第30話 紺碧の狭間



 除菌スプレーの引き金を引き、放射状に広がる透明な霧。

 真後ろから吹きかけられた骸骨は何が起こったのか理解出来ないまま膝から崩れ、ピクリとも動かなくなった。

 完全に沈黙しているらしい。


「……こりゃすげぇや」


 除菌スプレーの秘められた効果に乾いた笑いを浮かべながら、次々と狙いを定め骸骨を撃つ。

 シュッ、シュッ、と戦闘には似つかわしくない音が響く墓地。

 饐えた臭いにフローラルな香りが混ざって若干吐き気を催す空気が漂っているが、それはそれ。

 まともに骸骨の集団を相手にするよりは遥かに楽なために、文句を言う気は起きなかった。


 南無三と心の中で唱えながらも、三人は除菌する手を休めない。

 まるで部屋の掃除でもするかのような気軽さで、墓地に集まっていた骸骨は蹂躙されていく。

 これだけの数を揃えても手も足も出ない骸骨には同情を禁じ得ないが、これも仕事のうち。

 容赦情けをかけるつもりはない。


「これ、癖になりますね」

「汚物は消毒?」

「いつから世紀末になったんだ」

「ひゃっはー」


 珍しく楽しそうに除菌スプレーを振り回す世紀末に意識を乗っ取られた凪桜。

 骸骨が崩れ落ちる様に艶やかな微笑みを向ける妙なスイッチが入った那月。

 至って事務的に処理を続ける誠。


 吹き荒れる除菌スプレー。

 天敵とも言える化学の武器に怯える骸骨がカラカラと骨を鳴らしての大合唱。

 逃げ惑う骸骨を一匹たりとも逃さない狩人の手によって墓地が鎮圧されるのに、そう時間はかからなかった。


 十分もすれば、あれほど群がっていた骸骨の量は目減りしていた。

 残党を処理してしまえば、後に残るのは怪しげな紫煙を放つお香の遺物だけ。


「これで遺物を回収すれば終わりだな」

「煙を吸わないように注意してくださいね」


 那月からの注意喚起を受けて誠が一人前へ出る。

 鼻と口に布を当てながらお香に近づき、上から布を被せて確保した。

 協会からの依頼は無事に戻るだけで完了。

 なんだかんだで割のいい仕事である。


「今日のお仕事終わり。帰ってお昼寝」

「寝てばっかりだな。まあ、別にいいけど」

「帰りの護衛は任せてください」

「頼む。片手が塞がってるとやりにくいからな」


 那月を先頭に入口へ戻る道中。


 ――膨れ上がる多数の魔力。


 誰もが気を緩めてしまうタイミングでの奇襲に、三人の反応は遅れる。

 直後、ぬかるんだ地面から勢いよく生えた蔦が三人の手足を瞬く間に拘束した。

 解こうと力を込めてもビクともせず、噛みちぎってでも抜け出そうとした時。


 前方に現れた人影。


「――待ちくたびれたよ、神奈木ぃ」


 悪意を隠すことなく垂れ流した挨拶。

 軽薄に嗤う武装状態の青年――彼方慧は、背後に屈強な男を五人従えていた。


 ピリ、と走る緊張。


「――これをやったのはお前らか」

「考えなくてもわかるんじゃないかな」

「……っ、まさか、この依頼も」

「そうだよ? 全部君を捕まえるための罠だ」


 あっけらかんと真実を隠さず伝える慧の目は正気を失っていた。

 血走り瞳孔が開いたまま焦点が合っていない。


「――高貴なる血の僕を侮辱したんだ。報復は当然さ」

「貴方っ! それでも赤い血の通った人間ですかっ!?」

「僕を下民と同列に扱うなぁっ!」


 パシィン、と。

 激昂した慧に那月が平手で頬を打たれ、銀の束が揺れ動く。

 視線を下に落とした那月の顎を掴み上げて、無理やり慧は自分と目を合わせた。


 必死に目を瞑って那月は抵抗の意志を示すも、それが大した意味を持たないことは知っている。


「君みたいな罪人の娘がまともに人と関われると思うな。冷たく小汚い牢屋がお似合いだ」

「…………っ」

「お前っ、こんな拘束すぐに解いて腐りきった性根を叩き治してやるッ!」

「誰が囀っていいと許可を出した、下民。おい、あの煩い羽虫を黙らせろ」


 誠はじたばたと暴れ罵詈雑言を叫び続ける。

 魔力による強化をしようとしても、力を吸われてしまい思うように発揮できない。


 慧の後ろに控えていた男たちが誠を取り囲み、袋叩きにした。

 顔面を打つ拳、腹に突き刺さる蹴り。

 殺さない力加減で浴びせられる暴力。


 身を苛む痛みと煮え滾るような怒りを抱きながらも、一方的に嬲られていた。

 嘲笑う声とくぐもった呻き声。


 そして……悲鳴。


「狙いは私でしょう!? 誠さんは関係ない・・・・はずです!」

「それは無理な相談だ。君が近くにいるからあの男が巻き込まれた」

「那月っ、そいつの言葉を――」

「――黙れ」

「っ、あ……」

「誠さんっ!」


 男の一人が誠の顎を殴って脳を揺らし、脳震盪を引き起こして意識を奪われた。

 四肢を拘束されたまま誠はぐったりとくずおれる。


 ――こんなはずではなかったのに。


 無力感が。

 後悔が。


 波濤のように押し寄せた現実に誠と出会ってからの数日を流されるように感じられて。


 ああ、やっぱり自分はダメなんだって。


 仲間なら巻き込めと誠は言ったけれど。

 どうにも、そんなことは出来そうになくて。


「意味、わかるだろう?」


 耳元で囁かれた言葉が心の隙間を埋めて。


「……傷つくのは、私だけでいい」


 精神という硝子玉が皹割れ――諦めた。


 ここで意地を張って誰かを不幸にするくらいなら、自分を犠牲にした方がまだマシだと。

 悲しむ相手がいるなんて露ほども考えずに。


「――何が望みですか」

「おや、随分と素直になったものだ。化物が人間らしい感情を持つのは反吐が出るが……まあいい。家まで着いてきて貰おう。抵抗なんて考えるなよ?」


 先を言わず慧は目線だけで訴える。

 効果は覿面で、那月は静かに頷いた。


 しゅるりと那月の手足に絡みついていた蔦が解け、慧は男たちを引き連れ踵を返した。

 失意のまま那月は慧の後を追い、一度振り返って倒れ伏した誠を見る。


 紺碧の双眸は、虚ろに揺れていた。


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