第4話 『強者』と『凡人』



 戦況は依然として膠着状態が続いていた。

 極限の集中で全てが即死に繋がる鬼王の攻撃を捌けてはいるものの、二人も決定打を欠いている。

 基礎性能は絶対的に鬼王より二人の方が劣っているが、それを拙い連携でギリギリカバーしているのが現状。

 当然と言うべきか二人の表情には疲労が色濃く現れている。

 神経をこれでもかとすり減らしながら死線を潜るのは、そう長く続かない。

 長期戦になれば形勢は鬼王へ傾く。


「硬すぎんだろ……っ」

「全く刃が通りませんね。私が使える魔術は殺傷力に欠けますし」

「俺よりはマシだろ。宴会芸がいいとこだ」

「今度見せてくださいよ。思い切り笑ってあげますから」

「……無事にここから出れたら、だけどな」


 軽口を叩く二人だが、呼吸は荒く乱れ体力の限界が訪れるのも遠くはなかった。

 鬼王の一撃は一瞬でも気を抜けば押し潰されかねないほど重く、巨躯でありながら動きは俊敏。

『魔纏』による身体能力の補助があっても互角の戦いに見せるのが関の山。


 一方で鬼王はピンピンとしていて衰えぬ濃密な闘気が場を満たす。

 二人の牙は自分に届くことは無いと悟ったのか、弱者を嬲るように緩慢に歩を進める。

『強者』の余裕。


『凡人』が努力しようとも届かない遥か高み。

 余裕ぶって見下し蔑む存在が、誠は昔から嫌いだった。


 頭の奥に氷塊を詰め込まれたかのように、芯から急激に思考が冷却されていく。

 冴える、冴える、冴える。

 研ぎたての刃のように鋭利で、薄く、僅かな隙間に滑り込むような――殺意。


 空気が、変わる。


「……那月。数秒、隙を作れないか」

「多分視界を塞ぐのがやっとです。それ以上になると溜めの時間が欲しいですが……待ってはくれないでしょうけれど」

「同感だ。ならタイミングは任せる」

「勝算があるんですか?」

「一応は。俺が嫌いな賭けだけど……どうする?」

「決まってるじゃないですか、そんなの」


 那月は自信満々に笑ってみせる。

 今できる精一杯の強がり。

 そうわかっていながら、誠も不格好に笑みを返す。


 ここが未来の分水嶺。

 決死の覚悟で挑む本日の大一番。


 ショルダーバッグから小さなコルク栓のようなものを四つ取り出し、那月に二つ手渡す。

 誠がそれを耳に装着すると、それが耳栓であることを察して那月も小ぶりな耳に嵌めた。


「あー、らしくねぇや。不確定要素に縋るとか、マジでやってらんねぇ」


 それは誠がオーガと戦った時に感じた違和感。

 仮定が正しければ鬼王を倒すことも出来るだろう。

 だが、失敗した時のリスクは計り知れない。


 命を掛け金に、勝利を掴む。


 怖い。

 とてつもなく、怖い。


 それでも――諦めるより余程いい生き様だ。


 今度こそ、凡人なりの普通を楽に生きるため。


「越えてやるよ、運命ッ!」


 踏み出す一歩、集中の海に深く精神を沈める。

 硬い地面を靴底が打ち抜き、砕けた石の破片を散らして鬼王の懐へ飛び込んだ。


 鬼気迫る表情で振るう鉈が大剣と打ち合い、痺れを伴う衝撃を腕に伝える。

 僅かに眉根を寄せるも変化はそれだけ。

 お構い無しに鋭い連撃を見舞い、鬼王をその場で釘付けにした。

 常に『魔纏』は出力上限で行使しているが、鬼王の防御を抜くことは叶わない。

 徒手空拳を入り交えて、攻防を入れ替えながら致死の刃は乱れ咲く。


「そんなんじゃ俺は殺せねぇぞ!」


 裂帛の気合いを込めた咆哮(ウォークライ)。

 青天井に加速する心臓の鼓動、全身を巡る焼けるような熱量。

 脳内で絶えず分泌され続けるアドレナリンによって、誠の戦意は最高潮に達していた。


 鬼王の大剣を刃の腹で滑らせ、僅かな隙を突いた横薙ぎの一閃。

