第37話 『神降励起』

 


「AAAAAHAHAAAAAAHAHHAAAAA!!!!!!」


 老若男女、様々な声が重なり狂った嗤い声が喉笛を引き裂かんばかりに響く。

 狂気を超えて、人間に求める理性など欠片足りとも残されてはいない。


「時間を下さい! 私が彼を引き離しますっ!!」

「なら俺たちは――」

「全力で止めるしかないわね」

「……はあ、面倒」

「仕方ないですねー。遺物は化物の頭に寄生した種です。頼みましたよーっ!」


 那月は後方で魔術のため集中に沈んでいく。

 完全に意識を己が内へと向け、無防備な姿を晒すのは信用の現れだろう。


 各々が得物を構え、化物と相対する。

 鉈を握る手に滲む汗。

 鋼の篭手を打ち鳴らす。

 小太刀の刃に映る小さな欠伸。

 夜闇に光る細い糸が揺蕩う。


 人は誰もが恐怖する。

 それは本能的な反応であり、至って自然な精神の防衛機構だ。


 それでも。


 人は畏れへ立ち向かう。


「あーもう、まさかボクが戦うなんてっ! 絶対残業代を請求してやりますからね……!」


 風の流れに逆らって無数の糸が宙を奔る。

 紡いだ魔力糸を自在に操り、木々へ絡めて全体へ糸を張り巡らせた。

 強度と弾力性に富んだ糸で即席の戦場を作り上げ、三人が直後に動き出す。


 闇に紛れた凪桜が糸から糸へと縦横無尽に飛び回り化物を翻弄しつつ傷を刻む。

 真正面でぬめる触腕と魔術の連打を捌くは誠と薫。

 一撃貰えば畳み掛けられることが必死な攻撃を、二人で手分けして的確に処理し続ける。


「数が多いっ!」

「ここが正念場よ!」


 深く息を吐いて気を張り、酷使しすぎた全身の関節から軋むような違和感が誠を襲う。

 無理やり強化で誤魔化すも長くはもたない。


 それでも今だけは。


 信じてくれる仲間のために。


「根性ぉぉぉおぉおおおおっ!!!!」


 並外れた精神力で意識の外へ排して、振るう鉈の速度が増した。


 高位の鏡界主と同等の戦闘力を保有する化物を四人で相手取るのは、当然ながら途方もなく消耗する。

 前で化物を直接抑える誠と薫は勿論、常に飛び回りながら巻き込まれないようにダメージを蓄積させる凪桜も同じ。

 千鶴は全体を見渡し適宜補助に入り、三人と化物の挙動を掌握しながら指示を飛ばす。


 綱渡りの戦闘。

 一見すれば拮抗しているようにも映るだろう。


 しかし。


 限界は刻一刻と迫っている。


「――っ!?」

「薫さんッ!!」


 薫の右脚を触腕が絡め取り、筋骨隆々とした身体が宙に浮く。

 地面を掘り進めてきたために薫も千鶴も気づくのが遅れたのだ。


 慌てて振り上げた鉈は届かず虚しく空を斬る。

 リーチの短さは如何ともし難い。


「ダメよッ!! あたしに構わないで――」


 必死に言い残す薫を、ぐんと触腕が持ち上げる。

 逆さ吊りのまま急上昇した薫の巨躯。

 触腕が伸びきり、くるりと反転して逆に薫が頭から垂直に地面へと叩きつけられた。


 掘削機が岩を穿つかのような轟音と土柱が上がる。

 頑強な肉体と治癒魔術があるからといっても、復帰には時間がかかるだろう。

 薫が戻ってくるまでの間、前線は誠が一人で守り切らなければならない。


「那月は……まだかかりそうか」


 ちらりと背後へ目をやれば、那月は深く集中したまま祈りの姿勢を崩していなかった。

 三人の望みの綱は那月の魔術。

 それを本人も理解しているために、もう彼女は止まらない。


 御子としての適性を持つ那月にしか出来ない魔術。

 難度は高く、失敗する可能性も高い。

 しかし、遺物に呑まれた慧を救い出すにはこれ以外の方法が取れなかった。


 化物の身体から慧の本体を切除して心臓部に寄生した種の遺物を取り除く……それでは遅い。

 無理やり遺物を引き剥がしたところで、重篤な後遺症が残る恐れもあった。

 今回の遺物は精神へと作用するもの。

 彼方の魔術による相乗効果もあって、効力は何倍にも膨れ上がっている。


「歯痒いな……本当に。肝心なところで何も出来やしない。やっぱり俺は凡人だよ」


 自嘲気味に呟く声は夜風に消えて。

 頬を叩いて気合いを入れ、冷たい空気を目いっぱい肺腑へ取り込む。


 大丈夫。


 ――俺は、独りじゃない。


 後のことなんて考えるな。

 今を全力で生き抜け。


「――楽に生きるのも楽じゃないな」


 立ち尽くす誠へ殺到する大小様々な触腕を輪切りにして、獰猛に犬歯を立てて笑う。

 グチュグチュと肉の断面が蠢き、おぞましいまでの速度で再生する。


 久方振りの死地。

 異世界では頻繁に遭遇した修羅場にも匹敵する脅威を前に、なお笑え。


「――やってやるよ、運命ッ!!」


 叛逆の宣言。

 弾丸のように飛び込んだ誠は白銀の光を帯びて、小細工無しに突撃した。


