第2話 『鏡界迷宮』



「待て待て待て! 一旦落ち着いてくれ!」


 このままだと押し切られそうな雰囲気を悟った誠は少女の肩を揺すってなだめた。

 頭一個分は小さな少女の身体は華奢きゃしゃで、力を込めれば折れてしまいそうなもろさを感じる。

 ほど近い距離感に少女の精神が限界を迎えたらしく、恥ずかしそうに頬を赤らめながらコクコクと首を縦に振り、


「っ、そうです……ね。少し冷静じゃなかったみたいです」

「少しで言っていい内容じゃないだろ……」


 眉間を押さえながら誠は少女から一歩距離をおいて、壁に背を預けて身体を休める。

 休憩時間は次があるとも限らない。

 僅かな時間であっても無駄にはできないのだ。


「お前も休め」

「……神奈木かんなぎ那月なつきです。呼びやすい方で呼んでください」

茅野かやのまことだ。好きに呼んでくれ。」


 誠も名乗り返すと那月は小さく繰り返して、誠の隣に一人分の間隔を空けて壁に背を預けた。

 静寂。

 何を話せば良いのかと戸惑っていたが、誠が違和感に気づいて声を上げた。


「なあ、ここって日本か?」

「当たり前じゃないですか。私たちがいるのは東京で新しく発見された『鏡界迷宮ダンジョン』ですよ」

「そう……か」


 那月の返答を受けて誠は素早く思考を回す。

 怪しいと感じたきっかけは名前の語感。

 明らかに日本人に似た響きだったのでもしかしたらと思っていたが、当たりだったようだ。


 日本、引いては地球なのが確定はしたものの、聞いたことの無い単語が一つ混じっていた。

 ――『鏡界迷宮ダンジョン』。

 これは誠がいた世界には当然なかったもの。


 そこから導き出される結論。


「……平行世界? いや、十分に有り得るか」


 誠は異世界転移なんて非現実的な出来事を経験している。

 ダンジョンがある地球に転移したところで大して驚きもない。


「茅野さん?」

「ちょっと考え事してた。で、そっちの要件は『助けて欲しい』だったか」

「駄目……でしょうか」

「駄目じゃないが、実は俺も迷子でな。目が覚めたらこんな所にいたんだ。悪いが俺じゃ力には――」

「無理は承知です。今の私に頼れるのは茅野さんしかいないのです」


 ずい、と距離を詰めて那月が誠の左手を握る。

 ひんやりとした少女特有の柔らかさが手を包み込む。

 上目遣いで迫る那月の姿に感化されて、思わず一歩たじろいだ。


 必死に生きようとわらにも縋る思いを抱いているのが、その紺碧こんぺきの瞳から伝わってきたから。


 ――そういう人は嫌いじゃない。


 かつて誠もそうであった為に、那月の気持ちは痛いほどによく分かる。


「ちょっと待ってくれ。その提案、条件付きなら引き受けてもいい」

「っ! それはどんな内容でしょうか。……はっ、もしかしてここで身体を差し出せと――」

「違ぇよ!? そんなに俺を変態にしたいの!?」

「男性は女性の、それも私のような少女に情欲を抱くのではないですか?」

「それは個人差が――って、そうじゃなくて!」


 いや確かに那月は可愛いけど、と喉元まで出かかった言葉をすんでのところで呑み込んだ。

 重要なのはそこではない。


「そう、条件。俺の素性に関しては他者に無断で話さないこと。ちょいと面倒な事情でな」

「わかりました。詮索はしません」

「いや、そこに了承してくれるなら話しておきたい。そうじゃないと次に進めないからな」


 それはどういう意味かと那月は誠へ疑念に満ちた視線を送る。

 さてどこから話したものかと誠は考えるが、出来の悪い頭で考えたところで違いなど微々たるもの。

 ならば簡潔に話してしまった方がいいかと、覚悟を決めて口を開いた。


「……俺は4年前にここじゃない地球から異世界に転移して、今日ここに転移してきたんだ。信じられないと思うだろうけど――」

「――信じます」

「信じてくれると……へ? 今、信じるって?」

「はい。この期に及んで嘘をつく意味がありません。私が疑うのも同じです」

「いやでも、俺が顔色一つ変えずに嘘をつく詐欺師って可能性も」

「私、これでも人を見る目には自信があるんです。茅野さんからはその手の雰囲気を感じません」


 明確な根拠など無いに等しいにも関わらず、那月は誠の虚偽妄言と取られてもおかしくない発言を信じると言った。

 呆気に取られている誠へ、那月は優しく微笑んだまま話の続きを促す。

 釈然としない気分のまま誠は咳払いの後に話を続けた。


「そういう理由もあって俺は無一文なんだ。ここを無事に出ても生きるための糧がない」

「つまり衣食住を保証して欲しい……と」

「端的に言えばそうなるか」

「……年下の少女にお金を集る気分ってどうですか? 私だったら恥ずかしくて生きていけないんですけど」

「悪かったなヒモで!」

「ふふっ、冗談です。誠さんは命の恩人ですから。本当に。このくらいのことならおやすい御用です……と言えたら良かったのですけどね」


 困ったように頬をかいて、


「私もあんまりお金がないんですよ。善処はしますが、茅野さんを完全なヒモにするのは難しそうです」

「別にいいさ。知り合いが一人いるだけで心強い」


 4年前は言葉もわからなかったのだから、それに比べれば現状なんて生温い。


「じゃあ、これからよろしくな」

「こちらこそ、よろしくお願いします」


 握手を交わし友好の印としたところで、さてと揃って前を向く。


「目標は出口。どっちに行く?」

「魔力を辿って奥へ進みましょう。その方がきっと早いですから」

「魔視が出来るのか。頼もしいな」

「あまり戦闘は得意ではないので、そちらは足を引っ張るかと思いますが」

「構わないさ。俺もそこまで自信はない」

「……自信満々に言うことじゃないと思うのですが」


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