第31話 想定外の想定内
慧が立ち去ったことで拘束が外れた誠の頬をペチペチと叩くのは、こんな時でもマイペースを崩さぬ怠惰の化身……凪桜。
彼女は蔦に絡め取られる前に分身の魔術で一人だけ難を逃れていた。
誰にも悟られることなく。
ポフンと消えた自身の分身を背に、気を失ったまま倒れる誠の安否を確認する。
彼には生きていて貰わなければならない。
千鶴から請け負った任務だ。
それに、誠には多少なりの恩もあった。
一方的に利用したままでは夜の安眠に差し障る。
何よりも睡眠を重視する凪桜にとって看過できない問題だ。
「――死んだ?」
これは困った、と小首を傾げる。
脈はあるし息もある……が、酷く弱々しい。
誠は凪桜から見ても手酷い怪我を負っている。
軽く魔力を通して内部を観察した結果だ。
肋骨は五本も折れ、下手に動かせば内臓に刺さって大事に至りかねない。
両腕両足は念入りに潰したのだろう、満遍なくヒビが入っていた。
顔は痛々しく腫れ上がり、あちこちで皮膚が張り裂け赤い血が服に滲んでいる。
蔦に魔力を吸われて自己再生能力が低下している今、早急な処置が求められる重傷。
しかし、ここは『鏡界迷宮』。
都合よく医者などいる訳もない。
「……ま、
自らに伝えられていた任務を思い出して、おもむろにポケットを手で探り黄緑色の液体が入った小瓶を取り出す。
治癒効果を高める魔術薬だ。
それなりに高価な代物ではあるが、凪桜は躊躇することなくコルク栓を弾き開封した。
意識のない誠の身体を慎重に仰向けにして、とろみのある液体を少量だけ口に含む。
仄かに感じる柑橘類の甘さ。
間違えて飲み込まないよう意識しつつ、誠の顎を上げて気道を確保する。
こじ開けた誠の口へ凪桜は躊躇なく自らの口を被せ、舌を使って唾液と混じった薬品を流し込む。
曖昧な甘さと血の味の境界線。
時間をかけて確実に含んでいた薬を全て移し、ゆっくりと嚥下させる。
こくり、と動いた喉。
吐き出すことなく飲み込んだのを確認して合わせていた口をようやく外す。
艶めかしい透明な橋がかかる。
はぁ、と息をついて。
「情緒の欠片もない初めて。まあ、いいけど」
特に何を気にするでもなく呟き、気道の確保を続けたまま誠の顔を覗き込む。
数秒、数十秒と経過し、ピクリとも反応を示さない誠に短気を起こした凪桜が、もう一度薬を飲ませようとすると。
「――ゴホッ、っ、いでっ……」
突然激しく咳き込み、苦痛に顔を歪ませながらも目を覚ました。
残りの薬が入った小瓶から手を離し、無理に起き上がらないよう胸に手をやる。
「まこと」
「……っ、凪桜? ……那月は」
「連れていかれた」
起きがけに気にしたのは自分の状態ではなく那月の安否だった。
事実を答えると、怒りに燃える両目を見開きボロボロの身体を酷使して上半身を起き上がらせる。
吐き出した唾は赤い。
「まこと、いま無理すると治るものも治らない」
「じゃあお前はこのまま那月を見捨てろって言うのかよッ!?」
「そうは言ってない」
胸倉を掴みにかかる誠の動きを呼んでいた凪桜は、ひらりと機敏に躱して逆に関節を決めて地面に押し倒した。
全身に走る激痛に表情を強ばらせ低い呻き声が意志とは関係なく漏れる。
目と鼻の距離。
金色の瞳が黒と交わる。
「少し冷静になって。じゃないと、凪がまことを治した意味が無い」
「…………悪い。冷静じゃなかった。凪桜が治してくれたんだな、ありがとう」
「ん。わかったら残りも飲んで」
思考の熱が冷めた誠の謝罪を素直に受け入れ、拘束を解いて凪桜は身を起こすのを手伝う。
そして黄緑色の液体が入った小瓶を手渡すと、誠はゆっくりと中身を飲み干した。
