第16話 代々木公園『鏡界迷宮』



「うぇ……気持ち悪い……」

「本当に転移酔いするんですね。前は大丈夫だったのに」

「……前は多分、戦闘の後で興奮状態だったんだろうな……うっ」

「少し休みます?」


 姿見を抜けた先は、寂れた遊園地のような異質な雰囲気を醸す場所だった。

 鉄錆に塗れた鉄柵。

 キコキコと軋む音を立てて廻る無人のメリーゴーランド。

 横に大きく揺れる船の側面に並ぶ砲塔が空砲を撃ち鳴らす。

 遠目に見える観覧車は高速回転していて、とてもじゃないが乗り込めそうにはない。


 見上げれば午前中のはずなのに空は黄昏ていて、ゆらりと影が不気味に蠢く。

 だというのに、戦闘音と叫び声が全てをぶち壊しにして混沌とした世界観を形成していた。

 正直、誠はこの時点でお腹いっぱいだった。

 居るだけで緊張感が削がれて仕方ない。


「いいや、いい。直に治る。それより『鏡界迷宮』ってのは中がまるで違うんだな」

「そういうものですから。『鏡界迷宮』を作るのは魔力と結びついた人の感情や欲望。そういったものが反映されているのでしょう」

「だとしたら……ここは何だ? 些か趣味が悪くは無いか。元々ここって公園だろ?」

「……まあ、『鏡界迷宮』は色々と歪んでいますから。魔物も遺物も異質ですが、異質の中にあるならそれは普通です」

「日本に日本人がいてもおかしくないけど、外国に日本人がいたら人目を集めるみたいな感じか」


 誠は一人で納得し、適度に身体を解して最後に装備の再確認。

 異世界でも欠かさず行ってきた誠なりのルーティーンであり、意識のスイッチを切り替える儀式でもある。


「――準備はいいですか?」

「いつでもいいぞ」

「なら行きましょう。頼りにしていますね」

「凡人なりに頑張ってみるよ」


 薄く笑って、二人は探索に赴いた。




 ▪️




 代々木公園『鏡界迷宮』内。


 二人が刃を交えるのは熊の着ぐるみ……ではなく、魔力の核を宿した魔物『フェイク・ベアー』。

 野生のヒグマに勝るとも劣らない凶悪な鉤爪が振り下ろされるも、那月は堅実に細剣で受け流し、外側へ力を流して弾く。

 その一瞬を見逃さず叫ぶ。


「那月、カバー入る!」

「了解っ」


 那月は無理せず一歩引いて、間に入る黒い影。

 恐れは知らず。

 凡人は当然のように鉈を振るう。


 宙に描かれた鈍色の軌跡。

 刃を伝って腕に響く毛皮に包まれた左腕の硬い筋肉を断つ感触。

 深い傷、刃を伝って滴る紅。

 間違いなく傷は浅くない。


 だが――引き抜けない。


「Gruulaaaaaa!!!!」

「っ、動くな騒ぐなッ!」


 唸り暴れる熊が誠の頭にかぶりつこうと大口を開けて迫るも、鉈から手を離し股下を滑り抜けて躱す。

 ガチンッ! 歯が打ち鳴らす硬質な音にぞくりと背筋を震わせた。


 しかし、武器を失ったとて戦闘は終わらない。

 誠を見失い背を晒す熊へ振り返りざまに魔力を乗せて掌底を叩き込む。


 抜けた衝撃。

 仰け反った熊が白目を剥き、涎を吐いて空を向く。

 人間相手なら気絶していてもおかしくない威力だったが、魔物の生命力は伊達ではない。

 爛々とした紅き双眸がギョロリと誠を捉えた。


 ぐりんと回った腰、旋回によって生まれた遠心力の乗った鋭利な鉤爪が閃く。

 次の動作に移るまでの僅かな隙。

 それだけで凡人たる誠の命を奪うには十分すぎる。


 けれど。


 それは一人ならの話で。


「――せあぁッ!」


 靡く銀幕、矛先が逸れた瞬間を狙って那月はアスファルトの地面を駆け抜ける。

 磨かれた鏡のように美しい細剣の刃が黄昏色に染め上げられ――一閃。


 迸る銀は寸分違わず喉笛を裂き、溢れ出た緋色がベッタリと毛皮を濡らした。


「ナイスタイミング」

「当然です」


