第2話 王子様、初めての体験

「じゃあ、なぜここに来たの?」

「あなた方が私をここに連れてきたのではないのですか?」


 いくら話してもかみ合わず、少年は自分は何も知らない、気づいたらここにいたと言うばかりだった。あおいと3人の生徒たちは顔を見合わせた。


「まさか、タイムスリップってやつ?」

「どうしよう? この子、本当に河城君ハソングンかも。これから誰が面倒見るの?」


 こういうことを一番気にするのはあやだ。当の河城君はみんなの顔をかわるがわる見ていた。


「タイムスリップとはどういう意味だ」

「過去から未来へ時間を移動しているってこと。」


 真凛まりんがさらっと言てしまったので、しゅうがフォローした。


「ハソングンは450年前からここ、2019年、つまり、未来の世界に来てしまったみたいだ。ここにあるもののすべてが見たことないものなら間違いないだろう」

「まさか……確かに驚くものばかりです……。そんなことが起こるのですか? それでは、私はどうやって元の世界に帰ればいいのでしょうか?」

「少なくとも私達には帰り方が分かんない」

「そんな……」


 河城君は愕然としていた。


「葵っち、1人暮らしでしょ? 泊めてあげてよ。みんな親と住んでるから無理だよ。」

「私?」

「まだ子供なのに、かわいそうじゃん」

「そうだけど……」


 不安げに見上げる河城君と目があった。


(うわ。そんな目で見ないで)


 言葉遣いはしっかりしているが、まだ子供だ。


「わかった。河城君様、帰れるまで、うちにおいで」

「よろしくお願いします」


 河城君がぺこりとお辞儀をした。今の状況を受け入れがたいようだったが、少し安心したようだ。DVDの上映は途中だったが、大体のリハーサルは終わっていたので、片付けて帰ることにした。このあとは、修の家で打ち上げをすることになっていた。


「ハソングンも行こうね」

「そなた、呼び捨てにするとは、無礼な」

「あ、元気出てきたね。ハソングン!」

「そなたも無礼だぞ!」

「もう、観念しろよ」


 みんなは笑いながら外に出た。それぞれ自分の自転車に乗って修の家へと出発し、葵は河城君を連れて駐車場に向かった。校舎の中も外も、河城君にとっては珍しいものだらけで、いちいち質問されたため、時間がかかった。河城君は車を見て、さらに驚いていた。質感とデザインのせいだろう。そんな様子を見て、これは芝居ではなく、本当にすべてが初体験だとわかった。


(この子は本当にタイムスリップしてきたんだわ)


 葵はなんとか彼を車に乗せ、シートベルトを締めてやった。


「さあ、動くけど、びっくりしないで」


 車が動き出すと、河城君は目を丸くして凍り付いていた。校門を出ると、フロントガラスの外に、彼にとっては初めての風景が広がっていた。シートベルトを両手で握りしめて、食い入るように見続けている姿を、葵は可愛いと思った。


「あれはなんだ?」


「なぜぶつからずに走ることができる?」


「なぜあいつは止まったのだ?」


 交通ルールという概念のない彼には秩序を持って走る車と人が不思議だったようだ。



 榊原修さかきばらしゅうの家は、郊外に建てられた大きな一軒家だった。この辺りは団地もできて郊外型の店もたくさん出店していたが、山が近く、少しだが畑もあり、まだ自然が残っている地域だ。裏道を走ってきた自転車組が先について、外で待っていた。


