第32話 乗り込めーっ♪
運び込まれた病室で待つことほんの数分で、閉ざされていた扉が開く。
「――やあやあ、お久しぶりです」
「あたしもいるわよ」
運び込まれた病室への訪問者は千鶴と薫。
ベッドで安静にしていた誠と、傍で舟を漕いでいた凪桜が声に気づいて顔を上げる。
普段通りの気楽な口調で手を振る千鶴は、近場に買い物にでも出かけるようなラフな格好だった。
薫の屈強な身体を包むのは目に痛いピンク色のコスプレじみたサイズがギリギリの服。
下手に動けば布地が張り裂けて鍛え上げられた筋肉が世界にお披露目されるだろう。
「いやぁ、手酷くやられましたね」
「薄っぺらい心配だな」
「ごめんなさいね。でも、無事で良かったわ」
「……これが無事に見える薫さんは化物か」
「あたしが男女の化物ですってぇぇぇえええッ!?!?」
「そうは言ってねぇだろ話を聞け!」
「――うるさい。静かに寝かせて」
「凪桜は頼むから起きる努力くらいしてくれない??????」
「……すぴ」
誠の言葉は凪桜の睡眠欲には届かず、残念ながら眠りに落ちた。
寝入った凪桜を起こすのが至難の業なのは朝の件で知っている。
「なぎなぎには今のうちに充電しておいて貰いましょう。かおるんは治癒をお願いします」
「任せなさぁい」
わきわきと手を動かし喜色を滲ませた笑みを湛えた薫がベッドサイドに並ぶ。
思わず誠の血の気が引いたのは不可抗力だ。
忘れているかもしれないが薫は治癒術士である。
実力は引退後に協会へ引き抜かれるほど、と言えばわかりやすいだろうか。
「医者には許可取ってあるのでパパッとやっちゃって下さいね」
「いやあのまだ心の準備が――」
「いくわよぉん♪」
薫の剛腕が誠へ伸び、太い人差し指の先が額に突き立てられる。
そこから下へと指でなぞり、臍のあたりでようやく止まった。
背筋を走る寒気は止まらない。
しかし、神妙な面持ちで薫が誠に告げる。
「……貴方の身体、どうなっているの?」
「どうって……見ての通りの重傷だよ」
「治ってるのよ。あたしが治療するまでもなく、全部」
「は? そんなはずは――」
素っ頓狂な声を上げてベッドから起き上がる。
痛みは――一切なかった。
人目がなければのたうち回るような激痛はどこへやら、誠の身体は快調そのものだ。
腕を曲げても自由に動く。
顔の腫れはまだ残っているものの、触ってみれば『鏡界迷宮』で倒れていた時よりは引いている。
凪桜から飲まされた魔術薬があるとはいえ、普通はこんな速度で治癒することは有り得ない。
それこそ魔術でもなければ。
「……ふむ。ちょっと視ますね」
何かを感じたらしい千鶴が己が保有する魔眼で注視し、得心がいったように「ああ」と声を漏らした。
「
「……なに?」
「平たく言うと祈りの魔術です。その人が無事に過ごせますようにーとか、そういう御守り的な。多分無意識でなつなつがやったんでしょう」
「なんでそんなものが……」
「それだけ大事に想われていたってことよ」
「前に視た時はなかったので最近のことでしょう。運がいいですね」
那月は慧に連れ去られてしまった。
けれど、心はまだ繋がっている。
「それより、何か聞きたいことがあるのでは?」
パイプ椅子の上で胡座をかいて横に揺れながら、千鶴は誠へ促した。
「……千鶴は、全部知っていたのか? 知っていて、那月を連れ去られるのを見過ごしたのか」
「どちらも答えはイエスです。ボクってほら、目的のためならなるべく楽な手段を取りたい怠け者なので。幻滅しましたか?」
「元からまともな人格の期待はしてなかったよ。でも……俺が言いたいことくらいわかるよな」
「別に許さなくていいですよ。好きなだけ恨んでくれて構いません。ボクがなつなつを餌に彼方を引きずり出したのは事実ですし」
淡々と続ける千鶴の声に悪意はない。
最も手っ取り早く確実な手段を取った結果、犠牲になったのが偶然にも那月だっただけの話。