 拳を突き合わせて交わす賞賛。

 連携も数度の戦闘を経て形にはなっている。

 個々の動きも魔物に遅れは取っていない。

 二人は確かな手応えを感じていた。


 誠は倒れた熊の左腕から鉈を引き抜いて紫紺の結晶――魔石を取り出すために熊を解体する。

 手袋を血で染めながらも心臓部を探り、ややあって親指の先くらいな大きさの魔石を見つけ出した。


「これで幾らくらいになるんだ?」

「純度にもよりますが、およそ500円くらいかと」

「命懸けの対価としては安すぎるな」


 取り出したばかりの魔石を空に翳すと、光に透けた紫紺の結晶が綺麗に輝く。


 魔石に含まれる魔力はエネルギー資源として取り出され、活用されている。

 動力としても、魔術触媒としても。

 魔物の素材も稼げないことは無いが、種類や部位によってまちまちだ。

 そのため魔石はコンスタントに稼ぐことには向いているが、爆発的な額は望めない。


 那月は血の匂いに惹かれて他の魔物が接近してくることを警戒していたが、どうやらその気配は感じられないようだ。

 細剣を鞘に収めて、緊張を緩めて息を吐く。


「どうですか、調子は」

「可もなく不可もなく……ってとこだな。凡人の辛いところだ」

「凡人ですか」

「そう、凡人」


 繰り返した誠を訝しげに目で追う。

 きっと、目の前の人は何を言ったところで認めようとはしないだろう。

 誠の目には嘘を言っている様子がない。


「薫さんに勝っておいて凡人は無理があると思うんですよね」

「確かにあの人は強かったけど、師匠や剣バカ程じゃなかったからな。現実的な動きしかしてなかったから対処出来た」

「……なるほど。誠さんは常識を失ってしまったんですね」

「全部否定できないのが悔しいな????」


 確かに心当たりはあるが……と思い返す異世界での記憶。

 だが、常識を失ったのは自分のせいではないと訴えたかった。

 非常識な人間たちが近くにいたせいで染まってしまったのだと。


「いや、だってさ。平然と魔術一つで山を消し飛ばす奴と居たら大抵のことに驚かなくなるだろ?」

「まあ、そうですね」

「剣一本でドラゴンと一騎討ちして血塗れになって笑いながら帰ってくるとか信じられるか?」

「……なる、ほど?」

「それと比べたら、ほら。俺なんてこの程度の魔物に苦戦してるんだから可愛いものだろう?」

「この程度ですか……」


 今しがた倒したばかりの『フェイク・ベアー』の死体は『鏡界迷宮』の自浄作用によって地面にズブズブと沈んでいた。

『フェイク・ベアー』の指定等級は三級。

 魔物の方が人間より一段階上の階級として設定されているが、決して易い相手ではない。


 薫に勝った誠の方が等級で見れば格上ではあるが、それ以上に恐ろしいのは恐怖を認識していながらも躊躇なく立ち向かえる精神性。

 それは探索者をやる上で得難い稀有な素質であり、人間としての致命的な欠陥。

 恐怖を感じて本来の力が発揮できずに命を落とす探索者は後を絶たない。


 しかし、那月が誠に抱く印象は慎重かつ冷静に物事を判断する、時に冷徹とすら映る論理性。

 だから……怖い。


 彼は理由があれば人も殺せるのではないかという確信めいた予感。


「それより次行こうぜ。早いとこ稼いで色々返さないと……」


 借金先をこれ以上増やす訳にはいかないと躍起になる誠の俗な理由に静かに笑っていると、微かに感じた人の気配。

 パッと背後を振り向いてみたが、黄昏に染まる遊園地が広がるだけ。


「……気のせいでしょうか」


 姿はないが違和感で済ませられない理由がある以上、警戒を怠らないようにと気を引き締め直して探索を再開するのだった。


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