 河城君は修に車のドアを開けてもらって降りると、珍しそうにみんなの自転車をながめていた。そして、家の方に目を移した。


「ここは?」

「シューの家だよ」

「さ、みんな、入って。バッチャン、ただいま!」

「おかえり。修ちゃん」


 祖母が迎えてくれた。両親が共働きなので、修と二歳上の兄はこの祖母に育てられた。白髪だが、シャンと背筋の伸びた上品な人だった。


「いらっしゃい。どうぞ、あがってください」

「はじめまして。杉浦です」


 葵は丁寧にお辞儀をした。


「先生、修がお世話になっております……きれいな方ね、修ちゃん」

「バッチャン、もう一人増えるけど大丈夫だよね?」


 河城君のことだ。彼は珍しそうに家の中をきょろきょろ見ていた。


「大丈夫よ。材料は十分あるから」

「バッチャン、この子はハソングンていうんだよ」

「ハソン君、いらっしゃい」


 グンがクンに聞こえたようだ。


「……」


 河城君はまた呼び捨てにされたのが気に入らなかったのか、不服そうな顔で黙っていた。そんな彼を見て祖母が言った。


「ハソン君、いい衣装着てるけど、着替えないの? 汚したら大変!」

「そうだね、僕の服、まだある?」

「ええ。あんたの部屋の押し入れの衣装ケースにあるから、出してあげてね」


 修は、河城君の手を引っ張った。


「行こう! 先生も来て!」


 2階の修の部屋はきれいに片付いていた。おそらく祖母が毎日掃除しているのだろう。ほこりもなく、空気がピンと澄んでいて、押し入れの中の荷物も行儀よく並んでいた。


「あった。身長、何センチくらいかな? ハソングン、今、何歳なの?」

「12歳だ」

「12歳? その割には小柄だなあ」


 修が昔着ていた服を出してくれた。きちんと納められていたので、とてもきれいだった。


「これ、全部あげるよ。これからどのくらいここにいるかわからないもんね」

「少し古びて見えるが……?」


 河城君が服をつまむと葵がすかさず言った。


「ありがとう、修君。よかったね、河城君様。こっちの方が楽よ。着てごらん」

「先生がそう言うなら……」


 機嫌が悪かった河城君だが、葵の言う事には素直に従った。下着は修がコンビニに買いに行ってくれた。

 河城君は長髪を頭の上でまとめ、お団子にした髪型だった。お団子男子は珍しすぎる。


「髪型、変えてもいい?」

「このままでは問題があるのですか?」

「ええ。ここではその髪型は女の子しかしないのよ」


 そのままでも女の子のようにかわいいが。


「先生がそうおっしゃるのなら、お任せします」


 葵はバッグから櫛を出して、河城君の髪を後ろでひとまとめにしてくくった。

 河城君は帰ってきた修に手伝ってもらいながら、ブルーのチェックのシャツとベージュのチノパンに着替えた。サイズはぴったりだった。


 下に降りると、庭に、バーベキューコンロやテーブルが用意されていた。


「わ~ハソングン! オタクファッション!」


 真凛はいつでも正直だった。


「はいはい、僕はオタクですよ」


 反応したのは、元の持ち主の修だった。


 広い庭に出ると、バーベキューコンロの炭のいいにおいがした。真凛と彩はみんなに箸や皿を配ってくれた。河城君は相変わらず何を見ても珍しいようだった。


「さあ、はじめよう!」


 部長の修の声を合図に、みんながトングや箸で野菜や肉を置き始めた。ジュージュー焼ける音はいつ聞いても食欲をそそる。いい匂いだ。その間に、バッチャンがジュースを用意してくれた。


「先生、飲めないのが残念ね。ノンアルコールビールにしておきましたよ」


 バッチャンがよく冷えた缶を手渡してくれた。バーベキューにはやっぱりビール。バッチャンの気づかいがとてもうれしかった。ハソングンが、グラスの中のジュースを上から横から興味津々で眺めている。


「東アジア歴史研究会、今年はお疲れ様! かんぱーい!」

「かんぱーい!」


 みんながグラスをぶつけ合うのを見て、河城君も訳が分からず戸惑いながらも、まねをしていた。ジュースを飲んだとたん、河城君が悲鳴に近い声をあげた。


「なんだ?! これは!」

「あ、これ、サイダーだよ。はじめてか」


 炭酸の刺激は思いのほかきつかったようで、少しこぼしていた。


「ゆっくり飲んだらおいしいよ」


 葵がそう言いいながらふいてやると、また河城君は素直に従った。ちびちび飲んでは、にっこり笑う彼をみていると、思わず笑みがこぼれた。


「はやく食べないと、肉がこげるぞ!」

「これ、おいしい! 口に入れたら、とろけるようなお肉!」


 クールな彩も今日は羽目を外し、ご機嫌だった。


「ほら、ハソングン、どうぞ! タレをつけて食べて。」


 真凛が河城君の皿にトングで肉をいれた。ずっと黙って様子を見ていた河城君が口を開いた。


「そなたたちは、山賊か?」


 一同、箸を持つ手が止まった。


「山賊を見たことがあるの?」

「話に聞いたことがある。山賊は仕留めた獲物の肉を調理もせず、そのまま焼いて食すのだと。」


 みんな爆笑だった。


「なるほど、確かに、バーベキューはワイルドな料理だ。」

「切ったお肉をそのまま焼くだけだもんね。」

「まあ、食べてみてよ、おいしいから」


 真凛が強くすすめた。おそるおそる口に入れた河城君の顔がぱあっと明るくなった。


「美味だ!」

「ほらね、おいしいでしょ。もっと食べて!」

「バッチャンが遠くにある評判の肉屋までわざわざ買いに行ったんだから、まずいわけないよ!」


 それから河城君は、葵が心配になるほど肉を食べた。サイダーにも慣れたようだ。


「いや~食った食った」


 修がお腹をさすりながら目を細めていた。河城君もすっかりご機嫌で、もう呼び捨てにされることにも慣れてしまったようだ。


「バッチャン、ありがとうございました」


 帰るころには、みんな祖母のことをバッチャンと呼ぶようになっていた。


「気を付けてお帰り」


 バッチャンは表まで見送りに来た。


「先生、来年度も孫をよろしくお願いします」

「こちらこそ、修君にはたくさん助けてもらっています。今日は洋服をたくさんいただきありがとうございました」


 女の子たちは自転車に乗り、それぞれ挨拶をして帰って行った。自転車で走って行く後姿を見送りながら、河城君が葵にたずねた。


「あれは何だ? 車輪が2つしかないのに、なぜ安定して走っている?」


 葵はひそひそ声で後で説明すると答え、満面の笑顔でバッチャンに挨拶をした。


「今日は本当にありがとうございました。それでは、失礼します」


 バッチャンから何か聞かれる前にその場を去りたくて、河城君を車に押し込み、急いで車を発進させた。


「さて、これからスーパーに行かないと、何も食べるものがないわ」


 河城君を連れての買い物、彼はスーパーでどんな反応をするのだろう。先が思いやられた。

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