第15話 『零級』



「……ようやく届いたか」

「良かったですね。これで『鏡界迷宮』にいけます」


 三日後、誠の手元には真新しい探索者証明証が握られていた。

 公的な証明にも使えるものだが、そもそも戸籍すらない誠の証明証をどうやって作ったのか。

 裏で千鶴が動いているであろうことはわかるが、何をやったかまでは知ろうと思えない。

 知らない方が平和に済むこともあるのだ。


「あれ? 級が書かれていないじゃないですか!?」

「何か問題なのか?」

「……級がないのは協会専属の探索者――『零級』の特徴だったはずです」


 証明証を覗き込んでいた那月がそんなことを言い出した。

 探索者には強さや実績を加味しての階級が存在する。

 下は五級から始まり、四、三、二、一と続く。


 五級は新人、ボリュームゾーンは四級でピラミッド状の人口分布。

 専業で探索者をやるには三級以上が必要とよく言われている。

 四級が多いのは学生や社会人が気分転換や副業としてやっているから。


 対して『零級』と呼ばれるそれは、等級の枠組みから外れたもの。

 協会側の推薦によって専属となった探索者にのみ与えられる称号的な意味合いの強い級だ。

 それを与えられた探索者は例外なく一騎当千の戦闘力を誇り、幾つかの特権も認められている。

 故に『零級』は少なく、貴重な存在なのだが。


「……そんなの初めて知ったぞ。でも『鏡界迷宮』に入る制限はないんだろ?」

「そのはずです。千歳さんが仕組んだのだと思いますが……」

「真っ先に疑われるあたりに信用のなさが顕著にでるなぁ」


 とはいえ誠もその線は否定しない。

 こんな細工を出来るのは発行に関わっている協会しか思い当たらないからだ。

 実際には千鶴は『推薦』と言っていたために騙したつもりはなかったのだが、事前の説明がなかったので当たらずとも遠からずである。


「でも、気にしなくてもいいと思うぞ」

「理由は?」

「頭の回る千鶴が無意味な悪戯をするとは思えない。何かしらの意図を隠すためのカモフラージュじゃないか? まあ、本当に意味がないってことも有り得るけど」

「……そうですね。考えても結論は出ませんし、いずれ本人に聞けばいいのではないでしょうか。それより、折角ですし行きませんか?」




 ▪️




 ――東京都『代々木公園鏡界迷宮』。


 数年前に出来たばかりの比較的新しい『鏡界迷宮』前の広場には、活気ある声が満ちていた。

 待ち合わせ場所にも使われるそこには、様々な装備に身を包んだ探索者でごった返している。


 ガヤガヤと響く喧騒、あちこちで上がる臨時パーティ募集の声。

 探索の前のミーティングをしている所もあれば、高校生を過ぎたくらいの数人が楽しそうに談笑する姿も散見される。

 探索者と一口に言っても意識に差はあることが一目瞭然だ。


 しかし、初めに出る感想は大変に陳腐なもので。


「うっわ……人多すぎだろ」

「そんなに嫌そうな顔しないでくださいよ」


 顔を引き攣らせながら呟く誠の脇腹を小突く那月もまた、人の多さに辟易している様子。

 二人の手には探索者の荷物を詰め込んだキャリーバッグが引かれている。

 いくら職業として確立されている探索者とはいえ、武装状態で街を歩くのはマナー的に問題がある。

 目の前に刃物を下げている人がいたら気が気でないし、探索者側も盗まれないとも限らない。

 自衛と配慮が噛み合った結果だ。


 縦横無尽に歩き回る人と擦れ違いながら、協会が整備している施設に到着した。


「更衣室で着替えて合流しましょう」


 那月の案内で着いた更衣室に男女で別れ探索の準備を整える。

 二人とも十分程で出て合流し、久々に武装状態で顔を見合せた。


 誠の装備は異世界の時のものを引き継いでいる。

 軽くしなやかな革の軽鎧と、要所を守る軽金属のプロテクター。

 空間拡張の魔術刻印が付与されたショルダーバッグを下げ、左腰に佩いた手頃な刃渡りの鉈。

 後は着慣れた黒い外套を羽織るくらいのシンプルな軽装だ。


 攻撃を受けるのではなく躱すことに主眼を置いているため、行動を阻害する重い装備は必要ない。

 何より一人で探索していたため、移動が遅くなるデメリッドが厳しいのだ。

 これがチームなら話は変わるが……誠が組んでいるのは那月だけなので気にする必要が無い。


「誠さんは随分と馴染んでいますね」

「異世界デビューを果たして4年もあればこうなるって。そういう那月は……制服?」

「ええと、これは魔術学院の制服ですね」

「本当に制服だったのか……でもなんで」

「少し前まで通っていたので。色々あって今は休学中ですが」


 照れくさそうに頬を指先で掻き、くるりと回って翻る黒いスカート。

 足元の防御は同じく黒いタイツが固めていて、しなやかな脚線美を誇る脚が伸びている。

 白い清潔なブラウスの上には紺色の上質な生地のジャケット。

 胸元に魔術学院の魔術陣に似た紋章があしらわれていた。


 動きにくそうで、しかも防御力など皆無に見えるが、その心配はない。

 身体補助のインナースーツを着ている上に、魔術学院の制服には強化魔術が刻印されているため『鏡界迷宮』でも使えるくらいには丈夫だ。


 この世界の技術レベルは異世界とは比べ物にならないことを忘れていたが、説明されれば誠としても安心できる。

 逆にそんな装備で……と視線を集める誠だが、実力を知る那月からすれば些細な問題だ。


「あの、異世界ってどんな場所だったんですか?」

「んーと……基本的にはよくあるファンタジーもののゲームみたいな感じだった。ただ……あの世界キツすぎんだよ……」


 思い出される苦難の日々。

 転移直後は言葉もわからず食糧不足で餓死寸前。

 運良く優しい人……後に恐怖の象徴となった師匠……に拾われなければそこで死んでいた。


 血の滲む修練を経ても凡人止まりの誠。

 ゲームでは序盤の雑魚敵として出てくるゴブリンですら倒すのに一苦労どころか何度と死にかけた。

 一瞬でも気を抜けば死がダース単位で迫ってくる。

 多少強くなったとしても、それはいつまでも変わらなかった。


 虚ろな目のまま呪詛のように言葉を吐き続ける誠に、那月は若干引いていた。

 異世界での出来事は完全にトラウマとして刷り込まれている。

 けれど、それはそれとして。


「アレに比べたら今の生活なんて天国同然だっての……あっちの友人にちゃんと挨拶できなかったのは惜しいけどな」

「ちゃんと友人がいたんですね」

「ガチで傷つくからやめない????」


 先日のことを根に持っているのか容赦なく傷を抉る那月は「冗談です」と微笑む。

 魔性の笑顔を前に、絶対に悪女の才能があると戦慄した。


「もう手続きは済ませてあるのでいきましょう」

「そうだな。久々だし調子を見ながら様子見で」

「無理は禁物ですから、私も賛成です」


 今日の活動方針を決めて、入口になる姿見を通って『鏡界迷宮』へ足を踏み入れるのだった。




 ――そんな二人を遠目で観察していた少女も、心底気だるげに後を追った。


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