第19話 傍若無人な眠り姫



「ほんといい食いっぷりだな……」


 頬杖をつきながら誠が感心したように眺めるのは、先程発見された少女――九重凪桜。

 一心不乱にシチューを小さな口へ運び三杯目にもなるのだが、その吸引力が衰えることは無い。

 那月よりも一回り小さな身体のどこに入る余地があるのか……謎は深まるばかりである。


「――美味しかった」


 綺麗に皿を空けた凪桜は満足したようで、手を合わせて「ご馳走様でした」と呟く。

 出会い頭の「ケダモノ」発言から誠は警戒していたものの、言動は至って普通の少女である。

 食事中に寝落ちすることはなかったが、やはり眠いのだろう。

 挨拶をした途端に金色の瞳がとろんと蕩けて瞼が閉じかけていた。


「そんなに美味しそうに食べられると作った甲斐があるな。お粗末さん」

「……もしかして、お兄さんが作った?」

「野菜切って煮込んでルーを入れるだけだって。難しいものじゃない」


 凪桜から食器を預かって洗いながら受け答える。

 誠の自炊の腕は異世界で鍛えられたもの。

 拾ってくれた師匠が激烈なほどの料理下手で、本格的に命の危機を感じたのがきっかけだった。

 今となっては趣味の一つと数えてもいいだろう。


「――凪桜ちゃん。よかったら今日は泊まって行きませんか? 夜も遅いですし、女の子が一人で出歩くのは危ないですから」


 リビングに現れた那月は凪桜の着替えを持って、そう提案する。

 それには誠も賛成だった。

 いくら素性がしれないとはいっても、凪桜が女の子である事に変わりない。


 変質者が何処にいるかわからない現代で、夜に一人で放り出すのは気が引けた。

 凪桜の様子を見ている限りお菓子で釣られて攫われかねないという二人の認識はその通りだ。


「……いいの?」

「大丈夫ですよ。私と同じベッドで寝る場所は狭いかも知れませんが」

「凪はどこでも寝れるから。でも、嬉しい」

「ですか。でしたら、寝る前にお風呂に入りま――って、消えた?」


 バヒュン、と。


 正しく瞬きほどの時間で、凪桜は二人の視界から掻き消えた。

 扉も窓も閉まっているのにどこへ消えたのかと視線を巡らせると、呆れたように誠が天井を指さした。

 釣られて那月も見上げると、大の字になった凪桜が両手両足を震わせながら天井に張り付いている。


 妙に器用な芸当だ。

 だが、凪桜は自分の格好を忘れているのだろうか。

 スカートは捲れ、またしてもピンク色の下着が見えている。

 凄いはずなのに手放しで褒められない誠。


「見つかった」

「いや見つかるだろそりゃ」

「どうして天井に……?」

「逃げ道がなかったからやり過ごそうとした」

「そこまでするくらい風呂に入りたくないのかよ……観念して降りてこい。支えてやるから」


 凪桜の真下で誠は両腕を構える。

 うーん、としばらく考えた末に、凪桜が天井から落ちてきた。


「ぬぉぉぉぉおいっ!」


 膝を十全に使ってお姫様抱っこのような体勢で受け止め、ほっと安堵の息を吐く。

 重力も乗ってそこそこの重さだったが、なんとかキャッチには成功した。


「ナイスキャッチ」

「せめて合図くらいしてくれ……」

「別に自分で着地出来た」


 無表情のまま種明かしをする凪桜に降りてもらおうと腰を下ろすも、彼女は一切動こうとしない。


「凪桜ちゃん。どうしたの?」

「降りるのめんどくさい」

「めんどくさいって……風呂はどうするんだよ」

「このまま脱がせて洗って、誠が」

「俺は男なんだが??????」

「凪は気にしない」

「俺が気にするんだが!?!???」


 平然と要求する凪桜の傍若無人な態度に千鶴と通ずるものを感じてまともに相手をしてはいけないと誠は悟る。

 ……那月には悪いがここは託そう。

 脳内会議が出した結論にコンマ数秒で従い、有無を言わさずに凪桜をソファへ座らせ、


「那月、後は頼んだ……風呂は流石に無理」

「わかりました。――凪桜ちゃん。ちゃんとお風呂に入りましょうね」

「いや」

「ダメですよ。ちゃんと身体を綺麗にしないと気持ちよく寝られませんよ」

「……それは困る」


 苦虫を噛み潰したような表情で嫌々ながら凪桜は風呂に入ることを決めたようだ。

 仲のいい姉妹のように、二人は手を繋いで浴室へと消える。

 一人取り残された誠はインスタントコーヒーを片手に情報収集をして時間を潰すことにした。




 ▪️




「ほら、腕上げてー」


 凪桜は言われるがままに両手を挙げ、那月が服を脱がしていく。

 恥じらうことなく下着も脱ぎ、産まれたばかりの姿になった凪桜の目は半分も開いていない。

 そこで見てしまった立派な胸部装甲との格差に打ちひしがれながらも、那月も服に手をかける。


「じゃあ先に中にいてね」

「ん……」


 服を脱ぎ終えた凪桜を浴室へ入れて、遅れて那月も浴室へ。

 ウトウトと立ったまま船を漕いでいた凪桜をプラスチック製の椅子に座らせて、温度を調節したシャワーを浴びせる。

 それから髪を濡らしてシャンプーを泡立て、自分のものと同じくらい長い髪を優しく洗う。


 指の腹を使って揉みほぐすような手つきでのマッサージにも似た感覚に、心地良さから息を漏らす。


「気持ちいい?」

「……ん」


 こくり、小さく頷く凪桜に微笑む。


 懐かしさすら感じる楽しい時間。

 なのに、那月の胸はチクリと痛む。


(なんだろう、この感じ。何か忘れているような気がするのに思い出せない)


 喉に小骨がつっかえたかのような違和感。

 けれど、今はそれよりも聞かなければいけないこともあった。


「……ねぇ、凪桜ちゃん」

「なに?」

「――代々木公園の『鏡界迷宮』に入る前からつけてたよね。誰からの命令?」


 先に疑いだけは晴らしておこうと、那月は確信を持った口調で問う。

 もしこれで凪桜が敵なら危険なのは那月だ。

 しかし、彼女はそうではないと予想していた。


 沈黙。

 その間も手を止めず髪を洗う。

 白い泡に包まれた頭が不意に後ろを向いて、


「うん、つけてた。千鶴の命令。二人のことを監視しろって」


 唐突に白状する凪桜。


「なら、凪桜ちゃんは敵?」

「ううん。敵味方とか興味無い。凪が従うのは任務だけ」


 凪桜の答えは那月が聞きたかったもの。

 少なくとも敵ではないのなら問題ない。


 ほっと胸を撫で下ろす那月へ「それに」と凪桜が付け足して、


「凪は寝られればそれでいいから」


 にへら、と気の抜けた笑みを浮かべた。


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