第20話 太陽作戦

 翌日の朝、海斗が教室に入ると、隣の彩の机の上に「地味女」と書かれていた。いつもならもっと早いのに、彩はまだ来ていない。そこに、例の女子二人が入ってきた。海斗はにっこり笑って挨拶をした。


「おはよう」


 すると、ふたりは自分の席にカバンを置いて、きっかけをつかんだとばかりに海斗のそばにやってきた。ツインテールの小柄な子が先に笑顔で海斗に声をかけた。


「北条君、もう体調は大丈夫なの?」

「うん。もう大丈夫だよ」


 海斗はひとなつこい笑顔を崩さなかった。それを見て、ポニーテールの骨太な子が嬉しそうに言った。


「昨日はとても心配だったんだから」

「心配してくれたの? 優しいんだね」


 ポニーテールは頬を紅潮させていた。


「俺、友達少なくて、声をかけてくれる人がいないから心配してもらってうれしいよ」

「ほんと? 私、友達になるよ!」


 ポニーテールは、彩に独占されていない今がチャンスと言わんばかりの勢いだ。


「ありがとう」


 海斗は、あいかわらず笑顔だった。


「私は愛梨。この子は春奈よ」


 笑顔のツインテールが、恥ずかしそうにしている骨太のポニーテールを指して言った。春奈と呼ばれたポニーテールが言った。


「じゃあ、SNSのIDを交換しようよ」

「何? それ」


 海斗が不思議そうに聞いた。


「もしかして、スマホ持ってないの? ガラケー?」


 彼女たちはもっと不思議そうだった。


「あ、スマホかあ。俺、持ってない。携帯は必要じゃないから。だって、毎日会ってるんだから、その時話せばいいでしょ?」

「持ってないの?」


 ふたりは、どうしようと言いたげに、顔を見合わせた。その時の静かな間が長かったので、海斗が切り出した。


「この机の落書き、昨日の放課後かなあ」

「誰がやったのかしら。ひどいよね」


 春奈が言った。目が泳いでいる。


「誰がやったかなんて気にするな。それより、書いた人が二度とこんな罪を犯してほしくないよ」


 海斗は二人の表情の動きを見ていた。愛梨はどうも違うようだ。春奈が不自然なほほえみで聞いてきた。


「北条君、平田さんと付き合ってるの?」

「ちがうよ。そんなんじゃない。彼女はクラブが同じで、友達のいない俺を救ってくれただけだ。俺、転校してきてからずっと学校に来なかったただろ? 誰とも話せなかったから、本当に助かったよ。君たちも俺を助けてくれる? そうしてくれたらすごくうれしいな」


 二人は顔を見合わせて言った。


「もちろんよ!」


 二人ともうれしそうだった。海斗は机を見て、提案した。


「俺の恩人の机、きれいにしたいから手伝ってくれない? ねえ、みんなも協力してよ」


 周りの女子にも声をかけた。すると、雑巾やら消しゴムやらを持った女の子たちが集まってきて、みんなでわいわい話しながら消し始めた。しかし、水拭きでも消しゴムでもきれいにならなかった。


「完全には消えないな」


 海斗が残念そうに言うと、その中の一人が大掃除に家庭科室で使う研磨剤やらメラミンスポンジやら色々持ってきた。


「これ、けっこういい仕事するはずよ」


 試してみたら、その部分がきれいに落ち、わーっと歓声が上がった。それから間もなく、机は元通り以上にピカピカになった。


「みんな、ありがとう!」


 海斗は最高の笑顔でひとりひとりに丁寧に握手をした。女の子たちはみんな頬を紅潮させていた。おそらく、全員が海斗のファンと思われる。

 彩は、昨日のことがあるせいか、時間ぎりぎりに後ろから教室に入ってきた。みんなは既に席についていた。


「おはよう」


 海斗がにっこり笑ったので、彩もにっこり笑って挨拶をした。


「おはよう。あれ? 机がきれいになってる気がする」



 その日は放課後までいじめはなかったが、休憩時間になると、愛梨と春奈を含む、朝一緒に机をきれいにした4~5人の女子が海斗の周りに集まるようになったので、彩の入るすきがなくなってしまった。


