第14話 特別に
演習場に来てみれば、そこはもうお祭り騒ぎのやりたい放題だった。
そこかしこに設置されたバーベキュー台から暴力的な肉の匂いを運ぶ煙が立ち上り、ジョッキ片手に酒を飲み交わす人々。
日が落ちたばかりなのに出来上がっている人はいるが、あくまで常識的な範疇で楽しんでいる。
なんと言ってもここは協会のお膝元。
下手なことをすれば即証明証の剥奪も有り得るのを理解しているのだ。
男女比は7対3くらいの割合。
魔術なんてものがあるとはいえ、そもそもが血生臭い職業故に女性は少ない傾向があった。
「おっ、今日の主役が来たぞ!」
圧倒的な熱気に気圧されて忍ぶように演習場へ踏み込んだ誠と那月だったが、彼らの目は誤魔化せなかったらしい。
誠を見つけてどっと湧き上がる歓声。
さっきの模擬戦の感想があちこちから耳に届くが、どれもが好意的なもので慣れていない誠は反応に困りながらも愛想笑いで返す。
「誠さん、人気者ですね」
「……やっぱりストレスで殺そうとしてる?」
「そんなことありませんよ」
「……まあ、いいや。それより分けて貰いに行こう。この分なら追い払われることもないだろうし」
呟き周囲を見渡せば、こっちに来てくれと手招く気のいい探索者たち。
しかし。
「でも、私が行くと迷惑になってしまいますから。どこか隅っこにいますよ」
「でも……」
「いいんです。慣れていますから」
ふるふると首を振って早々に誠から距離を置こうとした那月。
その小さな背中が、いつにも増して寂しそうに見えてしまって。
月が出始めたばかりの暗がりで、輝く銀色が手の届かない場所まで遠くなるのは嫌だと思って。
「……誠、さん?」
衝動的に握った手は冷たく震えていた。
変わらず開かれたままの那月の指先が、触れる温もりを恐る恐る確かめるように硬く大きな手をなぞる。
伝播する感情。
「ほら、その、あれだ。俺はまだこっちのことがよくわからないからな。一人くらい信頼出来る通訳がいないと困るんだよ」
ただの照れ隠し。
露骨すぎてわざとなのではと疑ってしまうほどのそれに、那月はくすりと口元に手を当て微笑む。
淡い月明かりに照らされた銀色が微風に靡き煌めいて、あまりに魅力的な姿に目を奪われた。
「――仕方のない人ですね。今日は特別に、誠さんの専属通訳になってあげます。離れないように、手を握っていてくださいね」
ぎゅっ、と。
絡み合う指先、ピッタリと触れ合う肩と肩。
雰囲気は恋人も同然……なのに、二人の表情は緊張と羞恥で固まっている。
それも当然。
二人に集中する生暖かい視線の数々。
初々しい恋人同士の距離感に口笛を鳴らす者や、砂糖を飲まされた多数の男が影で涙を流していた。
誠から意識を外れていなかったのに、そんな状態で那月とあんなことになれば注目を集めるのは自明の理。
しかしながら、那月への風当たりも少しは軽くなったのは喜ばしい事だった。
それからは二人で幾つかのバーベキュー台を転々として、コミュニケーションに四苦八苦しながらも楽しんでいた。
行く先々で「どんな関係なのか」とニヤニヤしながら聞かれはしたが、その度に二人の精神力はゴリゴリと削られる。
明確な返答を持っていない二人は「仲間です」とだけ答える。
ある種無難な答えに不服そうにしながらも話題はコロコロ変わり、飽きることは無かった。
そんなこんなで空に小さな星が無数に瞬く頃。
疲労感が滲んだ表情の二人は一休みのために二人は壁沿いの静かな一角に陣取っていた。
取り皿に分けて貰った肉を食べながら、吹き付ける夜風の心地良さに目を細める。
「疲れたな……那月は大丈夫か?」
「私も疲れました。でも、同じくらい楽しいんです。こんな気持ちは久しぶりで……」
うっとりとしたまま、那月は琥珀色の液体が入ったグラスを両手で傾ける。
来たばかりの時の緊張は多少解れ、笑顔も見せられるようになっていた。
那月が
