第36話 あれは夢じゃない
「葵さん! やっと会えた」
そこには、ハソングンがいた。が、少し様子が違う。髪はいつものようにヘアゴムで一つにまとめているが、かなり短い。前髪はゴムに届かないのか、横分けにして垂らしていた。
「ハソングン?」
葵はその場に立ち尽くしていた。ぽろぽろとこぼれる涙をとめることが出来なかった。
「ハソングンなの?」
「身体は北条海斗だけど、俺はハソングンだよ。こっちへおいでよ」
「どういうこと?」
「入って」
葵は部屋に招かれるまま入った。彼の部屋には、こじんまりとしたソファとテレビがあった。
「座って」
ソファに二人で座ると、いつもの感じそのままだった。しかし、葵は初めて会う海斗に対しての緊張が解けていなかった。ハソングンは日に焼けていたのに、彼は色が白かった。
「俺はハソングンだ。でも、ハソングンの記憶は一部だけで、北条海斗の人生を生きてる。一つ確実に言えるのは、約束通り、ちゃんと生まれ変わることができたということだ。……そんなに泣いたら海の味になるよ」
葵がはっとした。
「俺、北条海斗は、おそらく、ハソングンがこっちにいて活動している間は、眠っていたようだ。その頃から、毎日自分がハソングンと呼ばれる夢を見ていたんだ」
「12歳の時も?」
「うん。視聴覚室でびっくりしているところから見始めた。17歳になってからは、行ってもいない学校に毎日通っていた。夢の中で、応援団に入ったり、騎馬戦の練習をしたり。あまりにリアルだったから、修ちゃんに確認したんだけど、ぴったりとハソングンがやっている事実に合っていたから驚いたよ」
「じゃあ、私と同居していたことも?」
「葵さんの家で一緒に料理をしたり、夜景を見に行ったり」
「初めて作った料理は?」
「豚キムチ炒め」
「私とあなたがテレビを見る時飲んでいた飲み物は?」
「缶チューハイと、葵さんが淹れてくれたミルクティー」
ひっかけのつもりだったが、彼はさらりと答えてしまった。
「あなたが大好きなものは?」
「ふかふかタオル」
何もかも一致していた。二人で食べたメニューも、大輔からのメールの内容も、最後の瞬間何をしていたかも……。
「夢ってそうだと思うけど、現実世界ではありえない設定でも、すべて自分の意志でやっているだろう? 俺にとってはそんな感じだった。最後に消えてしまう瞬間まで、全部自分の意思でやっていた。でも、この家での生活もあったから、自分がハソングンなのか海斗なのかよくわからなくなったんだ」
「それでは、あなたは……」
「あれは夢だったけど、夢じゃない。俺はあの時のハソングンだ。葵さん、会いたかったよ。今日まで、葵さんがどうしているか心配でたまらなかった。約束通り、生まれかわれたようだから、俺が続きをやってもいいよね?」
「ハソングン……」
次の瞬間、北条海斗が葵を抱きしめた。葵もまたその掌に海斗の背中の頼もしさを感じていた。ハソングンと同じ匂いがした。
「本当の俺の名前で呼んでほしい」
「海斗……会えて良かった」
これまでの切ない抱擁とは違って、二人は喜びに満ちていた。あの日、急に失ったぬくもりに、今再び包まれている。やっと会えた。魂に刻まれた、運命の人の記憶。長い長い時の中で、お互いの魂を求めあい、手繰り寄せ、今、新しい時間が流れ始めた。
二人は、もう一度、お互いの存在を確かめるように見つめあった。
日が傾き、大きな窓から見える空は黄金色で、部屋の中まで金色の光に包まれている。
海斗が葵の頬を掌で包んだ。葵は目を閉じた。静寂の中で早くなる鼓動。海斗はゆっくりと唇を重ねた。
「本当はもっと早く会いたかったけど、俺たちのことを厳格な両親に反対させないために修ちゃんと作戦を立てたんだ。葵さんに俺を救ってもらえば、両親も感謝して何も言えなくなるんじゃないかなって。だから、父が同席できる今日まで待たせることになった。つらい思いさせてごめんね」
「いいの。たくさん泣いたけど、その分今の幸せが大きいわ。本当にありがとう。……そういえば、あなたのご両親も夢を見ていて、お父様が夢の中では
「なんだって?」
二人は階下に降りた。父が声をかけてくれた。
