 思いつきでやったことを後悔するも、互いの記憶にしっかりと刻まれているのだ。

 忘れられるはずがない。


「すみません、一応汚れだけ落としてから外に出ましょうか」

「それはいいが……水場なんてないだろ?」

「えっと、魔術で汚れだけを分解するので大丈夫です。こっちでは普通に使われていますね」

「へーそんな便利なものが。そういうことなら頼む」

「わかりました。――身を清めよ」


 那月が用いた魔術によって、魔力の粒子が全身を包み込み消えると汚れは一切なくなっていた。


「一日以内のものなら綺麗になりますけど、それ以上は専門の人に任せないと難しいですね」

「……こりゃ凄いな。手間も少ないし、ダンジョン内で使う分には何も問題がない。俺も覚えられるものなのか……?」

「今度教えましょうか? 隠すものでもないですから」

「頼むよ、那月先生」

「先生って……恥ずかしいのでやめてください」


 頬を赤らめながらも本来の目的を思い出した那月が広間の奥を指さした。


「それより……茅野さん、奥にある姿見が『鏡界迷宮』の出口で、手で触れれば外に出ます。あ、転移で酔う人もいるので注意してくださいね」

「絶対酔うやつだ」

「まあ、外なら安全ですから。行きましょうか」


 那月は始めての誠を先導するように先に姿見へ指先を触れた。

 鏡面に指が呑み込まれるも、気にすることなく鏡の中に那月が入っていく。

 理屈がどうとか誠には理解出来なかったが、立ち往生していても埒が明かないのも事実。

 意を決して、誠も姿見へ飛び込んだ。



 ▪️



 吹き抜ける夜風は冷たく、火照った身体を冷ますように染みていく。

 白んでいた視界が無数の星が瞬く夜闇に慣れる。


 姿見から出た先は古びた神社の前だった。

 石畳が罅割れ風化して寂れた参道。

 隙間からは雑草が好き放題に伸びていて、周囲には雑木林が広がっている。

 木造の拝殿は手入れされている様子が一切なく、屋根の瓦が所々剥げていた。

 心霊スポットだと連れてこられても納得してしまいそうな場所、というのが誠の所感。


「ちょっと肌寒いな」

「東京とはいえ十月下旬ですからね。冬も近いので仕方ありません」


 自然の摂理にはどうやっても逆らえない。

 早々に諦め、誠はなんともなしに空を見上げた。


「絶景だな。現代にこんな場所があったとは」

「近くに人工の明かりがありませんから綺麗に見えますね」


 夜天を覆う満点の星空。

 瞬き煌めく星々と、淡く輝く半分の月。


 異世界で同じような光景を何度も見たが、今日は一段と美しく映る。

 命を賭して全力で戦った報酬としては安すぎる気もしたが、目を輝かせる那月を見てそんな考えは消え失せた。


「……こういうのも悪くない、か」

「何か言いましたか?」

「んや、ただの独り言だよ」

「ならいいのですが……」


 短いやり取りを最後に、しばらく二人は夜空を見ていたが、不意にきゅるると誠の腹の虫が鳴いた。


「帰る前にご飯でも食べていきましょうか」

「ああ……悪い」

「無一文ですからね。当面の支払いは任せてください。養ってダメ人間にしてあげます」

「支払いはどうしようも無いから任せるしかないか。ダメ人間の方は……遠慮させてくれ。この年でヒモは精神的にキツい。それに余裕があんまりないとか言ってなかったか?」

「それは言わない約束です。さ、着いてきて下さい。迷ったらもう会えなくなりますからね」

「さらっと怖いこと言わないでくれ……」


 軽く笑って石段を下る那月の後ろを誠はついて行くのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る