第28話 呑まれし者

 


「――クソッ!!」


 乱暴に叩きつけた机には血痕が色濃く残っている。

 冷たい石の床にはぶつ切りにされた幼い人体の部品・・が散らばっていた。

 壁際にはブヨブヨとした人肌色のナニカが物言わず控えている。

 明らかに異常な生物を気にした様子もなく、慧はソレへストレス発散のために魔術を放った。


 ここは彼方家の屋敷内にある地下工房。

 それなりの規模を誇る魔術師の家ならば、魔術工房を備えている。

 名家ともなれば、何代もかけて築かれた魔術の粋が収められている宝物庫と言っていい。


 彼方は昔から魔物の研究を続けてきた家系。

 代名詞とも言える精神干渉も元を正せば、魔物と意思疎通を図るツールとして扱われてきた。


 しかし。


 今や、底知れぬ魔術師の昏い欲望によって人を傷つけるための道具と化している。


「……チッ、どいつもこいつも邪魔ばかりしやがって」


 部屋の外から響くゆったりとした足音に気づき、忌々しげに椅子から立ち上がる。

 すぐに扉をノックする音。

 返事はしない。


 ややあって、ギギと軋みながら扉が壮年の男性によって開かれた。


「――慧」


 慧を呼ぶのは、父であり現当主の賢司。

 灰色の瞳に浮かぶは憐憫と後悔に似た感情だ。

 片方は慧へ、もう片方は自分へ。


 両者の力関係はすっかり逆転してしまっていた。

 慧は鬱陶しそうに目を合わせようともせず、手近な解体用のメスを手元で遊ばせる。


「……もう、終わりにしよう。今ならまだ、お前を守ってやれる――」

「はぁ? 誰がお前に守ってもらうって? 僕の精神干渉にも抵抗できない老いぼれ魔術師がさぁッ!?」

「……そう、だな。私はお前に逆らえない。それは認めよう」


 不機嫌を露わにする慧へ処置なしとばかりに自らが下であると賢司は認識を正す。


 当分は先のはずだった。


 彼方家の伝統として、後継者は当主を精神干渉にかけることで座を譲り渡される。

 しかし、現在。

 慧は賢司を精神干渉の影響下に置いているが、まだ遊び足りないと当主の座を後回しにしていた。


 その遊びが冗談では済まされない物だと知っていながら、賢司は止められなかったのだ。


「出ていけよ。気が散る」

「……まだ続ける気か。お前だって分かっているだろう――」

「煩いなぁッ!! あんまり僕を怒らせないでよ。まだ材料にはなりたくないでしょ?」

「……すまない。本当に、すまない」


 うわ言のように謝罪の言葉を続けながら、賢司は部屋を出ていった。

 独り残された工房で、不気味なまでの静けさに慧の狂った笑い声が響く。


 賢司は慧の精神干渉を受けている。


 しかし。


 慧もまた、別の物による干渉を受けていた。


「――これは僕の力だ。選ばれし者に許された絶対支配の力だ」


 ギュッと服の上から握るは自分の左胸。

 一歩間違えれば呑み込まれる危険すらあるソレを、慧は自らの力として振るっていた。


 ソレは着実に慧の精神を汚染しているとは露ほどにも思わずに。

 遅効性の毒のようにジワジワと巡り、やがて慧は人の形を保てなくなるだろう。


 だが、慧は傲慢にも肥大化した己の欲望のためだけに生きる。


 いずれ来る破滅の日。


 それすらも恐れることなく。


(僕に恥をかかせたことを後悔させてやる……ッ!)


 グツグツとマグマのように熱く煮え滾る昏い欲望を腹に据えて、慧は予てから進んでいた計画のために動き出した。




 ▪️




 一週間ほど探索と休養を繰り返して、ある日。

 協会からの依頼で二人は凪桜と共に『鏡界迷宮』の探索に出ていた。

 場所は誠が初めて訪れる『雷門鏡界迷宮』。

 手続きを済ませ、装備を整えた三人が合流した。


「凪桜も今日はよろしくな」

「よろしくお願いします」

「ん」

「にしても……凪桜のそれって完全に忍者では」


 凪桜の小柄な四肢をピッチリと包む黒装束、恵まれた胸元の布地はピンと張っていて非常に窮屈そうに揺れている。

 腰に備えられた二本の小太刀が凪桜の主武装なのだろう。

 口元を覆う黒い布を邪魔そうに退けて欠伸を漏らしているが、まあ許容範囲だろう。

 隠すべき暗器の苦無や手裏剣すらもチラリと見えているのも……ギリギリ良いとしよう。

 気だるげな凪桜の態度も相まって、総じてコスプレ感が否めない。


「一応忍者だから?」

「一応ってなんだよ」

「忍者って名乗ったことない」

「……忍者は忍者と名乗らないと思います」


 那月の指摘はもっともだ。

 忍び隠れる存在が自ら名乗ったのでは本末転倒。

 そもそも誠は常に眠そうにしている凪桜に忍者が務まるとも思えなかった。


 だが、凪桜は実際に千鶴から二人の監視任務を受けている隠密。

 やる気がなくとも腕だけは確かであった。


「――で、今日は協会の依頼だったか」

「はい。ある一角に住み着いている多数の魔物の駆除が目的です」

「浅い階層、だけど数が多い。新人が困るからって言ってた」

「確かにな」

「それに、遺物が生成されている可能性もあるとの事です。魔物は遺物が持つ魔力に惹かれますから、あくまで可能性ですけど」


『鏡界迷宮』には現代の優れた化学と魔術をもってしても、解明できていないことは多い。

 特に謎が多いのが、『鏡界迷宮』から稀に産出する魔力で変質した物体――遺物。


 特殊な力を秘めた現代の神秘。

 一攫千金を夢見る探索者が求める品の一つだ。


 また、遺物は魔を惹き寄せる力がある。

 これは魔物だけに留まらず、人も例外ではない。

 そのため『鏡界迷宮』内に放置された遺物に集まった魔物と探索者が鉢合わせ、襲われることも珍しい話では無いのだ。


「でもま、やることはいつも通りだしな」

「焦らず慎重に。命大事にで行きましょう」

「ん」


 気負うでもなく、三人は姿見を通り抜けて『鏡界迷宮』へ足を踏み入れるのだった。

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