 転移を経て誠は二度変わった。

 一度目は過酷な異世界で生き抜くために己が適合し、順応した。

 二度目は初めて得た仲間のために、自ら命を張って前に立つ。


 誠は凡人だ。

 勇者でもなく、賢者でもなく、世界にありふれた非才の身。


 だけど。

 たった一つ誇れるものがあるとすれば。


「那月がなんとかするって言ったんだ。俺が信じなくてどうすんだよッ!!」


 叫ぶ声は当然、彼女の耳にも届いて。


 修羅が化物と相対した。


 奔る白銀が夜を染め、血飛沫に濡れながら凶器と狂気で舞い踊る。

 頬を掠めた触腕が肉ごと引き裂いて抉りとる。


 沸騰した思考でも冷静さを失わない。

 焦っても意味が無いことを知っていた。


 決め手に欠ける誠とは違い、化物の一手一手は誠を殺すためにある。

 前方の触腕をブラインドにして放たれた燃え盛る炎弾の魔術。

 振り抜いた鉈は動かず、強化した左腕で薙ぎ払ってかき消し――ゾクリと首筋が粟立つ。


 死角からドリルのように螺旋を描き突き出された触腕は誠の心臓を穿つ――


「……世話が焼けるね」


 寸前、二条の銀閃が同時に迸る。

 断面からは蒼白い炎が上がり、化物の再生能力を封じて落ちた触腕を灰へと変えた。


「助かった」

「お礼はお布団で」

「……考えとくよ」


 普段の調子を崩さない凪桜の物言いに嘆息しつつも、二人で踊るように攻勢に出る。

 極限の集中状態の誠と他人を観察することに長けた凪桜ならば、言葉を介さずとも互いの動きが手に取るように予想出来た。

 熟練のバディのように息の合った連携で、戦況は次第に傾いていく。


 斬り落とされた触腕は十や二十では効かない。

 あらゆる魔術は魔力による干渉で打ち消され、零れたものも千鶴が鼻歌交じりに払い除ける。


 そして。


「――『神降励起』」


 那月の一言で空気が変わる。

 神聖な気が彼女に降りた存在から放たれ、全員の意識が否応なく集中した。

 無視できるはずもない。


 那月に宿っているのは紛れもなく人智を超えた上位存在――神なのだから。


 胸元で印を結ぶ那月は自らの身体に降りた存在に精神優位性を奪われないよう戦っているのだろう。

 苦しげに表情が歪んだかと思えば、今度は夜空に浮かぶ三日月のように細く笑むのだ。


 けれど、那月はもう負けない。

 己の内に住まうもう一人の御子の力も借りて、遂に完全に安定した那月が天蓋へ手を伸ばす。


 地に生きる生命にとって天に住む神の言葉は絶対遵守の命令に等しい。

 命を天秤に賭けた魔術の効力は、時にこの世の理さえも嘲笑う。


「――魂魄剥離ソウル・ディバイドッ!!」


 行使するは神の手。

 半透明な手の指先が化物を摘み、取り込まれていた慧の身体を無理やり引き剥がす。

 ブチブチと裂ける筋繊維。


「「AAAAAHHAAAHAHAHAAA!?!?!?!?」」


 二重奏の悲鳴は絶対の手を逃れるための要因とはなり得ない。

 慧は肌の表面を血で紅く濡らしながら離れていく。

 気を失っている慧を取り合うように化物から無数の細い触手が蠢き、自分の依代を取り返そうと躍起になっていた。


「――やらせるわけねぇだろッ!!」


 透明な糸が触手を縛り上げ、纏めたそれを割り込んだ誠と凪桜が切り払う。

 しかし、化物も諦めることなく触手を次から次へと伸ばし続ける。

 自身の中核となっている慧の存在が奪われれば、原型を保てなくなるのだ。

 魔化したとはいえ、生命力となる魔力の供給先が無くなれば死ぬのは必然。


「――っ、くぅっ……まだ、まだっ!!」


 魔力欠乏で倦怠感を訴える身体に鞭打って、那月は慧と化物との間に繋がる魔力の経路を遮断する。

 一際慎重な操作で繋がりを断ち、プツンと糸が切れたように慧が前のめりに倒れ込む。

 同時に化物の動きも止まり、生まれた絶好の隙。


「誠さんっ!!」


 叫んだ名前。


 応えるのは、静かな背と白銀纏う刃で。


「おわりだあぁぁぁぁぁぁぁぁぁああぁぁぁあっっっ!!!!!!」


 天へ奔る白銀の煌めき。

 夜空を衝く鋒、振り上げた腕。


「AAAAAAAAAAAAAHAHAHAHAHAHHH!!!?!?!?」


 化物の断末魔が響き渡って。

 二つに裂けた身体がボロボロと崩れ、遂には肉の一欠片すらも残さず魔力に分解されてしまった。


 静寂。


 吹き抜けた風が火照った身体を撫ぜて、揺らぐ銀色を世界の中心に捉えて。


 もう限界が近いのだろう。

 両足を震わせながらも立ち続ける那月を支えると、彼女は頭を胸に浅く埋めた。

 目を瞑って、確かに感じる温かさに身を委ねて。


「――帰ろう、那月」

「……はいっ」


 止まっていた時計が、ようやく動く音がした。

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