 修は時々社会科研究室に質問に来る。この日も葵のもとに、質問と共に彩の様子を報告に来た。


「……というわけで、本人が何を書かれたか見てなくてよかったです」

「そうなの……まだいじわるは続いていたのね。それにしても、海斗、やるね」


 葵はにっこり笑った。


「はい。正直、あんなに盛り上がるとは思いませんでした。さすが、側室11人の王様です。教室についた時、僕は思わず誰がやったんだって言おうとしたんだけど、海斗が止めたんです。俺に任せろって。だから、自分の席で見てました」

「太陽作戦か……」

「はい。それから、海斗が、物事の表面だけ見ていくら言っても駄目だ、根っこの問題を解決しないとって言ってました」

「ほんとにそうね」


 とても高校生とは思えない。葵は心臓から染み出る甘い痛みが体中に満ちていくような不思議な感覚になった。


 修が力強く話を続けた。


「海斗には誰が犯人かもわかっているみたいですが、誰かは教えてくれません。知ると態度が変わってしまうだろうからって。確かにそうですよね。僕には、海斗のように平等に接する自信なんてありませんから」


 王の器というものか。葵は、17歳の海斗にかなわないと思った。



 放課後は東アジア歴史研究会の、今年初めての活動だった。あれだけ宣伝したから、新入部員がたくさん入るかと楽しみにしていたが、ふたを開けてみると、葛城颯太という1年の男子が1人だけだった。もともと、高校生の韓流人口が少ないうえに、この学校は強い部活が多い。大学受験や、就職のことを考えると、活発な部活動をしている方が有利であるから仕方ない。加えて、「東アジア歴史研究会」という仰々しい名前が新入部員を遠ざけるのを手伝ったかもしれない。


「人数が少ない方が意見がまとまりやすくていいという考え方もあるでしょ?」


 葵は明るかった。始めに全員で自己紹介をした。


「颯太っち、よろしくね」


 真凛が早速1年生にニックネームをつけていた。


「林先輩! よろしくお願いします!」

「真凛でいいよ」

「真凛先輩、ありがとうございます!」


 まるで、新兵のように硬直していた。彼は、母親に韓流ドラマを見せられて育ったらしい。それがきっかけで、歴史にも興味を持つようになった。身長は160センチくらいだろうか。背は高くないが、素直そうな子だった。


 この日は、年度始めだったので、今後の活動計画を話し合った後、彩が用意してきた映画を途中まで見て、時間切れとなった。





 昨日の夜。葵と海斗はこんな会話をした。


「明日は部活に出るよね?」

「うん」

「じゃあ、帰りはみんなとゆっくり帰るでしょ? 晩御飯は私が用意しておくから、ゆっくりしていいよ。でも、適当なもので我慢してね」





 買い物をして帰ったのに、海斗はまだ帰っていなかった。


(きっと、みんなとしゃべりながら楽しく帰ってるんだろうな)


 いつもなら「お帰り」と笑顔でむかえてくれるのに……。


 保健室で生徒同士、3人が楽しそうに会話をしていた姿が浮かんできた。彩と海斗が顔を見合わせて笑っていた。


「何してるんだろう。携帯も持ってないし……」


 とはいえ、そんなに時間が遅いわけではない。


「きっと、お母さんも私が帰るのが遅い時、こんな気分なんだろうなあ」


 ご飯を作って待っている母親に、遅くなるから食べて帰る、ご飯はいらないと何度言った事だろう。今更ながら心が痛んだ。


「ああ海斗、早く帰って来て!」 


 その時、海斗が帰ってきた。


「ただいま」


 時計を見ると、6時半だった。


「あれ? 思ったより早かったね」

「先生、今日は金曜日だよ。お酒飲む前に行った方がいいかなって思って」

「海斗~!」


 抱きつきたいくらいうれしかった。今日は食事の時、お酒は我慢しようと思っていたから、海斗の心遣いは葵の心をふんわりと温かくした。


「いいよ。お腹すいてるでしょ? 先に食べよう」


 二人は食事をすませてからDVDを借りに行った。


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