第13話 夢のような夜

あおいちゃん、教科は何を教えてるの?」

「主に世界史Aを教えています。歴史が大好き」

「お! 歴女!」

「はい、いつも本を持ち歩いてます。ほら!」


 葵がバッグから本を取り出した。「百済と古代日本文化」と表紙に大きく書かれていた。斎藤が手に取ってぱらぱらとページを送りながら言った。


「うわ~渋いね、葵ちゃん。……あ、思い出した! 葵ちゃんが3年の夏休み、定演前に僕が部活をのぞいたことあったよね。」

「はい。斎藤先輩、あの時は指導してくださってありがとうございます」

「あの時、なんか難しそうな本を持ってて……休憩時間に読んでただろう」

「よくやってました。私、面白い本に出会うと我慢できなくて」

「結構集中して読んでたから、声をかけられなかったよ」

「すみません。気付いていませんでした!」

「ハハハ……まあ、飲んで。ほら~日本酒行ってみよう~」

「私、日本酒大好きです」

「葵ちゃんいけるクチだね!」


 斎藤は喜んでどんどん酌をしてくれた。葵は何杯飲んでも平気で、どんどん饒舌になり、よく笑った。


とおる先輩は1年女子のあこがれだったんですよ。1年生歓迎のクラブ紹介のステージで、スタンドプレーでソロ吹いたでしょ? しびれました~! あの日からファンです。フフフ」


 葵は普通なら、こんな大胆なことを言える性格ではない。お酒の力だ。


「えー! 葵ちゃん、亨のファンだったの?」

「1年女子みんなです~フフフ」


 亨が葵の目をまっすぐに見つめて言った。


「知らなかった。知っていたら、彼女の一人くらいできたかもだな」

「亨先輩はみんなのものです。一人に独占なんてさせません~フフフ」

「葵ちゃんよく笑うね。高校の時こんなに笑ったっけ?」


 斎藤が頭をなでてくれた。


「お酒飲むと楽しくて仕方ないんです~フフフ」


 亨はその様子をながめて微笑んでいた。


 帰り際には、みんなが連絡先の交換をしていた。斎藤が一番に葵に声をかけた。


「葵ちゃん、僕と交換して」

「いいですよぉ~フフフ……ありがとうございます! ……あ、笙子しょうこせんぱ~い!」


 斎藤と交換すると葵はすぐ笙子のもとへ走って行った。会はお開きになり、ほとんどの人が、二次会に行った。葵は学年が違う事もあって、一人で帰路についた。


「葵ちゃん!」


 駅に向かって歩いていると、後ろから声をかけられた。亨だった。


「亨先輩!」

「駅まで送って行くよ。」

「いいんですか? ありがとうございます」


 二人は歩道を並んで歩いた。


(高校生の私に、見せてやりたいー!)


 亨はみんなのあこがれだった。まるで芸能人と歩いているくらい、葵にとっては大変なことだ。


「今日は一緒に飲めてよかったよ」

「先輩、私もです」

「実は、高校の時、葵ちゃんの事、かわいいなあって思ってたんだ」

「え? 本当ですか?」

「うん。ちゃんと名前だって覚えてただろう?」

「はい。ありがとうございます」


 亨が立ち止まった。葵も立ち止まり、亨を見た。


「今度、また会ってくれる? 葵ちゃんとまた飲みに行きたい」

「私で良ければ……」

「約束だよ」

「……はい」

「俺、いつも仕事で遅くなっちゃうから、電話にはほとんど出られないんだ。だから、メールでいいかな? 暇なときに送るよ」

「はい! じゃあ、電話はご迷惑ですね。メールします」


 ふたりは、アドレスを交換した。


 駅で別れる時、亨が手をさし出し、握手をもとめた。


「これから、よろしく」


 葵も恐る恐る手をのばし、亨の手を握った。


「こちらこそよろしくお願いします」


 大きくて温かい手。少し汗ばんでいた。でも、嫌じゃなかった。


 改札口を通り抜け、振り返ると、亨はまだそこにいて、にっこり笑いながら、手をふってくれた。長身でかっこいい先輩。自分だけに手を振ってくれているのが信じられなかった。葵は帰りの電車の中で、今日のことを最初から思い出してはまた巻き戻し、それを何度も繰り返して、幸せの余韻にひたっていた。




 それからは、いつもお昼の12時から1時の間でメールが届くようになった。おそらく昼休みにメールを打っているのだろう。葵はすぐに返事を送った。そのあと何回も携帯を見ていたが、葵への次の返事は来ていなくて、翌日の昼休みにメールが来る……そんなくりかえしだった。一日一通ずつのメール交換。本当は会話をしたかったけど、亨が忙しいのに迷惑をかけたくないと思って我慢した。

 次の金曜日、珍しく夕方メールが来た。


『今日、会える?』


「やったー!」


 ついに会える日がやってきた。春休み中だったので、葵は家にいた。おもいきりおしゃれをして、でかけた。約束したのは、個室のある店だった。


『高見で予約してるから、先に入って待ってて』


 亨はメールでそう言っていた。店に入ると、やはり、葵の方が先だった。


「予約している高見です」


 なんだか妻になったようで、何とも言えない気分になった。しばらく一人で待っていると、15分ほど遅れて亨がやってきた。


「ごめんね。待たせちゃったね」

「大丈夫です。遅れることは知らせてくださっていたし」

「何飲む? 最初はビールかな? それとも、日本酒? ここの刺身は新鮮で、うまいよ」


 喉が渇いていたので、ビールで乾杯した。向かい合って座ったので、目の前に亨がいた。こんなにきれいな二重まぶたで、鼻が高くて、彫刻のようにきれいな顔立ちを間近で見ると、うっとりしないものはいないだろう。低い声も魅力的だった。おまけに、有名国立大学出身で大手企業に勤務。あまりにそろいすぎて、怖いくらいだ。亨が選んだ店は、味も、雰囲気も申し分なくて、葵はドラマの主人公になったようで幸せだった。

 その日は高校時代の話で盛り上がった。吹奏楽部の事はもちろん、教科の先生のくせ、体育祭、文化祭……話はつきなかった。


「葵ちゃん、今日はとても楽しかったよ」

「私もです。先輩、ありがとうございました」


 部屋を出ようとしたときだった。


「葵ちゃん、また会ってくれる?」

「はい。喜んで」


 亨がガッツポーズをしていた。葵は、なんてかわいらしい人なんだろうと思って亨を見ていた。すると、突然亨が葵を抱きしめた。


「葵ちゃんのことがかわいくてしかたないんだ。楽しみにしてるよ」


 葵は地球上にいるすべての動植物に祝福されているような気分だった。夢のような夜だった。

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