第17話 高校生活
保健室でかすみにあいさつした後、海斗は教室に行きたがった。
「必要最低限のことを教えてください。後はドラマの知識で乗り切ります。早く教室に行きたいんです」
かすみは、初登校だからもう少し時間がたってからでもいいと止めたのだが、彼は行ってしまった。
教室の戸を開けると、一人、また一人と、海斗を見る目を感じた。見慣れない彼が、誰なのか知りたいのだろう。背が高くて端正な海斗は、特に女子生徒の注目をあびていた。あちらこちらから、いろんなささやき声が聞こえてきた。
海斗が生きていたのは450年ほど前だ。音楽は楽器の音のみ。大音量のコンサートやイベントにも行ったことがない。そして、今までイヤホンを1度も使ったことがなかった。自然の音をBGMに暮らしてきた彼の聴力は、おそらく現代人の想像以上だ。周りの生徒のいろんな言葉が耳に入ってきた。
「誰?」
「あの席、古川君の後ろだから、ええっと名簿名簿……北条君?」
「髪が長いな。校則大丈夫か?」
「北条って、去年、うちのクラスに転校してきたやつじゃねえか? 不登校の」
「イケメン!」
「誰? こんなにカッコいい人いたっけ?」
その時、教室に彩が入ってきた。
「あ、海斗君!」
彩は自分の席までまっすぐに来て鞄を机の上にドンと置いた。平田彩の席は出席番号順で、北条海斗の席のすぐ隣だった。またひそひそ声が聞こえてきた。
「下の名前で呼んでるよ」
「どういう関係?」
「地味女のくせに生意気」
海斗が彩に向けた微笑みをたたえたまま、声のする方にゆっくりと顔を向けると、悪口の発信元と思われる女子生徒と目が合ってしまった。その女子生徒は、うれしそうに頬を紅潮させた。
一応会釈した。海斗は特に表情を変えることもなく視線を戻した。彩には聞こえていないのか、笑顔のままだった。修が足早にやってきた。
「おい、海斗、大丈夫か?」
「大丈夫、何とかなるよ」
「彩、フォローしてやってくれ」
「うん」
初めての授業は国語で、50代の男の先生がやってきた。海斗は彩にわからないことを聞き、彩も早めに説明したり、手伝ったりしていた。すると、先生が二人を見て言った。
「おい、そこ、仲がいいな。つきあっているのか?」
「出た! お約束! 付き合ってるのか発言」
どっと笑いが起こった。彩はまじめで、制服も規定通りに着用し、優等生そのもので、男女の交際などに縁があるとは誰も想像できないタイプだ。授業中は地味なメガネをかけていたので、なおさらだった。一方海斗は長い髪を一つに束ね、華やかだった。二人がつきあっているとは誰も思えないだろう。
海斗は彩の方を見たが、彩はうつむき、笑っていなかった。また、ささやき声が聞こえてきた。
「セクハラおやじ」
「ウケねらい」
みんながなぜ笑っているのかが、海斗にもわかった。
休憩時間、海斗が彩に話しかけようとすると、二人の男子が近づいてきた。
「おまえら、本当につきあってんのか~?」
興味津々の二人に彩がそっけなく答えた。
「別にそういうわけじゃないよ。部活が同じ」
「あ~、修と同じ歴史オタク研究会だったね」
彩の顔が暗くなった。海斗は彼らににっこりとほほ笑みかけた。
「君たちもどう?」
「俺たち、サッカー部だし、興味ねえからいいよ」
そう言って向こうへ行ってしまった。
「そういえば、彩、『鬼神』見た?」
「まだ。見たの?」
「見てる途中なんだけど、面白いよ」
「へえ~。見ないとね」
また海斗の耳にささやき声が聞こえた。
「地味女、いい気になるな」
葵は2時間目に授業がなかったので、保健室に行ってみた。
「かすみ先生! 海斗は?」
「あ、葵ちゃん、海斗君なら、1時間目から教室へ行ったよ~」
「え! 大丈夫なのかな?」
「大丈夫でしょ~。修君たちがフォローしてくれるだろうし、なるようにしかならないよ~。まあ、お茶でも飲んで。ピンク色のお茶、飲む~? オミジャ茶っていうの。 今日はめずらしく生徒が誰もいないからゆっくりして~」
