第3話 鏡界主



 どれだけの時間が経っただろうか。


 脚は鉛のように重く、疲労はピークに達していた。


 数度あった魔物との戦闘もどうにか潜り抜け――現在。


 二人は、えらく荘厳な石の扉を前にしていた。


「……これ、あれじゃん。絶対ボスとかそういうのがいるやつじゃん?」

「確かに、この先には『鏡界迷宮ダンジョン』の鏡界主マスターが居るはずです。でも、倒せば外に出られます」


 それはつまり、二人がいる場所こそが『鏡界迷宮』の最奥であることを示していた。


「回れ右して入口を目指すのは……流石にキツいか」

「ですね。賭けにはなりますが、押し通る方が生存率は高そうです」

「確実性のない戦いは嫌いなんだけどな」

「一つしかない命ですからね。私だって死にたくありませんよ。でも――」


 振り返って那月が見据える先に広がるのはどこまで続くとも知れない薄闇。

 暗中模索は精神を酷く摩耗する。

 それに、戻ったところで入口に辿り着ける保証はどこにもない。


「腹を括れってことか」

「もしかして怖いんですか」

「当たり前だろ。見損なったか?」

「まさか。生きているより大事なことはありません。地べたを這いつくばって泥をすすってでも、生きなければならない理由もあります」

「…………」


 那月の言葉は実感を帯びたものだった。


 那月が歩んできた人生を誠は知らない。

 同じく、誠が歩んできた人生を菜月は知らない。


 それでも、誠の心に響くものがあった。


「ただの独り言です。気にしないでください。それより、そろそろ行きませんか?」

「そうだな。ここに居ても進展はないし、諦めついでに鏡界主とやらを倒して外に出よう」


 二人は装備を順に確認し、整ったところで揃って扉を押し開けた。

 硬く冷たい石の感触。

 地面との摩擦音が重く響く。


 扉の隙間から吹き込んだ冷たい風が頬を撫でる。

 戦いの気配を感じ取り、鉈を握る手に汗が滲んだ。


 警戒を露わにした二人が見たのは天井の穴から光が差し込む半球状の空間。

 壁や床は変わらず剥き出しの岩だが、奥には似つかわしくない絢爛華美けんらんかびな玉座が控えている。

 座すのは当然――王。


「Gooooooo!!!!」


 侵入者を捉えた鬼王オーガキングが闘気を露わに発した咆哮ほうこうが空気を震わせる。

 体格はオーガよりもたくましく、溢れ出る強者の風格を感じた誠の額にじわりと浮かぶ脂汗。


 異世界で培った4年間の経験が誠に激しく警鐘を鳴らしていた。

 奴は命を脅かす存在だと。

 こんなことなら引き返すんだった……そんなどうしようもない後悔が脳裏を過る。


 那月も鬼王の威圧感に気圧され、地に着いた足が小刻みに震えていた。

 本能的な殺気に慣れていないのは、16歳という年齢を考えれば当然とも思える。


「――那月!」

「っ、だ、大丈夫です」

「無理はするな。危ないと思ったら直ぐに退け。戦意のない奴に戦える相手じゃない」


 誠のそれは那月をおもんばかっての言葉だったが、返ってきたのは強い意志の宿った紺碧の瞳。


「――戦いますよ、私も。こんな所で弱音を吐いて立ち止まる訳にはいかないんです」

「……そうか、悪かった。なら力を貸してくれ。アイツを一人で相手にするのは骨が折れると思っていたところだ」

「当然です」


 心の内に潜む恐怖を振り払うように美しい銀色の刃をもつ細剣抜き放ち、静かにきっさきを鬼王へ向けた。

 たった一つのミスが死に直結する戦いを目前に、誠と那月の覚悟は揺るがない。


 譲れないものがあるから。

 大切なもののために、二人は武器を取る。


「――来るぞッ!」


 緊迫した空気に響く誠の声。

 歴戦の戦士の如く、鬼王が肉厚の剣を片手に豪快な足取りで走り出す。

 一歩一歩が地面を穿ちヒビを入れ、過ぎ去った場所は砕け凹んでいた。


 微風にそよいだ髪先。

 気づけば、鬼王の姿は誠の前にあった。


 あまりの速さに驚愕を隠せぬ見開かれた目。

 しかしながら身体に対処は染み付いている。

 鉈を真横に掲げ、左手で刃の腹を裏から抑えた。

 当然のように『魔纏』を使用し防御を堅くしたところへ、鬼王が大上段から振り下ろす痛烈な一撃。


 ギィンッ! 鉄の打ち合う音が甲高く戦場に響く。

 誠の身に重くのしかかる刃と鉈が拮抗し、紅い火花すら散らしていた。

 しかし表情は非常に険しく、『魔纏』を使用した誠を持ってしても真正面から受けるのは不利だと一撃で悟る。


「はあぁぁぁぁぁ!!」


 駆け込む銀の疾風。

 一瞬のうちに隙だらけの鬼王に肉薄した華奢な少女が、銀に輝く細剣を数度閃かせた。

 あまりの速さに鋒がブレて見える刺突の雨。


 鬼王は反応すら叶わずモロに受け――頑強な肉体には傷一つついていなかった。


「嘘っ」

「那月!」


 痛みとしては蚊に刺されたようなもの。

 それでも鬱陶しいと感じたのか鬼王の矛先が那月へ移る。


 引き戻した大剣を両手で持ち、水平にぐるりと竜巻のように一回転。

 誠は咄嗟に衝撃を殺すべく後ろへ飛びながら鉈で受け、地面を転がりながら受身を取った。

 那月は持ち前の素早さと勘の良さで攻撃範囲外まで逃れ、ダメージはない。


 ゆらり、再び体験を肩に掲げる鬼王を前に、額を冷や汗が伝う。


「……これはヤバいな。でも、俺は約束は死んでも守る主義なんだ」


 地に膝を着いたまま、顔だけを上げて呟く。

 虎視眈々と機会を狙う黎き眼差しに『諦める』なんて意志は欠片も存在しなかった。


「……私も、ここで屍を晒す気は毛頭ありません。生きてここを出る……それは決定事項です」

「大きく出たな。でもまあ、そういう訳だ。だから――意地でも推し通らせて貰うぜ」


 傲慢にも『お前を倒す』と言外に示した二人に、言葉を理解出来ないはずの鬼王が苛立ったように低く唸り返した。

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