「治癒と体内魔力活性化の魔術薬。応急処置にしかならないけど、病院までの繋ぎとしては十分」
「病院行きは確定なのか」
「当然。凪が口移しで飲ませなかったら死んでたかもね」
「そうだろうけど……口移しか。どう責任を取っていいやら」
「凪は気にしてない。初めてだったけど」
「もしや面白がってるな???? 俺は……何度かあるな」
「経験豊富」
「俺、もしかして弱すぎ……?」
誠は頭を抱えた。
幾らなんでも生と死の境目を往復横跳びする機会が多すぎやしないかと。
しかも自力で起きるのを待っていたら死ぬからと口移しで薬を飲まされた回数は……まだギリギリ、辛うじて両手で事足りるが。
つくづく悪運が強いのを実感する。
でも。
本題はこれからだ。
「歩けるようになったら帰る。で、すぐ病院」
「断ったら?」
「全裸にひん剥く。衆人観衆の中、露出プレイ。ケダモノにはちょうどいい」
「それは勘弁して欲しいな」
参ったな、と頭を掻き、凪桜と目を合わせる。
そして。
「――全部、知ってたのか」
核心へと踏み込む。
「――うん。全部、ちとせから聞かされてた。凪は予定通りに動いただけ」
「……はぁぁ、そうかよ」
「……怒らないの?」
「凪桜に怒っても状況は変わらない。そりゃあ一発くらい殴りたいのは山々だけど……それより、今はやることがある」
証拠に固く握られた拳を凪桜に見せながら、冷えきった思考は先へと回し続ける。
凪桜の言葉から千鶴は全てを把握済みなのだろう。
だとすれば、現状のこれは意図して後手に回った結果だろう。
自分なんかより頭が回る千鶴が考えなしに那月を犠牲にするとは思えなかった。
思いたくなかった。
つまり、全てが想定内。
自分の重傷も、感情も含めて。
「買いかぶるなよ……俺は何処にでもいる凡人だってのに」
「じゃあ、諦める?」
「無茶言うなよ。仲間を……那月を見捨ててのうのうと生きていられるか」
気を失う直前のことを覚えている。
――『誠さんは関係ないはずです!』。
仲間になって、交わした握手の温もりを覚えている。
――『今後とも、よろしくお願いしますっ!』。
初めて出会った時の言葉を覚えている。
『――私を、守って頂けませんか? 私に差し出せるものなんて身体くらいしかありませんが……それでも、どうか。お願いします……っ』
誠のこの世界での時間を構成する大部分は那月という一人の少女の存在。
始めは打算だった。
自分が脱出するため協力者が必要だった。
修羅場を共に乗り越え心からの信頼を結んだ。
――とても、楽しい日々だった。
毎日が新鮮で、息付く暇もないくらいに忙しかったけれど。
それでも、二人でいる時は心安らぐ尊い時間だったことに変わりない。
「……このまま終わせたりはしない。俺は楽に生きるって決めてんだ。そのためなら――」
苦労はもう懲り懲りだ。
辛いのも、悲しいのも願い下げ。
なんと自分勝手で傲慢なのだろう。
誠は凡人だ。
覆しようのない事実である。
そして、同時に愚者である。
己を顧みず、目的達成の為ならば手段を選ばない冷徹な精神を持ち合わせていた。
犠牲は最小限、目的は自分の楽のため。
みんな笑って明日を生きるために。
「――なんだってやってやる。那月は連れ戻すし、あの下衆はぶん殴る。一切合切を精算して、俺はようやく楽になれる」
「そっか。じゃあ、まずは病院。夜までに全快させるから覚悟して」
「……容赦無さすぎじゃない?」
「文句は全部ちとせに言って」
緩く笑って差し出された凪桜の手を取って、響く鈍痛を堪えながらも立ち上がる。
立ち止まっている暇はない。
「――待ってろよ、那月」
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