「ありがとうございます!」
かすみが入れてくれたお茶は本当にきれいなショッキングピンクだった。
「わ~! おいしい。さわやかだね」
「酸味を感じましたか。お酒の飲みすぎね~」
「何? それ」
「体調によって味が変わるの~。私は甘く感じるから、食べすぎ?」
「面白い!」
お茶を飲みながら話していると、あっという間に時間がたち、外で生徒の声がし始めた。2時間目が終わったようだ。海斗がやってきた。
「海斗、どうだった?」
「うん、どうってことなかったよ。でも、興味ないことまで我慢してやらないといけないんだね。数学って、何の役に立つの? 理解できないよ」
「それ! 私、今まで、高校の数学を生活の中で使ったことがない!」
葵はつい教師の立場を忘れて同意してしまった。
「俺の国では、文官は学問、武官は武道、商人は商い、農民は農業、自分に必要なことだけを極めていたし、みんなそれが好きでやっていたけどな」
「得意なものだけやってれば、みんな落ちこぼれる事なんかないのにね~」
「そうね。不登校の子も減るかも」
「先生、面白い授業もあるけど、興味のない授業を聞くって、時間がもったいないな」
「もったいない……か」
「とりあえず今日は全部聞く。じゃあ、俺、教室帰るね」
その日、海斗は6時間の授業を全部聞いて帰った。
葵が家に帰ると、海斗は先についていた。
「おかえり」
迎えてくれる人がいるのがとてもうれしかった。葵は海斗のメモ通りに買ってきた食材をテーブルの上に出した。
「先生、ありがとう」
海斗は早速料理にとりかかった。
「先生は、明日の準備でもしてて」
「でも……」
「ほら、早めに準備しておかないと、あとで一緒にドラマを見る時間が少なくなっちゃうよ」
「わかった。何かあったら呼んでね」
葵はリビングで授業の準備をした。台所に海斗が立っている姿が見える。小さかったハソングンがこんなに背が高くなった。うつむいた時のまつ毛、男らしい眉、彼が水を流す音、包丁で刻む音、だしの香り……何もかもが愛おしかった。また、この生活が帰ってきた。
海斗は手早く下ごしらえをすませて、葵の右側、ソファの自分の席に座った。
「もう終わったの?」
「今日のは簡単だから。味がしみたら食べられるよ」
海斗はまるで子供が誰かにいいものを見せてあげる時のように、目をキラキラ輝かせていた。葵は思わず海斗の頭を撫でた。
「本当に手早くてお料理が上手。いい子ね」
海斗の目の輝きが一瞬曇った。
「俺、明日は先生の授業、受けられるの?」
「うん。海斗のクラスもあるね」
「今日は昨日テレビで見たマグロの洋風漬け丼とかまぼこのお吸い物だよ。食器出してもらっていい?」
「OK」
二人で準備することがうれしかった。葵は二人分の食器を出すことすら、幸せだと感じた。
「先生、お酒、飲むでしょ? おつまみも作ったから」
「気が利く~。高校生が、おつまみまで用意するなんて」
「俺、王様の時、お酒飲んでたからね。あった方がいいってわかる」
「ごめん、一人で飲むの、申し訳ない」
「いいよ。お酒を飲んでる先生、すごくかわいいから」
「大人に向かってかわいいはないでしょう? 海斗、早く大きくなって。そしたら一緒に飲もうね」
海斗は黙っていた。葵は海斗が12歳の時、子ども扱いして怒ったことを思い出した。
「ごめんね。あなたはもう立派な大人だった。子ども扱いしてはダメね」
海斗は苦笑いした。どうやら気を取り直したようだった。
海斗の料理は相変わらず絶品だった。
「ねえ、先生、DVD,あと1本だね。2話分しかない。今日で全部見ちゃうよ」
「今日は水曜だから、サービスデーは明後日か……」
「金曜日! 今度はもっとたくさん借りよう!」
「金曜日、か……」
大嫌いだった金曜日。海斗がこんなに楽しみにしている。
「わかった。たくさん借りよう!」
金曜日が嫌いじゃなくなりそうだ。
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