第37話 夏祭り

 1年後、海斗は地元の国立大学で歴史を学んでいた。朔陽さくよう高校では不登校の生徒に対するレポート提出や、夏休みの補習などの救済措置があったおかげで、無事卒業できたのだ。


 海斗の学力なら、東大は射程内だから浪人してはと担任に勧められたが、少しでもはやく独立したかったし、葵のそばを離れたくなかったので断った。葵は高校を辞め、母校の大学の助手になっていた。


 海斗は大学が夏休みになると、バイトがない時はよく葵の家に遊びに来ていた。


「葵さんのミルクティーはどうしてこんなにおいしいんだろう? 同じ紅茶をお中元でもらったから、淹れてみたんだけど全然違うんだよ」


 海斗がマグカップを傾けながら、中のミルクティーを眺めて一口飲み、満足そうに目をつむった。


「私、そんなにこだわっているつもりはないんだけど、牛乳で差が出るんじゃないかな」

「あ、そうか。葵さん、美味しいものには詳しいもんね。いつも高い牛乳買ってるよね」

「うん。低温殺菌してある牛乳で、いつもの銘柄のがミルクティーにしたら一番おいしいの」


 葵が冷蔵庫をちらりと見た。


「でも、やっぱり、葵さんが淹れるからおいしいんだよ。葵さんが淹れたミルクティーを毎日飲みたい。またあの頃みたいに一緒に暮らしたいなあ」

「毎晩飲んでたものね」


 海斗は受験勉強を頑張り、高校卒業までは会うことを控えていた。もう一年以上別々に暮らしている。やっと新生活が落ち着き、二人の時間を堪能できるようになったところだ。


「あ、そうだ、葵さん、前に、夏祭りに行きたいって言ってたよね?」

「うん。彼氏と行くのが夢だった」

「今年は一緒に行こう。俺、もう卒業したんだから、堂々と一緒に歩いていいよね?」



 *



 夏祭りは3日間にわたって行われる。葵も海斗も浴衣を着て夕方から出かけた。


「海斗、男前だわ。何時間でも見ていたい」

「葵さんこそ、綺麗だ……。」


 海斗はそう言いながらも恥ずかしそうに目を逸らした。通りにはたくさんの店がならび、毎年各地から大勢の人が訪れる。


「あ、綿菓子! これ、ハソングンが食べたら、なんて言うかなあ?」

「なんだこれは? 雲を食べるのか? わ~! すぐとけてしまうぞ! って驚くだろうな」

「わ~! そんな感じ!」

「手、つなぐ?」

「まだ明るいし……」


 人目を避ける癖はいまだに抜けない。


「わかった。あ、射的だ! やろうよ!」

「いいわね!」


「すみません、お願いします」


 海斗が店の主人に声をかけると軽快に言葉が帰ってきた。


「はいよ。彼女さんもやるかい?」


 迷いなく発せられた「彼女さん」という言葉が、葵はうれしかった。


 海斗が鉄砲を持って構えた。その鋭いまなざしが、洋服を買いに行ったとき、鏡に全身を映して弓を構えるポーズをしていたハソングンの目と同じだった。


「シビレる……」

「見てて」


 パンと音をたてて、見事命中した。


「すごーい!」


 まわりからも拍手が起こった。景品は籠の中に入ったおもちゃから一つ選べた。


「何にするの?」


 その時、海斗が通りを指さして叫んだ。


「葵さん! あれ!」

「え? 何?」

「何でもない」

「どうしたの? 海斗、変なの。何をもらう?」

「もうもらった」




 日がかたむきはじめると提灯に灯が入り始め、ノスタルジックな雰囲気になった。


「そろそろ、花火の場所取りに行こうか?」

「うん。いい時間ね」


 二人はたこ焼きや飲み物を買って、近くの小学校のグランドに行った。すでにレジャーシートを敷いて場所取りをしているグループがたくさんいたが、まだ場所はあった。


「ここでいいかな?」


 二人は持ってきたレジャーシートを敷いて並んで座った。


「葵さん、ビール買わなくて本当によかったの?」

「いいの。海斗が20歳になったら、一緒に飲みたい。それに今日はジンジャーエールの気分」


 二人は買ってきたタコ焼きなどを食べながら、時間をつぶした。最近は歴史の話で盛り上がる。二人でいると、あっという間に時間が過ぎて行った。


「そろそろだね」


 ドーンという大きな音がお腹に響くと同時に一発目の花火が上がった。まわりで歓声が上がった。


「きれい」


 海斗が葵の手をとり、指を絡ませてつないだ。他からは見えにくいところに手を置くと、ぎゅっと力が入った。


「葵さん」


 花火の音が大きいので聞こえにくい。


「なあに? よく聞こえない」


 距離が近くなった。海斗の顔がすぐそばにあった。


「聞こえる?」

「ウフフ」


 耳元にかかる息がくすぐったくて、葵は思わず首をすくめた。


「聞こえるわ。なあに?」

「葵さん、俺たち結婚しよう!」


 葵は思わず海斗の顔を見た。彼の頬が、花火が上がるたびに、赤く照らされたり青く照らされたりしていた。


「私でいいの? こんなに早く決めちゃっていいの?」

「葵さんじゃないといやだ! もう待てない」


 海斗はおもちゃの指輪を出した。


「その指輪……」

「さっき、射的で、自分の力で手に入れた指輪だよ。サイズも好みもよくわからないから、本物は今度一緒に買いに行こう」


 かわいい笑顔だった海斗が真剣な顔になっていた。


「葵さん、俺と結婚してください」

「はい。よろこんで」


 海斗が目を見開いて笑った。いつもの……いや、いつも以上のうれしい時の顔。海斗は葵の左手を取り、持っていた指輪をゆっくりと薬指にはめた。


 花火が最高潮を迎え、お腹に響く音が連続で鳴り始めた。周りから沢山の歓声や大きな拍手が沸き起こった。海斗と葵は再び指を絡ませて空を見上げた。

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