「先生、今日は食事を用意していますので、どうぞ召し上がってください。海斗、部屋に運ぶか?」
「いや、みんなで一緒に食べよう! ね! 葵さんも!」
海斗が笑顔で葵を誘う様子を見て、母の目から涙がこぼれた。
「先生、是非一緒に食べてやってください。この子がこんなに笑っているのを見るのは久しぶりです」
母はエプロンの端で涙を拭いていた。
「喜んでいただきます。ありがとうございます」
北条家の食卓に久しぶりに笑いがこぼれた。4人が見た夢の話はバラバラだったが、見事につじつまが合っており、その話で大いに盛り上がった。これはきっと、前世の記憶だろうと4人の意見が一致した。
隣国に攻め入られたときの話になった時、母が言った。
「王様に逃げるよう進言したのは私だったのに、貴人様は罪をかぶって私を助けてくださいました。まだ若いから、未来があるのだからと。そのせいで、貴人様は王をたぶらかし、民を捨てさせたと、民から攻撃されたり石を投げられたり……本当に申し訳なくて……」
「いいんです。王様と私を思ってのことだと承知しておりましたから。それに、テユン様だと、政治的な重い罪に問われかねませんでしたが、側室の私なら、命までは奪われないと思いましたので」
「私も、大事な息子を失わずにすんで、感謝しております」
すっかり、過去モードで話が弾んでいた。
「葵さん、明日と明後日も来てくれる? それとも俺が行こうか?」
「おい、海斗、先生にその口のきき方はないぞ」
「かまいません。その方が私もうれしいですから。それに、彼は王様です」
4人は笑った。父の瞳が、うるんでいた。
「すみません、先生。この子もこう言っておりますので、もし差支えなければ来ていただけないでしょうか? また夕食を召し上がって帰ってください。こんなに楽しい食卓は本当に久しぶりなんです」
父の顔は家族の誰も見たことがないくらい穏やかだった。
その日から葵と海斗の家ぐるみの付き合いが始まった。海斗の睡眠時間はハソングンが消えて以来、徐々に改善されていたので、月曜日から登校することが出来るようになった。海斗の両親は葵に心から感謝した。
「修君本当にありがとう」
「先生、すみません。カイちゃんがハソングンだって気づいてすぐ言おうかと迷ったんですが、言えませんでした」
「そのおかげで、すべてがうまくいったわ」
「ハソングンはカイちゃんのお父さんに偶然会って、自分とカイちゃんがそっくりだと気づいたんです。ハソングンが起きている時間、カイちゃんが眠っていることもわかって、それで向こうへ帰る決心ができたのだと思います」
「ハソングンも、私に黙ってた」
「はい。僕たちふたりで作戦を考えたので。先生が家庭訪問をして、不登校のカイちゃんを救うという筋書きです。そのためには、先生はカイちゃんに初めて会う方が自然だろうと思ったので黙っていました。すみません」
修は葵の憔悴ぶりを学校で見ていただけに、本当に申し訳なく思っていたようだ。
「カイちゃんのご両親、特にお父さんは厳しいんです。だけど、先生が恩人なら、付き合うことを頭ごなしに反対できないだろうからと」
「付き合うって……、修君知ってたのね。恥ずかしい!」
葵が手で顔を覆うと、修はふふっと笑った。
「カイちゃんから僕に電話したいとメールが来たので、僕から電話したんです。学校の夢を見ていると言うから驚きました。その時、カイちゃんがハソングンの生まれ変わりだと確信できたんです。計画も、カイちゃんは夢で見ているから知っていました。カイちゃんがお父さんがいる日の方が効果的だというので、金曜日になったんです。本当は早く会いたがっていたんですが」
「そしたら、お父さんが領議政で、お母さんがその息子だった! 本当に驚いたわ!」
「僕もカイちゃんから聞いて驚きました。前世で近くにいた人は、また生まれ変わった時いろんな形で近くにいると聞いたことがありますが、先生とカイちゃんの家族は本当にそうなんですね。『鬼神』はまんざら嘘じゃなかったんだな」
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