第16話 男なんてこりごり
何か事情があってパパと呼ばれているだけに違いない、あの女の人は、きっとお姉さん、子どもは甥っ子……そうであってほしかった。でも、他人のふりをされた。疑いはぬぐいきれなかった。
恭介が葵の袖を引っ張り、何か話しているのに、うわの空で返答した。そうしているうちに少しずつシミュレータの待機列は短くなっていった。
誰か、助けてほしい。本当のことを教えてほしい。迷いに迷って、葵は真相を知っていそうで連絡先がわかる唯一の人に、思い切ってメールを送ってみた。斎藤ならわかるかもしれない。傷ついていることを斎藤にさとられないようにするにはどうすればいいか……。さんざん考えて、できるだけ冗談ぽく話題をふってみることにした。
『子連れの亨先輩、鉄道博物館で発見! まさかの隠し子? パパゆずりのイケメン』
すぐに返事が来た。
『ついにバレたか。年上美女の罠にかかって、できちゃった婚。哀れ、失った青春!』
葵は高い断崖絶壁から海の中へ突き落された。いや、亨を突き落としたかった。ラブストーリーがサスペンスに変わった。あの女性は妻だった。あの子は4歳ぐらいだから、亨が大学生の頃の話だ。
(学生結婚?)
葵の心臓は、限界に近かった。めまいがしてきた。その時、恭介にシミュレーターの順番が回って来た。
「お姉ちゃん、いっしょに行こう」
「ごめん、ちょっと気分悪いから、お姉ちゃん、ここで待ってる」
葵の心は
うれしそうにシミュレータの前に立つ恭介の後ろ姿があった。葵の心の中でもシミュレーションが始まった。
(嫁が気づくぐらい、今からメールをガンガン送りつけてやろうかな? いやいや、今から亨先輩を追いかけて行こうかな? それからなんて言おう?
『せんぱ~い! この間はごちそう様でした~! あら、こちらの方はお姉さま? いつも先輩にはお世話になっています~』
もっと強火の方がいいかな?
『先輩! さっき、パパって呼ばれてましたよね? どういう事ですか? まさか、奥さんと子供さんがいるんですか? ひどい! 私をだましたの?』
嫁が顔面蒼白になり、修羅場。若くて美しい不倫相手に嫉妬……あ……私、不倫相手なんだ。そんなつもりなんかなかったのに。ただ亨先輩が好きなだけ……。私、なんて醜いんだろう。嫉妬に狂うなんて。昔の王様は、何人も側室がいたから、王妃も側室もつらかったんだろうな。こんな時でも歴史のこと考えちゃう)
恭介がシミュレータを終えてうれしそうに戻ってきた。
それからも心の中で、亨に色んな方法で制裁を加えたり殺したりした。恭介を連れて歩いたが、何を見て、どうやって家に帰ったかは記憶に残っていなかった。
その日の夜、亨からメールが来た。
『今日はごめん。次の金曜日、会える? ちゃんと話したい』
葵はしばらく携帯の画面を見つめていた。短い文。理系の彼は長い文章は苦手と言っていた。
「金曜日か」
妻子がいることに対する、説明できないほどのショック。だました事への怒りなのか、許されない相手であるからなのか。時間がたってみると後者の方が強いことに気づいた。こんな思いをしても、好きだった。しかし、今会ったら、きっと正気ではいられないだろう。修羅場になるか、もしくはずるずると許されない愛にひきずられるか。本当は会いたかった。でも、葵はメールの返事を送ることができなかった。
次の日もメールが来た。
『本当にごめんね。会ってきちんと話したい』
また短い文章だった。
月曜日も火曜日も、メールが送られてきたが、葵は返事が出来なかった。水曜日もメールが来た。
『許されないことをしてしまった。ちゃんと会って謝りたい。そして、きちんと話がしたい。お願いだ。会ってほしい』
「あ、いつもより長い」
胸がきゅんとした。でも、奪わない限り、自分のものにはできない人だ。あんなかわいい子どもからパパを奪いたくない。何も知らない家族に申し訳ないと思った。
「ここで幕をおろそう」
そう決めて返事を打ち込んだ。
『ごめんなさい。もう会えません。今までありがとうございました』
葵にしてはとても短い文章だった。送信を押すのに少し時間がかかったが、思い切って、力いっぱい押した。すると、まもなく着信音が鳴った。珍しいことに、亨から2通目が来たのだ。
『許してほしい。もう一度会いたい』
涙が止まらなかった。しかし、葵はもう返信しなかった。
次の日、母があらたまって話しかけてきた。
「葵、お見合いの話があるんだけど」
「ええ? いやだよ」
「まあそう言わずに。頼まれたから断れないのよ。会うだけでいいの。これも何かの縁だから」
「縁……か。」
送られてきた写真はまあまあだったし、公務員だから将来も安泰だ。こんなタイミングで話が来るのも意味があるかもしれないと思い、行くことにした。
お見合いは6月22日、葵の24歳の誕生日しか予定が合わなかった。母と一緒に料亭につくと、先方は既に来ているようで、脱いだ靴が揃えられていた。女性用の少し幅広の靴と、男性用のブーツのような厚い靴があった。
部屋に案内されると、仲人のおばさんと、やや緊張気味の30代の男性が座っていた。料理はとてもおいしかったが、おばさんと母の話ばかりが盛り上がり、肝心の二人はあまり話せなかった。彼は来年転勤になるかもしれないというのが、お見合いを急いだ理由のようだ。
食事を終え、二人でお茶でも飲んできなさいと言われて立ち上がると、彼は葵より背が低かった。ズボンの裾がダブついているのが気になった。靴を履いて外に出ると、目線の高さが同じになったので、まさかと足元を見ると、ズボンの裾はピッタリになっていた。
(身長なんて気にしないのに……)
葵には明らかにバレてしまうそのごまかしが、受け入れがたかった。
カフェに入って話しはじめると、その男性が一人で話し続けた。幼いころから成績が良く、期待されて育ったこと、有名進学校から有名大学に入学したこと。葵が話す余地はなかった。
話題が葵の仕事の話になった時、つい、いつもの癖で、歴史について熱く語り始めたら、その男性が話を変えてしまった。そしてまた、彼が話し続け、別れ際にこう言った。
「僕は早く子供が欲しいんです。あなたは健康で美しくて、頭のいい方だ。ぜひ、僕の子供を産んでほしい」
(この人と一緒に一生を過ごすなんて考えられない)
「ごめんなさい。お受けできません」
即答してしまった。
(男って自分中心で女を性の対象にしか見ていない! 恋愛なんてめんどくさい! 結婚なんてしなくていい! 男なんか大嫌い!)
帰り道、線路のそばに立葵の花が咲いていた。背が高くて凛としているのに、ピンク色の花びらはひらひらとかわいらしく、たくさんの花をつけていた。この花が咲くころに生まれたから、父が「葵」と名付けてくれたのだ。苦い誕生日になってしまった。
それ以来、葵は男性に近づかなくなり、歴史の本と、歴史をめぐる旅と、映画やドラマの鑑賞が私生活の中心となった。
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