仮に犠牲になるのが自分であったとしても、千鶴は同じようにことを進めただろう。
「……でもな、俺は千鶴が自分の都合で誰かを見捨てるほど非情な人間じゃないとも思ってる」
「根拠は?」
「那月がそんな相手と嫌々でも付き合いを持つとは考えられない。後は、個人的な希望的観測だよ」
「……ぷっ、っあははっ! 馬鹿ですっ、馬鹿がここに居ますっ!」
「ふふっ、やっぱり若いっていいわね」
「俺、そんなに変なこと言った覚えないんだが」
ベッドの端を叩いて爆笑する千鶴と微笑ましいものを見る薫を前に、誠は何故だと首を捻る。
誠が仲間を信じるのは至極当然のことで。
誰に何を言われようと変わらない根幹を成す部分でもある。
けれど、恥ずかしがることなく言ってのける人間はそういない。
「はぁ……っ、あんまり笑わせないでくださいよ」
「勝手に笑ったのはそっちだろ。で、答えは」
「答えってなつなつを信じるより大事ですか? 普通にボクは優しい人間ですーなんて口が裂けても言いたくないですね」
「精神がひねくれてるのはよくわかった」
「ぐにゃぐにゃに曲がり曲がった真っ直ぐが信条ですからっ♪」
「素直な天邪鬼なのよ」
言い得て妙だ。
「それじゃ、意思の擦り合わせも終わったところで本題に入りましょう」
「なーちゃんが囚われているのは恐らく彼方の地下工房ね。本作戦の目標はなーちゃんの奪取と――」
「彼方が保有している遺物の回収。それと、当主である彼方賢司の身柄の拘束です。こっちは協会側でなんとかします」
「つまり、俺は那月の件に集中しろと」
「そゆことです。なぎなぎとかおるんを連れていってください」
本来の協会の目標と別に展開される那月を連れ戻すための作戦。
重要な戦力である薫を誠に預けるあたりは千鶴なりの罪滅ぼしだろうか。
大雑把に説明を受け――当日の夜。
「――東京都某所。彼方家の屋敷前に集結した武装集団の目的とは!」
「いや誰に話してんだよ」
「やっぱり、ほら。ナレーションとかあった方がそれっぽいと思いません?」
「知るか」
ぶっきらぼうに答える誠の表情は硬い。
それもそのはず。
これから彼方へ夜襲をかけるのだから、まともな神経を持ち合わせている誠としては当然だった。
「ピリピリしてますねー。ボクにはさっぱり理解できませんけど」
「能天気が過ぎる」
「まこと、肩の力を抜いて」
「凪桜もか……」
トントンと背を叩く小さな手。
今の今まで眠っていた凪桜が言うと説得力が違う。
「そうよ。ほら、深呼吸して」
「……なんか薫さんの顔みたら色々覚めたわ」
「なーちゃん救出の鍵はまーくんなんだからしっかりね」
薫は作戦に参加する人の緊張を解して回っているらしい。
実績が確かな薫がいる安心感は多くの人にとって心強いものだろう。
実際には別行動になるものの、彼らも承知の上だ。
元より引退した人に縋るような弱者はいない。
「――さて。準備はいいですかー? いいですよね。そういうことにしといてください」
「んな適当な」
「この位のテンションでいいのよ」
「非常に
あは、と笑って、腰に手を当てビシっと彼方の屋敷を指さした。
「お仕事の時間です。今回の目標は彼方が隠し持っている遺物の回収、不可能なら破壊。それと、連れ去られた神奈木那月の救出。また、当主の確保です。可能な限り屋敷は破壊しないように。修繕費を請求されたらたまりません」
肩を竦めておどけたように言うと、どっと笑いが巻き起こる。
彼らに緊張はない。
頭にあるのは仕事終わりの楽しい宴会くらいだ。
酒を浴びるように飲み、騒ぎ、笑い合う。
そんな一時の為に仕事をする。
「――門をぶち壊して乗り込めーっ♪」
さっき無駄な破壊はするなと言ったばかりでは、と口を挟むものはいない。
怒号のような声が夜空へ響き、作戦開始の合図となった。
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