 無防備な腹に一筋の紅い傷が刻まれるも、鋼のように硬い筋肉に阻まれ致命傷には至らない。


「死にかけのゴブリンの方がまともに腰入ってんぞクソ鬼いぃぃぃぃいッッ!!!!」

「Ruoooooooooo!!!!」


 鬼王が怒り狂ったかのように叫びを上げる。

 至近距離で聴けばもれなく鼓膜が破れるほどの大声量ながら、耳栓をしていた誠に効果はなかった。


 わかりやすく上段に掲げた大剣を力任せに何度も振り下ろす。

 当たれば認知する間もなく血肉と臓物を散らして地面のシミになれるだろう。

 身の毛もよだつ未来を迎えないように、鬼王の全てを余すことなく視界に捉える。

 目線、呼吸、筋肉の動き、彼我の間合い。

 誠を生かしているのは紛れもなく4年間で積み上げた経験の数々だった。


「凄い……っ」


 タイミングを窺っていた那月は壮絶な二者の攻防に思わず感嘆の声を漏らす。

 彼女の目には誠は平々凡々な人間ではなく、幾多の戦いを経た歴戦の戦士のように映っていた。

 これまで見てきた探索者と比較しても誠の戦闘力は相当なものだ。


 殆どの者は一合と保たずに命を散らすだろう。

 乗り越えても二合三合と打ち合えば、両足で立っていられるのは一握り。

 そんな人物と巡り会えたのは幸運を通り越して奇跡と呼ぶべきだ。

 戦闘に自信が無いとはどの口が言ったか。

 那月が明日を夢見る程度には、誠は間違いなく『凡人』の皮を被った『強者』。


「私もあんな風に強かったら――ううん、今は集中。全力で隙を作らないと」


 ――私を信じて戦っているのだから。


 それだけの信頼を預けてくれていることが素直に嬉しくて、期待に予想以上で応えたくて。


 真冬のように寒かった心に陽が昇って。


 まだ、頑張ろうと思えたから。


「――水よ来たれ」


 言葉を紡ぐ。

 那月の言葉に呼応して空気中の水分だけを掻き集めた水球が生成された。

 かなり高度な魔術だが本人にしてみれば呼吸同然に出来ること。


 細剣を指揮棒のように振り、水球が高速で鬼王の顔面をを目掛けて飛翔する。

 誠は背後からの援護を見向きもせずに受け取り、口の端を緩めた。

 待ち望んだ瞬間。

 遂に誠が賭けに出る。


(『着火』の魔術で出た炎……あれは異世界とここで空気中の魔力量の違いによって生まれたものだろう。恐らくこっちの世界は抵抗が少ない。なら……っ!)


 定めていた上限を超えて体内に循環させる魔力量を増やす。

 たったそれだけ。

 しかし、変化は如実に現れた。


 羽のように軽くなる身体。

 スローモーションに映る世界。

 微かな鉄臭さと心臓の鼓動。

 漲る力は今までの比にならない。

 鉈の刃も膨大な魔力の影響を受け、銀を通り越して純白の煌めきを放っていた。


 ――魔光現象。


 誠が知識としてだけ知るそれは、臨界点を超えた魔力によって発生する可視化された魔の輝き。

 空気中の魔力抵抗が少ない世界だからこそ、誠にも引き起こすことが出来た正真正銘の致死兵器(リーサルウェポン)。


「悪いな。この殺し合い――」


 弾ける水球。

 広がる飛沫が鬼王の視界を完璧に塞ぎ、


「――俺達の勝ちだ」


 一閃。


 純白の軌跡を残して振るわれた刃は、寸分違わず鬼王の首を断ち切った。

 撥ね飛ばされた鬼王の頭蓋は目を剥いたまま宙で七回転半した後に、呆気なく地面へ落ちる。


 滑らかな首の断面から血飛沫が噴き出し、周囲を瞬く間に紅く染め上げた。

 やがて倒れ伏した胴体と頭部は地面に呑み込まれ、残された大ぶりな紫紺の結晶。


「……ああ、よかった。生きてる」


 早鐘を打つ胸元を撫で下ろしながら、湧き上がる生の感覚をそのままに吐き出した。

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