全員が全員そうであったとは言えないが、それでも誠が聞いていたよりはずっとこの場においては好意的に受け入れられている。
それも那月本人の人の良さがあってのことだろう。
居るだけで場の空気を柔らかくしてしまう魔法の笑顔は万人への特攻性能を備えていた。
加えて話を聞いているうちに、そもそも『神奈木』の事件には裏があると睨んでいる人も多いことがわかった。
探索者は良くも悪くも自由だ。
仲間に命を預けることはあっても、流されることはない。
そんな自己を強く持った彼らの生き方は思想にも大きく影響していた。
「『神奈木』……ねぇ」
聞こえてきた情報を総括すると、誠には
魔術の研究成果は広く公表し、教えを乞う者を拒まず導く人格者。
探索者の中にもお世話になった人は多いらしい。
「……? 私の顔に何かついていましゅか?」
無意識のうちに那月を見ていたらしく、どうかしたのかと小首を傾げてにへらと笑う。
最後に噛んでたよなと指摘は入れず首を振る。
夜の暗さで那月の色白さが余計に目立つ。
だから、だろうか。
ほんのりと赤く染まった頬が目に留まった。
「風邪でもひいたか?」
ぽけーっとしたままの那月の前髪を除けて、すべやかな額に手を当て熱を測る。
だが、予想に反して同じくらいの温度が手のひらを伝う。
熱があるようには感じられなかった。
「んっ……誠さん……? 擽ったいですよ……」
弓なりに緩んで綻んだ表情で、妙に嗜虐心を唆るような甘い声で擦り寄ってくる。
餌付けされた猫のように喉を鳴らす姿を幻視しながら、どういうことかと首を捻った。
「……風邪じゃないにしてもおかしくないか。薬を盛られた? ……いや、この場で那月を始末するのはリスクが高すぎる」
あらゆる可能性を並べては否定を繰り返す。
半身に凭れかかる温かな重さや柔らかさ、漂う甘い香りと熱っぽい吐息が、誠の理性と集中を否応なく掻き乱し続ける。
思考が纏まらないまま煩悩が囁く誘惑を辛うじて跳ね除けるのは至難の業。
短い間ながら築き上げた距離感は酷く脆く、肩には那月の頭が乗って完全に身を委ねていた。
流れた細く長い銀髪が焦らすように頬を撫ぜる。
並の男なら理性が崩壊していてもおかしくない状況で、誠は呻き声をあげながらも耐え抜いていた。
ここで手を出せば一生後悔するのがわかりきっていたから。
手の甲を抓り痛みで誘惑を制していると、ふと吐息に混ざる嗅ぎ慣れた匂いに気づく。
それは年齢制限が設けられている酒精の匂い。
「てことは……まさかっ」
急いで那月が持っていたグラスを奪い取ると、名残惜しそうに目で追って「うー」と可愛く唸る。
取り返そうと伸びてきた手を押さえつけて琥珀色の液体が入ったグラスを鼻に近づけると、確かにそこからアルコールの匂いがした。
つまり、那月の様子がおかしかったのは体調不良なんかではなくて。
「ただ酒飲んで酔ってただけかよ……」
心配して損したと思うべきか、たまたま一緒にいたのが自分で良かったと安堵するべきか。
迷った挙句、答えを出さずに唸り続ける那月を宥めるために軽く頭を撫でる。
感覚としてはペットも同然、と面と面を向かって言ったら怒られるだろうなぁ、なんて考えながら。
やがて隣から響いてきた静かな息遣い。
起こすのも色々と拗れそうだからと寝かせることにしたが、一つ重大な問題があることを思い出す。
「……那月が寝たままじゃ帰れなくね?」
だとしても。
今はこのまま寝かせておこうと安らかな寝顔を見て決めるのだった。
――そして。
「あははっ、ほんと、最高ですねっ! お金くらい貸しあげますからなつなつと一緒にラブホにでも泊まって熱烈なレビューしてくれませんか?」
「タクシーで! 帰る!」
翌朝、那月は滅茶苦茶申し訳なさそうに謝った。
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